ハンセン病を正しく理解する講演会 
2013 
関東の部
6月22日(土) 日本キリスト教団 新栄教会


講演 : 「ハンセン病療養所の今、そしてこれから」


 国立療養所松丘保養園名誉園長


福西 征子氏




 
 関東の講演会当日は雨が予想されたものの、朝日の輝きで目覚める晴天でした。しかし、参加者は残念ながら講師を含めて40名と言う数字でした。それでも、参加してくださった方々は、例年、あるいは何回もお出でくださる方々で、それだけ深く聞き取ろうとしておられる方々でした。
 今年の講師は、松丘保養園名誉園長福西征子先生でした。およそ30年余りを大島青松園、多磨全生園、駿河療養所、松丘保養園と勤務されて、昨年の12月末に保養園を退官された医師が、『ハンセン病療養所の現状と将来』と題して、患者さん方自身の心の問題を含めたお話でした。
長年の体験から得られた幅広いお話にその時々のお気持ちを加えて、4項目をあげて語られました。その項目ごとに私の心に残った講師の言葉を、いただいた講演原稿から要約してみました。
1). 療養所入所者の高齢化と自治組織の衰え
何をおいても、皆さん方に「家族を、まったく、あるいは、殆ど失ってしまっている入所者の皆さんの、それも平均年齢82歳を超えた人々の孤独感と喪失感」をお話して、ハンセン病療養所の、そして、入所者の皆さんの「現状」を理解して頂きたいと考えています。
  30年余りを単身赴任で勤務した療養所を退官して、初めて私は「家族と共にある」と言う時間を持つことができるようになりました。私は一人ではなく、家族がいて、その家族と、退官後の人生を生きていくのだ、という確かな思いに、大変慰められました。しかし、ハンセン病療養所入所者の大部分の皆さん方には、このあたりの、普通の人たちが持っている、「確かな家族」という感覚が極めて希薄です。夫や妻の単位はあるのですが、未来につながる「私の子供」「私の孫」という存在が殆どないのです。実家の墓に入りたいと希望しているある入所者は、「早く死なねば、兄弟がいなくなってしまう。兄弟が死んだら若い甥や姪は、私のことなど知らないから、どうなるか解からない」と心配しています。
「らい予防法違憲国賠訴訟の熊本地裁判決」があった後は、国や地方自治体が一斉にハンセン病に対する啓発活動をしたこともあって、療養所を訪ねる入所者の家族や支援者の数が増えましたが、それから10年経った今になりますと、入所者の皆さんも、入所者の御家族も、年をとったせいか、または、亡くなってしまっているせいか、「再び」、お葬式をはじめとして、さまざまな園の催しものに足を運ぶ人々が少なくなりました。
今でも、血はつながらないものの、「養い子」が「親代わり」の面倒を見て、お返しをする習慣は残っています。しかし、高齢化が進んだために、かつて療養所の中の村制度を支えた「けやぐ」と言われた「保護者制度」は形骸化し、自治組織としての入所者自治会もまた存続が危ぶまれていますから、療養所の中の「村組織」が根底から揺らぎ、入所者は今、頼るべき友人や組織を失いかけて、一人一人が孤立し、心細さを噛みしめていると思われます。
2). 療養所施設側の問題点 
今から20年前、私が松丘保養園に赴任し、副園長から園長になりました平成6年の入所者数は360名ほどで、当時、一番問題だったのは、医師がいないことでした。そのため、いつも、あちこちの大学医学部や病院を訪ねて、医師を探し回りました。大変だったことは大変でしたが、一番の強みは、入所者数が360名おり、悪性腫瘍、心臓や脳などの循環器疾患などを含めて、幅広く、入所者側に医療需要があったことでした。数年たって、弘前大学が少しずつ、扉を開けてくれまして、漸く現在の園内医療の基礎を作り上げることができましたが、しかし、園内だけでは高度医療はできませんから、地元の病院や、弘前大学などにもお願いして、外来通院による高度検査や外科手術などを依頼できる体制を作りました。
しかし、その後、入所者数が減少するにつれて、特に、入所数が150名を切った数年前から、保養園に勤務する定員医師の確保が難しくなりました。今後、更に入所者数が減少すると、今以上に、医師確保が困難になるかも知れません。
看護と介護に関しては、国から一定の定員を確保して貰っておりますので、この定員枠が維持できれば、また十分な雇用ができれば、何とかなるのではないかと思われます。ただし、人里離れた僻地・孤島などの療養所では、通勤上から職員の確保は困難になるでしょう。
もうひとつの重大な問題として、「力関係が崩れれば、いま受けているこの現状が崩れて、看護師さんや介護員さん達の数が減ってしまうかも知れない。そうならないように死ぬまで、全療協運動を続けます」と、90歳を過ぎた入所者に言わせる「国や厚生労働省や療養所に対する不信感」の大きさには、胸苦しい気持ちにさせられます。
3). 困難な社会復帰
先生ご自身がここ十数年間、かかわり続けてこられたアフリカのブルーリ潰瘍を例に挙げて、ハンセン病の問題点とを比較された内容は、大変具体的でわかりやすいものでした。
ハンセン病によく似たブルーリ潰瘍と言う病気は、統計的には、子供たち、そして、働き盛りの年代に、多く発症していますが、その蔓延から凡そ20年経つか経たないかの、非常に短い期間で、「不治の病」から「抗生物質の注射と内服」という治療法が確立され、治癒する病気になりました。患者が若ければ、病気が治癒しさえすれば、一般の人々と同様の生活に戻ることができるようになる、そういう考え方が社会に浸透すれば、現にブルーリ潰瘍に罹っている人たちに対する恐怖感も薄らぎ、社会の厳しい目線・・・偏見と差別、誤解・・・を変えて行くことも不可能ではない。そして、ブルーリ潰瘍にはハンセン病に対するような予防法はありませんでしたし、紀元前から続く偏見と差別の歴史もありません。
  しかし、入所者の皆さんは、若くはなく、その殆どが予防法下の強制隔離による長い療養生活のために、療養所の中のみの生活に慣れてしまっており、療養所の外の生活に必要な、常識的な社会性というものが解からなくなっています。また、これから教育を受けて再出発をしようにも、それを実行するための人生の残り時間を持ち合わせておりません。何よりも、高齢化によって、多くの合併症を抱え、更に、ハンセン病の後遺症も進行しております。
そして具体的な障害の状態を挙げられ、特に味覚障害や高齢化による嚥下障害が顕著になってきているために咀嚼、嚥下の機能低下に見合わせた呑みこみ易い献立が優先されていることに関しては、「おいしくて、見た目にきれいな献立は、二の次になっているようで、心苦しいものがあります」と付け加えられた。
  この項の最後は、「入所者の皆さんの肉体的、精神的問題、そして、ハンセン病問題に対する「偏見と差別や誤解」、そして、近年の「人々の関心の薄さ」などを考えると、「社会復帰の可能性」は、今になって、むしろ遠ざかっていると思われます。」と締めくくられました。
4). 共に生きる
ハンセン病に対する予防立法の歴史を振り返ると、長い間、私たち(一般市民)は、私たち(公共)の福祉のために、ハンセン病患者・回復者の皆さんを療養所へ隔離し、閉じ込め、その基本的人権を奪ってきました。その歴史を踏まえれば、この時代に、「馴染みが薄いから」「実現化困難だから」などの理由で、入所者の皆さんの思いを軽んじるべきではなく、むしろ、耳を澄ませて、その思いが意味する内容を聞き取る努力をすべきだと、私は思っています。それがいかに実現困難であっても、入所者の皆さんの「要望と同意」に基づいた「将来構想」を組み立てるべく、サポートしようと思っています。
講演最後の上記内容は、私たちが忘れてはならない、重さと努力を喚起された思いでした。(報告/好善社理事・阿部春代)













ハンセン病を正しく理解する講演会 
2013 
関西の部
6月29日(土) 日本キリスト教会 西宮中央教会


講演 : 「私の歩んできた道」
- 私があなたがたを選んだのである -



国立療養所星塚敬愛園入所者
園内単立キリスト教会恵生教会代表


講師:福仲 功氏



 
 関西の講演会は、例年雨模様が多かったが、今年は汗ばむような天候となった。会場の計らいで、冷房も快適な温度に整えられ、ハンセン病問題に関心を持つ参加者を迎えて、開会を待った。
今年の講師は、福仲功さん。沖縄県石垣島の出身で、15歳の時にハンセン病と診断。太平洋戦争終戦直後の1945年のこと。沖縄の愛楽園に入所。同時に偽名を名乗ることを強要された。しかしその時は、病気への偏見から家族を守る気持ちが強く、偽名で暮らすことを選んだ。入所者に同郷の人も多く、身元が知られそうになったので、鹿児島の星塚敬愛園に1953年に転園した。それ以来、敬愛園で生活し、58年に入所者の女性と結婚。すでに、病気は完治していたが、後遺症や年齢を考えると、社会復帰までは決断できなかった。妻は既に、園内のキリスト教会・恵生教会に所属していたが、自分は入信するとは考えていなかった。
1964年夏、好善社の主催する「全国学生キリスト者ワークキャンプ」が敬愛園で行われ、教会はもちろん自治会をあげて受け入れた。社会と隔てる垣根と土手を切り開き、園から町につながる道路を完成させた。この時の若いキャンパーたちとの出会い、一緒に汗をかき、笑顔を交わし、彼らの信仰の証を聞いたときに、教会につながり、キリスト教に入信する決心をした。
教会につながると、園外の教会との交流が盛んで、今まで隠れて生活しなければと思っていた気持ちから解放された。1980年に本名の「福仲功」を名乗ることにした。「予防法」廃止の16年前のこと。その後、長島聖書学者での3年間の学び、恵生教会での活動など、現在に到る話をされ、この人生をふりかえると、神様がわたしを選んでくださったのだと確信できるようになったと締めくくられた。
質疑応答の後、タイ国に派遣されている看護師・阿部春代理事から、現地での後遺症ケアの様子がスライドをつうじて短く報告された。
一般参加者:65名、好善社関係9名(講師を含む) 計74名。
終了後のアンケートは32枚の回収。その中の感想から。

・分かりやすい様子・内容・参加して良かったです。
・断種は人権侵害。本当に、畏れるべきは、神。ありがとうございました。
・想像を絶する、これまでの境遇の中にあって、キリスト教に入信され、「わたしがあなたを選んだ」との主イエスのことばから、すべては、恵みだったと語られたこと、そして明るく生きておられること、本当に感銘を受けました。
・熊本の裁判で国の責任が認められてからも、ハンセン病回復者の亡くなられた方のお骨が家族で引き取られずに、園内の納骨壷で納められている現実がまだ「差別」が終わっていない真実だと感じます。
・入所者の方の老後がとても気になります。皆で考えてゆけたらと望んでいます。
・阿部姉の貴重なお働きに神様が動いて下さるようにご健康をお祈りします。
(報告/好善社社員・長尾文雄)