ハンセン病を正しく理解する講演会 
2015 
関東の部
6月27日(土) 国立ハンセン病資料館


講演 : 「苦しみは歓びをつくる 」
- ハンセン病と共に74年の人生 -


多磨全生園入所者、国立ハンセン病資料館運営委員
/語り部、東村山市身体障害者連絡協議会副代表、いばらき大使


平沢 保治氏




 
今回の「講演会」に、会場の受付担当係として参加した私にとって、会場となった国立ハンセン病資料館は、大変設備も整い立派な建物であると感じると共に、それ以上に印象深かったのは、この資料館を訪れる人々の中に、若い男女のカップル、数人連れや中高生たちのグループなど、若人の姿が多く見られたことだ。
資料館内の150人程度入る映像ホールでの講演会も、ほぼ満員。講演者の平沢保治さんの明快な語りに対して、恐らくは事前に準備したであろうメモを手に質問する姿。私にとって、次世代を担う若者の真面目さや、さまざまな問題に関心を寄せ、真摯に向き合おうとするその姿に拍手をおくりたい。好善社も、このような若者達と共に歩み続けることだろう。
閉会後は、妻と共に夕暮れ近くまで、隣接する療養所の新旧の施設、秋津教会など、多磨全生園内を巡り、心豊かな一日となった。 (報告/好善社社員・柴田嘉浩) 

「私は療養所内で結婚し、断種手術を受けて子どもを持つことができませんでしたが、年間5、6千人の子どもたちに“平沢さん、平沢さん”と言われ、慕われて、子どもの間ではアイドル的な存在です。私は88歳4カ月になりましたが、地球上に生きる74億人の人の中で一番幸せな人間であり、幸せを体に感じて1日々々を生きています」という言葉で始まった平沢さんの講演は、ハンセン病を発症し、療養所に入所して以来経験してこられた、ハンセン病への数々の差別・偏見の仕打ちを具体的に語りながら、その「苦難」が「歓び」に変えられて行った人生を力強く語るものでした。
講演の中で特に印象深かったのは、「命は生きて初めて価値がある」「人間は苦しみの中に歓びを見出だせば、どこかに安住の地を見つけることができる」「怨念に怨念をもって報いる人生に未来はない。許すこころにこそ、明日があり、未来が開ける」「ハンセン病になっても、99%の苦しみがあっても、1%の喜びを求めて生きる。それが人生ではないか」というような、当日参加した横浜共立学園の中高生をはじめとする若い世代に平沢さんが深い思いを託して語られた言葉でした。
当社が国立ハンセン病資料館を会場としたのは初めて。96名の参加を得た盛会でした。(報告/代表理事・棟居 勇)








 



ハンセン病を正しく理解する講演会 
2015 
関西の部
7月4(土) 日本キリスト教会 西宮中央教会


講演 : 「ハンセン病回復者の証言」
- 2度の社会復帰をとおして -



熊本県退所者「ひまわりの会」会長
「熊本県人権センター」ハンセン病をめぐる人権語り部


講師:中 修一氏



 
 ハンセン病回復者の中 修一(なか・しゅういち)さんは、1942(昭和17)年、鹿児島県・奄美大島に生まれた。今年73歳。10歳の時に発病。中学校卒業後に国立ハンセン病療養所奄美和光園に入所、特効薬プロミンのお陰でよくなったが、後遺症で曲った手足はもとに戻らなかった。18歳の時、岡山県の長島愛生園内の岡山県立邑久高校新良田(にいらだ)分教室に入学するが、大阪梅田の百貨店屋上から見た街の賑わいを見て社会復帰を決意、高校を中退して奄美和光園に帰る。そして、園長の反対を押し切って大阪へ社会復帰、東淀川区淡路のスーパーマーケットに就職した。19歳だった。しかし待っていたのは、厳しいハンセン病差別の視線。後遺症で麻痺した右足。それを「どうして悪くなったか」と何回、何十回も人から聞かれた。そのたびに奄美大島にいる「ハブに咬まれた」と嘘をついた。ハンセン病差別の故に、嘘をつかないと生きていけない社会だった。職場は楽しかったが、ついに真綿で締め付けられるような差別の眼から逃れるためにスーパーを退職、いろいろな職を経て体調を崩してハンセン病を再発、熊本県の菊池恵楓園に入所した。この時28歳、園の自治会役員として入所者の処遇改善運動や「らい予防法」廃止運動に参加、さらに「らい予防法」違憲国家賠償請求訴訟の原告として活動し勝訴。「生きていてよかった」と思った。そして2002年に入所以来32年ぶりに念願の社会復帰を果たし、現在熊本市内に生活している。59歳の2度目の社会復帰だった。
 社会復帰の経緯を、中さんはリアルに証言された。「ハブにかまれて足が悪くなった」「嘘を重ねて生きるしかなかった」「社会に出られない苦しみの中で睡眠薬自殺を図った」。当事者でない者には想像もできない。「ウソはウソ。本当は本当と言える社会でありたい」。すべての人がありのままで生きられる社会でありたい。その意味では、ハンセン病当事者も辛いことだが自分をさらけ出して生きる勇気が必要で、自分が変わらなければ、他人も変わらない。そのためには、ハンセン病について正しい知識を知ってもらうことが必要だと訴えられた。
 この日の講演会参加者は、予想を超えて107人。関西講演会では最高の集まりだった。講演後の懇親会にも約35人が参加し、講師とお連れ合いを囲んで和やかな交流の時をもった。講演会の2日後、熊本に帰られる前に筆者に電話があり、次のように語られた。「昨日、45年ぶりに大阪淡路のスーパーの元同僚と会いました。カミングアウトしてよかったです。ありのままに生きることが、こんなに明るく生きられることだと実感しました。この度、好善社が呼んでくださったおかげです。有り難うございました。」        (報告/好善社理事・川崎正明)