国立療養所松丘保養園


単立・松丘聖生会

松丘カトリック愛徳会
日本聖公会・松丘聖ミカエル教会




 
 
「単立・松丘聖生会」は全国の療養所教会の中で最も北の青森県青森市にあります。現在会員数は15名。毎週日曜の礼拝は青森市内の日本基督教団の3教会からの応援で守られています。ホーリネス系の伝統を受け継ぐ教会で、祈りの訓練がなされ、祈りを重んじてこられた教会という印象を受けます。 現在の教会代表は長島愛生園にあった長島聖書学舎で学ばれた方です。教会は木々に囲まれた中にあり、冬は雪、秋は紅葉が美しく、夏は開け放たれた窓から緑を頂く礼拝堂はそれは気持ちの良い空間です。


 「松丘カトリック愛徳会」は全国の療養所教会の中で最も北の青森県青森市にあります。現在会員数は12名。月2回(第2第4土曜日の午前10時より)行われているミサの平均出席人数は約6名に青森市内の浪打カトリック教会、本町カトリック教会の婦人会の応援で守られています。ミサに出席できない教会員には毎回神父が聖体を携え訪問しています。


 「松丘聖ミカエル教会」は現在会員数は18名。月2回(第1第3木曜日の午後1時より)行われている礼拝は青森市内、弘前市内から牧師を招き守られています。礼拝の出席者は外部からの参加者も含め平均して約10名です。礼拝に出席できない教会員には毎回牧師が訪問して聖餐式を行っています。
                   
(報告:好善社社員 木村幸子 2008)


注:
長島聖書学舎-1961年(昭和36年)長島愛生園内に開校した3年制の聖書学校。閉校となる1971年(昭和46年)までの10年間に20名の卒業生を送り出した。卒業生には療養所教会の牧師、あるいは社会復帰して伝道者として働きに従事している。好善社は学舎運営の財政面を担った。



雪化粧した聖生会会堂
雪化粧した聖生会会堂
聖日礼拝
聖生会聖日礼拝
松丘カトリック愛徳会外観
松丘カトリック愛徳会外観
松丘カトリック愛徳会礼拝堂
愛徳会聖堂
聖ミカエル教会入り口
聖ミカエル教会入り口
ミカエル教会講壇
聖ミカエル教会聖堂祭壇
雪深い真冬の園内
雪深い真冬の園内
ミカエル教会に隣接するカトリック教会
ミカエル教会に隣接するカトリック教会




国立療養所東北新生園


日本新生キリスト教会新生園伝道所
キリスト教信交会
カトリック教会暁の星会






 今年は、日本にハンセン病療養所が開設されて100年になるが、1939年(昭和14年)に設立・開園された東北新生園は70周年を迎えた。所在地・宮城県登米郡迫町(現在は登米市)は、仙台市から60kmに位置し、最寄り駅はJR東北新幹線「くりこま高原駅」。近くには、白鳥等野鳥の宝庫として知られる伊豆沼があり、園の高台からは秀峰栗駒山を望むことが出来る。園内は樹木も多く緑に包まれた閑静な環境といえる。一時は600人を越えた入所者も現在は136人、平均年齢80歳となっている。
 園内には、中央にある「睦ヶ池」をはさんで三つのキリスト教会がある。


 「日本新生キリスト教会・新生園伝道所」を紹介する。園の開設当初(昭和14年)から、仙台市にある日本新生キリスト教会の鴇田雄二牧師によって創設され、同師によって導かれた信仰を継承する信徒の群れとして伝道所の歩みを続けてきた。1953年(昭和28年)、好善社の寄贈によって会堂が建築されたが、その整地作業など信徒達の懸命の努力が実を結んだ。月一回、本部から説教者が派遣される時以外は、役員達が聖書を勉強して講壇の奉仕をしている。現在会員は24人、礼拝平均出席は14〜5人で、3教会の中では一番若さを感じる。母体としての日本新生キリスト教会に属していることと、仙台市に教会の墓地を持っていることの安心感があり、残された人生の日々を信仰によって生き抜こうとする人々の祈りの群れである。睦ヶ池越しに見る高台に建つ教会堂は、緑に包まれてとても美しい。



 「キリスト教信交会」は1962年(昭和37年)、新生園伝道所に属していた信徒たちが脱会して独立した教会。設立の経緯から専任の指導者・牧師を求めず、信徒のみが各自の自主・自由を尊重して集まった単立の教会であるが、教会と呼ばずに「キリスト教信交会」と名付けるところに特徴がある。1974年(昭和49年)に、会員たちが自力(自己資金も)で各自工具を持ち寄って集会所を建設した。礼拝は数人の男性役員が輪番で感話(証し)を述べ、祈祷会、聖書研究会も担当した。発足当時の会員は82人だったが、現在は36人。みんな高齢者となり平均出席者は5〜6人で、足下の悪い雨の日は中止になる。「老いつつも、信仰生活の第一線を生きている。最後の一人が生きている限り、この教会は存続する」との強い信仰者の群れである。


 「カトリック教会暁の星会」
は、園の中央にある「睦ヶ池」を見下ろす小高い丘に建っている。1950年(昭和25年)、園内路上でカトリックの布教の話を聞いた人たちによって教理研究会が発足した。やがて研究会は「暁の星会」という名称のカトリック教会となり、1953年(昭和28年)に聖堂が与えられた。近隣の築館教会の管理下にあって神父が派遣されミサが捧げられてきた。昭和28年頃がピークで90余名の会員があったが、今は急速に進む老齢化の中で会員は12人。毎月第一と第三土曜の午後にミサを行っているが出席者は3〜4人。出席できない信徒たちには、神父が各部屋を訪ねている。「老齢化の不安の只中にあるが、自然体でいく。主のみ心にお任せして信仰生活をまっとうしたい」という代表者の言葉が重い。
 

 東北新生園は、2007年5月に3階建ての入所者棟「メープルケアセンター」(メープルとは自治会の名称「楓会」の楓の意)が完成し、今二棟目が建設中である。一見、斬新で近代的マンションのような風景。3年後には、ほぼ全入所者がこのセンターに集中し、ここが終の棲家となるといわれる。25年前(1984年)から3年間、好善社はこの地でワークキャンプを実施し、霊安堂(納骨堂)の整地作業に汗を流した。四半世紀を経て当時400人の入所者は136人となっている。終焉期をそこに迎えた療養所の中で、三つのキリスト教会の小さな群れは、あかあかと信仰のともし火を燃やし続けている。
                         
(報告:好善社理事 川崎正明 2009.6)



新生園伝道所外観
新生園伝道所外観
礼拝風景
礼拝風景
冬季には白鳥が飛来する睦ヶ池
冬季には白鳥が飛来する睦ヶ池
メープルケアセンター
メープルケアセンター
キリスト教信交会入り口
キリスト教信交会入り口
信交会礼拝風景
キリスト教信交会礼拝
カトリック暁の星会外観
カトリック暁の星会外観
カトリック暁の星会祭壇
カトリック暁の星会祭壇



国立療養所栗生楽泉園


 日本聖公会・聖慰主教会
カトリック草津教会




 
 「日本聖公会・聖慰主教会」
 日本有数の名湯として知られる草津温泉から東へ3キロほど、東に白根山、南西に浅間山を見晴らす高原に栗生楽泉園はあります。かつて、草津温泉はハンセン病に効くと考えられたことから、湯治客が住みつき、湯之沢と呼ばれる部落を形成していました。1915年に英国人宣教師コンウォール・リー女史がその湯之沢を訪れ、翌年に聖バルナバミッションと呼ばれる一連の宣教活動を開始、草津聖バルナバ教会を設立しました。これが「聖慰主教会」の母教会です。1932年に国立療養所栗生楽泉園が開設されて以降、湯之沢部落が解消される1941年までの間に、療養者の楽泉園への移住が漸次的に行われましたが、聖慰主教会はそうして移り住んだ聖バルナバ教会の信徒のために、1939年、栗生楽泉園内に設立されました。
 同教会は現在、日本聖公会北関東教区に属し、司祭は草津聖バルナバ教会の松浦信司祭が兼任されています。会員数は30名、そのうち、礼拝(聖餐式)に出席される方々は10名以下ですが、教区との合同礼拝、草津ボランティア・キャンプ、コンウォール・リー女史顕彰会との協力活動なども盛んに行われています。礼拝(聖餐式)は毎週日曜日の朝9時からです。
                         
(報告:好善社社員 藤原真実 2008.7)

 「カトリック草津教会」
 栗生楽泉園の敷地内で、一番標高が高い場所に「カトリック草津教会」の礼拝堂があります。1962年築造の建物は、46回の厳しい冬を乗り越え、浅間山を見渡す丘の上で樹木に囲まれて、その新緑に溶け込んでいます。信者の方は一番多い時でも、十数名、現在は4名と決して大きな教会ではありません。冬の積雪の時期をさけて、4月から11月の間、月に一度、渋川教会より神父様が来られてミサがあります。月に一回のミサですが、今年の復活祭には、神父様と共にオルガニストやシスター数名が来られて、華やかな内に主イエス・キリストの復活を、皆で祝福されました。厳寒の草津の地で、この小さなカトリック教会は、今もしっかりと生き続けています。
                         
(報告:好善社理事 加藤裕司 2009.5)



聖慰主教会教会堂入口
聖慰主教会教会堂入口
(松浦信司祭撮影)
聖慰主教会外観
聖慰主教会外観
(松浦信司祭撮影)
草津カトリック教会外観
カトリック草津教会外観
草津カトリック教会礼拝堂祭壇
カトリック草津教会祭壇
重監房跡碑
園内に残る重監房跡地
盲導鈴
盲導鈴



国立療養所多磨全生園


 単立・秋津教会
日本聖公会・聖フランシス・聖エリザベツ礼拝堂
カトリック愛徳会




 
 「単立・秋津教会」は、東京・国立療養所多磨全生園内にあるプロテスタント教会(単立)。いわゆる宗教地区の一画にカトリック、聖公会、プロテスタントと、三つの教会が軒を並べるように建っています。この三教会のうち最も古く、また当社と最も関係の深い教会がこの秋津教会です。1909年(明治42)の全生病院(現在の多磨全生園)開院と同時に始まった当社の伝道によって、1919年(大正8)には信徒数約70名を数えるほどになり教会が組織され発足しました。1942年(昭和17)好善社経営の慰廃園解散に伴い数十名がさらに加わり、大きな群となります。戦後1949年(昭和24)には当社を通し教会堂が与えられました。東京にあるため鈴木正久、由木康、新見宏、藤本正高(無教会)など多くの著名な牧師、伝道者の協力を得てきましたが、1994年(平成6)からは当社派遣の小澤貞雄社員が専任牧師となり、漸く教会らしい落ち着いた営みとなりました。小澤社員体調不良のため、好善社は同社員の派遣を2008年(平成20)3月をもって終了、現在は当社2理事も加わった、日本キリスト教団隠退教師椿憲一郎牧師を中心とした礼拝支援体制で、毎週の礼拝が守られています。現在毎週の礼拝出席者は平均16、7名、周辺のキリスト教学校、親しくしている教会の人々の訪問も多い教会です。
                        
(報告:好善社理事長 棟居勇 2008.10)


 「日本聖公会・聖フランシス・聖エリザベツ礼拝堂」は所属団体の名前から読めば、「聖」が三つも付く長い名前の教会で、しかも「礼拝堂」が正式な名称となっている。この礼拝堂(教会)のルーツは、1941年(昭和16年)草津聖バルナバホームが解散し、栗生楽泉園から信徒9人が多磨全生園に移籍したことにある。当時、全生園には聖公会の教会がなかったので、秋津教会に所属していた。1947年(昭和21年)4月28日、草津からミス・ネッツルトン女史が全生園内の信徒宅を訪問し、戦後初めての聖餐式が行われた。この日をもって全生園内の聖公会の創立とされた。秋津教会に所属していた信徒達は、聖公会に移籍して教会の歩みが始まった。1950年(昭和25年)に、広島から蒲鉾型の建物をもらってきて礼拝堂が建設され、さらに1962年(昭和37年)10月4日に改築、献堂式が行われた。この日が「アシジの聖フランシスコの日」であったこと、また最初に訪問して信徒達を支援した英国のシスター・メリー・エリザベツ修女の名前を取って今の教会の名称となった。
 会員は、最も多い時は85人ほどだったが、現在は26人。入所者の礼拝平均出席は7〜8人で、常時数人の外部からの出席があり、現園長の松谷有希雄氏も出席者の一人である。老齢化が進み会員が減少してゆくが、地区の聖公会の組織に支えられて、毎日曜日の礼拝が続けられている。
 会堂周辺は豊かな緑がいっぱいで美しい。天を仰げば三つの教会の十字架が神の栄光をあらわしている。聖公会の会堂の前には、目の不自由な信徒たちが献金して植樹したといわれる6本の棕櫚の木が成長し、チャペルのシンボルとなっている。
                 
          (報告:好善社理事 川崎正明 2009.7)


 「カトリック愛徳会」の歴史は1914年にフランスのパリミッション会のアヌイ神父が月一回のミサを行ったのが始まりです。全生園の約10,000坪の敷地の一画に宗教地区と言われるエリアがあります。キリスト教・仏教・神道の礼拝堂・寺院が整然と並んでいます。カトリック教会もそのひとつです。戦前は今のような宗教地区はなく、「礼拝堂」をそれぞれの宗派が共用して使っていましたが、戦後、1952年に「礼拝堂」が建築されました。現在は、カトリック秋津教会の小教区として、毎週のミサを15名前後の方が出席しています。また、センター等に入室中の約10名の方にはミサ終了後、神父様が病棟を聖体拝領に回って、ミサに出席できなくても、毎週の礼拝を守っています。
                         
(報告:好善社理事 加藤裕司 2008.9)



秋津教会外観
秋津教会外観
秋津教会 礼拝風景
秋津教会聖歌隊練習風景
園内の枝垂桜
秋津教会のステンドグラス
礼拝堂全体
宗教地区に並ぶ教会の十字架
聖エリザベツ礼拝堂
聖公会礼拝堂外観
聖エリザベツ礼拝堂看板
礼拝堂看板
カトリック愛徳会礼拝堂入口
カトリック愛徳会外観
礼拝堂を見守るマリア像
聖堂を見守るマリア像



国立療養所駿河療養所


 日本基督教団・神山教会
駿河カトリック教会





 「日本基督教団・神山教会」のある国立療養所駿河療養所は静岡県御殿場市の南約10キロの神山にあります。すぐ近くに日本で最初の私立ハンセン病病院「神山復生病院」がありますが、それとは別の国立の療養所です。目の前に秀嶺富士を仰ぐ日本一の場所にあります。療養所は1944年(昭和19)開所、神山教会創立は1951年(昭和26)。当初牧師は不在で、信徒だけで集会をしていました。1954年(昭和29)好善社の支援により教会堂建設。1955年(昭和30)頃から沼津教会板倉信吾牧師の訪問を長く受けました。1964年(昭和39)
長島聖書学舎卒業の大日向繁牧師が着任し、逝去まで27年間教会を牧しました。1990年(平成2)日本基督教団に加入。その後不幸な経緯もありましたが、現在は東海教区東静分区の牧師が代務者となり、分区の交わりに支えられて、日曜日毎の礼拝を守っています。ただ、教会員は高齢化に伴い身体のどこかに故障を持ち、毎週の礼拝は2、3名、終末の希望に支えられて「最後の一人になるまで」の合言葉の下に懸命に信仰の歩みを続けています。


 「駿河カトリック教会」
はカトリック御殿場教会の司牧を受けています。教会員は7名。ミサは毎月1回行われており、出席は所内の信者3、4名、それに神父様、神山復生病院のシスター2人と御殿場教会の信者夫妻、計8、9名です。現在の聖堂(教会堂)は、1958年(昭和33)かつての監房が取り壊された後、その場所に建てられた由。長崎のコルベ神父による修道院「聖母の騎士」がかつてのキリシタン刑場跡の土地につくられたのとよく似ており、信仰的にも特別な意味を持っているように思われます。教会の人々は「地獄が天国に変わった」と言っていた由。過酷な運命のうちにあった入所者の方たちに、キリストの十字架による神の愛を、確かに告げる場所となっています。
                         (報告:好善社理事長 棟居勇 2009)



神山教会外観
神山教会外観
礼拝風景
礼拝風景
現在の集会所(福祉会館)
現在の集会所(福祉会館)
園内より富士山を望む
園内より富士山を望む
駿河カトリック教会外観
カトリック教会礼拝堂外観
駿河カトリック教会礼拝堂内部
カトリック教会礼拝堂内部



国立療養所長島愛生園


 単立・長島曙教会
長島カトリックロザリオ教会





 「単立・長島曙教会」は、ハンセン病と聞けば長島と言われる岡山県瀬戸内市にある国立療養所長島愛生園内プロテスタント教会です。創立は1931年、園開設に伴って東京の全生病院(現在の多磨全生園)から光田園長と行を共にしてきた人々の中にいた17名のキリスト者によって創立されました。愛生園患者収容が始まって僅か1週間後のことでした。当初草津明星団の安倍千太郎氏の指導を受けた信徒を中心にホーリネス系信仰による厳格・熱心な信仰生活に励みました。日中・太平洋戦争期の困難を耐え、終戦を迎えるや1947年台湾から帰国した小倉兼治牧師を牧師に迎え、俄かに教会生活、伝道活動が活発化しました。1949年には好善社の支援により教会堂が与えられ、伝道活動はさらに盛んになり、教勢は急激に進展しました。1961年教会に隣接して原田季夫牧師による
長島聖書学舎が開校、教会は学舎生の霊的訓練の場として大切な役割を担いました。1970年小倉牧師逝去後学舎卒業生原田政人氏が、その後1983年から外部からの大嶋得雄氏が牧師となり現在に至っています。今や高齢化によってこれまで教会の中心になってきた多くの兄弟姉妹が礼拝生活に困難を来たしていますが、古武士を思わせる曙教会魂は失われず、日曜日毎の礼拝が続けられています。
                        (報告:好善社理事長 棟居勇 2008.10)

 「長島カトリックロザリオ教会」
 長島愛生園開園当初は前述で紹介した長島曙教会しか存在せず、カトリック、プロテスタント等諸宗派が合同で礼拝を守っていた。1951年(昭和26年)信徒43名によって「長島カトリックロザリオ教会」として独立、広島司教区に属し岡山カトリック教会の巡回教会となる。現在の信徒は6名。毎月第2第4水曜日の午後1時から岡山カトリック教会から神父様と10数名の信者を招きミサが守られており、出席出来ない信者には神父様が自宅や病棟を訪問し聖体拝領が執り行われている。毎年春と秋には岡山教会青年会の協力を得て教会堂全般の清掃、周囲の草刈などの支援があるためとても美しい礼拝堂である。信徒数は少ないが周囲の援助を受けながら力強い信仰が生き続けていることを感じた。
                         
(報告:好善社社員 藤原寛 2009.8)



注:長島聖書学舎-1961年(昭和36年)長島愛生園内に開校した3年制の聖書学校。閉校となる1971年(昭和46年)までの10年間に20名の卒業生を送り出した。卒業生には療養所教会の牧師、あるいは社会復帰して伝道者として働きに従事している。好善社は学舎運営の財政面を担った。





曙教会入口

教会堂全景(左は長島聖書学舎)

曙教会講壇

聖日礼拝の様子
長島カトリックロザリオ教会
カトリックロザリオ教会礼拝堂外観
礼拝堂十字架
ロザリオ教会の屋根に聳える十字架



国立療養所邑久光明園


日本基督教団・光明園家族教会





 「日本基督教団・光明園家族教会」のある国立療養所邑久光明園は、岡山県東部、瀬戸内市の長島にあり、長島愛生園と隣りあっています。家族教会の歴史は、99年遡る当療養所(旧外島保養院・大阪)の歴史とほぼ歩みを同じくし、今年で創立96年、現在は日本基督教団東中国教区(1949年より)に属しています。
長島聖書学舎で学んだ日本基督教団牧師の津島久雄牧師は約35年間この地で伝道牧会なさいました。同師は四年前隠退されましたが、現在も園内で会員他の牧会的配慮を続けています。教会は、現在主任牧師を招かず、無牧の形で長老会が中心になって教会生活に励んでいます。日曜礼拝と祈祷会(水曜日)は、津島牧師を始め、教区の牧師・神学生・隠退教師等の応援を得て守ります。現在教会員38名。礼拝出席は、外部からの随時の訪問者を加えて凡そ20〜25名です。若い日に関西学院大学のワークキャンプに参加した何人かのメンバーは、その後好善社のワークキャンプに関わり、好善社社員となって今も家族教会と関わり続けています。さらに、その後輩の学生達は、今も教会を訪ね、礼拝に出席し交わりを継続しています。
          
                  (報告:好善社社員 樋口 義也 2008.5)



家族教会外観
家族教会外観
家族教会会堂
家族教会礼拝風景
邑久光明園事務所
「ふじ公園」の憩いの小道にある音声碑
園内の記念碑より瀬戸内海を望む
園内の公園にある自治会記念碑




国立療養所大島青松園


 単立・キリスト教大島霊交会
大島カトリック聖心使徒会





 「単立・キリスト教大島霊交会」がある国立療養所大島青松園は、面積約61haの瀬戸内海に浮かぶ小島に設立されました。高松港から約8キロ、官用船で約25分の距離で、一日4往復しています。療養所は来年で100周年を迎え、教会も95年の歴史を刻みます。名前のごとく、教会の生命線は祈りと愛と霊性であり、創立時から1996年まで82年間も毎日夕べの祈祷会を守り続けた記録があります。単立教会として専任の牧師を持たず、数人の協力牧師に依頼して礼拝を守っており、好善社理事の川崎正明牧師もその一人です。小高い丘に建てられた美しい会堂は、アメリカの援助で建設され、後に好善社の協力で改修されました。終焉期を迎えた今は、教会員は15人、礼拝出席は平均約8人です(療養所全体の入所者数は128人)。療養所が終焉を迎えた時、目に見える療養所教会の使命はそこで終わりますが、祈り続けた100年の霊交会の人びとの信仰は消えることはないでしょう。


 「大島カトリック聖心使徒会」は、1950(昭和25)年に7人の信徒によって発足し、4年後の1954(昭和29)年に美しい聖堂が建立されました。島の施設の中なので神父の常駐はなく、日本カトリック高松教区の神父が毎週派遣され、ミサが持たれています。一時期は一般信徒が来訪し、また園内の職員の出席もありましたが、終焉期の今では5人の会員のみとなっています。しかも信徒の高齢化のため、聖堂内でのミサは持てなくなり、神父が一人ひとりを訪ねて信徒の信仰生活が守られています。
 誰もいない聖堂に入ると、綺麗なステンドグラスから堂内に光が差し込んでいました。ガランとした堂内には、ベンチが整然と並べられていました。正面の祭壇にある十字架のキリスト像をじっと見つめていると、ベンチに座る信徒のうしろ姿が目に浮かんできました。そのイメージは、教会の名前のごとく「聖き心の信徒たち」の祈りの姿でした。
                     
   (報告:好善社理事 川崎正明 2009.2)



大島霊交会会堂
大島霊交会外観
大島青松園の松林
青松園象徴の墓標の松
大島霊交会会堂内
大島霊交会礼拝風景
詩人・塔和子さん「風の舞」モニュメント
「風の舞」(遺骨が納められたモニュメント)
大島カトリック聖心使徒会外観
大島カトリック聖心使徒会外観
大島カトリック聖心使徒会会堂
カトリック聖心使徒会聖堂





国立療養所菊池恵楓園


日本聖公会菊池黎明教会
恵楓園カトリック暁星会





 国立療養所菊池恵楓園は熊本県合志市にあり、熊本駅からおよそ30分のところに位置します。その中に日本聖公会菊池黎明教会、恵楓園カトリック暁星会の二つの教会があります。


 「日本聖公会・菊池黎明教会」
 現在の菊池恵楓園の前身である九州療養所が開所した1909(明治42)年、所内伝道を許可されたミスハンナ・リデルの指示により月1回の集会が行われるようになりました。これが黎明教会の原点といえます。その後、1913(大正2)年に黎明会が発足し、聖公会との関わりの中で集会が守られていきます。そして1972(昭和47)年、日本聖公会九州教区に所属する菊池黎明教会となりました。現会堂は1952年(昭和27年)に献堂されています。現在礼拝は毎週日曜日午前9時から行われており、月2回は熊本の聖三一教会から司祭が、第5週は福岡から司教がみえます。その他2回は執事、信徒の奉仕によって礼拝が守られています。礼拝出席は11名くらいで、そのうち園外からの出席者は3、4名です。


 「恵楓園カトリック暁星会」
 毎週日曜日午前9時から、近隣の武蔵ヶ丘教会の神父がみえてミサが行われています。出席者は、会員38名のうち14,5名、武蔵ヶ丘教会から出席する会員14,5名の合わせて30名ほどです。また、月1回病棟、不自由者棟で聖体拝領が行われ、月の第1金曜日に初金曜日のミサが行われています。
                       
(報告:好善社社員 藤田裕香子 2009.3)



菊池黎明教会
菊池黎明教会
黎明教会会堂
黎明教会会堂
恵楓園カトリック教会
恵楓園カトリック教会
恵楓園カトリック教会会堂
恵楓園カトリック教会聖堂




国立療養所星塚恵愛園


恵生教会
星塚カトリック暁の星会





 「恵生教会」
 九州南端、鹿児島県大隅半島のほぼ中央の鹿屋市に国立療養所星塚敬愛園はあります。かつて陸の孤島と呼ばれたこの地に、1935年(昭和10年)11月末星塚敬愛園は開園されました。約ひと月後の12月はじめ沖縄から収容されてきた135人のうちの63人がクリスチャンで、到着するや有志が裁縫室に集まり無事到着の感謝の祈りを捧げました。これが恵生教会の誕生です。はじめ「恵生会」と称していましたが、1982年になって「恵生教会」と改称しました。戦後は特に、周辺のキリストの教会、日本キリスト教団、聖公会の諸教会との交わりも密で、長島聖書学舎卒業生3名を中心に健やかな歩みを続けています。現在は赤瀬川澄男牧師が専任の牧師となっており、不自由な会員が増えた教会にきめの細かい牧会を心がけておられます。毎日曜日の礼拝には二十数名、金曜集会には十数名が出席しています。


 「星塚カトリック暁の星会」
 星塚敬愛園の敷地にまさに境を接して、この教会の御聖堂が建っています。戦後1947年(昭和22年)に30人の信徒、求道者によって創立されました。1955年(昭和30年)聖堂が与えられました。日曜日のミサには16、7名、木曜日にも行われるミサには4、5名の信者さんが与っておられます。現在の聖堂は1974年(昭和49年)に改築され、内部も腰掛になりました。
                        
(報告:好善社理事長 棟居勇 2009.2)



恵生教会入口
恵生教会入り口
聖日礼拝
恵生教会聖日礼拝
カトリック暁の星会
星塚カトリック暁の星会
カトリック暁の星会礼拝堂
星塚カトリック暁の星会聖堂




国立療養所奄美和光園


 日本基督教団名瀬教会 和光伝道所
カトリックダミアノ教会





 「日本基督教団名瀬教会 和光伝道所」
 国内の療養所で一番入所者の少ない国立療養所奄美和光園は鹿児島県奄美大島の小高い山に囲まれた谷合に位置しています。その園内に「和光伝道所」があります。会堂は1965年(昭和40年)好善社の援助で建設されました。現在教会の会員は牧師夫妻の2名でお二人とも
長島聖書学舎の卒業生です。1948年「谷川集会」として出発しましたが、1971年日本基督教団名瀬教会と合併し、日本基督教団名瀬教会和光伝道所として名瀬教会と共に歩んでいます。礼拝は毎日曜日名瀬教会の礼拝に先立って伝道所としても独立して行っており、名瀬教会牧師・信徒有志も必ず参加して行われています。平均出席者数は約5名。また牧師夫妻は礼拝が終わると名瀬教会の礼拝に急ぎます。いわゆる外部教会の中に入れられた療養所教会はここだけで、ひとつの教会の交わりに生きる希望のうちに生きていると夫妻は語っておられます。


 「カトリックダミアノ教会」
 和光伝道所とともに園内には「カトリックダミアノ教会」があります。創立は1953年。会堂は1967年に与えられました。教会員は現在約30人。毎週のミサには、高齢により来られなくなった会員も多くなっており、7、8名の参加とのことです。
                         
(報告:好善社社員 藤原寛 2009.2)


注:長島聖書学舎-1961年(昭和36年)長島愛生園内に開校した3年制の聖書学校。閉校となる1971年(昭和46年)までの10年間に20名の卒業生を送り出した。好善社は学舎運営の財政面を担った。



和光伝道所入り口
和光伝道所入り口
緋寒桜が咲きほころぶ礼拝堂周辺
緋寒桜が咲きほころぶ礼拝堂周辺
聖日礼拝
聖日礼拝
静かな園内の小径
静かな園内の小径
カトリックダミアノ教会
カトリックダミアノ教会
ダミアノ教会礼拝堂
ダミアノ教会聖堂



国立療養所沖縄愛楽園


日本聖公会祈りの家教会
カトリック愛楽園教会





 「日本聖公会祈りの家教会」
 愛楽園はもともと、熊本・回春病院のハンナ・リデル女史によって沖縄に派遣された青木恵哉の歴史に残る働きによってその基を築かれた。1938年(昭和13)国頭愛楽園(現沖縄愛楽園)として開園。戦後聖公会の働きが徐々に強められ、1953年(昭和28)教会堂献堂と同時に「祈りの家教会」が誕生した。病者であって聖職者となった青木恵哉執事、徳田祐弼司祭の働きが特に記憶される。療養所教会中最大の教会(信徒数121名、入所者266名中の46%)、しかし、ここも現在、ご多分にもれず高齢化の故に毎週の聖餐式(礼拝)は30名ほど。既に隠退しておられる鬼本照男司祭が嘱託司祭として牧会に当たっておられる。


 「カトリック愛楽園教会」
 これまで愛楽園聖フランシスコ・ザベリオ教会として知られてきたが、最近土地の名前にするようにとの司教からの通達により、「カトリック愛楽園教会」と改称した。カトリック伝道も戦後1952年頃より始められ、同年10月初のミサがアーミン神父によって捧げられた。1954年(昭和39)、2名の最初の受洗者が誕生、1960年までに15名、さらに61年〜67年40名が受洗し、今日に至っている。現在42名。毎週のミサは、20名前後。最近教会の庶務全般を担当のシスターに委ねるようになったとのこと。そのためシスターも週に何日かを朝から夕刻まで教会堂の中で過ごすようになっている。
                        
(報告:好善社理事長 棟居勇 2009.5)



カトリック愛楽園教会礼拝風景
カトリック愛楽園教会礼拝風景
祈りの家教会礼拝風景
祈りの家教会礼拝風景
愛楽園カトリック教会
カトリック愛楽園教会外観
沖縄愛楽園正門
沖縄愛楽園正門




国立療養所宮古南静園


日本聖公会聖ミカエル教会
カトリックイエズスの聖心教会
キリストの教会





 「南静園キリストの教会」
 1931年に開設した南静園の前身の宮古保養院に就任した家坂幸三郎所長。熱心なクリスチャンの所長は、患者の救済は病気の治療と共に魂の救いが肝要であるとして福音を伝えることに努め、超教派的性格のキリストを信ずる団体が組織され早天祈祷会が始まる。1944年の初空襲で療養所は破壊し尽くされ、この団体は解散状態となった。1947年に国仲寛一牧師が南静園伝道を始め、「南静園キリストの教会」が誕生したが、諸宗派信徒からなる教会はやがて分裂の方向へと進み、1959年に「カトリック教会」と「聖公会」が結成された。  
 「南静園キリストの教会」の会堂は、1953年から伝道を開始したリカースン宣教師により1962年に建築。入口に、戦時中の爆撃の残骸で作られた鐘が今も残る。教会員は30年前に40名、10年前に24名、現在10名。長年応援を続けてきた[平良キリストの教会]の伊志嶺牧師によって聖日礼拝が守られている。教会員を伴った牧師が6時半に来園、病棟・センターの会員を巡回して聖餐式後に礼拝が始まる。現在、教会に出席できる会員は一人である。

                               (報告:好善社社員 阿部春代 2008.10)


 「日本聖公会聖ミカエル教会」
 聖ミカエル教会は県立宮古保養院から臨時国立療養所に昇格して間もない1934年(昭和9)、故青木恵哉の愛弟子であった故仲兼久嘉元ほか数名のクリスチャンによって最初の種が蒔かれて誕生したと言う。その後聖公会関係の受洗者が増え、戦後となりしばらくは他教派の人々と一緒に礼拝を守っていたが、1959年(昭和34)聖公会独自の礼拝を守るようになった。新城喬、津留孝夫、箭野真理、上原栄正諸司祭が牧し、現在は戸塚鉄也司祭が管理司祭となっている。教会員は20人、毎週の聖餐式(礼拝)には不自由な人も増え、3、4人の出席である。


 「カトリックイエズスの聖心教会」
 1958年(昭和33)マルティン神父と次呂久伝道師が布教のため南静園を訪ねたことに始まり、翌年カトリック研究会が結成された。1960年(昭和35)男女15名が洗礼を受け、南静園に初めてカトリック信者が誕生、後日の受洗者を加え26名となる。1962年(昭和37)聖堂が献堂され、教会の創立となった。1997年(平成9)、「らい予防法廃止」と日本26聖人殉教400年を記念して聖母像と聖鐘が設置され、聖堂前を美しく際立たせている。現在教会員数20名、毎週のミサには7、8名が与っている。
                        
(報告:好善社理事長 棟居勇 2009.4)




キリストの教会堂入り口
南静園キリストの教会入口
礼拝風景
南静園キリストの教会礼拝風景
聖ミカエル教会
聖ミカエル教会
聖ミカエル教会礼拝風景
聖ミカエル教会礼拝風景
イエズスの聖心教会
イエズスの聖心教会
イエズスの聖心教会ミサ風景
イエズスの聖心教会ミサ風景