第2回 バトゥアン村の tabuh MASKUMAMBANG「マスクマンバン」

7音のスマル・プグリンガンによるバトゥアン村のガンブー楽曲

 第2回は、7音のスマル・プグリンガンによるバトゥアン村スタイルのガンブー曲。この「マスクマンバン」はその第3弾となるもの。

 7音のスマル・プグリンガンの復興のきっかけとなったバリ芸術大学ASTI(現ISI Denpasar)による7音スマル・プグリンガンの演奏は、デンパサール市内のプドゥンガン村のガンブーを元にしていた。これによって長い間忘れられていた7音のガムランがバリで流行。現在では古典的なスマル・プグリンガンのみならず、さらに発展させた7音のガムラン編成が誕生している。

 バトゥアン村は世界的にガンブーで知られた村だが、この村の有志によって7音のスマル・プグリンガンが導入されでまだ10年も経っていない。スマル・プグリンガンオタクとしてはこの村にスマル・プグリンガンが導入されたと知ったとき、是非この村のスタイルをスマル・プグリンガンに移植して欲しいと思ったものだ。ガンブーの様な古典になればなるほど、そのグループによって演奏スタイルや楽曲そのものもかなり異なるので、この村の楽曲がスマル・プグリンガンに移植されるとどのような響きを持つのか、その時以来ずっと心待ちにしていた。今年2022年になってようやくその演奏を聴くことが出来たわけだ。

 どちらかというと派手好きなギャニャールの中にあって、このバトゥアン村は古典志向というか保守的というか、古典を実に大事にしてきた地域と自分は感じている。数年前にこの元となったガンブーによるKumambangを録音したことがあったのだが、恥ずかしながら数日前にこの演奏を初めて聴いても同じ曲とは全く気がつかなかった。「同じ曲だよ!」と指摘されてガンブーの録音を聞き直してみたが、前半の二回のPengawak部分では全くよくわからず、後半のpengecetを聴いてようやく納得出来た次第である。ガムランを聞き慣れた自分でも長い笛による旋律と鍵盤による響きは趣が異なるのだ。逆に言えば、ガンブーだけを聴いていては気がつかなかったことが、スマル・プグリンガンに移植されることで隠れた魅力を引き出されるということでもある。

 曲は冒頭で長いginoman(ギノマン=前奏)の後、ゆったりとしたpengawakを2度繰り返しpengecetへと移行する。冒頭のギノマンはMas Kumambangとは別のGinoman Lebeng(ルブン調のギノマン)と言うらしい。日本の雅楽風に言えば「ルブン調子の音取」ということになるのだろうか。本題のマス・クマンバンがlebeng(ルブン調)で演奏されるので、スマル・プグリンガンの曲の前奏として加えたものと思われる。とはいえ、pengawakの前奏部も確かにルブン調を基にしているとはいえ、その最後にいきなりスナレン調に転調してしばらくそのまま演奏されるため、基調のルブンに再転調する部分をとても印象的に聞かせてくれる。その後もところどころにスナレン調に転調するものの、しっかりとルブン調の味わいを醸し出しているところがガンブーの曲の面白いところでもある。バリの人の独特な旋律(転調)感覚は初めて聞くと{えっ?」て驚かされることが多いが、この曲はガンブーの持つ芳醇な旋律をしみじみ味わえる名曲だと思う。ややもするとスピードとリズムばかりがクローズアップされがちなバリのガムラン音楽だが、旋律の美しさあってこそのバリのガムランだと私は確信している。
 この「マス・クマンバン」はバトゥアン村のガンブー劇に於いてはPutri(お姫様)の登場する場面の曲として用いられる。一方、前出のプドゥンガン村では同じ場面でSumambang Jawa(スマンバン・ジャワ)が演奏される。両者は全くの別曲なのだが、美しいお姫様が登場する場面だけあって、どちらも甲乙付けがたい美しい旋律を持つ魅力的な曲となっている。ヒロインの登場で用いる楽曲だけに、両者共に魅惑的な楽曲に仕上がっていったのだろう。いつか両者を比較しながら演奏してみたいものだ。

 この“Maskumambang”は2022年2月までに配信された3曲の中でも私のお気に入りの演奏だ。まあ、あくまでも個人的な好みではあるが、pengawakの独特の転調部分もガンブーの演奏では気付けなかった独特の魅力を持っているし、pengecetの美しさには鳥肌が立つ。楽器の響きも演奏スタイルも、嫌な外連味なく楽器の美しさを大切にしているところも好感が持てる。