第1回 PKB XLIII 2021 : KONSER KARAWITAN TRANSFORMASI GENDING PAGAMBUHAN KE GENDING SEMARA PAGULINGAN SAIH PITU

ガンブーの原曲とスマル・プグリンガンでの演奏の比較レクチャー公演

 まず第1回目はPKB2021からISIデンパサールによるガンブーとスマル・プグリンガンを比較するという、レクチャー形式のコンサートの動画。

 武漢熱で観光客が簡単にバリ島に入れなくなっているだけに、少人数のお客さんを入れての公演なのか、関係者のみの収録オンリーのコンサートなのかは定かではない。拍手の音ではそんなに観客はいなさそうだ。とはいえ、ネットの発達で、こういう公演も日本にいながらにして見られるというのは、ガムランオタク、とりわけスマル・プグリンガンオタクにとっては実にありがたい。テレビのような旧メディアではオタクを満足させられるような番組は皆無だし、まさにネット様様である。

 さて、昨今のバリ島ガムランの流行は古典中の古典であるガンブーのような旋律重視の音楽からだいぶかけ離れ、テクニックや斬新なアイディアが過剰なまでに用いられ、おまけに過度の化粧と衣装で、私のような古典大好きオタクにとってはかなり食傷気味なのである。そんな中でのこのコンサート、おそらくバリ島の若い衆にはあまり面白いコンサートではないのかもしれないが、元のプドゥンガン村のガンブーの曲がスマル・プグリンガンになるとこうなるよ、って前半はTabuh Gariを、後半ではSumambang Jawaを使って比較演奏してくれている。

 で、ここでの演奏なのだが、ガンブーはバリ島の芸能ではかなりプロフェッショナルな芸能なので、ここでの演奏は「まあ、こんな感じですよ」って雰囲気で、ほんまもんのガンブーオタクにはかなり不満の出そうな演奏ではある。それでもTabuh Gariの方は十分に「あ、確かに同じ曲だね」って分かる演奏だ。スマル・プグリンガンでの演奏も、「これはデモンストレーションです」と言いたげな演奏ではあるが、こうやって比較できるので、あくまでもレクチャーコンサートだってことで納得するべきなのだろう。
 一方のSumambang Jawaの方は、正直言って曲を知らなければガンブーでの演奏を聞いても「なに?この曲?」って印象だ。まあ、ガンブー専門の先生方だけじゃないからしょうがないのだろうが。ただ、一つ言えることは、この曲はスマル・プグリンガンにリアレンジされなければここまで日の目を見ることはなかっただろうことは容易に推察できる。7音全てを旋律で使用するこの曲は、長い笛だけではここまでの音程感は出しにくく、この曲の旋律の面白さは伝えきれなかったのだと思う。スマル・プグリンガンの曲の中でもこの曲の7音の使い方は、バリ的というより邦楽に通じるものを感じる。日本の伝統音楽も確かに基本はペンタトニックではあるものの、実際に使われるのは5音+αで、5音だけでは完全には表現できないからだ。最も単純な邦楽の法則を考えても、上行系と下行系では使う経過音が異なるのだ。もちろん、このスマンバン・ジャワがそうであるということではない。ただ、音の展開が邦楽耳には馴染みやすい、というより、自然に感じる。ただ、残念ながらガンブーでの演奏ではそこまでの音の使い方の面白さを感じることは難しそうだ。(ほんまもんのガンブー屋さんならもっと良いのかもしれないが)。あと、スマル・プグリンガンでの演奏も、テンポも速めだし、落ち着きに欠けるのは残念だ。トロンポンの調律もやや狂って来ているものもあるのも画像が奇麗なだけに少々残念な点だ。まあ、レクチャーコンサートということで、そこまで求めてはいけないのだろう。
 この曲で私が最も好きな演奏は、2000年にビクターで録音に行ったときのManikasantiのもの。シンティ先生も最早この世を去ってしまって、あの独特のゆっくりしたテンポでの揺れを味わえないと思うと実に寂しい。この曲の旋律の美しさをあれほどまでに表現した演奏は、残念ながらYouTubeをいくら探してもまだ無い。それを超えるような演奏がYouTubeにアップされることを期待している。

 もう一つこの動画の難点。複数のカメラで収録してあるので、見ごたえはあるように作られているのは良いのだが、編集段階で明らかに音声とズレている部分がある。音楽ものの動画の編集では、音声との同調には細心の神経を使うものだ。プロの目から言わせてもらうとかなりの減点である。特にバリのガムランのように細かい動きのある音楽の場合、エディターの良識が試されてしまうのだ。バリのスタッフにはもっと頑張って欲しい!→「無料で見られるだけありがたいと思え!」って返事が返ってきそうだが。