美人花


「 美人の科学 」
文 : 岡部 美代治


 ( 最新更新日 2007年 12月26日 )


4、美人の印象学

4−5、 「美人の印象学 その5 (性格の影響)」   (2007年 12月26日)


 顔の表情は喜怒哀楽という感情が表に出るものですが、その根底には、その人が持つ性格も かなり影響を持っていると考えられます。心の優しい人が時には怒ることがあって、たとえそれが表情と して出ても、普段の柔和な表情が多数を占めていれば印象としては柔和な表情のイメージが記憶される ものです。多くの場合は様々な表情の中で一番多くみている表情がその人の印象として固定され、時折 見せる表情は特別の場合であると記憶が整理されるはずです。

 表情は意識して作ることは可能ですが、意識の集中が途切れたときはその時の心理状態が表情に表れて しまいます。しかも本人の自覚も無く表れるのである意味で自然な反応でしょう。意識して作っている表情と 無意識で表れている地の表情のどちらが多いかですが、多くの場合は無意識で表れる地の表情の出方が多いと考え られます。短期間でみれば性格は表情からなかなか読み取れませんが、長い期間でみると性格が表情からも読み 取れるようになるでしょう。

 ここで初対面における印象とその後の印象の変化を考えてみましょう。ある人に初めて会った時、その人の 表情の印象が良ければ美人方向に印象が傾くでしょうが、その後、会う回数が増えれば増えるほど性格要素が出て きて印象が変化することが多いものです。これは、最初あまり印象に残らなくても、性格の良い人は次第に 好印象を持たれ、長所もたくさん解かってもらえて、いつの間にか美人度が高まっていたと言う経験則は 多いのではないでしょうか。その逆に性格の悪い人や性格が好みと合わない場合はついには顔を見たくなく なるほどになってしまい、かなり美人度が落ちてしまったという経験もあるでしょう。

 性格は人生経験のなかで長い時間を経過して作られていきます。そしてその影響は表情の印象にも大きく 影響し、それが人に対して好き・嫌いなどの好感度に影響して、結果的に美人度を大きく左右するほどにも なります。美人の印象を与えるには性格も時間をかけてよい方向に修正が必要となってくるのではないで しょうか。ここでは性格と言いましたが、気品、思いやり、前向きなども同じような意味を持つものと考えます。




「 これまでのテキストを章立てで見やすくまとめました 」


1、はじめに

1−1、 「美人の科学を書き始める前に」   (2004年 5月17日)



 いよいよ「美人」について科学的な分析をまとめることにしました。この文章を読んだら、美人に対する理解が 少しは深まり、方法論を実施すれば、美人へ近づくことが出来るようにとの思いで始めます。

 ところで始める前に片づけなければならない問題があります。それは「美人」とは何だと言うことです。 また、美人の条件とは、美人の基準とは、等と、美人をはっきり捉えるためには整理しなければならない ことが山積みなのです。そこで、まずは「美人」とはどのように定義されているか、「広辞苑(岩波書店)」で 調べてみましょう。「美人:(1)容貌の美しい人。美女。佳人。麗人。(2)常に敬慕する君主または聖賢。 (3)漢代の宮女の官名。(4)虹の異称。」とありました。ついでに関連用語も調べてみますと「美女: 容姿の美しい人。」、「佳人:美人。」、「麗人:みめうるわしい人。美人。」となっています。まあ美人について (2)〜(4)は現在では日常語ではないので(1)の容貌の美しい人、或いは容姿の美しい人というのが 定義と考えて良いのですが、さてはその美しいという基準が難しいわけです。

 では、つぎにインターネット上で美人に関してどのくらいの情報があるか調べてみました。ひょっとしたら 既に「美人の科学」についてしっかりした研究がされているかも知れません。ここ数年で美人について言えば、 井上章一さんの「美人論」が最も有名ですが、この中で美人の科学論はほとんど触れられていませんでした。 インターネット検索は「Yahoo!Japan」と「Google」の2大検索サイトで行いました。

 その結果、「美人の科学」は両サイトとも3件のヒットで、そのうち2件は何と「ビューティサイエンスの庭」で した。「美人の科学」について書くことを「美容の話」で触れていたことが検索に引っかかった訳です。まだ誰も 本格的には美人を科学していないと予測されますが、あくまでもインターネット上の話ですし、検索漏れも あるでしょう。次に、「美人」で検索をすると「Yahoo!」で462,000件、「Google」で1,750,000件と 膨大な数量になりました。これでは絞り込む必要がありますので、「定義」で絞り込むと、それぞれ12,500件と 28,000件でした。上位にリストされているサイトには参考すべきものも多くありました。次は「美人/条件」で 絞り込んでみますとそれぞれ39,800件と123,000件でした。

 インターネット上でさえ、こんなに美人についての情報が多量に流れていているわけです。これら情報を 確認していませんが、各種各様のことが述べられているはずです。また、本やTVなどでも「美人」については 更に膨大な情報が流されています。どの情報に当たるかで、きっと様々な相違が生まれているかも知れませんし、 或いは案外皆同じような内容だったかも知れません。ともかく、このような情報の氾濫の中ですが、きちんと 「美人」を科学して、整理してみようと思ったのです。


1−2、 「美人を定義すると」   (2004年 6月 1日)


 美人を科学するには美人を定義しなければ話は進めません。「1−1」で美人の辞書上での定義は 調べてみましたが、「容貌の美しい人」となっていました。でもこれでは現在の使われ方をみると狭過ぎる 定義だと思いますし、私自身、美人を科学する上に適さないと考えています。

 そこで、ここでの美人の定義は単純に「美しい人」といたします。言葉通りですが 私は美人の科学はこの定義から出発することが良いと考えていますし、現在の研究状況をみても整合性が あるといえます。そして「美しい」の対象ですが、これは容貌はもちろんですが、容姿、表情という外見は当然 としても、心や思いやり、態度、更には言葉や仕草等の表現も含まれていると思います。つまり「**美人」と つく用語があれば、それは特定の「**」という対象に対して「美しい人」となるのです。一人の人が「美しい」 対象を多数持てば持つほど美人度は高まるし、一つの対象に対して美しさの完成度が高まれば高まるほど 美人度が高まる訳です。つまり美人とは複合的な要素を持つし、美人度という何らかの尺度は時と共に 変化をするということが科学する上に大事になってくるのです。このことは今後の各論できちんと 述べていきます。

 さて、美人度には何らかの尺度があると述べましたが、ここで少し雑学的な話をしましょう。それは古くより 美人度を表す用語があったことを御存知でしょうか? いや一度は聞いたことがある人も多いのではない でしょうか。佳人、麗人、別嬪(べっぴん)、美人、並上、並々、並下、ブス、ヘチャムクレ、鬼瓦、夕日の 鬼瓦、という順序で美人度を表すということを聞いたことがあります。しかし、雑学上の用語で、現実に 使われるのは美人とブスくらいではないでしょうか。用語の上では何とでも言えますが、現実に美人度の 基準が明確でない以上、あまりとやかく議論しても空論になるに決まっています。それは科学的な ものごとの捉え方ではないと思います。

 ここで「美人の定義」をまとめてみますと、「美人」とは「美しい人」であり、「美しい」には複数の 「対象」があり、「美しい」にはそれぞれの「尺度」があるということです。つまり美人には美人度 という尺度を考えると広がりと深さというものがあると言うことですが、これは分かり易い図に表現するする 必要性がありますね。これも各論でしっかりと述べていきます。ということで、「美人の科学」のイントロと いたします。



2、美人の歴史学

2−1、 「歴史上の美人 その1」   (2004年 6月22日)



 それでは「美人の科学」を進めるに当たって、歴史的な考証から入ってみます。事実背景をみるには 今までに美人として残された記録を検証して考えてみると、改めての発見があるかも知れません。 記録に残り、記憶に残っているわけですから、そこに美人の強力な要素があると考えてみるのもムダ ではないというわけです。

 日本では世界の歴史上の美人(美女)といえば、古代中国の楊貴妃、古代エジプトのクレオパトラ、 日本の平安時代の歌人、小野小町が挙げられ、東洋、西洋(?)、日本とバランス良く列記されて いました。特に何故か日本の美人の代表としては小野小町が取り上げられて、「**小町」と呼ばれる ローカルな美人の話を聞いたことがある方は多いのではないでしょうか。かなり身近な感じがする のですが、対して楊貴妃とクレオパトラは「絶世の美女」という形容詞までついて私達とはかなり 縁遠い存在として捉えられています。また、この2人の美人は国家の統治者へ強い影響を与え、 国を滅ぼしてしまうほどの強力な威力を持っていました。

 ところが、歴史上の美人を現実に見た人は現在誰もいません。記述されたり、絵になってイメージが 残されているものを元に頭の中でそれぞれ再現しているに過ぎません。だから本当に美人であったか どうかは判らないのが正確な状況だということです。ただ共通で持っている歴史上の美人を「映画」の イメージで持っている人は多いわけです。例えばクレオパトラはエリザベス・テーラーの演じたイメージを 持っている人が最も多いのではないでしょうか。実は、私も高校時代にリバイバル上映されたとき 見て、壮大なスケールで描かれた歴史物語の中で、エリザベス・テーラーをクレオパトラのイメージとして 強く記憶に刷り込んでしまいました。このように歴史上の美人は、はっきりした具体的イメージを 持っていないので、本当に美人であったかどうかは判らなく、ただ語り継がれた事件が、美人であった ことを後世に伝える強さがあったということではないでしょうか。そう言えば、「トロイのヘレン」という 古代ギリシア時代を描いた映画があり、やはり絶世の美人であるヘレンが強固な城壁を持つ都市国家を 滅ぼした原因とされていました。

 ここで私が言いたいのは、歴史上の美人は、実際に美人であったかどうか、或いは現在の基準 (もしあるとしたら)に照らし合わせて美人かどうかが問題ではないということです。美人であったが ためにどれだけの事件を引き起こしたか、その強さが美人の印象として語り継がれる性質のものだと 考えたいからです。そう、言うならば「美人パワー」とでもいいましょうか、 そういうたぐいの言葉です。語り継がれ、歴史に残る「美人の影響力」という力のベクトル をもつということが、ここで言いたかったのです。

(注)美人だから、あるいは美しさが主要な原因で語り継がれるような事件を引き起 こしたのかどうかそれについて深く検証はしておりませんので悪しからず。ただ、「美人の影響力」を 言いたいが為に歴史的な考証として取り上げたのです。



2−2、 「歴史上の美人 その2」   (2004年 7月 6日)


 歴史上の美人と言うより、今回は芸術品として残されている美人について話してみます。その 作品とは「ミロのビーナス」と「モナリザ」です。どちらもパリのルーブル美術館にあり、誰しも 美術の教科書で見ているので、知らない人はいないのではないでしょうか。この二つの作品は 私が美人を科学する上に重要なヒントを持っていると思っていたし、2年前にパリの国際皮膚科 学会に行ったとき、思う存分観て来て、その通りだったと確信したのです。

 まず「ミロのビーナス」ですが、発掘の経緯や作品の歴史的意味はさておいて、私は小学生の ころからある一方向の写真しかイメージがありませんでした。でも、身体の均整がしっかりとれて 完璧な顔の輪郭や首、胸、腰へと理想的なバランスだと思っていました。でも、彫刻って観る角度に よって印象が違うことにその後気がついて、いつの日か、「ミロのビーナス」をぐるりと見回って、 印象がどう変わるか確かめたくなりました。今から10数年前パリに最初に入った時、ルーブル美術館に 行ったのですが、残念なことにストライキ中で入館出来ませんでした。やっとの思いで2年前に いけたのです。そして、ぐるりと見回って、発見しました。確かに、何処から観ても完璧な美しさの バランスを取っているように見えますし、何よりも観る角度で印象がずいぶんと違っていたのです。 幸い、写真は自由に撮れますので、ビデオと写真と併せて撮りました。この作品で言いたいことは、 黄金律うんぬんではなく、単純に、一つの美しい彫刻作品を観ても、観る角度により、複数の美しい 印象を持っていることです。そう、観る角度によって、美人要素も印象が変わってくるのです。さて、 その法則性は、今後の展開の中で話していく予定です。

 もう一つの作品「モナリザ」ですが、レオナルド・ダ・ビンチ作品で、これまた微笑が有名で、やはり 美術の教科書でおなじみです。モナリザの微笑については数々の研究(?)がありますが、私は 教科書の写真で受けた印象と、やはり本物の絵と見比べて、これまで受けていた印象とどうだったか、 確かめたく思っていました。さすが世界的に有名な絵ですので、ルーブル美術館では、「モナリザ」に たどり着くまで行列に並ぶ必要がありました。たどり着いたときは人山をかき分けて前に進むのですが、 さて目前にすると、この作品だけは額縁にガラスが張ってありました。残念ながら、私にとって ガラス越しの「モナリザ」は鮮度を感じることが出来ませんでした。ただ、ガラス越しであっても、 微笑の印象が、数秒ごとに変化したことです。そう、この作品で言いたいのは、微妙な表情は、受け取る 側の心理状態によって、印象が変化するという事実です。「モナリザ」は美人であるかどうかではなく、 表情の変化、あるいは表情の受け止め方に「ゆらぎ」があることです。これは、おそらく美人の科学を 進める時に、表情について話さなければならない時に役立つのではないかと思ったのです。

 このように歴史上の美作品から、やはり何らかのヒントを得ました。でも、これは、小学生時代から 引きずっていた思いでもあることに、改めて驚いたのです。美しいと思う気持ちや基準って、生まれてから 育ってくる過程で、いろんな体験をするのですが、意外と影響は大きいのではないかと思います。

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3、美人の分析

3−1、 「人の顔の印象」   (2004年 7月28日)



 さて、これから美人についていろんな角度から分析してみます。ところで、美人かどうか判断する時の 対象ですが、やはり顔からはいる場合が多いのではないでしょうか。とすると、その顔は直接会っている時、 会った後の印象、写真やビデオなどの映像が決め手になります。でも、直接会っている最中に美人かどうかと 判断することは普通少ないはずです。もしあるとすれば、貴方が美人コンテストの審査員か何らかのオーディ ションの審査員である場合でしょう。一般的には、記憶に残った印象で判断することの方が多いのでは ないかと思います。しかしその記憶に残った印象が実際はとってもあやふやであるということに気がつき ませんか。後日、記憶をもとに顔のイメージを思い出そうとしてもはっきりと描けないものです。

 私達は顔の印象をどのように記憶しているかといえば、会っている時に印象的な表情を断片的に 記憶し、それらの表情を重ね合わせたような顔のイメージになっていると考えられます。そう仮定して みると、会っている時に好意を持っているかどうかでかなり印象が変わってくるでしょう。好意を持っていれば、 記憶される印象的な表情は良い表情が多いでしょうし、逆に嫌意を持っていれば悪い表情ばかりを記憶して しまうでしょう。最初出会った時はさほど美人だとは思えていなくとも、出会いを重ねて好感を持つようになって、 次第に美人だと思うようになることは往々にしてあります。

 このような実例としては、女優の印象について考えてみると分かり易いでしょう。つまり見た映画によって 記憶されたイメージが変わり女優の美人度合いが変わっていくのを体験します。そして結果的に女優に 好感度を持つかどうかが最終的に美人度合いに大きく影響することも体験したことがあるのではない でしょうか。

 また、一枚の写真から判断する時も、周辺情報から好意を持つかどうかで印象が変わるものです。 たった一枚の写真なのですが、見るときに好意を持っていれば、写真の中から良い印象の部分を強く 記憶し、イメージとしては良い方向にデフォルメされていると考えられます。逆に悪い情報を持っていると、 写真の中から悪く感じる部分を記憶し、悪い方向にデフォルメされてしまうのでしょう。指名手配の写真や 犯罪のニュースで取り上げられる写真からもつ印象が悪い情報下での実例です。

 結論としては、記憶に残ったあやふやな顔の印象は、その人に対し好意を持っているかどうかで ずいぶんと変わるものだという言うことです。



3−2、 「美人の造形学 その1 (部品と配置)」   (2004年 11月 9日)


 美人という以上は形が左右することは当然です。美しい人が美人の定義なら、「美人」は「美しい形をした人」と なるでしょう。ところが人の場合美しい形と言ってもなかなか難しいものです。人の形と言っても、体全体のこと なのか、それとも顔のことなのか、或いは足の形なのかそれぞれの部分か全体なのかで話は違ってきそうです。 しかし、一般的に「美人」という場合は圧倒的に「顔」について言うようですので、ここでは「顔の形が美しい人」と 、とりあえず美人の定義としてみましょう。

 そうすると、顔の造形を構成している部品は「目」、「口」、「鼻」そして「眉」が影響の強さで挙げられます。その 他には「耳」、そして「頬」、あとは顔全体を形どる「輪郭」があるでしょう。よく考えれば、漫画に描かれる顔の 構成要素だとも言えるでしょう。福笑いというゲームがありますが、目隠しで顔に置いていく部品が「目」、「口」、 「鼻」そして「眉」ですね。置かれ方でずいぶんと印象が違い、その滑稽さで楽しむゲームです。各部品の美しさ が大事なのですが、福笑いというゲームでわかるように、置かれ方でずいぶんと違ってきますね。これで解る ように、どうやら「顔の形が美しい人」と言うことは、顔の部品の美しさと、顔に美しく配置されていることが条件 になります。ここでは顔を構成する部品の形と配置が美しさを決定するとして話を進めましょう。

 そこで美しい形や配置について考えてみますと、なにやら法則みたいなものが出てきます。単純な形で 考えてみても、四角形や三角形、そして円形をみても、整った正方形や正三角形、あるいは正円形とか、左右 対称な二等辺三角形は多くの方は美しい形と認識する傾向にあります。顔の部品も何か整った形が美しいと 感じられているようです。正円形や正方形といった形は顔の部品にはあり得ませんが、左右対称形は比較的 多く見られます。特に「目」や「眉」は一つではなく左右で一組になっていますので、左右対称形は配置によって 決まっています。また、「鼻」や「口」は左右対称の形をした一つの部品です。

 そして、部品の形や配置は様々な研究者により研究されて、美しい条件を満たす法則性を見つけ出すのです。 その最も有名なものが「黄金分割」と呼ばれるものです。これについては更に詳しく、「その2」で述べていきます。



3−3、 「美人の造形学 その2 (黄金分割)」   (2005年  3月 8日)


 顔を構成している部品がどのように配置しているか、このことに最も研究が盛んなのは「黄金分割」に ついてです。顔の造形だけでなく、建築物、絵画、写真の構図など、形ある物には全て論じられている ほどです。ここでは、あまり詳しくは説明しませんが、要するに美人は顔を構成している部品の配置が 「黄金分割」と呼ばれる位置取りになっているというのです。実際に「黄金分割」を論じている本や、イン ターネットのHPに記載されている内容や写真、図をみても、解ったようで解らない印象です。その理由 としては、美人女優さんの写真、つまりたくさんあるはずの表情の一部の静止画を使って、分割をして、 それが「黄金分割」の何らかの意味ありげな位置に顔の部品があったりするのです。しかし、どのような 表情をしているのが標準なのでしょうか?この点は十分に考えておかないといけません。

 さて、論より証拠と言うことで、私がつくった「黄金分割」配置のモデル写真を載せてみましょう。この 顔が誰だか当ててみて下さい。可憐な乙女で映画デビューし、長いこと日本でも世界でも愛された 女優さんの顔部品をおかりしてみました。顔の輪郭横幅が1に対して縦の長さが約1.618になった 楕円形を全体の顔フレームにしてみました。その他にも1対1.618の黄金分割になるような長方形と 三角形をつくり、その輪郭の中に適当に埋め込み、何となく顔の部品が置けそうな状態にしました。 その黄金分割顔マップに女優さんの顔の部品を当てはめてみました。何となくマップにおさまって、 黄金分割は美人顔の法則に思えてきました。でも、ここで考えて欲しいのは、黄金分割マップは 私が適当に作った、何の法則性も考えていないものだということです。ひょっとしたらこの黄金分割 マップに不美人顔を当てはめると、ぴったりと当てはまる場合もあるのではないでしょうか。

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 私の推論ですが、黄金分割は確かに美しい形や配置を決める一つの要素かも知れませんが、 黄金分割に当てはまった物が全て美しいかと言えば、そうでもないことがあり得ると言うことです。論理学 で言えば、黄金分割は必要十分条件では無いと言うことです。このことは、インターネットで黄金分割に ついて調べていたら、何と青木義次 さんから指摘されていたことと似た意見でした。「美しいものをみようとする心は、美しいものについて 理論をつくる。・・・それ自体は健全な発想でありデザインに有用である。」と前振った後に黄金分割が 「美意識による幻影」であることを示唆している。是非、青木さんの「黄金分割神話」を見て下さい。黄金分割についても様々な 現れ方をすることも、多少難しいのですが丁寧に説明してあります。ただし、最後の結論が「意図なき 黄金分割」となって、「神が与えたとしか思えないこの美しい図形が、われわれの世界を形造って いると考える方がよいのではなかろうか。」と締めくくっているのには賛成しかねます。美しい形を 造り出す基本構造として、黄金分割が全てではなく、あくまでも一つの要素にしか過ぎないのでは ないかと私は考えています。



3−4、 「美人の造形学 その3 (シンメトリー)」   (2005年 10月 4日)


 美術などで言われるように造形学的にはシンメトリー、つまり左右対称のデザインはバランスが とれて美しいものだとされています。このことはシンボルマークなどのように形式的な、或いは記号的な ものには良く当てはまります。絵画でも左右対称に描いてみると一応スッキリと安定して見えますが なにか冷たい、無感動な印象があるものです。「シンメトリー」と「美人」というキーワードでネット 検索をすると美容整形でもシンメトリー美人を目指しているところが多く見あたります。果たしてそのような 美容整形医は、ほんとうに美人を理解しているのでしょうか。

 左右のバランスは安定をもたらすために欠かせない要素の一つです。しかし、自然界には一見左右の バランスがとれているように見えても、少しだけ左右の大きさや形が違うものが多いことに気がつきます。 例えば花を見てください。美しいと思う花は左右対称である場合が多いのですが、よく見ると少しだけ 左右対称ではありません。私は思うのですが、その少しの崩れこそ自然界が作り出し、感情を揺るがす 要素ではないかと。人工的な創造物では完全に近い左右対称のものは多く、それは安定感を与えて くれるものです。それは作者の意図的なものですが、逆に見る人の感情を揺るがせる為にあえて左右対称 を少し崩している作品も多く見られます。崩れている分だけ少し不安定で、動的に見えたりするものです。

 顔の場合も同様で、鏡をよく見るとおおざっぱには顔のパーツは左右対称になっているのですが、細かく 観ると形や大きさは違っているものです。正面から撮っている顔写真がありましたら鏡を真ん中に立てて 右半分で作った顔と、左半分で作った顔の印象がずいぶんと違うことに気づくはずです。これは顔を横から 観ても同じこと言えて、右から観ると優しそうなのに、左からはちょっとクールに見えるなどと印象が変わる ことも良くあります。おそらく、このような微妙な左右の違いこそ見る人の心を揺さぶるのではないでしょうか。 美人の法則としては、造形的な安定美を求めるなら左右対称がよいに決まっていますが、心を揺さぶるような 美人とすれば、左右対称が絶妙に違っていた方が良いのではないでしょうか。目鼻や口だけでなく、顔には 黒子やエクボなどポイントとなるランドマークもあります。これも左右対称をあえて崩し、見る人の心を揺さ ぶる仕掛けになっているのでしょう。そう言えば、印象的な美人の方は、どこか左右非対称の魅力を持って いる人が多いと思いませんか?



3−5、 「美人の造形学 その4 (曲線と曲面)」   (2006年 8月15日)


 私達生物と非生物の違いとして大きく違うのは造形的に曲線や曲面が多い点でしょう。特に動物は運動が 激しい為か曲線や曲面が多く、しかも時間と共に変化も激しいものです。このように考えてみると、人の顔を 真っ直ぐな定規では描けないほど曲線と曲面だらけです。目立つところだけでも顔の輪郭、目、瞳、眉、口、 耳、そして鼻といったように全てが曲線です。頬やあごは曲面だし、首も曲面で、額だけがやや平面的かも 知れませんがよくみると穏やかな曲面です。どうやら美人の造形学を述べるにも曲線と曲面を取り上げないと 話が進まないという訳です。

 造形学上、曲線は直線に比べて優しい印象を与えます。柔らかさも感じさせてくれます。顔の輪郭は丸い のですが、真円と楕円を比べると楕円の方が顔の輪郭っぽいように見えますし、楕円の下をすぼめると更に 顔の輪郭らしくなります。この典型的な形の例として日本では瓜実(うりざね)が使われてきて美人の形容と して代表的になっています。顔の輪郭に瓜実の形を形容した人は誰だか調べていませんが、なかなかの 美的センスのある人だと思います。円形〜楕円形までをいろいろ並べてみると、瓜実形はかなり美しいと 思われるのではないでしょうか。その面からしても瓜実形を顔の輪郭で美人の典型としたのは当を得ています。

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 その他、顔の中には曲線で出来た造形がたくさんありますが、美人の造形学にとって一番大きい要素は 目ではないでしょうか。目の造形は楕円の変形で両端が細くなっています。どちらかと言えば目尻の方の 端が細い傾向にあります。目の造形にはアクセントとしての瞳、そして光彩があります。美人の目の特徴を あげるのに、目の形と大きさ、更には瞳の大きさが様々に言われてきましたが、ここはなかなか科学的に こうだと言い切れないところがあるようです。その他、眉の形や位置、唇の形にしても印象に大きく影響を 与える曲線がまだまだあります。

 このように顔を構成する曲線や曲面からなる造形は多く、それらの組み合わせも天文学的な数字になり ます。だからこそ個性の違う顔がたくさんある訳です。その中で美人として認められやすい組み合わせは 確かにあるのでしょうが、それは一つの典型的なものではないような気がします。今後の研究の中でできる ことは、美人として認められやすい曲線と曲面の組み合わせを見つけて体系化することではないかと 現段階では思っています。



3−6、 「美人の造形学 その5 (平面と立体)」   (2006年 12月26日)


 最近、陶芸をやっていて感じることがあるのですが、作りたいもののデッサンをするときに正面図や 側面図、場合によって上面図まで描いておくと作りやすいのです。また一枚でデッサンをする場合には 斜め上から見た図を描いているとよいのです。そこで陶芸は立体なのだということに改めて気付いた のです。また美人の造形学にも通じることも同時に気付きました。美人学の対象は顔を始めとする 3次元の立体であるということに気付いた訳です。ということで今回は平面と立体という見地で考えてみましょう。

 多くの場合、顔を描く時は正面から見た状態を描きますね。似顔絵を描いてもらう時や指名手配の 似顔絵もほとんどが正面から見た顔です。もちろん、正面から見た顔が一番特徴が出ていることは 正しいと思いますが、実は顔には凹凸があり、この立体的な造形も美人度に大きく影響をしています。 正面から見た絵や写真でも、陰影が付くことでその立体的な特徴を感じることが出来ます。その立体的な 特徴もしっかりと伝えたい時、斜め横から見た状態を絵に描いたり、写真に撮ったりします。

 立体の特徴を造形学的に分析する時は正面図と側面図がまず必要ですが、正面図での美的な要素が そのまま側面図に当てはまることは少ないと思います。むしろ側面には側面の美的な要素があると考える べきですが、いざ顔について考えてみると、そう簡単なことではありません。よくギリシア彫刻にみる美人 プロポーションとして額と鼻の線が直線的でつながるとかありますが、現実的にはそれで美人が決定して いるようには思えません。ここにはどうやら民族的な特徴が絡んできそうで、一概には美人要素を決めつける ことはできないように思えます。

 またシンメトリーのところでも述べましたが、多くの場合左右は微妙に非対称です。だから右から見た顔と 左から見た顔の印象が違うことも多々あります。例えば右から見たら美人度は高いが左から見たらやや 美人度が低いというようなこともありえます。もし美しい写真や似顔絵を描こうとすれば左右のどちらかが より美しいか見比べて撮ったり描いたりするでしょう。この場合に顔の部分で言えば目や眉の形が一番 影響を持っています。真横から見れば、額、鼻筋、口、顎のラインは同じですから当然といえるでしょう。 ただし斜め横から見ると鼻や口の影響が出てきますので印象はずいぶんと変わるので美人度に影響し ます。

 今回の結論としては、私達人間は立体的な造形であるがゆえに、平面的な特徴だけでなく立体的な特徴も 大いに美人度合いに影響するということと、民族的な特徴もあるために一概に美人規格のようなものを 設定することが難しいものであるということを指摘するに留めておきます。今後、美人について科学的に 述べるには、まだまだ研究するべき課題が多いという訳です。



3−7、 「美人の造形学 その6 (動的造形)」   (2007年 3月20日)


 私達は写真の印象と実際に会った時の印象がずいぶんと違ったという体験をよくします。それは 写真が平面的な形で実際は立体的な形なのですから当然といえるかも知れません。そこにはもう一つの 大きな要素があります。それは実際の人物は生きて生活をしており、話しをしたり、喜怒哀楽をもち、 様々な表情を持っているのです。写真の場合は笑顔やすました顔が多いのですが、実際に会った時は そうとは限らないのです。様々な表情をしている中で、最も美しいと思える表情が写真等に固定されて その人の代表的なイメージとして認識をされるのです。この選択を間違えると美人であっても不美人に なることもある訳です。栄華に輝く時の顔と、犯罪などでニュースに取り上げられている時の顔が同じ 人物でもずいぶんと違ってくるのは映画やドラマでよく見かけます。ここでは美人であっても選ばれる 表情が重要であると言うことなのです。

 もう一つ忘れてはならないこととして、私達の記憶の仕組みです。様々な表情の変化により顔の 形が変わるのですが、一番印象的な表情の形を強く記憶に残していると考えられます。その形は一つ とは限りませんが、いずれにしてもたくさんある形の限定された形がその人物の認識として記憶される のです。それが必ずしも一番美しい形とは限りません。だからよく、美人だと言われている人がそのように 思えないこともあって当然なのです。美人とは多くの人に美しい形を高い確率で記憶に残す人とも 言い換えることができるのかも知れません。

 更に重要なことは、生きている以上、成長もするし老化もすることです。加齢による変化は避けられない 運命といえるでしょう。動的な造形変化は時間と共に変わりゆくのです。多くの場合、加齢による変化で 老化は美しさを失うと一方的に思われているのですが、年齢と共に美しさの基準が変わる場合もあるのでは ないでしょうか。このことについての研究はあまりされていません。若い時の美しさの基準と年齢変化に よる美しさの基準変化は同列に比較するするものではないのかも知れません。造形の変化は確かにありますが 美しさ、魅力、或いは味というような良い印象は老化の進行によっても損なわれない可能性も充分にあると 私は思います。むしろ増えることがあってもおかしくはないでしょう。また、人によっては美しさのピークが 一つの年齢ではなく複数の年齢に現れることもあるし、かなり加齢してから美しさや魅力がピークを迎える 事例も多くあるように思えます。今の段階では美しさの時間変化はまだまだ研究途上と言ってよいのでは ないでしょうか。私の体験ですが、加齢してみなければ解らない美の要素もかなりあると感じています。



3−8、 「美人の造形学 その7 (形状変化)」   (2007年 4月17日)


 私達生物の形状は岩石や金属のように硬くなく、変化しやすい素材で出来ています。もちろん骨格は 硬い骨でつくられていますので変化しにくいのですが、その表面を覆っている皮膚は柔軟で傷つきやすく、 さらに顔面は表情筋によって骨格とくっつき絶妙な緊張関係の上でなりたっている形状です。また皮下脂肪 によっても膨らみ具合が変わり形状の変化をもたらします。これらの変化は人工的にもつくることができるし、 何らかの事故によって傷つくことで起こることもあります。つまり、美人という造形があっても強固なもので 無く、大事にしなければ失いやすく、或いは人工的に美人という造形をつくり出すことも可能だということです。

 人工的な形状変化は、現在、美容外科という医療が発達してきてかなりの容貌の変化が可能になりました。 一般的には美容整形と言われていますが、骨格を削ったりすることもありますが、主には皮膚を切ったり、 引っ張ったり、中に物質を詰めたりして形状を変えるものです。美人というある造形的な法則が出来ていれば 美人になることは可能なこととなるのです。ところがこれまでに述べましたように、美人という法則はなかなか 一筋縄ではいきませんので、実際は簡単ではないようです。特に、美容外科を行う医師の美的センスが重要で 美人という造形学の法則を何処まで理解しているかが問われます。また美人と言っても唯一無二の絶対的 形状がある訳でもありませんし、好みの問題もあります。

 さてもう一つの事故的な形状変化についても述べておきますが、もっとも激しいのは交通事故などにより 骨格さえも変化してしまうほどの外傷が代表的です。軽い場合は、何かにぶっつけたりして切り傷や腫れたり することですが、多くの場合は治癒して基の形状に戻ります。また事故的とは言えないかも知れませんが、 ダイエットによる皮下脂肪の減少や、過食症による皮下脂肪の沈着も形状変化を及ぼします。この場合も 美人の要素をずいぶんと変化させてしまいます。ここでは、形状は容易に変化するものだということがわかって もらえれば良しとしますので、詳しい形状変化の説明は省略します。

 この項目では、美人という造形を構成している素材は変化しやすいものであるということが押さえどころに なります。そのことは造形をもっとも支配している素材の皮膚について、もっと理解を深め、大事に扱うことが 美人になるためにも、維持するためにも重要であるということなのです。

3−9、 「美人の造形学 その8 (ズレの法則)」   (2007年 6月19日)


 さてこれまで造形学で押さえる条件として、部品と配置、黄金分割、シンメトリー、曲線と曲面、平面と立体、 動的造形、形状変化と、それぞれについて述べてきました。これらの条件を全て統括して美人としての法則を 造形学観点から考えてみますと、全てに於いて絶妙なズレがあることが私達の印象を揺さぶるほどの強い 影響力が出てくるのではないかということです。例えばわかりやすい例で言えば絵画や彫刻でみられる完璧な 左右対称の美人像は機械的で人工的な印象を与え、自然に見える美人の顔はどこか左右のバランスが 崩れている場合が多いように思えます。また、美人を描いた作品には真正面からではなく、左右どちらかから 斜めに向いている場合が多いこともそのことを示唆しているのではないでしょうか。むろん、この場合には 左右のバランスをズラだけではなく、立体的に見せる効果もありますので、より実体的に表現できるベストな 角度と言うことができるのでしょう。

 このように造形学的バランスから絶妙にズレたところに美人の条件があるとすると、これを「ズレの法則」と 名付けてみるのも解りやすいと思います。おそらくズレというのは自然界のゆらぎの影響を受けて発生します ので、自然な美しさを感じるのではないでしょうか。あまりにも造形学的バランスを持ちすぎていると人工的、 機械的なものとして私達は自然界から知らずのうちに学び取った感覚で判断をしているのではないでしょうか。 このようなズレによる自然的なゆらぎは安心感を与えるのでしょう。また、造形学的バランスをもう少し不規則、 不安定にズラすと、情緒的な感覚を揺り動かすのではないでしょうか。ここで言いたいのは絶妙なズレという ことは自然的なゆらぎプラスもう少し不規則、不安定に寄ったところと考えます。そこにハッとするような印象を 受けるのではないでしょうか。

 世の中、様々な美人コンテストがあります。そこで選ばれる人々を見ても一律に述べることは難しいでしょう けど、造形的バランスからみて、どこか絶妙にズレをもっている人が多いように思います。それが或る意味で 美人としての個性を発しているのかも知れません。或いは美人だと言われている女優や有名人を見ても、 やはり造形学的な絶妙のズレを感じます。案外個性というのは造形学上の様々な条件を絶妙にズラしたことで 生まれてくるものかも知れません。これが現在私が考えている造形学からみた美人の条件です。

 とすれば、美人になる造形学的な条件を満たす方法として、現在の造形学的なズレを絶妙なところに修正 することで美人度を上げることもできます。それがメイクアップであり、表情の修正であるのではないでしょうか。 もう少し踏み込めば、美容整形はその方法を顔を作っている骨格、表情筋、皮膚を変化させる方法なのです。 また、忘れてはいけないのは、私達人間は生物である以上、加齢現象を筆頭として変化し続けるものです。 永遠の美しさを求め、造形を固定するのは難しく、そのこと自体が不自然に見えるので、形は美しくとも印象的な 美人とは言えなくなるのかも知れません。ほどほどの加齢変化はその年齢層の美人として必要な条件なのかも 知れません。この当たりは更に研究を進めたいと思っているところです。



4、美人の印象学

4−1、 「美人の印象学 その1 (印象を決める要素)」   (2007年 7月31日)

 美人は造形的な要素が大きいのですが、もう一つ大きいものは脳での判断、つまり目で見たあとでどの ような印象を持つのかということです。脳での判断に使われる情報は各人各様で美人という定義と画像的な 記憶、言語的な記憶が引き合いにだされ、目で見えた画像情報とつきあわされて美人かどうかを判断して いるものと考えられます。つまり美人であるかどうかの印象は、今までの体験的な情報から判断されるという ことです。体験は個人的な要素が強いので画一的ではありません。だから人によって美人であるかどうかと いう判断の意見が分かれることが往々にしてあります。

 しかし、美人かどうかを判断する情報には共通要素もあるのです。それは文化的な情報です。私達は生まれ てからたくさんの美人にまつわる情報を見聞きしてきます。親であったり、兄弟、親戚から「○○さんは美人だね」 とか聞く度に脳内では美人情報が記憶されていきます。また本や映画、テレビなどからも美人という言葉や意味 と同時に映像が記憶されていきます。小説を読んでも美人について概念的な情報として記憶されていきます。 これらの美人に対する情報の中で特に強いものは美人コンテストや美人リストに関するニュースです。やはり 社会的に美人だと確認された情報は強く残るもので、これが社会的な常識のようなものにあたり、私達は自然に その基準に合わせようとするのでしょう。もちろん、この社会基準に合わすかどうかは個人の判断ですから画一 的ではありません。今年のミス日本は今までに比べてどうこうと批評したり、アカデミー賞を受賞した○○という 女優は美人であるとか演技派であるとか話題になることも美人の印象を決める判断材料になるのです。

 美人の印象を決める情報は以上のように個人的なものと社会的に共通的なものがありますが、現在のように 情報が国際的に広がってくると国によっての差も少なくなってきています。例をあげれば国際的な美人コンテスト において優勝者や入賞者に国際的な広がりが出ていることからもいえるでしょう。女優や有名人においても国際的に 美人と評価されている人も増え、それらがまた美人の判断情報として記憶されてきます。しかし一方では、あいかわらず 情報が閉鎖的な国や地域ではかなり伝統的な美人基準が残っているものと考えられます。いずれにしても美人の 印象を決めているのは個人的に記憶されている美人情報であるのです。そして記憶された数多くの美人情報において も美人判断のウエイトが個人により様々に違っているのです。

4−2、 「美人の印象学 その2 (美人薄命の意味)」   (2007年 9月11日)

 美人についてのことわざは数多くありますが、四字熟語でもおなじみの「美人薄命」という言葉が今回の テーマですが、美人の印象学の観点からすれば、これほど当を得ている言葉は無いように思います。女優 の吉永小百合さんを例に出すほどでもなく、美人で、或いは美人の状態で人生を息長く活躍されている方は 多いと思います。だから「美人薄命」とは科学的事実であるというより、印象の強さを感じる、或いはそうだった 人を惜しむとか偲ぶ意味があるのでしょう。ちなみに四字熟語データーバンクというサイトで「美人薄命」を 調べてみますと、意味としては「容姿が美しく生まれついた人はとかく不運であったり、短命であったりする こと。 」となっており、花言葉は「はかない美」となっています。

 このように「美人薄命」という言葉には美人の印象を強烈に感じさせる強ささえ含んでいるのでしょう。やはり 美人であるためには強烈な印象があった方が多くの人の記憶に残りやすい、いわば対比の問題かも知れません。 美人度を測ることが出来る物差しがあって二人の美人を測ってみても、それぞれの生い立ちや印象の強さで 実際の美人度より、印象の強さの方が美人度が高いと思うはずです。美しく輝くという言葉もあるように、美人で ある為にはキラリと輝いて強い印象を残すことでしょう。私達は記憶が頼りの生き物です。だからこそ印象度と いうものが大事で、どうしたら強く印象を与えることができるのか、そこに美人の印象学の意味があります。 そのことを一番よく言い表している言葉が「美人薄命」だと私は思うのです。一面では美しい物は儚いように美人も 儚いものだという運命論的捉えることもあるでしょうが、美人の科学においては「美人薄命」とは、あくまでも美人の 輝き印象度が大事であるという意味で考えておきます。

 現実的には、年齢やそれに伴う様々な人生要因で美人の輝きが変化するでしょう。でも、いつまでも輝き続ける ことは難しくとも、輝き方を変えたりすることでキラキラと美しい魅力を印象づけることは不可能ではありません。 そのような実例は数多くありますし、今後はもっと増えるものと思います。それはメディアによって広く、永く伝え られ、広まっていくでしょう。方法論的にも美容科学の発展、ファッションの発展により美人度を高め、印象度を 強める方法を選ぶことも容易になってきています。そう言う意味では可能性として「持続的美人」とか「美人長命」 なんてあり得るのではないでしょうか。

4−3、 「美人の印象学 その3 (好き嫌いの影響)」   (2007年 11月13日)


 恋は盲目という言葉あるように、好きになれば、愛するようになればその相手の人が素敵に見えてくる 体験は多くの方が、いやほとんどの方がされているのではないでしょうか。これまでも述べてきましたように 私達は目で物理的に写った影像をそのまま印象として大脳では処理していないのです。何かが強調され、 何かが修正されてイメージを認識しているのです。印象とはそういうものなので、誰々は美人であるという 評判が聞こえてくれば、実際に網膜に写った実影像を美人要素を加味してイメージが出来上がる訳です。 また比較の問題もあるでしょう。男性が多数を占めている集団では数少ない女性の美人度が高まるという 話がよくあります。(その逆で女性集団の中の数少ない男性が美男度が高くなる話はあまり聞きませんが ・・・)その例は、比較する対象が少ないことだけではなく、やはり希少性と異性に対する好感度が自然と 高まるからではないかと思います。そう、好感度が高まれば自然と美人と感じる印象化が大脳の中で 処理されるのではないでしょうか。

 逆に、姿形は美人だと客観的に思える人でも、何らかの理由でその人を嫌いになることがあれば、とたんに 美人には見えなくなる体験も多いのではないでしょうか。嫌悪感は網膜に写る実影像を大脳で悪い印象へ 変換する作用があると考えられます。このことから印象に対する好き嫌いの影響はかなり大きなものがあると 考えざるを得ないでしょう。美人という印象を与えるには好感度という好きの要素をいかに与えるか、印象 づけるかが大事なのです。これは映画やテレビのドラマを観てもよく解ります。多くの場合、ヒロインとアンチ ヒロイン、つまり恋敵であったり、意地悪をする役柄の女優さん達を比較すると解ります。脚本の構成上、 どのような性格の人物として演技してもらうかにより、女優さんの容姿がガラリと変わります。憎まれ役は どうしても美人には見えなくて、ヒロインは決まって美人に見えてきます。憎まれ役が多かった女優さんが ヒロインに抜擢されて、そのとたんに美人女優だと認知される実例は数多くあります。 

 美人である印象を強める要素として好感度、つまり好きにさせることが大きいことは美人の印象学での もっとも重要なことなのです。美人だと認識するにはありとあらゆる方法で好感度を上げる、好きにさせる こと、この方法論に徹すれば、美人度を高めることになるのでしょう。ただし注意が必要なのは、嫌いに なれば美人度も突然低下するわけです。度の過ぎた好感度戦略は嫌悪感を生むこともよく知られている ことだし、おそらく経験もあるでしょう。やはり人間関係は難しいし、科学的に公式通りには行かないことも 納得しなくてはなりません。

4−4、 「美人の印象学 その4 (個性という特徴)」   (2007年 11月28日)


 さて印象学なので最後は印象をどれだけ強く残すのかがテーマとなります。黄金分割の項でも述べま したが、ただ整っているだけでは美しいということには間違いありませんが、それ以上の感覚を揺さぶる までには行かないでしょう。顔つきのどこかにちょっとしたアンバランスがあり、そこに個性的な特長が 現れることを私達は様々な体験をもとに知っているはずです。もちろん最も特長が現れやすいのが目なの ですが、眉、口、鼻、輪郭、そして耳までもその対象の部位になるのです。しかし、ちょっとしたアンバランス というのがポイントでバランスを崩し過ぎますと、個性的ではありますが美人の範疇からははずれてきて しまいます。このちょっとしたアンバランスこそ重要なのですが、もっと研究の余地があると考えています。 このためには顔の形状にもっとも影響を与えている表情を無視する訳にはいきませんし、メイクアップや 顔のフレームともなるヘアスタイルも重要になります。

 人間は生きている以上、喜怒哀楽を感情に伴って表情として表れてくるものです。表情とは表情筋によって 顔の形を瞬間的に、あるいはある程度持続的に変化させている訳ですが、見る方からすれば強い印象が 残った表情に強い印象が残るものです。例えば笑顔がとても印象的で全体的な印象が口元の優しさと目元の 柔らかさが素敵だったとかいうように、数多くの表情の中で最も印象に残る表情と顔全体の形状が記憶されて 美しい人として認識されることが多い訳です。逆に怒った顔が強く印象に残りますと、たとえ顔全体の形状的 バランスがとれていても歪んだ顔として認識され、本来は美人の要素が強いはずなのに不美人として認識 されるでしょうし、好ましくない人物として記憶されることが多いものです。その為、再会した時に、その好ましく ない印象が先入観として先立ちますので、事実と違うものならそういった誤解は早めに取り除く努力が必要と なります。

 現在では多くの女性は人に会う時は、メイクアップをしていますし、ヘアーもスタイリングしています。メイク アップをしなくても、何らかの形で顔を整えている場合がほとんどでしょう。メイクアップもヘアースタイリングも 顔の印象に大きく影響しますが、その時に顔の個性を引き立てているか、逆に消しているかは重要なことです。 やはり顔の個性を自分の目からも、他人の目からも知り尽くすことが個性的な印象を強く与えるためのメイク アップやヘアースタイリングに通じる訳です。この方法論は今回の美人の科学では触れませんが、今後は メイクアップアーティストの方々との共同研究をするなかで何らかの科学的な法則を見つけ出したいものと 考えています。

 以上、顔の特徴を個性として引き出して、美人印象を強く与える特長に変える努力は重要だということで、 これは視点をちょっと変えるだけで新たな発見が出来るものです。持って生まれた顔の個性、この見直しが 美人の印象学では重要なのです。特に目周辺の特長は、自分が好きでないと思っていても、他人から見ると 好印象に見えていることもあります。ちょっとした表情の研究やメイクアップによっても変化するでしょう。 十人十色というように、それぞれの個性を見つけ出せば、十人十美人ということもありうると私は考えています。 もちろんこの場合の「美人」とは1−1で定義しました「美しい人」ということです。





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