SAKURU01



「 忍冬随筆  」
作 : 羽生さくる 


 ( 最新更新日 2004年 12月21日 )



「我如何にして化粧道楽となりしか」 

chapter 6 「私なりのミニマル・メイク完成で色物からの解脱は成るか」 (2004年 12月21日UP) (NEW)


電車に乗る機会がめっきり少なくなっている。

 相変わらずのPTA仕事で地域に釘付けだ。だからといってスキンケアやメイクアップに手を抜くようでは道楽者の 名がすたる。スキンケアでは夏は紫外線対策に入魂し、秋が深まるにつれ保湿重視へとシフトしていった。乳液と ローションパックが鍵。クレンジングにも低刺激かつ徹底的な浄化を求めて、現在はクレンジングクリームと拭き 取り乳液とフォームのトリプル方式をためしている。

 「垢抜け」という言葉は文字通り「垢」を「抜く」ことから始まるのではないだろうか。前の晩徹底的にきれいに洗った 肌は、朝さっと洗っただけでもぴかっとして、下地の上にかるくパウダーファンデーションをはたくだけでなんとかなる。 地域だけで行動している場合、リキッドやクリームタイプのファンデでぴたっとした肌作りをしてしまうとどうも周り から浮いてしまうのだ。朝の9時から会議や打ち合わせをするならなおさらである。「洗濯物を干してくる間も なかった」と口でいいながらお肌がポーセリンでは現実感がない。パウ ダーファンデをささっとつけて駆け付けたと いう真面目な雰囲気(あくまでも雰囲気)が、仲間の信頼を得るためにも必要だ。

 色物についての考え方もこういう生活では中心が変わってきた。メイクに凝り始めたころのピンクゴールドやローズ ゴールドの華やかな色合いの出番はもうない。基調はベージュのナチュラルメイク。しかし、じつはどれも最新の テクスチャーでチークとのバランスも計算しているのだ、と、自分なりに満足のできる内容 にしている。

 きっかけを作ってくれたのは、隣町にある老舗デパートの外資ブランドCのBAさんだった。

 20代の半ば頃愛用していたそのブランドの口紅、廃盤になっていることは知っていたが、ある日ふと立ち寄った カウンターで「似た色はないかしら」と初め て会ったBAさんにきいてみた。バービーちゃんを和風にしたような上品で かわいらしい彼女は、新しいラインの口紅から、何色も取り出していっしょうけんめい似た色を探してくれた。

 それをつけて家に帰ってみると、8歳の娘がひとこと「ママには赤すぎる」。

 母であり妻である限り、メイクも香水も夫やこどもの支持が欲しいと思っているのでその色はあきらめた。たしかに 廃盤の色より赤みがつよかった。

 翌日またカウンターにいき、BAさんに娘の言葉を伝えて、でもこのラインは無香料で潤いも続いたので気に入った から、別の色をまた選んでもらえないかと 頼んでみた。彼女は今度は日本人向けの新色からローズベージュを 塗ってくれた。これが思わず二人で「これね」「これですね」と唱和するほどのはまりよう。彼女は「お肌が白いので、 これくらいのお色でじゅうぶんです。このラインはほんとうに軽い発色なのでシャドウやチークの色も選びませんし」 といってくれ たが、そこは道楽者、すぐに頭にはベージュのアイシャドウから始まる色合わせが浮かび始めていた。

 ちょうど秋の新色が出る時期で、新宿までいったときにCのカウンターに飛び込んだ。他のものはともかく、濃い グリーンのアイライナーは「使える」と思って買った。ベージュのアイシャドウは既存の色から、自分の肌色を考えて いちばん赤みのないサンドベージュを単色で。

 この組み合わせがよかった。一見素顔だけど、夜落としてみると「やっぱりさっきまでは元よりずっとよくなって いたんだな」としみじみ感じるのだ。上下の 目尻にたったの3ミリ引くか引かないかのグリーンが顔全体を引き 締めている。単色のホワイトゴールドも足してハイライトとして黒目の上と眉の下につけると立体感と自然さが 加わった。マスカラは従来通り黒。チークはローズを使ってみたのだがいまひとつぴんと来ない。サンドベージュと いっしょに発売されていたコッパーレッドとアイボリーの二色セットを手に入 れて悦に入ったが、私の肌にはちょっと 唐突な感じもする。けっきょく、手持ちのピーチにローズのカラーパウダーを足す方法に落ち着いた。

 このへんでローズベージュの口紅が残り半分となってしまい、同ラインの最もベージュな色を買い足した。これが また上品で、心配したような暗さが全くな く、私の場合はピンク寄りに発色するので重宝する一本になった。 グロスはいらないと主張するBAさんの反対を押し切ってピンクの透明なグロスも買ってあり、合わせると憧れの ヌードな唇である。

 以上のベージュメイクで秋から冬へ。12月を前についにローズベージュがなくなった。服のボリュームも増すし、 ベージュ口紅の「支え」もあるので、三本めは色があるものにしようと思い、現品だけを見ると「え」といいそうな 山梨県限定巨峰 キャラメルのような色をつけてみた。

 これがその場にいた全員が驚く結果となった。どこにも紫が見えない。唇の色そのものをグレードアップした色、 としかいいようのない理想的な色になったの だ。しいていえば落ち着きと華やかさを併せ持ったローズ。これこそが 以前からずっと探していた「私の極めつけの一本」なのかも知れない。これは大事に使おうと思っていまのところは モーヴのセーターを着たときだ けにしている。

 以上のように夏からいままで「総とっかえ」のためにかなり投資はしたのだけれど、いまはもう「完成」を迎えて、 他のメーカーの新色にも、このブランドの 他の色にも全然惑わされなくなった。

 心配があるとすれば、同じラインの日本人向けの色に新しいのが出たときだけ。

 それも和風バービーちゃんのBAさんがいてくれれば「この色はお似合いになりません」ときっぱりいってくれる ので間違うことはないだろう。買おうとするお客を「とめる」BAさんは貴重だ。ブランドの良心として、会社が彼女を 大事にしてくれることを祈る。

 ・・・続く・・・



「我如何にして化粧道楽となりしか」 

chapter 5 「道楽どころでなくなりそうな日々に私に寄り添ってきてくれたものとは」 (2004年 4月13日UP)


 去年の秋口から、こどもたちの通っている公立小学校のPTAの仕事(私は副会長)が、全く洒落にならない 忙しさだった。大阪出身のわりにギャグが滑る校長先生から、「出勤簿つくろか」、「タイムカード押したか」と きかれる始末。

 これまで就職せずに好きな仕事をして、好きな人たちとしかつきあって来なかった私にとっては、まさしく初めての 「おつとめ」の日々で、学んだものは非常 に大きかった。それだけに辛いことや悲しいことも数々あって、ちょっとでも 気を抜くと顔もやつれてしまいそう・・・。しかし、ここでいたずらにやつれては化粧道楽の名折れとばかりに、毎朝 学校へ行く前には、基礎から丁寧にケアをして、下地もきちんとつけて、ファウンデーションも怠りなく、お気に入りの 色物を日替わりでぴっ ちりつけて、よし行くわよ、と鏡のなかの自分に向かってにっこり笑っていたものだ。

 その甲斐あって、仲間からは「Yさん(本名)ちっともこたえていないみたいねえ。さすがねえ。なんのストレスも ないみたいねえ」と称賛の嵐。気をよくしていたのも束の間、秋も深くなる頃には、例のリップブラシのおかげで口角も きりりと上がった私より、なすすべもなくどどーっとやつれていく相 棒のほうが心配されて同情されているではないか。

 これは失敗だったのだろうか。

 やつれてない←疲れてない←仕事してない←無責任

 プライドの持ちすぎが仇となって、誠実さも疑われる、こともなきにしもあらず。やつれるべきときにはやつれ なければいけないものか、と思ったりもした。

 しかし。私はあくまでも抵抗した。やつれた自分を憐れむより、へこたれない自分をねぎらうのだ、と。夜のクレンジングと 洗顔の過程にも力を入れるようになった。摩擦には弱いので、クレンジングクリームをたっぷり取って、ていねいに、 ていねいに、優し く、優しく。洗顔料も液体で穏やかな作用のものを使って、よくよくゆすぐ。「垢抜ける」という言葉は 文字通りのものなのかも知れない。三か月続けると顔立ちまですっきりしてきたように(自分には)思えた。お風呂で デコルテまでクレンジングをしたので、フェイスラインの外から首までが白くなったのもうれしかった。

 気分転換のための娯楽、という意味でも、化粧情報の収集はほんとうに楽しいものである。インターネットはもちろん、 じっくり検討できる美容雑誌はまさし く心の友となった。ただ、道楽も1年半以上続けてみると、ただ新しいものを追い かける時節を過ぎて(新色と出会うのはとても楽しいけれど)、自分にとって必要なものが、自然と寄り添ってきて くれるような気がしてきた。

 たとえば、洗顔後すぐにつける乳液。いわゆる「乳液先行」は、贅沢な気分を与えてくれる。お風呂から出たら、 パジャマを着るより先にまず乳液。これで肌は乾かないぞ、という安心感も大きい。もう一つは、化粧の仕上げに使う ピンクのフェイスパウダーだ。これにはエピソードもある。

 学校ストレスがたまりにたまった日、私は友人を誘って新宿のデパートへいった。乳液の新しいのを買ってご満悦で 喫茶店でコーヒーを飲んでいたその時、携帯にメールが入った。PTA関係の、非常にややこしい、はっきりいって 相当に腹立たしいメールだった。コーヒーカップを持つ手が震え、私は友人にいった。「もう一個、なんか買わないと 帰れない...」

 それでコスメティック売り場にまた戻り、「呼ばれた」ように立ち止まったのが、このフェイスパウダーの前だったのだ。 美容部員さんが顔の左半分に大きなブラシではいてくれた。友人も私も「おお」と叫んだ。右と左で全く違う。左は ふんわりと夢のなかにいるように柔らかく 見えた。私はうっとりとつぶやいた。「ティンカーベルの粉だ・・・」

 即刻買い上げて帰りの電車で友人が言った。「容器の裏側に、寄贈者の名前を金文字で彫っておけば」 くだんのメールの差出し人の名前を、という意味だ。友人も冗談がきつい。ともあれ、このパウダーには毎日魔法を かけてもらっている。空は飛ばないまでも、学校へ向かう自転車のペダルがいくぶん軽くなる。

 三つめはやはり口紅。クリームタイプでパールの入っていないものが自分らしいと思うようになった。血色の色、 が理想だが、春らしさも欲しいので、いまは 優しいピンクベージュにしている。少し赤みのあるライナーで軽く縁取り、 透明のグロスまでつけると立体感が出て、我ながら化粧技術が進歩したなあと自己満足。

 目下のところ、私の化粧生活はこの三点に支えられている。PTAの仕事はまだまだ終わりそうにないが、今後も 「やつれず、かすれず、つやつやと」をスローガンに、綺麗でいこうと思う。

 ・・・続く・・・



「我如何にして化粧道楽となりしか」 

chapter 4(2) 「香とはにじみ出す自己か」 (2003年 8月12日UP)


 さらに長い間の後に、彼女はまた1枚を私にくれて、尋ねた。「これはいかがでしょう」

 私はいずまいを正してそれを嗅いだ。彼女の態度のかすかな変化が私にそうさせたのだ。花の香り。たくさんの花。 蜂蜜のような、ナッツのような甘さも感じられる。暖かさのいっぽうに透明感がある。私とは違うように思うけれども 全くかけ離 れたものでもないような気もする。自信はないけれど。

 なんと返事しようかと迷って「いい香りですね」などと間の抜けたことをいうと、彼女はにっこり微笑んだ。「私はこれも お似合いになると思います」 私は技を決められたような気持ちでなにかぽーっとしてしまった。

 トーナメントの過程で、彼女には私がハーブ園を頂点に持ってくるだろうことは読めていたようなのだ。選びかた だけではなくて、おそらくは服や持ち物の 趣味とかメイクの色合い、話しかたやしぐさまで、総合的にとらえて、たぶん ここに来るだろうと判断し、それに対して自分の感じた私のイメージに合った香 りを「ぶつけて」来たのだ。そうに違い ないと思った。

 それは、私自身がハーブ園趣味のいっぽうで密かに自分のなかで暖めていた「こんな私もあり得るかも知れない」 という憧れのヴァージョンを彼女が感知し てくれた、とも受け取れた。つまり、彼女は私の表層を観察しながらその一層 奥にある私のありようを見抜いたのではないだろうか。彼女に「超」能力があるとかいかぶったわけではない。香りという 目には見えないものを媒体にする専門技術を培った人にはそういう「正」能力が備わるよ うに思うのだ。私自身、十代の 頃から毎日毎日文章を書いてきたおかげで、人にもらった手紙から、文面に関係なく、元気のあるなしを読み取れるように なったものだ。表 層を突き抜けることは、専門をもってすればそれほど難しくはない。

 それで話は現場に戻って、彼女はハーブ園と憧れヴァージョンの名前を明かした。それぞれの来歴やエピソードも話して くれた。私はそれを聞きながら、2枚のムエットをかわるがわる嗅いで、迷った。

 ハーブ園を着けていったなら、誰からも「らしい」といわれるだろう。自分としても毎分毎秒自分らしさを確認できてきっと 安心できるだろう。しかし憧れを着けてみないでこのまま生きていくのはとても残念な気がする。彼女はこともなげに「両方 お持ちになって、普段とお出かけのときと使い分けられたらいいですね」というが、パルファン一瓶の値段が私にはそれを 許さな いのだ。

 部屋を出て友人と交代し、カウンターに戻ってからも考えに考えた。友人が私より短い時間ですっきり決めて帰って きたとき、私も決心した。普段もお出かけのときと同じにしよう。これまでの自分らしさではなく、内面に息づいていた憧れを とったのだ。

 この春まで、この香りを、やや遠慮がちに着けてきた。私がこどもの立場だったら、母親が似合わない香りを着けていたら 嫌だろうなと思うので、こどもた ちの反応がいちばん気になったのだが、これは全く問題がなかった。二人とも好きな 匂いだという。夫には恥ずかしい気がしてはっきりきいていない。感覚派で変なときには変だという人だから「便りのないのが いい便り」と解釈している。

 それにつけても、香水自体の質のよさというものが日を追うにつれ感じられてきた。そのものに「格」があるということが いかに大事かが、形のないものだ けによくわかる。化粧には「雰囲気」もあるが大きな要素は色でありラインであり、つまりは 目に見える。それに対して香水は時間とともに立ち上って消えていく。ただし、 嗅覚に記憶を残す。

 これはとらえようによっては映像の記憶よりずっと濃密だ。書き換えもたぶん効かない。願わくは香りの品格に私自身の イメージが引きずられますように。 化粧よりもはるかにいけしゃあしゃあな欺瞞ではあるけれど。そしてさらに思うのは、自らの 内面を映す香りをまとってこの空間に存在するということは、自己を見かけの体の輪郭を超えて辺りににじみ出させようとい う 企てなのではないかということだ。さすが形而上好きなフランスの文化の一つだと思う。

 ・・・続く・・・



「我如何にして化粧道楽となりしか」 

chapter 4(1) 「香とはにじみ出す自己か」 (2003年 8月 6日UP)


 化粧についてすら俄似非マニアなのに、香水にまで手を出すとは、我ながらミューズの神をも畏れぬ 大胆なふるまいである、とは知りながら、すでに昨秋、 私はその世界に足を踏み入れていたのだった。

 フランスの老舗香水メーカーの中心的店舗に、香水のコンサルタントがいて、面接してその人にぴったりの 香水を選んでくれる、という話は、2年以上前 に、女性誌のコスメティック担当者でもあった私の書評担当者 から聞いていた。香りは、好みだけでは真に自分にふさわしいものは選べないだろうと直感していた私には ビビッと来る情報だったが、まだ私自身全体としては幼稚園ママ時 代というアンシャン・レジームにあった ために、すぐさま予約してコンサルティングを受けようという行動には至らなかった。

 勢いがついたのはやはり昨秋のメイクアップアーティストとの邂逅以後である。失われた10年を取り戻し、 さらに優雅に進化を遂げるためには香りが不可欠、それもオー・デ・コロンだのオー・ド・トワレだの体よく薄め られたものではなく、どしっと濃厚な、女性性のかったまりともいえるようなパルファンで なければならない、 と思ったのだ。

 コンサルティング当日、私はメイクアップのときと同じ友人といっしょにいった。まず私が、カウンターの奥の 小部屋に通された。コンサルタントは、外国と日本をゆききして仕事をしている女性によく見られるスポーティさに、 理科系女子らしい明快さとフェミニンさ(文科系女子から 見ると、理科系女子はどこかが決定的に女らしい。 文科系女子はその反対。どこかが決定的に女らしくない)を加えた、いかにも「できるな」という感じの人 だった。

 私と彼女の間にある机の上には、この会社の香水が、すべて同じ形の金色のボトルで並べられている。 ボトルのデザインや香水の色合いに惑わされないよう にという配慮だろう。

 「いまからトーナメント方式でお香りを選んでいただきます」 彼女は宣言し、私に2枚のムエット(香水を吹き 付けた細長い試験紙)を差し出した。「頭でお考えにならないで、直感で、どちらがお好きかをおっしゃってください」

 そうよね、私としては「直感」しかないわね、と思って2枚をさっと嗅ぎ(香道のように「聞き」といいたいところだが)、 片方を先に彼女に返した。甘い 匂いと爽やかな匂い、というようないわばおおまかな違いだったので、迷わず 爽やかなほうを選んだのだ。それをあと3回繰り返した。オリエンタルなもの、むせる感じがするもの、なぜか わからないが私にはほとんど匂いが感じられないものと比べて、いつも最 初に選んだ爽やかな香りが勝っていた。

 しかし、この香りは決定打でないこともわかっていた。なぜなら、私と、いっしょにいった友人とが、他の カウンターで新製品などを嗅ぐときに「瓜」と呼 んでいる緑っぽい匂いが含まれていたからだ。私も友人も、 この手のグリーンノートは苦手なのだ。とはいえ、ここまでの結果は、私にとっては、「瓜」のマイナス点よりも、 色合いの濃すぎる花束のような匂いやおばあさんの扇子のような匂いや舞台女優 の化粧前のような匂いを 好まない度合いのほうが大きいということを示していたわけだ。

「それではこれとこれではいかがですか」

 コンサルタントはそれまでより少し長い間を置いて、瓜を含む勝ち上がりのムエットと新しいムエットを出してきた。 新しいほうに思わず目がぱちっとした。グリーンだけど瓜ではない、私の好きなハーブの匂いだった。瓜を嗅ぐ までもなく、「こっちです」と返す。

 ここで決まりでも、私は満足していただろう。喜んでハーブ園の香りを持って帰っただろう。コンサルタントの 手腕を尊敬もしたはずだ。実際は、これは終わりではなかった。ここからが、コンサルティングのコンサル ティングたる由縁、彼女の腕のほんとうの見せ所だったのだ。

 ・・・続く・・・



「我如何にして化粧道楽となりしか」 chapter 3 「化粧は人なり」   (2003年 6月 3日UP)


 私は極端に外面のいい人間である。

 幼稚園のころのこと、私は外でよそのおばさんに最中をもらった。当時はあんこものは嫌いだったのだが、おばさん にはにっこり、と笑って「ありがとう」をいい、家に帰ってその最中を戸口から中にいる母に向かって「ほらよっ」といって 投げたという。そのときのことは自分でも覚えている。おばさんにはちゃんと挨拶をしたからそれでいいと思っていたし、 母には「ほらよ」で通じるからじゅうぶんだと思っていたのだ。

 いまも外では感じのいい人で(たぶん)通っているが、家では「あれは女じゃないね、命を削るカンナだね」という落語の くすぐりの通りの存在である。家族、とくに夫は機会あらば外の人に実情を訴えたいらしく、ときどき暴露しているが、 外の人は「まさか」と笑って信じない。

 そのくらい筋金の通った「外面のよさ」なのだ。

 化粧道楽においても、私はその外面でもって美容部員さんたちとすぐに仲良くなることができる。

 彼女たちとの会話のなかには、もちろん「セールス・トーク」も含まれるわけだが、すべてがそれではないはずだ。私に 何かを売るためには私という人間について知らなければならないし、私のほうもその人から何かを買うためにはその人に ついて知り、私を知ってもらわなければならない。

 そのへんの交流をいかにスピーディに、いかにフレンドリィに、ユーモアをもって楽しくできるかが私の腕の見せどころ なのだ。なんでそこで「腕」を見せなければならないのか、ときかれたら、外面に一生を賭けた女の意地、といっておこうか。

  いま足繁く通っている化粧品のお店は二つ。基礎を買うほうでも色物を買うほうでも、店長さんや美容部員さんとは、 お店に入るなり(至近距離なのに)手を振り合うような親しさである。私がそこで何も買っていなければ誰も手は振って くれないと思うけれども、何か買ったから手を振ってくれているわけでもないと思う。

 そこに商取り引きがあるからこそ、私は彼女たちとフレンドリィな間柄でいたい。馴れ馴れしくするということではなくて、 彼女たちが「様」までつけて呼んでくれるほどていねいに接してくれるのに対して、こちらも礼儀を返しつつ、いつも楽しい 雰囲気を交換していたい、ということだ。

 そこには一つだけ下心もある。売り上げのためだけでなく、ほんとうに私に合うものを選んで薦めてもらいたいのだ。 お店の商品は私から見れば「無限」だけれど、私が化粧品に使えるお金は道楽とはいえ「有限」である。そのなかで私に 合っているという意味で最も良質のものを買ってくるために、私は美容部員さんたちから最大の助力を引き出そうと 狙っている。これが下心であり、本心であるといってもいいのかも知れない。

 幸運なことに、私がいま知っている美容部員さんたちは、みんな誠実な人たちばかりだ。それが新製品だから、新色 だからというだけで薦めてくれたりはしない。それは彼女たちが自分の会社の製品をよく知りよく愛しているからだと思う。

 そういう人たちとよく巡りあえたなあと私はしみじみ喜んでいるのだが、それも変ないいかただが「50%は自分のおかげ」 ともひそかに思っている。 私がこれまで、あちらこちらの化粧品店やカウンターで外面を発揮してその都度美容部員さん たちと楽しくコミュニケーションを重ねてきた結果、ついに行き当たった「ほんとうに親しくなれる人たち」という気がするのだ。

 誠実な彼女たちのところにたどり着いた私も、この点ではかなりの「努力の人」だったわけよ、と自分を褒めているところだ。

 綺麗になるために化粧品を買うのだから、選ぶときから優雅な笑顔で心から楽しく。それは美容部員さんたちのプロとしての 知識と判断力を尊重することに始まると思う。あとは自分の心を開くこと。化粧品は「物」だけれど、それを作るのも売るのも買う のも「人」である。人同士、心が通じてこそ化粧品は人に効果をもたらすのではないだろうか。

 私たちが化粧品と出会うのは一般的にはお店だ。そこで美容部員さんという「人」と心を通わせると、化粧品のなかに仕込まれて いるmagicのスイッチがonになる、なんて信じてみるのもわるくない。

   こうして私の「外面」は、適切な化粧品を得て、自前の笑顔よりさらにさらに感じのよいものにグレードアップされるのであった。
(ほほほ)

 ・・・続く・・・



「我如何にして化粧道楽となりしか」 chapter 2 「下地とブラシ」   (2003年 4月29日UP)


 こうして基礎化粧品は、国内メーカーに落ち着くことができたのだが、メイクアップの色に関しては、どうしても 外資系に惹かれる。メイクアップ用品を「画材」として見たとき、外資系は油絵具で国内メーカーのはパステルという 気がする。外資系の色には透明感があって「前へ出てくる」のに対し、国内メーカーの色は柔らかく「内側へ入っていく」。

 私自身にはどちらが向いているのかはわからない。日本人だし、周りの風土も日本だし、そこで生まれた色彩で 装うのほうがバランスが取れるのではないかと思うが、好みはやはり外国の色なのだ。

 画家の友人がいる。10代の頃は油絵をよく描いていたが、20代で北陸に移り住んでからはパステル画に転じた。 日本の風景を描くには油絵具ははっきりしすぎるというのだ。風景には気候と空気とくに湿度も含まれているから、 東京よりしっとりとした北陸にはなおのことパステルが合っているのだろう。

   彼の言葉を思い出しては、日本のメイクアップ用品を見直してみるのだが、映画や服や食器と同じように メイクアップも外国物のほうにときめくのであった。

 それで、半年前に本格的に道楽を始めてからは、前回も書いたようにピンクに開眼させられ、肌の黄色みとつなぐために ゴールドの入ったピンクを、アイシャドウも口紅も頬紅も一通り集めてしまった。

 いっときは「もう買うものがない」と豪語するほどであったが、それは素人の赤坂見附であった(註:「そこがシロトの赤坂見附」と 母が麻雀しながらよくいっていた。意味はわからない)。

 重要なものをまだ買っていなかったのだ。それは「下地」である。ファウンデーションの下地ではなく、アイシャドウと口紅の下地。

   ここでまた悩みが生じた。これらの下地を、ファウンデーションの延長と見るか、色物の準備段階と見るか、である。ファウン デーションの延長なら基礎からファウンデーションまでを使っている国内メーカーのものがよいだろうし、色物の準備段階なら アイシャドウや口紅とメーカーを揃えるのがよいだろう。

 三日ほど考えて、「色をきれいに出すための製品だから色物に合わせる」という結論に至った。これで正しいのかどうかは またわからないが、とにかく自分が納得したのでカウンターに走った。口紅そのもの、アイシャドウそのものより高いことに 衝撃を受けながらも勇気を奮い起こして購入。

 ブランドマークの輝く小さい紙袋を下げてカウンターを後にすると、三歩先にメイクアップブラシの出展があった。 かなりのスペースが、プロフェッショナルな香気を発するブラシで埋め尽くされている。

 一目で「これはだめだ」と思ってしまった。もちろん、ブラシのことではない、自分が、である。目を輝かせて見入っていると、 足音も立てず、という感じに近づいてきた男性があった。文楽の人形遣いを現代的にしたような、静かで端正な青年だった。

 あとできいたら社長の次男とか。道理で芯までブラシの知識がしみているような、つまりその芯からおのずと知識がしみ 出してくるような、行き届いて愛情のこもった語り口だったわけだ。外国物にも弱いが職人気質にはもっと弱い私。辺りの ブラシを端から次々わしづかみにしそうになる右手を左手で抑えるのに七転八倒しながら、彼の話を見た目穏やかに聞いていた。

 さらに、喉から出る手とも格闘して、涙をペットボトル1本分も飲んでから、イタチ毛100%の携帯用のリップブラシを1本だけ買った。

 翌日、ファウンデーションまでていねいにつけた後、アイシャドウの下地をまぶたに伸ばした、アイシャドウは淡い ピンクゴールドを軽く。

 おお、この澄んだ発色。私が求めていた色はこれだったのだ。

 感激した。

 口紅の下地もつけて、くだんのリップブラシ(あらかじめホホバオイルで柔らげておいた)にたっぷりと愛用のシアーなピンクを 含ませ、細い筆先をいきなり口角へ。

 おお、この繊細な書き味。線は細いが腰のつよさに支えられてけっしてぶれない。ふくよかなプリマドンナの美しいピアニシモの ようだ。下地の仕事もすばらしい。口紅の透明感がずっと増しているではないか。
 造作は飛ばして、私はこの日自分のメイクアップの出来映えに生涯最高の満足を得ていた。

   私がメイクアップに求めているのは、澄んだ感じ、透明感、繊細さ、品格である。と偉そうにいえるのも、下地とリップブラシが それを教えてくれたからだ。

 宝物はまだまだ増え続ける。

 ・・・続く・・・



「我如何にして化粧道楽となりしか」 chapter 1 「序章」   (2003年 3月25日UP)


 私はもともと無添加好きであった。

 20年前、まだ実家にいたころ、当時はしりの「無添加化粧品」を買い始めた。母は「高い」といった。私はむっとして 「じゃあたしだけ使うからいいわ」と答えた。

 4年ほどして結婚し、メイクアップは外資系に切り替えた。口紅1本5000円、アイシャドウ1セット10000円の時代。 デパートの売り場でそれらを購入するのは一大イヴェントだった。

 ほどなくエッセイストとしてデビューし、印税と原稿料はDCブランドのIと化粧品のC、それからティールームのBでの お茶に惜し気なくつぎこんだ。

 さらに4年が経ち、長男を出産。母乳で育てなければと思い込み、一転して自然食のストイック生活に陥る。 顔を洗うのは純石鹸、その後のケアはへちま水、たまにつける口紅は紅花100%でなければならなかった。私の いわゆる「失われた10年」の始まりである。

 長男が幼稚園に入る1か月前には長女も生まれ、もう自分の外見など構っている余裕は全くなくなった。 しかし、さすがにストイック育児にも疲れてきた。スキンケアも少しだけポピュラーに戻ったものの、インターネットに 接続を始めたために、マイナー製品探索という新しい趣味ができてしまう。

 もともとの無添加指向に、自然食時代に培ったケミカル製品への嫌悪、化粧品の力ではなく肌自らが潤わなければ ならないという理想主義的な「思想」が加わり、たとえば「オールインワン」的なジェル製品やかなりマユツバ的な トンデモ系製品へと私を駆り立て、「失われた日々」をさらに長びかせることになった。

 が、出口のないトンネルはない。晴れない雲もなく、終わらない冬もない。

 昨春、長女が幼稚園を卒業、都合6年間に及んだ幼稚園の送り迎えが終わった。これは私にとって大きな転機となった。 こどもたち二人ともが学校にいく。朝7時半に夫と3人が出かければ、長い日には午後3時まで一人でいられるように なったのだ。朝10時からの映画を観て、ランチを食べ、デパートをめぐってもおつりが来るではないか。夢のようだった。

 おりしも親友が一時職を離れたので、二人で毎日のように遊びはじめた。

 そして10月。運命の日が訪れた。

 私と親友は、ある外資系化粧品メーカーのカウンターにメイクアップ・アドヴァイスの予約を入れた。 メイクアップ・アーティストに、秋の新色のなかから自分に似合う色を選んでもらえたらいいな、くらいのかるい 気持ちで。

 はたしてそのアーティストは、職人気質といえば職人気質な、骨っぽい男らしい人物だった。そういう人は私は 好きだから問題はないはずだったが、私の肌には問題が大ありだったのだ。彼は、メイク前の私の顔のそこここに 触れ「育児のあいだに浴びた紫外線の害が蓄積しています」と告知した。「紫外線の害が蓄積」。自分に関することで、 これほど恐ろしい言葉を聞いたことはそれまでになかった。

 幼稚園に母親として6年間通うということは、遠足が春と秋の年に2回ずつで12回、運動会は6回、外での作業も 多いバザーにも6回参加するということだ。そして、徒歩での送り迎えは毎日、園庭で待っている時間も入れると日に 1時間、お休みが年に半分あるとして1095時間。うちのこどもたちは寄り道が多かったから、実質はその2倍の2190時間、 戸外にいたかも知れない。

 それだけの間、私はほとんどかるいパウダーメイクしかしていなかった。帽子や日傘やサングラスでも防備したにせよ、 刻々と「紫外線の害が蓄積」していったのだ。

 ああ。悔やんでも悔やみきれなかった。肌の肌理は細かく色も白いほうで、こどもの頃からソバカスがあり、産後には しみができてしまった、ということくらいしか、自分では認識していなかったのに、じっさいには、私の肌にはとてつもなく 「紫外線の害が蓄積」していたのだ。

 アーティストは「スキンケアはブランドを揃えて、毎日同じことをきちんとする」ようにとすすめてくれた。たまに注ぎ込む 高価な美容液より、日々たゆまぬ努力が大事、ということだと。メイクのほうでは、私がそれまで敬遠していたピュアな ピンクをあえて選び、藤色でつなぐというプロらしい技を見せてくれた。眉も上品なチャコールグレイでとても気に入った。

 が、うっとりとしてはいられない。私の現実は「紫外線の害が蓄積」なのだ。席を移って、美容部員さんのすすめに従い、 まずはクレンジングクリームと保湿のローションから始めることにした。あとは自らを慰めるように、リキッドファウン デーションとピンクの頬紅と口紅、藤色のリップライナーも買った。

(ちなみに親友は、私の後で彼の前に座り、さらに驚愕の指摘を受けてとことん落ち込んだ。そしてファウンデーション だけでなく、乳液と美容液も揃えることになる)

 ところが、皮肉なことに私の肌にはこのクレンジングクリームが合わなかった。ひりひりして赤くなり、ところどころが すりむけたようになった。ここから、私の、それまでの無添加自然派マイナー時代とは比べものにならないほど熱心で 徹底的な基礎化粧品探索が始まったのだ。

 まずはやはりインターネットでの検索。夫には「いつ見てもコンピュータの前にいるね」と呆れられた。検索の結果、 よいと思ったものは自分の原稿料収入のゆるすかぎり取り寄せて試してみた。それは主に外国製品だった。 国内メーカーでもよかったのだが、検索しているとつい輸入代行業者のサイトにひかれてしまうのだった。

 クリスマスには、夫にアメリカのドクターズ・コスメのクリームをねだった。オリーヴ・オイル主体の柔らかなもので、 初めてつけたときには、まるで高原の風に吹かれたような爽やかさを感じた。このドクターのためならば、どんなことを してでも購入資金を稼ごう、と決意すらしたものだ。

 他の製品もラインで揃えていくつもりだったが、いかんせん単価が高い。そのうちにドクターの理論への反論などが 目に入るようになった。クリーム自体はいまでもわるくないと思っているが、高い税金や送料を支払ってまで、批判も 多い製品を買い続けるのはためらわれた。

 ドクターをあきらめて、薬局系の刺激の少ないものを使うようにしようか、それとも日本のチャレンジングな メーカーの「ネットでも評判」なものに切り替えてみるか。2週間くらい悩みに悩んだ。

 そして2月の忘れもしない20日の夜、私は、まるでそのとき目覚めたように、はっと気がついたのだ。「自分」が自分に とってベストなものを必ず探し出せるはず、というのは思い上がりではないだろうか、と。

 あるメーカー、あるブランド、つまり「自分」以外の誰かを信じることは、私にはできないのだろうか、と。

 その少し前、私はもう一人の親友とデパートの化粧品売り場で待ち合わせた。ちょうどの時間に彼女から携帯電話が かかってきて、「いまカウンターでメイクしてもらってる」というのだった。彼女は、およそ浮気というものをせずに、一つの ブランドを使いつづけている。時間があるときにはそのカウンターにいって、担当の美容部員さんと冗談をいいあいながら メイクしてもらったり、マニキュアを試したりしているようだった。それは彼女にとっての「遊び」の時間なのだ。

 私は彼女の隣に座り、二人のやりとりを見ていた。こういう信頼関係はいいものだなと思った。これが伏線だった のかも知れない。

 自分に問いかけたとき、聴こえてきた名前があった。この数年、いつもどこか心の隅にあって、ときに売り場を通り かかると肘の辺りをつつっと引かれる思いがしていたメーカーの名前だった。

 あくる朝、私は迷わず、かねて見覚えていたそのメーカーの販売店を訪れた。以来4週間。私は信じることの心地良さに ひたっている。「自分」を委ねると、こんなに軽やかになれるのか。もうこれは「化粧品」を越えて、私の人生の上での一つの 大きな学習である。

 肌の調子がよくなることなんて二の次でいい、とはいわないけれど、肌の調子に一喜一憂する前に私がしておくべき ことはこれだったのだ。
< to place trust in someone >

 それにつけても10月のあのメイクアップ・アーティストには感謝している。彼があそこでシビアなことをいってくれなければ、 いまも私は「失われた」ままだったに違いない。カラリストによるカラー判定以来12年間も「イエローベースでオータム」の 私がピンクをつけると肌色が悪く見える、と疑わなかった固い頭もほぐしてくれた。彼のすすめてくれた色を中心に アイシャドウや口紅を選ぶようになって、自分に対する印象も変わってきた。意外と女っぽいところもあるのかも、とか。

 それにピンクで装っていると、自分に優しくするのもわるくないっていう気分になれるのだ。

 ついに「化粧道楽」は、私において本格化した、ということか。

 ・・・続く・・・



<プロフィール>

羽生さくる

1959年東京・品川生まれのエッセイスト。10代から新聞社系週刊誌でエディター/ライターの修業を始め、 88年にOLの現実を描いた『部長さんがサンタクロース』(はまの出版)でデビューする。いまや一般名詞 となっている感のある「お局さま」という言葉は、このとき取材に応じてくれた友人のひとことから生まれた。 以後著書は育児に関する『私のままでママになる』(大和出版)までで8冊。現在は株式会社オレンジページの 『BeneBene』にビデオ紹介のページ「ハッピーエンドが好き!」を連載中。

ペンネームは「忍冬(スイカズラ)」の英名honeysuckleから。

メールアドレス ( heavenly@triton.ocn.ne.jp )

日記ページ「忍冬唐草」 (http://193.to/d/?i1031)

BBS「SUCKLEBUCKS」 (http://6107.teacup.com/honeysuckle/bbs)




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