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「 ょよ日記 (生活習慣美容の体感日記) 」
文 : 岡部 美代治


 ( 最新更新日 2010年 3月30日 )


2、勘を考える

2−6、 「勘を鍛える:駄洒落トレーニング」   (2010年 3月30日)


 勘というのはある意味でアイデアを発想する時と似ている感じがします。無意識のような中で突然の ヒラメキは、これはいけるという勘が働く時と一致した時、意外と良いアイデアとなる体験をしています。 だからアイデア発想の技法も勘を鍛えるのに役立つのではないかと睨んでいます。 先日、ある化粧品 専門紙での連載で駄洒落によるアイデア発想法について書きました。この半年くらい温めて、幾つかの セミナーで話して反響をみて、一気に原稿に仕上げました。そして読み返すと、たんなるアイデア発想 だけではなく、勘を鍛えることにつながることに気づきました。駄洒落は本当に駄のつく洒落で、あまり 頻発すると人格評価にも悪い影響を与えそうです。しかし、違うのです。駄洒落はやはり潤滑油で、他人に 多少煙たがれても、或いは軽蔑されても、タイミングさえ合っていれば良いものです。ここが肝心なの ですが、やはりこのタイミングをみることもたくさんの駄洒落体験があればこそです。そして、駄洒落を 思いつくことも、出すタイミングを計ることもたくさんの体験から勘として鍛えられるのです。だから、私は 駄洒落を奨めます。くだらなくて結構、くだらないものをたくさん出すことがスタートであると考えて いるのです。

 駄洒落は言葉遊びです。何の脈絡もない、意外な言葉や意味の連結が面白くて新しい意味性をつけ 足してくれます。常識で考えたら面白くないものが、非常識で結びつくことで、その効果が生まれます。 勘というのも、そのように非常識と思われることを生みだす思考回路ではないかと思います。そういえば、 勘は考えるものではなく、ひらめくものです。理由は後付でつけられたり、あるいは全く理由なしの場合も あります。そして、そのほとんどが「よ」がある時に、良いヒラメキとして勘じるのです。






「 これまでのテキストを章立てで見やすくまとめました 」


1、「ょよ」を感じる

1−1、 「ょよの書き初め(予感)」   (2008年 1月 8日)


 今年から始める新連載は生活習慣美容の理解を深め、広めるために、私が体感している生活習慣美容の 実際を取り上げてみます。もちろん始めてからまだ2年余りですので、経験不足であるのはやむおえませんが、 これを考え実践し続けることで、自然と充実してくるものと思っています。

 という訳ですが、まずはタイトルの「ょよ日記」の意味ですが、小さな「ょ」 を大きな「よ」に変えることが生活習慣美容の実践そのものであるという 考えから付けました。文字どおり「ょよ」って読んで下さいね。なぜ「ょよ」 が生活習慣美容の実践そのものであるのかは、日記にしばらく付き合っていただけると、自然に 解ってもらえると期待しています。

 と、まあこんな書き始めですが、書き続けているうちに自然とスタイルが出来上がると予感がする訳です。 さあ出ました大きい「よ」、つまり「予」ですね。言葉遊びのようですが、そうなんです。ただ、「予」が小さいより 、大きければ大きいほど期待が出来ますし、自然に自信みたいなものが湧いてきます。同じ予感なら、良い方向の 予感の方が良いですよね。昔からあるポジティブ・シンキング、つまりプラス思考ですが、それは多くの生き方 指南書のベースになっています。これほど当たり前のことですが、意外と難しいものです。しかしプラス思考に よる良い体験を重ねれば重ねるほど出来るようになります。生活習慣の中で大きい予感を、強い予感を湧き 上がらせて、そしてそれが実現する体験を重ねていきましょう。これが全ての「美容」のベースになりますので、 生活の中で習慣のようにしてしまうことです。



1−2、 「余裕から生まれるヒラメキの源泉」   (2008年 1月21日)


 何故か私は「ゆとり教育」の見直しに危機感を感じます。そもそもゆとりとは余裕を活かすことでは ないのかと言いたくなります。「ゆとり教育」の「ゆとり」について本当に充分考えられたのでしょうか? 大いに 疑問を感じています。丁度二人の娘が「ゆとり教育」を通して育ってきましたが、私はそれで良かったと思い ます。もちろん学校の教育の内容には文句を言いたくなる部分もありますが、私自身にも問題があると思って いますので、これからやるべきことも多いと思っています。でも、教育の基本部分は良かったと思っています。 後はそれをどう伸ばすか、発展させるかでしょう。

 さて、「よ」の余裕について話してみたのですが、ヒラメキの源泉は余裕がある時に覚えたことや、考えたことが 積もり積もって取り出しやすいように記憶されているものがプールされていることではないかと思っています。 それは私自身の数々のヒラメキ体験からそう思うようになりました。昔の話になりますが、学校教育で一番 ヒラメキに使われるものは、案外、先生の脱線話であったり、ちょっと違う角度からみた例え話だったように 思います。教科書に書かれていないことを意外と覚えていたりします。もちろん、後からそれが間違っていた 情報と気付き、訂正される内容も多いのですが、それはたいした問題ではありません。情報はいつも更新されて こそ最新のものことに対応出来るのですから。そう、更新するのも余裕がないと出来ませんね。

 どうしてでしょう、余裕がある時に覚えたことや考えたことが意外とヒラメキに使われるのは。正しいかどうかは 解りませんが、余裕がある時に行っているから、案外、どのようなキーワードでもつながるように、広い関連性を 持つように記憶の浅い所に置いてあるのでしょうか。いずれにしても、真剣になればなるほどヒラメキは出てきません。 だから常に「ょ」を「よ」にして大きな「余裕」を持てるように、それはそれで努力をしています。何歳になっても、いや、 年齢と友に「余裕」が大きくなっている気がしますし、それで嬉しく思っているのです。



1−3、 「本という印刷物」   (2008年 2月 5日)


 本を読まなくなった現代人と言われていますが、それは昔に比べての話です。今は情報を伝える手段が 格段に増えたので、利用するメディアが分散しただけと思っています。その中で、やはり新聞、雑誌、そして 本は、安定した情報発信メディアであることには間違いないのです。安定したという意味は、容易には情報が 消せないメディアだということです。だから自分の意見を主張する時には、それがいつまでも残るようにと、印刷物 として発信をしたいと思うのではないでしょうか。

 さて、生活習慣美容研究会にとっても、今年は小さな「ょ」を大きな「よ」になるように活動をしようと目標を立てた 訳ですが、着々と各会員によって進められています。まず、健康外来サロン横倉クリニックの横倉恒雄さんが 1月22日に単行本を出版しました。題名は「メタボ体質は「脳疲労」が原因だった」(徳間書店、\1,365・税込)です。 大変読みやすく、脳疲労についてわかりやすく、そして解決方法も書かれています。一気に読めて、すぐ実践 できるガイドブックとしてお奨めします。

 それから横倉さんはさらに、1月31日にはフレグランスジャーナル社から出版されているエステティシャン向けの 専門誌「クレアボー」(季刊誌)にも生活習慣美容のことを記事として書かれました。54ページから58ページまで 「生活習慣美容の提案」という題で、なぜ生活習慣美容ということを思いついたのか、そしてなぜ美容にとって必要な ことなのかを要約して書かれています。また、健康外来サロン横倉クリニックのホームページにおいても、生活習慣美容研究会のページが開設されました。・・・という ように、年初から生活習慣美容は着実に広まって、小さな「ょ」が大きな「よ」、つまり「世」に変わりつつあるというわけ です。ぜひ、皆さんも大きな「よ」を提唱する生活習慣美容に着目して、触れてみてください。
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1−4、 「初セミナー開催」   (2008年 3月 4日)


 我が同士の横倉先生による口利きで朝日カルチャーセンター講座でのセミナーが開催されることと なりました。日時は5月24日と31日の2回コースです。それぞれ土曜日で午後3時30分〜5時となって います。場所は新宿住友ビル4階です。詳しくは朝日カルチャーセンターのHPを参考にしてください。という訳で、自然にこのような 流れとなり、さい先の良い年になりそうです。小さな「ょ」が大きな 「よ」として膨らんで来そうな予感(与勘)なのです。

 講座のタイトルは「五感を磨く 生活習慣美容のすすめ」です。このように今回は初めて聞く人にも解り 易いように入門編としました。とは言っても実践的な紹介もしますので、受講した人全員が何らかの生活 習慣の美的な変化が起こると良いなと思っています。そのような仕掛けも様々なアイデアを磨きつつ、 セミナーが開かれるまでに準備を重ねて行く予定です。少しでも興味がありましたら是非受講してみて ください。それから質問や提案はその場で大いに受けますので、遠慮なくしていただきたいと希望してい ます。

 主催者の気遣いで、私の肩書きビューティサイエンティストはまだイメージし難いということで、その前に 美容研究家とつけることにしました。講座の狙いは、美しくなるために化粧品を使い、エステなどの美容 施術を受けますが、それらの効果を発揮するためには健全なる心身があってこそです。健全なる心身を つくり、支えているのは生活習慣であることに着目して「生活習慣美容」という言葉を思いつきました。日々 の生活習慣の中で五感を磨くことで美容を効果的に受け入れる心身を作るための4つのキーワードに ついて解説をしていきます。その中から明日からでも始められる具体的な方法についても実習を交えな がら行います。と、パンフレットに書かれているように、講座のポイントは具体的な方法について実習を 交えて、実践的な内容を目指します。是非、お友達を誘って参加してみてください。



1−5、 「連載も始まる」   (2008年 3月18日)


 生活習慣美容という言葉と「ょ−>よ」の話は以前よりもっと頻繁に使っています。なにしろ今年は生活習慣美容の 普及の年ですから何かにつけて話し込んでいます。そして、ついに連載企画も始まります。最新号で横倉恒雄先生が 「生活習慣美容の提案」を書いた「クレアボー」という雑誌ですが、その雑誌に次の号から6回の予定で書きはじめます。 今回の連載では生活習慣美容のテキストを岡部風に解釈して、より具体的な提案にしたものを書く予定です。その 「クレアボー」の次の号は4月末の発売となります。最初の原稿は昨日17日の朝にメールで脱稿しました。つくづく 最近は原稿をメールで送れるので便利な世の中になったのだなあと感にふけりました。・・・おっと、世の中は「よ」だった ですね。さらに大きな「よ」、つまり世を目指しますね。

 今までの連載体験からすると、こんどの生活習慣美容の連載は、単行本のベースになりそうです。テキストは研究会の 仲間と一緒に作ったのですが、連載の内容はそれを私の生活や私が直接取材した内容を基にして書き上げていく 予定です。私の考えでは、テキストは基本の基本で、それを各自がいかに実生活で自分なりに消化していくのか、それが 自然な普及の様式ではないかということです。だから生活習慣美容研究会ではメンバーそれぞれの展開、解釈をこれからは 披露し合い、使えるものをお互いに交換し合い広めて行こうと思うのです。いずれにしても定期刊行物に連載を載せることが 出来る幸運さは、人と人のなすネットワークを感情という電流が流れることできっかけが生まれたことを改めて感じます。 そういう訳ですので、ぜひ連載の動向を見守って下さい。「クレアボー」は季刊誌なので、6回の連載で1年半の期間になります。

 なお「クレアボー」は大きな書店では取り扱ってある場合もありますが、出版元であるフレグランスジャーナル社に申し込めば郵送されますので便利です。この連載から始まる 生活習慣美容の更なる連鎖反応を楽しみたいと思いますので、応援の方、よろしくお願いいたしますね。



1−6、 「のなか春」   (2008年 3月25日)


 東京ではそろそろ桜が咲き始めました。そして周辺を見るといつの間にかたくさんの草花、樹木の花が 咲いていました。白、黄色、赤、ピンク、紫とカラフルに暖かくなる配色で咲き乱れています。春は開花の季節、 活動が始まる季節を象徴しているのが花爛漫の光景でしょう。それは「ょ」の人もきっと気付いているのでしょう。 ひょっとしたら小さな「ょ」の人が最も大きな「よ」を持つことが 出来る季節が春であることを告げているのではないでしょうか。

 花を見て心が和み、心が弾み、喜びがあふれてくるのは自然の反応です。しかし「ょ」が小さければ、ひょっと したらそんな余裕は無いのかも知れません。しかし、春の桜満開の木の下に来ればどうでしょう。上を見上げて 一面が桜色に広がっているのを見るだけで大きな「よ」が持てるのではないでしょうか。花見大会までは必要 ないと思いますが、桜の木は至る所に植えてあります。そして一斉に花開くと、今までにない明るく開ける光景に なります。たった一本の桜の木でも周囲の光景を大きく変えることも私達は知っています。どうでしょう、今年は 今まで気付かなかったような新しい桜の名所を探してみるのは。新しい発見はトキメキを強めるものです。常に 新しい発見をすることで、「よ」はどんどん大きく、そしてどんどん増えて行くように思えるのです。

 そんな訳で、今年も私は新しい桜の花の写真を撮りたく、ワクワクしています。どうしても、今日はそれを書きたく なる雰囲気なのです。今、1〜2分咲きでしょうか。さあ、今日も、明日も桜新光景を発見する喜びを求めて 外出します。



1−7、 「を忘れる時」   (2008年 4月21日)


 2008年4月21日は、私にとって第二の社会人生活の開始日になりました。そう、今まで35年勤務して きた会社を卒業し、そしてビューティサイエンティストとしてのライフワークに専念することにしました。58才と 10ヶ月の春です。

 という訳で、この数週間はやけにバタバタとしていたようです。というのも、何と、このホームページの更新を 忘れていたことに、今日、21日(月曜日)の朝に気がつきました。先週の日曜日の夜、いつものように15日 (火曜日)の朝に更新するとのメッセージを入れ、そのまま何もしないで一週間を通り過ぎてしまいました。 私本人は、会社卒業を前に、かなり余裕をもって手続きをしていたと思ったのに、何と足元にたくさんの積み 残した荷物が落ちていました。まあ過ぎ去ったこの一週間を振り返ってみたら、かなりの人々にご迷惑をおかけ したようです。時間は戻りませんので、これから、積み残した荷物整理をするなかで取り戻していく予定です。

 この「ょよ日記」をつける中で、自分の中に、心の中に、「よ」が大きくなっていると勝手に思う自分があったので しょう。恥ずかしい限りですが、これが「よ」の油断なのだと思いました。このように気付いたことが、またきっと、 少しは大きな「よ」に向かっていくのだと思うしかありません。これからも「よ」を失い「ょ」になってしまう時も あるのでしょう。でも、それも気付いたらまた「ょ」を「よ」に開き直ってすればよいのだと思って日記のペンを置く ことにします。



1−8、 「初の公開講座、楽しく終わる」   (2008年 6月 3日)


 5月24日と31日に開いた朝日カルチャースクールの公開講座が無事に、楽しく、参加者も私達も笑顔に 包まれて終わることができました。そして「快適」と「よ」が、それぞれ参加者の心に強く残ったように感じました。 本当に有り難いことです。

 今回は初めて生活習慣美容というものに接する人が対象で、講座のタイトルも「五感を磨く、生活習慣美容の すすめ」でした。これは大げさに言えば、世界初めての生活習慣美容講座となった訳で、おそらく、今回の受講者の 中から新たな生活習慣美容の推進者がでるような予感もいたします。それに私も大いなる刺激を受講者の皆さんから いただきました。この刺激については、一緒に参加してもらった研究会の同士である横倉先生も感じていました。 講座を主催するほうも受ける方も、共に刺激しあって、大いに「よ」、つまり「与」を感じ取ったのではないかと思い ました。受講者の数名の方々から今度の月例勉強会への参加申し込みもありました。今後の活動の広がりを 大いに期待したいものです。

 そして更にうれしいことに、朝日カルチャースクールの担当者から、今年の10月からのプログラムに第二回目の 生活習慣美容講座の依頼もありました。それも受講者のエネルギーのおかげだと感謝しています。ここに確実なる 生活習慣美容の広がりを感じることができました。まさに大きくなる「よ」に感謝です。 



1−9、 「朝日カルチャースクールの波」   (2008年 6月17日)


 5月に行った朝日カルチャースクールの公開講座が無事に終わり、その出席者から2名ほど6月の勉強会に 初参加していただけました。とってもうれしいことで、このような地道な広がりこそ、大事にしたいと思っています。

 また朝日カルチャースクールの事務局から正式に秋の講座の依頼がきました。継続出来るということほど 普及に効果的なことはありませんので、とっても良いチャンスだと思っています。しかも、余波がありまして、 私の「生活習慣美容のすすめ」と横倉先生の「脳疲労に克つ」の両方を講座に取り上げるということでした。 それぞれの専門領域を活かして多面的に普及させていくことができそうです。前回の講座の出席者の傾向から、 私の講座は平日の夕方からの方が出席希望者に都合良いのではないかということでOLの方や学生の方に 出席しやすくなります。更にレベルアップした講座にできるよう、これから講義内容と演出を考えていく予定です。 

 それから、生活習慣美容のシンポジウムの今年度分、つまり第3回生活習慣美容シンポジウムも10月26日の 日曜日に行うことが決まりました。今回は出席人数的にも100名は越えたいと思っています。内容も更に充実 したものにして、新しい角度からの提案も考えています。場所や演題が決まり次第、公開する予定です。このように 着実に「よ」は広がっています。



2、勘を考える

2−1、 「勘を科学する」   (2008年 5月 5日)


 私も新しい第二の社会人生を始めましたが、少しずつですが新しい視野も見えるようになりました。会社組織と いう社会的なガードもなくなりましたが、そのおかげで今まで見えなかったものも見えるようになりました。でも 太くなったものに人間関係と環境との接点があります。そこでふと感じたことが、社会的にある程度安全に守られ ていた会社組織に属していると、うっかりすれば人間関係も環境との関わり合いも疎遠になるのかも知れないと いうことです。まだこの件に関しては会社卒業したばかりなので、あまり確信を持って言うこともできませんが、 なんとなく、そんな感じがするのです。

 そうしたなか、人間関係においても、環境関係においても、「勘」が働くことを感じるようになってきました。不思議 なのですが、今会える時にある人に会うこととか、今この時期だからあの場所に行ってあのことをしなければならない とかいうことです。論理的に頭で整理する前に、勘が働くのです。生活習慣美容の4つのキーワードのひとつ「感と勘」に ついて体感することが増えたのです。こんなこと書いていたら、ちょっと不思議現象に思えてくるのですが、ここは サイエンティスト魂が冷静に抑えてくれました。

 そもそも直感とか第六感とか、「勘」というものは、ただ大脳の論理回路でじっくりと演算されるものではないのでしょう。 思考回路のあちこちで、今ままでの様々な体験値がバイパスをつくり瞬時に結論を導くようになったと考えてみました。 慣れた場所なら暗闇の中でもかなりスムーズに移動出来るようになるのと同じではないでしょうか。ということは、「勘」とは 鍛えれば鋭くなるということではないでしょうか。この筋道をきちんと科学的に体系つければ「勘」を鍛える方法論も できるという可能性があります。これも生活習慣美容の重要な実践方法になりますね。



2−2、 「勘の構造」   (2008年 7月 1日)


 勘を科学するところで述べましたが、勘は大脳で意識的に論理処理をされているのではなくバイパスの ように意識することができない効率的な回路ができるのではないかと推論しました。更に突き詰めて考えて みたところ、やはり電気回路で仮説を立てるとわりと理解し易いことに気付きました。いずれにしても勘とは 何らかの刺激からいきなり結論のようなものが大脳で認知されたり、行動したりすることですから、思考プロ セスや情報処理プロセスは大脳の認知を得ない処理だといえます。

 おそらく回路的には勘は反射、ショートカット、集積回路の3つの要素ではないでしょうか。最初の反射は 有名なものでは条件反射がありますが、おそらく勘も何度も同じ体験をすることで無意識的にある刺激を 受けると条件反射のように行動したり結論を出すということだと考えるとスッキリします。二つめはショート カットですが、これもやや条件反射に似ていますが、慣れとか効率化の一種ではないでしょうか。始めの 内は複雑に考えていたことでも、何度か同じような思考や行動をしていたら、ある時、ムダを省き、もっと 簡単に行えることを気付くことがありますが、それと同じプロセスでしょう。そう、情報処理の効率化がもたらす ものではないでしょうか。これも、考える訓練から生まれるはずで、ここにも勘を鍛えるヒントがありそうです。 最後の集積回路は、刺激や情報処理を一つの単位として、効率的な集積回路のように処理してしまうユニット として独立させたものと考えることです。この集積回路そのものは処理スピードが速く、大脳で認知はできない もので、出力結果だけが認知されるものと考えます。これも高度な処理ですが、おそらく勘の働く人には たくさんの集積回路を経験から作り込んでおり、必要に応じて使っているのではないでしょうか。

 このように勘を3つの構造から考えてみると、反射、ショートカット、集積回路それぞれに鍛える方法が あるように思えます。そして、この3つの構造はそれぞれに組み合わさることもあるのでしょう。いわば意識の 中のブラックボックスのようなものですが、構造としては存在するのでしょう。



2−3、 「人の印象」   (2008年 9月 9日)


 それでは勘について一番感じることは何でしょう? 私にとって一番感じるのはやはり人の印象です。 「会ったその日から・・・」ということはよくいわれていますけど、人との出会い、そして再会、それが運命的な もので、人生を大きく左右することもあるのではないでしょうか。でも、結果が出てからでは何とでも言えます からそれについては言うべきではないでしょう。ただ、現在の人間関係で最初の出会いに勘じた印象が けっこう当たっている経験は多いことも確かなのです。それが人間関係の経験が増えれば増えるほど、また、 大変なことがあればあるほど勘が冴えてくるのももっともらしく思えます。

 一言で勘というように言いくるめればそれですんでしまいますが、おそらく人に出会った時の様々な情報が ケース・バイ・ケースで記憶に整理されていることが人の印象について答えとして帰ってくるのでしょう。それが 出会った瞬間に勘として衝動的に感じると考えられるのではないでしょうか。やはり人の印象が過去のデータ により作られた集積回路で反射的に無意識的に信号がくるのでしょう。過去の記憶がどう整理されているのか、 あるいは過去の体験に偏りがあればかなりその偏った答えが増えるのでしょう。おそらく偏った体験からは、 新しいタイプの出会いに勘は働き難いのではないかと考えます。

 とすれば人間関係において人の印象についての勘を鍛えるには、出来る限り偏りのない、バラエティに 富んだ出会いをするべきだと思います。私の場合について言えば、今までも自分ではバラエティに富んだ出会いを してきていると思っていたのですが、会社組織を離れてから、更に今までに経験したことのない出会いも増えて きました。たかがこんなレベルだったのです。今以上のバラエティ豊かな出会いもあり得ます。そう思えばまだ まだ出会いを広げる可能性があるというものです。今私は「人は人に出会うことで、より魅力的になるもの」という 仮説を立てています。それにより、人に関する勘も、まだまだ磨けるのでしょうし、楽しい出会いも楽しめることと 思っています。突き詰めて言えば、バラエティ豊かな経験が勘を鍛えると考えているのです。



2−4、 「勘を鍛える:反射編」   (2009年 1月13日)


 勘の構造で考えたことは、あれから半年経過しましたが、私の体験ではあっているように思えました。 そこで勘の構造から仮説を立てて勘を鍛える方法について考えてみます。勘の構造で3つの回路を 考えましたが、それは反射、ショートカット、集積回路でした。その反射からまず考えてみます。

 反射で一番取り上げたい事例は、身体的な危機を避ける時です。危険の兆候を五感で感じたら、 大脳で状況を把握し行動として起こす前に、とっさに避ける行動を取ってしまうことがあると思います。 これは今までの体験から、危険な状況の起こる前触れを脳のどこかに記憶しており、その記憶に触れると 反射的に行動を起こすのではないでしょうか。危険から身を避けることは、生物として最も重要な行動です。 言わば体内にある危険報知器を鳴らして、考えることなく、まず身を避けるという反射的な行動ということ ではないでしょうか。この危険察知の正解率が高いほど、無駄な行動が減りますので、それは或る意味では 危険に対する勘が鍛えられたということでしょう。

 では、この危険忌避の勘を鍛えるにはどうすればよいか仮説を立ててみます。それは、生活の中で、 危険な状況が起こる状況を想定して、その行動を取っている時に、意識的に危険要素を探してみて、安全な時と 危険な時を想定しながら行動をしてみると良いのではないでしょうか。私の事例ですが、現在、東京に住んで います。最近は大きな地震が来ませんが、地震の多い日本ではいつ来るか解りません。そこで、小さな地震から 震度3くらいまでの地震について、最初の揺れが来て、その段階でどのくらいの規模の地震なのか予測して みます。そして、後で、その地震についての情報を得て、初期の揺れで危険かどうかの認識を改めています。 まあ、この危険忌避の勘があてになるのかどうかは別にして、このような努力が何にもしないよりはましだと 考えています。その他で言えば、やはり車の運転でしょう。ヒヤリとした場面はいつもきちんと記憶を呼び起こし、 その状況を再認識しておくようにしておきます。これも体験を重ねることにより、運転中の危険忌避につながる のではないでしょうか。仮説段階ですが、危険忌避の勘は、やはり鍛えることが出来ると思っています。



2−5、 「勘を鍛える:論理的思考」   (2009年 7月28日)


 勘は反射、ショートカット、集積回路と考えていますが、集積回路を作るには論理的思考でしっかり 考察された思考の構造が基盤になっていると考えられます。つまり集積回路をつくる大元の回路が 必要なのです。おそらく何度も同じ論理的思考を重ねると、思考回路の効率化が起こり、結果が出る ことが早くなり、いつの間にか自分では認知出来ないほどの早さで情報や状況のインプットに対応 できるようになるのではないでしょうか。この集積回路は運動のメカニズムでも同様に働いている のではないかと考えています。例えば自転車を始めて乗る時は、あれこれ考えながらハンドルを 操作し、ペダルを漕いで練習していますが、一旦バランスをとるコツを覚えれば頭で考えることなく 乗れるようになれるものです。もちろん、この様な運動においては小脳との連携が大きく関与している のですが、勘においては大脳のどこかのエリアで集積回路が作られているのではないでしょうか。

 そういえば暗算のメカニズムもそうかもしれません。私は算盤も暗算もトレーニングしたことが ありませんので、あくまでも仮説の段階ですが、暗算は計算における勘のようなものかも知れません。 これも論理的な計算を何度も繰り返すことで効率的な思考回路ができ、いつの間にか集積回路と なって、瞬時に計算結果がでるのではないでしょうか。

 とすると、勘が鋭く、そしてあらゆることに勘が正確に働く為には、やはり、コツコツと論理的思考の 積み重ねをして、効率の良い思考回路をつくるようにすることが良いのではないでしょうか。自分の 仕事領域、関心の高い趣味領域においてなら、同じ情報刺激に対して論理的思考を積み重ねていく ことは日常的にできます。これを思考の集積回路にしようと意識して行えば、いわゆる仕事領域や 趣味領域において勘が働くようになるのかも知れません。自分の体験を振り返ってみても、そのような事例を たくさん挙げることができます。







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