『若者と現代宗教―失われた座標軸
ちくま新書、1999年


【この本の趣旨】
若者はいつの世も新しいものを好み、新しいツールにさほどの抵抗なく接します。宗教とてそれは同じです。
しかし、昨今のように社会のシステムそのものが急激に変わると、何が根本にある問題なのか、つい見過ごされがちです。
そこで、とりわけ1980年代以降の現象について考察してきた私なりの見解をまとめてみました。ここで提起した「ハイパー宗教」という概念には、ちょっと抵抗を感じる人もあるようですが、情報時代がもたらすドラスティックな変化に気づいている人には、すっと理解されるのではないかと思います。


目次

序章 解体しつつある「宗教の常識」
カルト論議 /マインドコントロール論 /非合理的なるものへの関心

T、宗教情報ブームと若者
 一、若者は宗教離れしたのか
/若者と宗教 /戦後日本人の宗教離れ /学生への意識調査 /オウムショック /テレビの影響

 二、オカルト・超常現象への関心
 こっくりさんブーム /オカルトの知識 /古い観念・新しい道具立て /オカルト志向と科学的探究心
/自由な宗教意識

 三、終末予言と死への関心
ノストラダムス現象 /終末論なのか? /恐怖の大王 /死後の世界


U、失われた座標軸
 一、風景化する伝統宗教
神社とお寺の区別 /「開かれた場」と「閉ざされた人」 /ファッションとしてのキリスト教 
/専門知の逆転現象 /価値の相対化

 二、宗教教育をめぐる問題
なぜ今、宗教教育か? /宗教教育の現状 /避けられてきた宗教教育 /異文化教育としての宗教教育

V、グローバル化する世界とハイパー宗教
 一、グローバル化と宗教
同時多発の新宗教運動 /押し寄せる宗教運動 /新宗教の国外布教 /新種のエピデミック宗教
/アジアにおける宗教運動の相互影響 /基盤なき布教 

 二、「カルト」脅威論とハイパー宗教
新新宗教 /「カルト」はなぜ脅威か /伝統に根ざす新宗教 /韓国の新宗教 
/ハイパー・トラディショナルな宗教運動

 三、曖昧となる「宗教」とファンダメンタリズム
 曖昧となる「宗教」の境界線 /宗教ビジネス /果てしなき相対化とファンダメンタリズム
/ファンダメンタリズムの逆襲

 
W、 インターネット時代のバーチャル宗教
 一、バーチャル・リアリティ
 情報飽食の時代 /バーチャル・リアリティの誘惑 /インターネット宗教 /たまごっち寺

 二、ハイパー世代にとっての宗教
 創造とカオス /バーチャル教祖にバーチャル神様 /離陸したゆえの不安 /失われた「ストーリー」 
 癒しブームの背景 /「死の世界」のストーリ


あとがき
 最近の若者の宗教への関わり方などを中心に、現代宗教について書いてみないかとの依頼を受けて、あらためて最近自分が書いた論文やエッセイを読みなおしてみた。すると自分で思っていた以上に、九〇年代半ばからは、一貫した問題意識があったことに気づいた。超常現象やオカルトへの若者の関心の背景にあるもの。伝統宗教がだんだん若者にとって遠い存在となる現状。新しいタイプの宗教運動の登場。そうしたことに関連したテーマを、いろんな角度から論じていたのである。
 そこで、それらの中から本書の趣旨に合ったものをいくつか選んで、それらを大幅に書き直すことをした。かなりの修正を加えたので、ほとんど原形をとどめていないものもある。その一方で、新たに書き下ろす作業を始め、どうにか本書のような形にまとめることができた。
 前著の『新宗教の解読』(ちくま学芸文庫)では、幕末から一九九〇年代前半に至るまでの新宗教の展開を、背景にある社会状況との関係をみながら通史的に論じた。とくにマスコミ報道にあらわれた新宗教のイメージに注目して、日本人が新宗教をどう見てきたかを描いたつもりである。そこで扱い切れなかったことが二、三あるのだが、本書で扱ったテーマはその一つとなる。
 二十世紀末に至る約四半世紀の日本社会、さらに国際社会の変動の激しさは、驚くばかりであった。それは世代の間のギャップをこれまでになく大きくした。これまでの日本社会では、経験を積んだ者、あるいは組織の上位にある者、年長の者などが、全体を見渡せ、的確な判断ができるというのが、通り相場であった。そういう時代における若者論は、たとえばその無軌道、無謀さ、無計画性などを批判したとしても、たいていは「若いということはそういうことだ」といったような了解のようなものが、根底にはあった。
 しかし、昨今では、コンピュータの操作が示すように、年上の者、社会的上位の者が、基本的に優位になりえない状況も出てきている。また新しいメディアが氾濫する中にあって、若者の一部は、年とった世代とは別の世界に住んでいるかのような思考や行動を示すことがある。そこで若者論も、ときどき悲痛な色彩を帯びることがある。「どうにも理解できない」という嘆きである。
 宗教に関わる現象にも、同様のことが起きつつあるというのが、私がしだいに強めつつある認識である。宗教とくに新宗教は全体社会の動向を反映するというのが、前著の大前提であったが、それは本書でも引き継がれている。リアルタイムで、そのことを感じつつあると言ってもいい。今自分もその変化のさなかにいる、というテーマに踏み込んだゆえに、いつもの執筆の姿勢とは異なり、けっこう大胆にこれからの宗教の推移の方向について論じる結果となった。
 宗教を社会的次元でとらえるというのは、むろん宗教現象に近づく一つの手段に過ぎない。それは宗教研究の本流でないとみなす人もあるようだが、個々の体験を重視しつつも、それを社会で起こっているマクロな状況とつないでいくという発想は、ますます必要になっていると感じる。本書で繰り返し述べた「ハイパー」的な思考や行動形態が、どういう方向に進むのか、これからもじっくりと観察を続けるつもりである。
 本書には、アンケート調査や各種の実態調査の結果が織り込まれている。こうした調査というのは、結論だけ取り出すと、常識的なものであったり、数値の列挙としてあらわれることが多いが、その結果を導くに至る手間と、かかった時間というものは、けっして小さなものではない。本書の議論のかなりの部分は、次のプロジェクト及び研究助成による研究の成果である。
「宗教と社会」学会・宗教意識調査プロジェクト・アンケート調査(一九九五〜九九年度)
国学院大学日本文化研究所プロジェクト「宗教教育の国際比較」(一九九六〜九年度)
庭野平和財団助成「アジアにおける宗教教育の比較研究」(一九九七年度)
科学研究費補助金・基盤研究(C)「現代日本における宗教教育の実証的研究」(一九九八、九年度)
 いずれも私が研究代表者、ないし責任者であるが、それぞれの研究は、各プロジェクトメンバーの緊密な協力のもとになされたものである。またアンケート調査のとりまとめ等にも、多くの学生、大学院生の方々にお手伝いをいただいた。本書が依っているのが、そうした共同の産物であることは言うまでもない。あまりに多くの人々に、感謝の言葉を述べなければならないと思うので、はなはだ恐縮なことではあるが、お一人お一人の名前をあげるのは、差し控えさしていただくことにする。
 最後に本書の企画を薦めていただいた湯原法史氏、また図らずも、途中から担当が変更になって、原稿を丹念に読んでいただくことになった天野裕子氏に、お礼の言葉を申し述べたい。
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