X 布教者のベクトル

     布教の「場」

 おのれの説教に真剣に耳を傾ける人を集めて、さすらいの旅を続ける布教者ならばいざ知らず、たいていの布教者は、一定の地域において、ある程度固定した人々を布教、教化の対象にしなければならない。彼らとは、特別なつながりが生まれるし、そのつながりの中に生きていかねばならい。そうした布教の「場」から醸し出される固有の問題と、布教者は取り組んでいかなければならない。

 布教の途上で出会う人間、あるいは日々の教化活動で向かいあう人間一人一人は、それぞれが豊かな個性をもつ。その一つ一つの個性が、布教の場を通じて、布教という行為そのもののもつ意味について、さまざまな問いかけをしてくるに違いない。それらをどのような問題として受け止めるかは、究極的には布教者の感性次第であるともいえる。だが、これとは別に、似たような状況に置かれた布教者は、似たような問題に直面せざるを得ないということもある。

 本書では、海外布教という共通項で、布教者たちをくくってみた。タイプの異なった三つの教団に所属する布教者たちを何人か扱ってきたが、彼らは、そこでいくつかの海外布教特有の問題にぶつかったことが分かる。中でも最も大きなものは、民族という、よく考えると得体の知れぬ、しかし、奇妙な力をもつ人間の区分原理である。

 文中でたびたび用いた、一世、二世、帰米二世、三世、四世、国際結婚者、非日系人、混血といったカテゴリーも、民族の問題と大きな関わりをもつ。移民の何世代に当たるかは、単に移民初期からの時間的経過を示すのではない。移民の世代更新に伴う民族文化の変容も、同時に表現している。それゆえ、同じ二世でありながら、アメリカで教育を受けた普通の二世と、日本で教育を受けた帰米二世の違いが、しばしばクローズ・アップされるのである。両者の民族意識には、通常かなりの違いがあるからである。国際結婚した人々が日本とか日本文化に対してもつ意識も複雑と思われる。それは、多くの場合、境界領域的なものにならざるを得ない。布教者は、これらの人々の間での文化的背景の異なりと、それに基づく意識の違いにとまどいながら、宗教活動を続けなければならない。

 文化的差異は、言うまでもなく、日系人と非日系人との間で最も大きい。だから、海外布教ということになれば、まず、非日系人の文化的背景を理解することが、大きな問題として立ちはだかる筈である。ところが、布教者たちの多くは、非日系人と向かい合って、困難さを体験する前に、日系人の信者集団の中にある、閉鎖性や、日系人と非日系人との間に横たわる壁のようなものに直面し、そこで、非日系人への布教の容易ならざることを時間するというプロセスをたどった。顕著な例を一つ挙げれば、日系人が設立した教会に、非日系人が加入することへの強い心理的抵抗がある。太平洋戦争という不幸な歴史は、これを助長した。とくに収容所を体験した日系人には、アメリカ社会から受けた差別を身にしみて感じているから、その態度は固い。また、非日系人が教会に所属するのを余り歓迎しない風潮は、その裏返しのような形で、アメリカ志向の日系人は、日系宗教からも離脱していくという傾向を生んだ。この傾向は、若者の間で強まっている。日系人を主なターゲットとした布教者は、コインの両面のような、この二つの現象を前にして、自らの取るべき道を思案せねばならない。

     魔法瓶効果

 魔法瓶に注ぎ込まれた熱湯は、冷えた部屋の中でも、かなりの時間その熱を保つ。アメリカで布教活動を行なう日本宗教が、予想以上に変容していないのを知ったとき、ハワイや西海岸の多くの日系宗教は、これまで魔法瓶に入れられた熱湯みたいな立場にあったのではないかと考えた。熱の放出を防いでいる、あるいは妨げているのは、日系人社会である。日系人社会は、日系宗教の変容に対して、いわば「魔法瓶効果」をもってきたのではないだろうか。

 なぜ、日系人社会は、その中にある宗教が変容するのを好まなかったのだろうか。おそらく最大の理由は、日系人が日系人としての民族的ルーツを確認するとき、教会が、そのシンボル的意味を担ってきたからであると考えられる。これは決して特殊な事例ではない。ある民族が、集団で外国に移住したとき、彼らの民族としてのアイデンティティ保持に、宗教が大きな役割を果たすことは、むしろありふれている。

 アメリカに渡れば、すぐさまアメリカの法律に縛られる。経済活動も、アメリカ社会の機構の中で行なわれる。子供たちの教育も、アメリカ政府の学校にゆだねなければならない。わずかに、日本語学校に通わせ、日本語を忘れないようにすることが、日本とのきずなを保つギリギリの線である。日系人である証しを確認しようとすれば、現実的な制約の少ない文化的側面に集中してくることになる。その中でも、宗教はもっとも重宝となる。なぜなら、宗教の中には、民族文化のさまざまな要素が凝縮されているからである。既成宗教であれば、その凝縮度は高いことになろう。俳句、華道、茶道なども民族文化の象徴となりうる。だが、宗教にはもう一つの強みがある。それは、宗教が、家族、あるいは同県出身者などといった、特定の集団単位で共有することの容易な文化である点である。

 親子ともども、神社でお祓いをしてもらったり、初詣に行ったりすることは、自然に日本の神観念を伝えることになる。共同体の安全を祈願するという思考法にも自然と親しむことになる。仏教会において先祖供養を行なえば、多少の意味の変形は生じたとしても、「家」の観念はいくばくか継承されることになる。日系人が日本産の宗教を盛りたてることは、そうした伝統を確保することにも貢献する。

 ここで面白いのは、キリスト教会に所属するようになった日系人の場合も、彼らの教会は、「日系のキリスト教会」となることが多いということである。カリフォルニアの州都、サクラメントの日系キリスト教会を調査した中牧弘允の報告によれば、サクラメントにある五つの日系キリスト教会は、一つを除いて、「民族教会」の色彩が前面にあるという(「日系キリスト教会の展開と日系キリスト教徒の意識」『国立民族学博物館研究報告』八―一)。キリスト教への所属がそのままアメリカ社会への同化につながるというわけではないのである。

 こうなった理由の一つには、アメリカのキリスト教会は、基本的に民族ごとに所属する傾向が強く、これを反映しているということが考えられる。つまり、同じ町の中に、白人信者たちが所属するメソジスト教会と黒人信者たちが所属するメソジスト教会があるといったような傾向である。だが、これだけが、日系キリスト教会を「民族教会」にしたのではない。中牧の表現を借りれば、信者にとっては、キリスト教会も「日系人のみが集まる数少ない場所であり、家に帰ったときのように安心できる」ということになるのである。教会がそうした場であることを、日系人自身が望んだのである。こうしてみると、日系キリスト教会の果たす役割は、仏教会などのそれとほとんど変わりないと言えよう。同じ民族だけが集まった教会というのは、今日でも非常な安心感をもたらすもののようである。

 魔法瓶の譬えを続けるなら、三世四世の文化変容は、老朽化による、魔法瓶の保温機能低下である。彼らは、しだいに日系人社会から飛び出していく。たとえ、日本志向があっても、基本的な価値観や思考方式は、アメリカ化せざるを得ない。もはや、何が日本的であるか、彼らには、そのこと自体があやふやになりつつある。

 しかし、これ以上この譬えにたよることはできない。布教者は、いつも魔法瓶の中に注がれた熱湯のように、保温効果を満喫するばかりとは限らないからである。

     非日系人布教者の道具立て

 調査中に面談した布教者たち、とくに第一波と第二波の教団に属する布教者たちの多くは、信者集団の多様性を前にして、これにどう対応すべきかの悩みを語った。具体的には、この悩みは、まず言葉の問題として表現されることが多い。だが、言葉の問題としてまとめられていることの中には、いろんなことが含まれている。教義や教典の内容を英語でどう表現するかという、教えに関わることもある。また、仮に英訳された教典があったとしても、それを生きた言葉で説明しなければならないという難しさがある。そのためには、通りいっぺんの語学力ではだめで、現地の生活習慣になじむことが必要である。

 言葉の問題の奥には、人間の問題がある。大きなものは、世代間の問題である。各世代では、どうしても常識や感覚に大きなズレがあるからである。さらに、非日系人がはいってきたときの対処はどうするかなどの問題もある。人間の問題は、信者間だけでなく、布教者と信者との間にもある。布教者が戦後渡米者であるような場合、布教者自身が、戦前から続く日系人社会との意識のズレをかなり痛切に感じる。布教者も、現地の文化変動の渦中に巻き込まれているのである。

 こうした問題を抱える海外布教であるが、非日系人への布教が、どれほど効果をあげているかに限って言えば、教団ごとの差が著しいことが分かった。なぜこのような差が生じたのか、その理由をまとめておこう。

 布教という行為の中には、他者を自分の世界観の中に引きずりこむという側面が含まれている。これには、たかだか、初詣に行くことをさして不思議と感じさせないでおくといった、軽い程度のものから、毎日御本尊に向かって題目をあげさせるというような、だいぶ強い程度のものまで、かなりの差はあるにしても、とにかく、そうした行為へと人々をひきこむという点においては、共通するものがある。なぜそうしたことが必要なのか、それを相手に説得するための道具立てを必要とする。

 他者を説得するための手段は、非日系人が相手となるときは、とくに整っていることが重要である。そのためのいわば布教の武器が必要である。武器というのはあまり穏やかな比喩ではないが、布教行為は闘いに似た局面があるのは確かである。そうして、この闘いには、布教者の個々の努力を越えた、組織的な提供物がものを言う。布教者は、まずはこの教団が供えた道具立てに大きく依存する。教団側のどのような道具立てが、非日系人布教を促進したと考えられるか、それをまとめておこう。

 まず、その教団がそもそも非日系人を布教対象としているのかどうか、という問題がある。そういう視点から考えると、一口に海外布教と言っても、実は、その内容には二種類あったことが分かる。第一波と第二波の教団はすべて、布教の開始時においては、海外に住む「同朋」たちへの布教を主たる狙いとしていた。現在においても、この路線にはあまり大きな変化はない。これを「海外出張型」の海外布教と呼ぼう。これに対して、第三波の教団の中には、創価学会をその典型とするように、当初から、他民族への布教も視野に入れ、実際にある程度の成果をあげている教団も存在する。これを「多国籍型」の海外布教と呼ぶことにする。

 多くの教団は、前者に属する。後者、すなわち、多国籍型の海外布教を志向しているのは、創価学会の他に、ゼン・センター、世界救世教、PL教団、生長の家位であろうか。このうち、ゼン・センターは、創価学会と並んで、多国籍宗教の双璧である。禅宗としては、国内で最も多くの信者を抱える曹洞宗は、第一波の教団として早くから海外布教をやっているのだが、その結果建立されたハワイやカリフォルニアの教会からは、非日系人信者は育たなかった。日系人が集まる教会とは別に、坐禅を好む非日系人、とくに白人を相手としたセンターが建てられ、それが広がっていったのである。

 世界救世教、PL教団、生長の家などは、アメリカ合衆国だけではなく、南米、とくにブラジルにおいてかなりの非日系人信者を得ているようである。これらの教団は、非日系人への布教の意図をもっているのが明らかである。教団自体が、非日系人布教を意図しているかどうかは、布教者の活動を、第一歩から大きく左右することになる。

 日本産の宗教であれば、民族の伝統を含み、それゆえ特殊性をもっているのは当たり前のことである。しかし、その特殊性がどれほど柔軟性を備えたものであるかどうかが、二番目の問題である。日本仏教は、葬式仏教とよく言われる。解脱を目的とした仏陀の教えとはかなりかけ離れて、多くの僧侶は、葬式や年忌法要などを主たる活動内容としている。信者の教化に情熱を注ぐ僧侶は、どちらかといえば、少数派ではなかろうか。葬式仏教化そのものは、仏教の日本的展開として理解すれば良いのであるが、アメリカにおける布教においては、この特徴が大きな障害となる。キリスト教が文化の基調となっているような国では、先祖供養の説明が容易ではない。仏教の話に入る前に、なぜ先祖を供養しなければならぬかを理解させなければならない。日本人にとっては、習慣であるがゆえに深く考えてもみなかったことを、彼らには、懇切に説明しなければならない。これは大きなハンディである。

 神道のように、日本人の生活様式すべてが神道に関わるという意見すらあるような宗教では、民族的特殊性はもっと根が深いことになる。明確な教義が備わっていないということは、一見、アメリカ人への説明を容易にするかに思われるが、実はそうではない。言葉を介在させずに了解していたことを、言葉でもって説明しなければならない。これほど難しいことはない。結局のところ、神道について語るには、日本文化全般について語らなければならないことになってしまう。

 この点では、新宗教は、むしろ自由な面がある。新宗教も民族的特殊性を備えているのは言うまでもないが、伝統に依存する面が少ないだけ、非日系人にも説明しやすいということになる。伝統に依存しないとは、その教団の儀礼や活動の意味と目的について、自前の説明体系を備えているということである。

 ただ、誤解を避けるために一言付け加えておきたいが、この民族的特殊性の問題は、いわゆる普遍性と特殊性の区別ではない。特定の宗教を普遍的宗教などと呼ぶのは、少なくとも宗教学的には、適切ではない。名付けるとすれば「普遍主義的」宗教とでもすべきである。つまり、自ら普遍性を主張する宗教ということである。民族的特殊性は、よく普遍性を強調することのあるキリスト教の中にさえ、いくらでも見出すことができる。とくにカトリックは、それぞれの文化と結びついて、土着化することが多いと言われるのであるが、そうして土着化したキリスト教は、民族的特殊性を色濃くもつ。

 さて、非日系人への布教の武器という観点からすると、もう一つ重要な問題がある。それは、布教・教化手段の整備状況である。言い換えれば、新たな信者を獲得するためのシステムが整っているかどうかということである。この点でも、一般的に言えば、多くの新宗教は、利点をもつ。新宗教は、日本においても、何らかの形で既成宗教との対抗関係の中で育ってきたわけで、新たに信者をかちとる方法というものについて、独特の戦術をもっているものが多い。だが、すべて新宗教が既成宗教より有利だとは言えない。同じ新宗教でも、創価学会のように折伏攻勢をかけるものもあれば、金光教のように、あまり積極的な布教活動は行なわず、取次者は相談者がやってくるのを待つという、受身の姿勢をとるものもあるからである。

 以上の三つ、すなわち、非日系人布教の意図、民族的特殊性の少なさ、新規のメンバーを得るためのシステムの整備は、非日系人布教を促進する三つの要素と考えられないであろうか。図10をみていただきたい。本書で主に取り上げた三つの教団でいえば、NSAは、この三つの要素とも、度合いが強い。これとまったく対照的なのは、神社神道である。また、金光教は、その中間形態である。アメリカで布教活動を行なっている多くの仏教教団は、金光教と似たような線になると思われる。また、新宗教のうち、世界救世教やPL教団などは、金光教よりもややNSA寄りの線が描けると思われる。三辺で囲まれる面積が広いほど、多国籍宗教化の条件は整っているとみなすのである。


     布教者イメージ

 ハワイやアメリカ西海岸においては、日系宗教の間で、多国籍型の布教と、海外出張型の布教とが混在している。けれども、海外出張型布教を行なってきた教団も、三世、四世の出現によって、部分的にではあるが、だんだんと多国籍型布教を手がけている教団と共通する問題を抱えるようになってきた。三世、四世は、意識や行動の面で、アメリカ化がそうとう進行しているからである。この現実を前にして、これらの教団の布教者たちは、自分の航路をどのようにとるか選択を迫られているのを感じないわけにはいかない。その選択に際しては、まず、その布教者がアメリカで宗教活動を始めたときに、関わりをもった信者集団の意向が大きな力を及ぼす。また、自分の所属する教団の布教方針にも強い影響を受ける。だから、どのような人々を相手に、どのような型の布教活動を行なうかは、この二つのベクトルによって、ほとんど決まってしまうときもある。

 多国籍型の布教を手がけている教団であっても、布教者は民族の問題は避けて通れない。形成されつつある信者集団が、それ自身で一つの力となって、布教者の航路に影響を与える点も同じである。二つのベクトルが布教者を覆っていることに違いはないのである。

 だが、同じようなタイプの教団に所属し、同じような時期に活動する布教者であっても、それぞれに多彩な布教形態が観察される。とすれば、この二つのベクトルの他に、第三のベクトルを考えねばならない。それは、布教者個々人が抱く「布教者イメージ」とでも表現すべきものである。

 海外布教のような、やや特殊な布教形態の場合、布教者は国内で宗教活動にたずさわる場合よりも、布教行為そのものについての意味を自問する機会は、多くなるのではないかと推測される。そうしたとき、教祖がどのような宗教活動を行なったかが明らかな教団にあっては、布教者は比較的容易に、自分が行なうべき活動について、具体的イメージを抱くことができるだろう。教祖の生き方そのものをモデルにすることもできるだろうし、教祖の書き記したことを指針とすることもできると考えられるからである。多国籍型の布教を行なっている新宗教の教祖は、今世紀に活動した人物ばかりである。布教者にとって、そのイメージ源となるモデルはまだ新鮮である。

 教祖の姿が比較的鮮明な新宗教と違って、既成仏教教団は、宗祖あるいは開祖の姿がだいぶ理想化されて、布教者のモデルとはなりにくいことが多い。宗祖や開祖の説いた教えには、時代を超えて通用するものが多々含まれているにしても、具体的な布教方針となると、あまりに時代状況が異なり、直接的に利用できる部分は少なくなろう。さらには、神社神道などのように、そもそも教祖が存在しない宗教もある。神主にとっては、教祖をモデルとした布教者イメージは存在し得ないということになる。

 反面で、固定的な布教者イメージがないということは、他面で、かなり自由にそのイメージを構築できるということをも意味する。この点で選択の幅はむしろ既成宗教の側の方が広いと思われるのである。本書では扱うことができなかったが、仏教各教団の中には、異文化ショックをむしろバネとして、思い切った布教方法をとっている人もいる。禅宗を本来の坐禅中心の姿に戻そうとする試みや、仏教を文化として伝えようとする試みなどはその良い例である。

 NSAのように、万人布教者主義の教団は、布教者の再生産が組織的に推進されるし、布教の目的、つまり人々をどのような世界に導くかもはっきりしている。その手順もきわめて明快である。これに対して、多くの日系宗教、とくに既成宗教をルーツとする教団の場合は、その宗教の本来の目的がどうであったかはともかくとして、現実の布教場面では、人々をどのような世界へいざなおうとしているのか、そのために布教者はどのような手立てをもっているのか、そうしたことはいささか漠然としている。これは、海外布教という舞台上で浮き彫りにされたことの一つである。この漠然さが、一面で布教者をとまどわせており、また他面で、布教者一人一人の独創性を発揮する余地を残しているとも言えるのである。

 移民社会自体が、新たな局面を迎えようとしている今日、日系宗教はおしなべて異文化のもたらすいろいろな形の衝撃を肌で感じ、これを直視せざるを得なくなっている。その変動の最前線にいる布教者たちが、自己の布教者イメージをどのようにとり結んでいくことができるのかというのは、すぐれて布教者個々人の独創性の問題である。しかしながら、これはまた、その宗教が異文化の中で、どれほどの適応力をもつのかという教団の問題にふたたび帰っていく。

【目次へ】   【次頁へ