異文化の中の新宗教運
―ハワイの日蓮正宗・創価学会の事例―

一 はじめに
 戦後、日本の新宗教教団が布教の新天地として海外に目を向ける側は次第に多くなってきている。なかでも、日系人が人口の三割近くを占めるハワイは、そうした布教の格好の目標地とされ、すでに戦前から活動を開始していた、金光教、天理教、生長の家を含めて、天照皇大神宮教、世界救世教、立正佼成会、創価学会、パーフェクト・リバティ、真如苑、辨天宗、世界真光文明教団、天神教などが海外支部や独立の海外法人組織を設置して 。ハワイにおいて特に戦後盛んとなった新宗教の活動は、日本宗教の海外布教という観点からすると、実はいわば第二波のものと言うべきである。第一波のものは、明治期に日本人がハワイに移民を開始してまもなくの頃から、主として既成仏教各宗派や神社神道によってなされたものである。これはむろん日本人移民及びその子孫の日系人を布教・教化の対象としたものであり、その活動の中心となってきたのは本派本願寺教団(浄土真宗西本願寺派)であった。こうした初期の宗教活動は一九〇〇年前後から盛んとなり、日系人社会の間では重要な役割を果していた。
 戦争前の排日気運の高まりや、太平洋戦争の勃発により、新たな布教の試みは一時下火となった観があったが、戦後、一九五〇年代以降、主として新宗教教団により新たな波が形成されたわけである。この第二波のものも、布教対象の射程としたのは大部分日系人であったが、なかには非日系人へも積極的に働きかける教団もあった。しかしながら、実際に入信した非日系人信者の数という点からすると、それはまだ一般的には微々たるものである。
 そうした中で顕著に例外的存在であるのがアメリカ日蓮正宗=創価学会(以下当地での略称にならってN と表記する)である。NSAは現在北米で二〇万人余り、ハワイでは役二万人ほどの信者を有するとされている。北米全体でみると、信者の大半は非日系人であり、ハワイでも約四割が非日系人であるといわれる。ハワイで布教活動を行なっている他のどの日本の新宗教も、非日系人信者の割合は一割に遠く及ばないことを考え合わせるなら、NSAはかなり独特な活動を展開したと推察できる。
 NSAがなぜこのように多くの非日系人信者を得ることができたのか、またその非日系人信者はどのような属性をもった人々であるのか、彼らはこの日本産の宗教をどのように理解しているのか、という問題関心は直ちに生じてくる。以下では、一九七七年と七九年の二回にわたる現地調査により得られたデータ、それにNSA及び創価学会刊行の資料を補足的に用いながら、ハワイのNSAの場合に焦点を当てて考察を試み、これらの問題関心に基づく今後の研究に一つの足場を提供することを目的としたい。 

NSAについての研究例

 ハワイのNSAについて言及する前に、これまでアメリカのNSAについてなされた研究の主なものを二、三概観し、どのような点が明らかにされてきているかを確認するとともに、これをハワイにおけるNSAの特徴を考える際の参照に用いることにする。

 創価学会の日本国内における活動に関しては、内外にかなりの研究を数えることができるが、海外における活動に関しての研究は少数である。ここではデイター、エルウッド、レイマンの三つの研究を取り上げる。この三つは、NSAが一九六〇年以降アメリカで急激に信者を獲得してきたことに注目し、その展開史の概略を捉えようとする点では、ほぼ共通しているけれども、分析の視点は少しずつ異なる。

 デイターの『創価学会・第三文明の構築者 』は、彼が滞日中に受けた折伏の経験により生じた関心が出発点となっている。資料として用いられているのは、「聖教新聞」、「聖教グラフ」、「第三文明」など、創価学会の発行する機関紙・誌が主であるが、デイターの行なった面談調査の結果なども合わせて検討されている。この研究は、日本人信者とアメリカ人信者との比較が一つの枠組となっているのであるが、アメリカ人信者に関しては、どのようなアメリカ人が入信するのか、またなぜ入信するのかが問題とされている。デイターは主として一九六〇年代の創価学会及びNSAを対象としたことになるのであるが、彼の結論によると、典型的なアメリカ人信者というのは、二〇代もしくは三〇代の白人男性であり、多く軍人であるが将校クラスに達していない人々とされる。そしてこれがもっとも重要であるが、すでに創価学会に入信していた日本人女性と結婚した人々である。彼らは最初は教えに共鳴したというより、妻を「静かにさせるために」入信したのだが、その後実際に利益を体験した場合に真の信者になったというわけである。それゆえ、アメリカにおける創価学会の初期の布教(折伏活動)に力あったのは、(1)日本人女性、(2)そのアメリカ人の夫、(3)在米の日本人男性、の順であるとされる。

 また、教団側の資料を分析しながら、アメリカ人信者は比較的学歴の低い人が多いこと、以前に所属していた宗教としては、ローマカトリックもしくは下層階級の属するプロテスタント教会が多いことを指摘している。これらの人々がなぜ創価学会に入信したのかに関しての説明には、社会心理学においてもっともポピュラーな理論の一つである相対的剥奪理論が援用されているが、詳細に検証がなされているわけではない。

 『鷲と昇る 』の中で、エルウッドはNSAを、アメリカで布教活動を行なっている他の四つの新宗教、すなわち天理教、世界救世教、生長の家、パーフェクト・リバティと並べた上で、これらを西欧世界への日本宗教の進出という視点から考察している。天理教を除いて他の四教団が、一九六〇年代にアメリカに進出したことに着眼し、この現象は、精神世界に目を転じて救済の手段を求めるようになっていた、当時のアメリカの時代的要請に応ずるものであったと解釈する。NSAはそれらの中でもっとも成功を収めた教団として位置づけられる。

 エルウッドの記述は、しかしながら、初期の布教史の紹介と、NSA側の資料に基づいた信者の属性紹介に多くが費されており、ではなぜNSAがもっとも成功を収めたかという理由については余り分析がなされていない。ただ、一九七〇年代にはいり、状況に変化が生じてもなおNSAが拡大を続けたことについては次のように説明が加えられている。すなわち、一九七〇年にアメリカの精神的雰囲気が転換期を迎えると、NSAも一時危機に直面する。

「いざとなると頼りにならぬ」信者が去ってゆき、反撃も高まりを見せる ?????が、NSAが自らのイメージを変革したことで、この危機は克服される。つまり、折伏第一から勧誘的態度へ、現世利益の強調から仏教哲学を標榜し人間の潜在的創造性の開発を唱える方向へと方針転換したことが重要な意味をもつと解釈されている。

この二書とは少し趣の異なったレイマンの『アメリカの 』という書の中で、NSAはアメリカにおける仏教の展開史の一頁を成すものとして位置づけられている。アメリカ人の仏教に対する関心は一九世紀末に生じるが、今世紀にはいって、一方では鈴木大拙の著作を通しての禅の理解の深まり、他方では浄土真宗を中心とした仏教教団の活動拡大、という展開過程がみられる。それが戦後になると、さらにチベット仏教、中国仏教あるいは「近代的」日蓮教団などが進出するという見取り図が示される。NSAはそうした戦後の「近代的」日蓮教団の成功した例として扱われている。

こうしてNSAは新宗教というよりも、むしろ仏教教団の一つとして位置づけられるが、レイマンの分析は、彼女が心理学者であるということも手伝って、NSAはどのような内容のことをどのような手順によって広めていったかに主眼が置かれている。とくに、NSAがアメリカ人信者に果している機能についての心理学的説明は興味あるもので、「唱題」は自己暗示ないし自己催眠の効果をもたらすものとされている。またいわゆる「人間革命」は、マスローのいう「自己実現」の概念に非常によく似たものであると見なしている。
 以上のように三人の着眼点は少しずつ異なるのであるが、NSAの初期の布教過程、その後の展開、信者の属性、運動の社会的機能などについてはかなり重なり合った見解がみられる。ここに示してきた個々の見解とハワイにおける事例との比較吟味は後に順に行なうとして、まず重なり合って示される評価・認識を踏まえ、またNSAの資料を参照してNSAの展開過程の大枠をおさえておくことを行なっておきたい。そうしてみると、アメリカにおける創価学会―NSAの展開は次の三期に分けて考えるのが適切なようである。

( 1) 布教前史:一九六〇年以前の時期。組織だった布教はなされず、個々の信者がほとんど相互の連絡なく存在 していた。この間では、一九五七年に、後のNSA理事長貞永昌靖(一九七一年一二月にGeorge M. Williamsと改名)が渡米していたことが大きな意味をもつ。

( 2) 布教第一期:一九六〇年一〇月、第三代会長に就任してまもない池田大作一行の南北アメリカ訪問をきっかけになされた組織的折伏活動の開始のときから、一九六〇年代半ば過ぎまでの時期。支部や地区の結成があい ついでなされた。

( 3) 布教第二期:一九六〇年代末から七〇年代にかけての時期。創価学会のアメリカ支部という意識ではなく、アメリカ日蓮正宗という独立性が強まり、非日系人信者や学生信者が増加した。

布教前史は文字通り前史であるが、いわゆる「戦争花嫁」と呼ばれた人たちの中にいた信者が、アメリカでも聖教新聞を購読していたなどのことが、初期の本格的布教を容易ならしめた一要因であるのは言うまでもない。また渡米した貞永がアメリカの大学及び大学院に入 、語学的訓練を積んだことにより、NSAが英語に一本化した布教体制を比較的早期に整える道も拓かれたと考えられる。

布教第一期から第二期への移行年月を明確に特定することは困難であって、一九六〇年代後半を通して生じた移行とみなした方が適切かもしれない。その内容を列挙するなら、次のようになる。日系人信者の割合が多かったのが、非日系人信者の方が多くなっていった。アメリカの日蓮正宗という点が強調され、座談会はすべて英語によることが徹底された。現世利益中心の折伏方法から、仏教哲学という側面が強調される仕方に変った。大学生の信者が増加した、等々である。とりわけ、言語に関して、座談会では英語使用、教学試験も英語にて受験可能という方針を出したこと、また一九六八年一〇月のUCLAでのセミナーを皮切りとする全米八〇余の大学での大学セミナーの開催は、こうした移行全体に少なからむ影響を与えたと言える。

以上の展開過程は、ハワイにもあてはめることができそうである。しかし、NSAがなぜ多くの非日系人信者を獲得したのか、彼らはどのような人々であり、NSAをどのように理解しているか、という冒頭に掲げた問題は、それぞれの地域の特性や条件を考慮しながら注意深く検討する必要がある。これまでの研究で指摘されたことが果してハワイでどの程度あてはまるのか、また修正すべき点や新たにつけ加えるべき点はないか、といったことを考慮の一端に加えながら、目をハワイのNSAに転じよう。

 

ハワイにおけるNSAの展開

 ハワイは創価学会初の海外地区( district)が結成された地である。しかし、それは日系人の多いこの諸島が第一の布教目標にされたからではなく、一九六〇年一〇月の池田大作 の南北アメリカ訪問の最初の寄港地がホノルルであったということによる。このとき地区長に任命されたH・Hは帰米二世(ハワイで生まれ、日本で教育を受け再びハワイに戻ってきた日系人)であり、これに先立つ二年前、一九五八年に仙台で入信したという人物である。訪米の一行をホノルルに迎えた信者は約三〇名で、これが当時のほぼ全信者であったというから、ハワイにおけるそれまでの活動は日系人の多さにもかかわらず、意外に乏しかったことが知れる。

以後、北米における布教の一環として、ハワイでの折伏活動は組織的に行なわれる。一九六三年には、ハワイは地区から支部( Chapter)へと昇格し、六五年には総支部(General Chapter)を形成するようになった。一九六七年にハワイ本部(Headquarter)と改編され、現在は、ホノルルに置かれた太平洋方面(Territory)の中にハワイ本部、ホノルル本部、ワイキキ本部の三つが包摂されている。ハワイには日系人が多いということで、初期の布教に際しては利があったと思われる。とくに、日本から移住してきた人の中に、日本においてすでに折伏活動を経験した人がいたような場合、その人はかなり大きな役割を果したようである。たとえば、女子部(Young Women’s Division)の場合、一九六二年に結成がなされたが、当初の七名からほとんどメンバーが増えず伸び悩んでいた。それが六五年に日本から移住してきた人が隊長となると、翌年には約百名、翌々年には約二百名とメンバーが急激に増えたことが報告されている。
 一九六五年には、現ハワイ会館( Community Center)の土地・建物の購入も決定されるが、これを報じる当時のアメリカ創価学会の機関紙「ワールド・トリビュ 」(World Tribune)は、「ハワイの創価学会会員はなんと幸運であろう。今やロスアンジェルスにあるわれわれの会館は、あなた方のものに比べれば郵便局のように映 。」とコメントと付している。また翌年八月には、日蓮正宗寺院「寂光山本誓寺」の開院式が行なわれ、次の年僧侶が来布するが、一九六〇年代を通して、正宗寺院は北米にはロスアンジェルス郊外エチワンダに一九六七年一月開院された「恵日山妙法寺」と共に二 しか建立されなかったことを考えるなら、ハワイには多くの期待が寄せられていたと推測される。

こうした活動は六〇年代後半にはいって、量的な面において顕著な成果を示し、教団側の発表するところで、信者数は、一九六六年に約一、〇〇〇世帯、六七年に約二、〇〇〇世帯、六九年には約七、〇〇〇世帯と報告されている。しかしながら、七〇年代にはいると増加の度合は弱まり、七〇年代半ばからは横ばいないし減少気味と考えられている。七七年の時点で、約七、五〇〇世帯、二万四千人程度というのが太平洋方面での公称信者数であり、現在もこの前後の数と考えて差し支 。従って量的側面に話を限れば、一九六〇年半ばから七〇年ごろにかけてが発展のピークであり、それ以後はむしろ停滞期と考えられる。

さて、ハワイにおいても、初期の信者は日系人が主であり、やがて非日系人信者の比率が増加してくるという傾向が示される。しかし、ハワイは「移民の島」であり、民族別の人口構成は米本土とはかなり異なるから、NSAの信者の民族的背景別の構成比も本土とは異なることも考えられる。現地での面談調査や座談会( discussion meeting)への参与調査から得た印象では、日系人信者の方がやや多く、また非日系人信者の中では混血が目立った。教団側の把握もこの印象に合致するのもである。一般的に言って、ハワイに多くの日系人が存すること、従って日系人にマイノリティ意識が乏しいこと、日系人を布教対象とする日系宗教が多く存すること、また各国からの移民が多く、人種的背景が複雑なため、文化的多様性が顕著であること、などはハワイのNSAの展開にさまざまな影響を及ぼす要因になったと思われる。

NSAのハワイにおける布教の歴史はこのようにまだ二〇年程度のものであるが、この地はその社会的・文化的状況の特質ゆえに、非日系人にとってのNSAという問題を考える際には、豊富な材料を提供してくれる。ここでは、一九七九年夏にNSAの信者を対象に行なった調査結果を主たるデータとしながら、これに七七年夏にNSAを含めて一三の日系教団信者に対して行なった 結果の一部をごく補足的に用い、本稿の最初の方に掲げた問題を検討していく。焦点があてられているのは非日系人信者であるが、彼らの特性をより明確にするためにも、日系人信者との比較を通じて考察を進めていくことにしたい。

 

ハワイの非日系人信者−日系人信者と比較しながら

 七九年のクエスチョネア調査の項目は、信者の属性、入信時期、入信動機、NSAへの評価などを主とし、二一項目(英文)から成るものであった。調査方法としては「特定の層にかたよりのないように」という条件を付してNSA側に配布・回収を依頼 。しかしながら、このような方法をとったこと、また回答内容から直ちに知れたことにより、次の二点は念頭に置いておかねばならない。

(1) ランダムサンプリングではないので、信者の属性をはじめ回答結果の状況が必ずしも全体のそれを正確に反映しているわけではないこと。

(2) とくに、熱心な信者からの回答が大半であること。これは回答者の教団内での地位(約七割が、支部長、地区長、班長などのリーダー層)からみても、また勤行の熱心さ(八割強が毎日行なうと回答した)からみても言えることである。

以上の点に留意した上で、まず回答者の属性を確認しておく。ハワイはまだ日系人信者の方が多いということであったが、集まった回答結果からする限り、非日系人の方がやや多かった。日系人回答者と非日系人回 を、男女別、年令層別に分けて示したのが表1である。これによると、男女比では、日系人、非日系人いずれの場合も女性の方が多い。また年令層別でみると、全体として青年層、壮年層を中心にしていることが言えるが、非日系人の方がより青年層に集中している。これらは面談調査や参与調査時の観察結果と齟齬を感じさせず、ハワイの実情を比較的正確に反映していると考えることができる。

表2に示されるように、独身・既婚等の別では独身者の割合が約 1/3を占めている。もっともアメリカでは離婚者も独身(single)と表現されるから、本来なら離婚者と答えるべきところを独身者と答えた人が何人かいる可能性がある。ただ、青年層が熱心な信者層のかなりの割合を占めていることは明きらかであり、これは日本の創価学会と共通性を有する一方で、ハワイの他の日系宗教と比べると例外的なものの方に属 。

職業・学歴に関しては際立った特徴を見出すことはできない。デイターは、創価学会のアメリカ人信者は低学歴者、軍人が多いことを指摘したが、そのような特徴づけは困難なように思われる。学歴については、選択回答でなく記述回答としたため、無回答が半数近くに上ったが、回答を記入してあったものの内訳は次の通りである。

日系人 :大学卒二九・四%、短大・ビジネスカレッジ等卒一〇・三%、高校卒四二・六%、中学校卒一六・二%、なし一・五%。

非日系人 :大学卒二五・八%、短大・ビジネスカレッジ等卒九・七%、高校卒五六・五%、中学校卒八・一%。

また、七七年度の調査結果(これは選択回答であった)では、日系人の場合、八四名の回答者のうち大学院修了四・八%、大学卒二二・六%、短大・ビジネスカレッジ卒二一・四%、高校卒四〇・五%、中学校卒四・八%、その他・無回答六・〇%となって 。

これを見るならば、日系人、非日系人を問わず、とりたてて低学歴に集中していると言うことはできない。七七年の調査結果では、日系人信者に話を限るなら回答者の年令層が若いこともあって、むしろ他の日系教団の信者よりも高い学歴を示している。

職業についても、軍人は非日系人信者に僅か一人いたのみで、会社員、店員、主婦、学生が大半を占める。この点には日系人と非日系人との間に大きな差異は看取されない。デイターの指摘との相違は、ハワイの特殊性を示しているのではなく、時期的な差、つまり、海外布教の最初期と二〇年近くたった時期との違いと考えねばならない。デイターの扱ったのは一九六〇年代前半の「創価学会アメリカ支部」の状況であるから、今日の「アメリカ日蓮正宗」には彼の示した特徴づけは必ずしも合致しない面があるのは当然であろう。

回答者の性、年令、学歴、職業に関して概略を知り得たところで、民族的多様性というハワイの特質が、信者の民族的背景にはどのようにあらわれているかを検討してみよう。これは日系人回答者と非日系人回答者との間で対照的とも言うべき明瞭な差異がある点が興味深い(表3参照)。日系人回答者の場合、八割近くが両親とも日系人である。これはハワイにおける日系人社会での通婚状況がかなり影響していると考えられる。すなわち、二世までは、日系人は日系人もしくは日本人と結婚するのがほとんどであった。片親のみが日系人という場合の内訳では、母親のみが日系人という方が父親のみが日系人というより圧倒的に多い。しかし、この場合、非日系人の父親は混血である者がほとんどである。

これに対し非日系人回答者をみてみると、約半数が混血であることがとくに目を惹く。また東洋からの移民の子孫も多く、なかでもフィリピン系の両親をもつ信者が目立っている。白人の信者も他の日系教団に極めて稀であることを考えるなら、比率としては多いとみるべきであるが、各国からの移民の末裔が非日系人信者の主流をなしているのが特徴である。混血がどの民族とどの民族のものかは、かなり複雑であり、一定の傾向性を見出すことは困難である。極端な場合だと、父方に、フィリピン人、スペイン人、ドイツ人、イタリア人、中国人、フランス人、イギリス人、ノルウェー人、母方にフィリピン人、中国人、スペイン人を挙げた回答者(一四歳・女性)もいる。
 非日系人の民族的背景がこのような結果としてあらわれてくるのは、ハワイの人口構成が基盤になっていることはもちろんである。それと同時に、NSAがとりわけ混血の人々を惹きつけている点には注意を払わねばならない。この点については、次節で再びとりあげることにしたい。
 次に、回答者が、いつ頃、誰の勧めによって入信したか、以前にはどのような宗教に属していた人が多いか、またNSAのどこに惹かれたのか、という点について話を進める。入信年に関しては、日系人回答者と非日系人回答者との間に時期的は差がある(表4参照)。前者が六〇年代後半を一応ピークとしながらも、五〇年代後半から七〇年代にかけて比較的平均化されているのに対し、後者は六〇年代末と七〇年代半ばに集中する傾向がみられる。最初期の信者は日本人ないし日系人が主体で、やがて非日系人にも広がっていったという北米全体での一般論はこの結果にも適用されるのであるが、非日系人への広まりの時期がやや遅いように思われる。ハワイはアメリカの他のどこの州よりも日系人が多いところであるから、日系人の折伏に費されるエネルギーがより長期に必要とされ、それだけ非日系人に対する折伏は時期的に遅れた、という推論も成り立ちうる。
 初期の非日系人信者とその入信理由の典型は、アメリカ人男性が日本人の妻に勧められてというものであったとされているが、この調査結果では、入信を勧めた(折伏をした)のは友人が断然多い(表5参照)。配偶者の勧誘による入信は一割に満たない。ただ日系人回答者に比べると、多少配偶者による勧誘のケースが多いことが分り、またその逆に親による勧誘はずっと少ないことが分る。友人というのは、入信以前から友人であったのか、入信後、結果的に友人になった人なのか必ずしも断定し難いところがあるが、会員と答えた人と合わせて、家族・親族以外の人からの勧めが過半数であることが言える。回答者数が少ないのでむろん断定はできないが、入信を勧めた人が誰かということと、入信年あるいは回答者の年齢との間に特別な相関関係は見出されない。従って誰の勧めによって入信するかは、布教の初期から現在に至るまで余り違いがないことが考えられる。ただし、日系人回答者の場合、親の勧めで入信した人は若い層に多く(一〇代六名。二〇代一四名、三〇代五名)、また入信時の年齢を計算してみると、二八名中二一名が二〇歳未満である。これは日系人信者の場合、いわば「二代目信者」(親の代で入信がなされ、その影響で信者である人)が少なくないことを示している。
 NSAに入信する以前にはどのような宗教に属していたかを示したのが表6である。一九七二年にワールド・トリビューン・プレスから出された報 によると、一九七〇年までの信者に関して、以前に所属していた宗教は、カトリック三〇%、プロテスタント三〇%、仏教二五%、ユダヤ教六%、その他四%、無神論者五%、となっている。仏教が多いのは、日系人信者がその頃で三割程度を占めていたことによるが、それを別としては、カトリックが多いことが注目されていた。ハワイでの調査もこれを裏付けるかのように、非日系人回答者の間では、この項目に回答を記入した人八八名のちょうど半数が、以前の宗教がカトリックであった。日系人の場合はそれほど目立たないが、それでも、回答を記入したもの四三名のうち一七・五%を占める。
 なぜ以前カトリックを信仰していた者からの入信が多いかについては、簡単な結論は下せず、これはむしろ今後の研究課題と言えるが、少なくとも次の三つの理由は考慮の対象とされてしかるべきであろう。

(1) ハワイにカトリック人口が多いことを反映している 。

(2) カトリックを信仰している民族層(フィリピン人、ポルトガル人など)からの入信者が多いことを反映している。

(3) カトリックの教義・活動あるいはカトリック教会が果している社会的機能とNSAのそれらとの間に、なんらかの相関関係もしくは相補関係が存する。

このうちでも、 (3)の点を検証していくには、カトリック教会及びNSAの双方におけるかなりインテンシヴな調査が要求されることは言うまでもない。

最後に、非日系人信者は、NSAの教えの特徴をどのようなものと把握し、また入信後どのような変化が生じたと考えているか、という点について検討する。その材料としては、「NSAの教えのうちで、もっとも魅力的な点は何であると思いますか」および「NSAに入信して後、どのような功徳ないし個人的体験を得ましたか」という二つの設問に対する回答結果を用いる。回答は自由記述としたが、短く単語のみを記したものから、数行にわたって説明を加えてあるものまでさまざまであった。また二つの設問内容は互いに密接に関連するものであるため、回答内容も二つともほぼ似たようなものであるものが少なくなかった。

最初の問への回答については、なるべく同一項目にまとめられるものはまとめ、大きく五つに整理した(表7参照)。「個人の変革」とは、人間革命ができる、宿命転換ができる、自分を変えられるなどの表現をまとめたものである。「直接的利益」は、現証がある、問題を解決できる、さまざまな利益がもたらされるなどである。また「具体的実践活動」は、世界平和、ヒューマニズムの唱導、他人を助けようとする点、などである。「個人の変革」は「直接的利益」に包摂されるとも考えられるが、「人間革命」「宿命転換」など自己変革に関する創価学会の中心的スローガンを実現した一群のものとして独立に扱った。

表7と表8に示された結果は、非日系人信者がNSAに何を求めているかを直接的に表わしていると解釈することができる。表7がやや公式化された言い表わし方を、また表8がより実感的な言い表わし方をしているという相違が読みとれるが、双方に対応関係があるのは一目瞭然である。とくに「個人の変革」に対応するものとしての、「精神上」、「良い職を得た」、「物質的利益があった」が目立っている。

創価学会の教学では、文証・理証・現証という考え方が重要な位置を占めることは周知の通りであるが、実際の布教活動に際しては現証という点がとりわけ強調される。NSAの場合もその傾向は変らない。異文化の中の布教にあっては、文証、理証に比べて現証という用語は、もっとも説明がしやすく、また説得力をもつものであることは容易に想像ができる。事実、回答者たちも現証( actual proof)の語を用いて説明しているし、また、一般にワールド・トリビューン紙に掲載されている体験談のなかにはしばしばこの語が出てくる。従って表8はまた、さまざまな現証が述べたてられたものと見ることもできる。

こうした非日系人回答者の回答を日系人のそれと比べると、全体の傾向においてはほぼ共通していると言えるが、非日系人信者には一つだけ特徴的なことがある。教学や教団の具体的活動方針への関心がやや劣る反面で、人間関係に大きな比重が置かれている点である。表7においては「会員との交流・団結」が四番目に、表8においては、「家族内が平和になった」ことが三番目に多い回答内容となっている。いずれも日系人の二倍のパーセンテージである。非日系人回答者の約半数は混血であり、彼らをとりまく民族的環境は複雑である。NSAは彼らにとって帰属集団的意味をもち、また家族内の人間関係の調整は大きな関心事であると考えられる。

 

若干の考察

 前節ではクエスチョネア調査の結果の主要なものにつき、紹介と若干の検討を行なったが、予め指摘しておいたように、この調査は教団に委託したものであり回答者数もそれほど多くないので、これでハワイのNSA信者の全体像を安易に築くわけにはいかない。だが、これだけの回答数でも、かなりはっきりした特徴や傾向がみえるものは、その理由を推論し、場合によっては仮説を立ててみる価値はあるわけで、そのように処理してきた。関心の焦点は、つまるところ、少なからぬ数のハワイ在住の非日系人が、彼らにすれば異文化産のしかも戦後急に出現した宗教になぜ入信し、活動を行なっているかということであった。そしてこれを、(a)NSAが他の日系教団(日本から海外に進出し、布教・教化活動を行なっている教団を仮にこう呼ぶことにする)に比べてなぜ多くの非日系人信者を有するか、(b)これら非日系人信者はどのような人々なのか、(c)彼らはNSAをどのように理解し、どこに惹かれているのか、という三つの問に分解して考えてきた。そこでこの三つの点につき、前節での論議を踏まえながら、やや視野を広げて考察し、問題点を整理しておきたい。

まず、ハワイのNSAが他の日系教団と比較して、多くの非日系人信者を擁する理由であるが、非日系人に布教を行なうための組織的体制が早期に用意されたことを第一の要因としなければならない。なかでも、布教・教化活動に当って、専ら英語を使用するという方針がNSAの本部で出され、ハワイにもこの方針が漸次浸透したということの意味は大きい。これによって非日系人への布教が容易になったばかりでなく、入信後の活動も、日系人と非日系人は基本的には対等となり得たわけである。
 既に述べた如く、ハワイにおいて日系人社会はいわば「多数派のマイノリティ」であるから、日系教団は異文化の地で活動を行なっているという意識がともすれば薄れがちになる。とくに戦前から主に日系人を布教対象として存続してきた教団はそうである。従って異文化の地での布教ならばまずイの一番に考えられてしかるべき言語 が、最近になるまで痛切には感じられなかった。また、言語問題が頻繁に論じられるようになったのも、非日系人を対象にする上で、というよりも、日本語を解さない日系人三世、四世への対応として、という色彩が強い。戦後の新宗教教団の場合も、非日系人への布教の試みは、日系人三世、四世への布教の延長線上に副次的になされるというのが通例である。NSAは、はっきりと非日系人を布教の主要な対象とみなすようになっ で特異な存在である。
 表9は、ハワイにある日系教団のうち一八教団についての回答者たちの知識を問うた結果の一部である。これによって非日系人回答者に関しては次のことが分る。

(1) 既成仏教教団への知識はかなりあり、なかでも日蓮宗がもっともよく知られている。

(2) 新宗教教団への知識はこれに比べかなり少ないが、天理教は少なくとも名前だけはよく知られている。

(3) 知識の度合の全体的傾向は日系人回答者のそれと類似しており、ほぼ相似縮小した形になっている。

 これらの点から、非日系人回答者の日系教団への知識は、ハワイの人々が日系教団に関して有する知識の一般的 および(または)NSAの提供する他の日系教団についての情報、に対して従属変数的な位置を占めていると考えられる。従って、NSAに入信した非日系人が他の日系新宗教にも関心を寄せていたとは考えにくく、やはり、NSAは、日系人社会の枠の中から非日系人社会の中へ積極的に進出した、特異な日系宗教集団であったと解する方が妥当であろう。
 非日系人に対する布教体制の組織的整備ということによって、NSAがなぜ多くの非日系人信者を抱えるかの一つの有力な説明となるが、もちろんそれだけでは不充分である。NSAはどのような点で非日系人をひき入れることができたかを考えると、これは先にあげた (b)と(c)の点へ直接的に係わっていく。そこで、単に非日系人というだけでなく、どのような非日系人かということが問題となるわけである。回答者の属性についてはいくつか示したが、これをもとに、ハワイの歴史的、文化的特性、つまりは「移民の島」という点を考慮すると、民族的背景に絡まる問題はもっとも重要である。回答結果においても、回答者たちにリーダー層が多かったことは考慮せねばならぬにしても、初期の信者について言われたようにとりわけ社会的に下層であるとか、学歴が低いとか、の特性を見出すことはできなか 。しかし、民族的背景については、はっきりした傾向が見出せた。それは混血の多さである。
 ハワイでは、日本人のほか、中国人、韓国人、フィリピン人、ポルトガル人などが移民の主流を占 。各移民の通婚形態はそれぞれの民族ごとに異な 、一般に異民族間通婚あるいは異文化間婚姻( Intercultural Marriage)は増える傾向にある。こうした人々の信者が多いということは、ハワイの人口構成を反映しているという以上に、NSAの果たしている機能に関する一つの推論を誘う。それは、NSAはいわば文化的シンクレチズムの状況にある人々の心理的欲求に合致する要素をもっているのではないか、というものである。「人間革命」はマスローのいう「自己実現」と内容的に似ているのではないかというレイマンの指摘は示唆するところが多いが、どのような方向性をもつ自己実現なのかがさらに問われるところである。ハワイの非日系人信者、とくに混血の信者にとって、NSAに入信し、その宗教活動に参加することは、文化的シンクレチズム状況の不安的性が、この宗教集団の有する価値規範の高度の画一化により解消されるという可能性を与えるもののように思われる。

 さて、最後の (c)の点については信者の主観的認識に立脚して論をなさねばならぬから、簡単には論議を集約できないであろう。ここでは論じなかったが、NSAの儀礼や実践活動の内容も視野に収める必要があろう。NSAの毎年のコンベンションへの参加、またハワイの年中行事であるアロハ祭(一〇月)、カメハメハディ(六月一一日)やアメリカ独立記念日(七月四日)の行事への教団としての参加は、教団活動の中ではかなりの位置を占め、またこれを通じての連帯意識の強まりは信者に充実感を付与すると考えられるからである。しかしながら、非日系人信者のNSA理解、またそのどこに魅力を感ずるかということに関しては、NSAの説く現証という考え方を筆頭に取り上げねばならぬであろう。クエスチョネアの結果でも分るとおり、この点では日系人信者との間に格別の相違はなく、またどのような内容の現証かについてもほぼ共通していた。つまり、現証という、比較的容易に通文化的に訴えうる観念の強調は非日系人を運動に巻きこむに当っての有効な武器になったと言える。

 教学部員は非日系人信者の中にも多い(回答者に話を限れば、八五名七四%が教学 であることを明記していた)から、教学的関心が低いとは言えない。だがそれは仏教哲学への関心というより、むしろ「NSAの教えはアロハ精神である」といった日常感覚に基づいた理解が支配的である。何度か参与観察する機会のあった座談会の討議においても、専ら、実生活上の訓戒と、勤行に励めば必ず現証があらわれるということの強調が中心となっていた。これらの点を総合的に判断するなら、現証という観念、また実際に現証を得たと感じた体験が、非日系人信者にとっても信仰を持続するに当っての大きな要因になっていることは疑い得ない。

小論では、ハワイのNSAがなぜ多くの非日系人信者を有するかを、その布教体制、ハワイの社会的文化的状況、NSAの教えの特徴などに論を及ぼしながら簡単な考察を行なった。しかし問題はこれに尽きるわけではない。とりわけ、一人一人の非日系人信者がなぜこのNSAが広げた意味世界の中にはいってきたのか、そしてそれは彼らが以前に有していた意味世界とはどのように異なるものと受けとられているか、といったより宗教学的な 、さらに詳細な研究を待つ次の課題である。 


(1) これらの教団のハワイにおける活動の沿革と現況については、柳川啓一・森岡清美編『ハワイ日系宗教の展開と現況―ハワイ日系人宗教調査中間報告―』(東京大学宗教学研究室、一九七九年、以下『中間報告』と略記)及び同編『ハワイ日系人社会と日本宗教????ハワイ日系人宗教調査報告書????』(同、一九八一年、以下『報告書』と略記)参照。

(2) NSAは現在はNichiren Shoshu・Sokagakkai of Americaの略号であるが、当初はNichiren Shoshu of Americaの、そして一九七三年から最近まではNichiren Shoshu Academyの略号とされていた。

(3) James Allen Dator, Soka Gakkai, Builder of Third Civilization; American and Japanese Members, University of Washington Press, 1969.
(4) Robert S. Ellwood, Jr. The Eagle and the Rising Sun: Americans and the New Religions of Japan, The Westminster Press, 1974. エルウッドはまたReligions and Spiritual Groups in Modern America, Prentice-Hall, Inc., 1973においてもNSAに触れているが、ごく簡単な紹介に過ぎない。
(5) Emma McCloy Layman, Buddism in America, Nelson-Hall, 1976.
(6) George M. Williams, NSA Seminars: An Introduction to True Buddhism, World Tribune Press, 1974によれば、貞永昌靖(一九三〇〜)は、一九五四年に明治大学を卒業後、五七年に渡米してカリフォルニア大学ロスアンジェルス校、ジョージ・ワシントン大学で政治学、行政学を学んだとされ、またその後、六二年にはメリーランド大学大学院で政治学の修士号をとったとされている。
貞永は組織的布教の始まる前の折伏活動や座談会の様子について次のように語っている。
「わたくしのいるワシントン近郊の学会員は、毎週一回の座談会と月に一度の幹部会を開いて、本部幹部会の指導を、われわれにあてはめてやっています。折伏はアメリカ人と結婚した日本婦人のお友だちをたずねて、百マイル、二百マイルの先まで車をとばして行く。まず、日本人を見つけようというのが、現在精いっぱいの活動ですね。座談会はご主人同士の座談会と、奥さんたちばかりの座談会とに分けてやっています。ほかの行事がありませんから、会いたくてたまらないという気持ちが、座談会に満ちています。それに読むものがありませんから、聖教新聞は広告まで読むということになっちゃいます。」(聖教新聞、昭和三五年三月一〇日)
(7) このときの渡米には、池田会長のほか、北条副理事長、柏原、石田、小平の各理事、それに秋谷青年部長が同行した。渡米目的は、大客殿建立の資材購入と現地学会員の指導とされていた。(昭和三五年一〇月五日付の聖教新聞参照)。また、このとき、アメリカにはサンフランシスコ、ネバダ、シアトル、シカゴ、ケンタッキー、ニューヨーク、ワシントンD・C、セントルイス等に地区が結成され、ロスアンジェルスには支部が結成された。

(8) World Tribune 1967, May 13参照

(9) 現在はNSAの機関紙である。創刊は、一九六四年八月一五日で、当初はタブロイド版で月刊あった。翌年に週刊、さらに週三回刊となった。現在は再び週刊にもどっている。
(10) World Tribune 1967, May 13参照。

(11) 現在は、これにワシントンとニューヨークのものを加えた四ヶ寺が存する。
(12) これはあくまで教団側の発表であり、また累積信者数と考えられるから、実際に活動している信者数はこれをかなり下回ると考えるべきである。
(13) 前掲『中間報告書』の中に調査結果をまとめたものが記載されている。
(14) 配布を委託した三百票のうち二三〇票が回収されたが、そのうち記入が不完全で統計処理に不適当と思われた六名分を除く、二二四名分が今回の分析の対象とされた。
(15) 日系人であるかどうかは、従来は父方の民族的背景によって決定するのが慣例であったが、最近のセンサスでは母方を基準にするように変った。ここでは、父もしくは母の少なくともどちらか一方が純粋に日本人もしくは日系人である人を日系人として扱うことにした。
(16) 『中間報告書』の「集計表」(七五頁)によれば、日系宗教一三教団四七九名の出生年別でみると、一九五一年以降の出生者の割合が一一・七%、一九四一年以降では二二・八%である。このうち創価学会(NSA)は、それぞれ二〇・二%、四六・四%であるから、比較的若い世代での割合が高いことが分る。
(17) 『中間報告書』七九頁参照。
(18) NSA Seminer Report 1968-1971, World Tribune Press, 1972.
(19) ハワイ大学宗教学科が一九七二年に行なった調査ではハワイの宗教人口は次の通りである。ただし、きわめて、大雑把な数である。
(20) ハワイ日系教団における言語問題の一般的状況については、拙論「ハワイ日系宗教の模索とジレンマ―言語問題を中心に―」(宗教社会学研究会編『現代宗教への視角』、雄山閣、一九七八年、所収)参照。
(21) ハワイで非日系人への布教に比較的力をいれている他の新宗教教団としては、世界救世教、真如苑、パーフェクト・リバティなどがある。世界救世教と真如苑の活動に関しては、石井研士「日系新宗教における青年層の受容―世界救世教と真如苑の事例を中心に―」(『報告書』所収)参照。
(22) ハワイの人々が日系宗教についてどの程度の知識をもっているかについての調査例はないが、日系人の高校生一六八名を対象にした調査は行なってある(拙論「ハワイ日系人社会における世代交代と宗教的関心」、『報告書』所収、参照)。この結果からみると、既成仏教教団についての知識は比較的高く(中でも本派本願寺が六六・七%ともっとも高い)、新宗教への知識は乏しい。また、新宗教の中では、NSAと天理教がきわだって(二七・四%)いる(その他の新宗教は一〇%以下)。
(23) 社会階層、学歴等について詳細を論じるには、別の質問項目による、より大規模な調査が必要である。鈴木広「創価学会と都市的世界」(『都市的世界』誠信書房、一九七〇年、所収)やJames W. White: The Sôkagakkai and Mass Sosiety, Stanford University Press, 1970. に示された日本の信者層との比較研究は今後の課題である。
(24) 一九七九年の調査時に筆者はハワイ島のヒロ、マウイ島のカフルイ・ワイルク地区での座談会に出席したが、そこで面談調査を行なった六人の非日系人会員のうち、四人は混血であった。
(25) 『アロハ年鑑』(ハワイ報知社、一九七七年)によれば衛生局方式による人種別人口は次の通りである。

表や図は省略)


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