宗教研究と「出会い型調査」

【要旨】

 宗教学にとって、実態調査は重要な研究方法の一つである。人間を相手にする調査は、いくつかの微妙な問題を孕んでいる。とくに、特定のインフォーマントを対象にし、そこから得られた情報内容をもとに考察を進めるやり方においては、研究者とインフォーマントとの間で、人間関係を含めて、研究以前の、あるいは研究を越えた問題が関わってくる。そして、それがまた、研究結果にも影響を与えることは、当然想定されねばならない。この種の問題については、とくに人類学者の一部が、強い問題意識をもって議論している。宗教学においても、さまざまな手法による現代宗教の実態調査が盛んになっており、真剣に検討されるべきテーマである。本論文では、研究者とインフォーマントとが、パーソナルに向かいあい、またそうして向かいあったことが、新たな人間関係をもたらし、以後も相互に影響を及ぼす可能性のある調査を、「出会い型調査」として、あらたにカテゴライズする。そして、宗教に関する事柄が、出会い型調査のテーマとなっているとき、どのような特質が生じるかについて議論する。

[キイワード]インフォーマント、現代宗教、実態調査、出会い型調査、方法論、マレビト効果

  一、出会い型調査

 宗教学の研究方法として、実態調査の占める比重は、しだいに増加してきている。とくに、現代の宗教を研究する上では、不可欠なものである。調査法としては、参与観察法、面接法、深層面接法、質問紙法などが、代表的な調査法とされている。調査対象も、個人、特定年令層、教団、地域社会、全体社会など、種々のものがある。目的はさらに、多様なものとなろう。また、これとは別に、実態調査を行なっているという意識を伴わなくても、実質的に実態調査的になる行為がある。関係者との雑談的な会話も、面談調査の機能をもちうる。教団に出かけてゆき資料をもらうという行為にも、その前後に、調査的行為が伴うことがある。つまり、宗教を現代に生きている人を通じて研究するとなれば、大なり小なり、調査もしくは調査的行為を伴わざるをえないのである。

 実態調査においては、研究者と調査の対象となった人間とが、どのような人間関係にあったかによって、調査結果にも微妙な違いが出てくることが想定される。また、調査後もその人間関係が、継続されることがある。そこでは調査された事柄以外の問題で、調査の余波が及ぶこともありうる。ここに両者の相互影響というテーマが設定される。その影響の度合いは、当然のことながら、調査方法によって大きく異なる。相互影響がきわめて大きいものから、ほとんど無視できるものまで、いろいろなレベルの調査がある。深層面接調査という方法を選んだり、長期的に参与観察を行なったりすれば、相互影響はどうしても大きくなる。他方、ランダムサンプリングによる無記名のアンケート調査を、郵送法で行なうときには、相互影響は事実上無視していいだろう。

 ここで、研究者とインフォーマントとが、パーソナルに向かいあい、またそうして向かいあったことが、新たな人間関係をもたらし、以後も相互に影響を及ぼす可能性のある調査を、「出会い型調査」として、あらたにカテゴライズしたい。調査という行為が、結果として一種の出会いの場になるという側面に注目しての命名である。したがって、これは従来の調査方法を基準にした区分とは、異なった区分原理である。では、どのような調査が出会い型調査ということになるであろうか。

 宗教学の関連分野で出会い型調査に含みうる調査を行なっているのは、文化人類学(民族学)、民俗学、社会学、社会心理学などである。人類学者が特定のインフォーマントをみつけて行なうフィールドワークは、ほとんどが出会い型調査にはいる。そこでは、長期にわたるインフォーマントとの付き合いがある。大きな相互影響がないほうがおかしい。民俗学者の聴きとり調査も、出会い型調査になることが多い。[1] その地域の習俗に詳しい人を度々訪ね、いろいろと話を聞くとなれば、大なり小なり相互影響を免れない。社会学の調査法は、統計法と事例法の大きく二つに区分されるが、事例法で、しかも自由回答法の面談調査となると、出会い型調査になるものも出てくる。また、個人のパーソナルヒストリーを、事細かく聴き取るような調査は、ほとんどが出会い型調査となろう。社会心理学でも、小集団を長期にわたって観察するというような調査法をとれば、出会い型調査の要素を含むことになる。

 宗教学自身に話を移すと、実態調査をもっとも盛んにやっているのは、新宗教研究、民俗宗教研究の領域である。たとえば、新宗教研究においては、教祖、後継者、支部長などの教団幹部的な人物や、一般の信者などを対象に、宗教体験、入信の契機、活動の内容、今後の方針など、かなり立ち入った話が聴取されることが多い。歴史的沿革について質問した場合も、現実に展開しつつある事態と密接に関係する場合が多いので、きわめて厳しいやりとりが交わされることもある。そうしたこともあって、出会い型調査の要素は色濃いものとなる。また、民俗宗教研究の場合も、事情はほとんど同じである。ここでは、シャーマン的職能者とか、霊能祈祷師などと称される人々に、長期にわたる聞き書き調査が試みられたりする。[2]

 なお、出会い型調査の対象になる人物については、情報提供者や面談相手に対してよく使われるインフォーマントという言葉で総称したい。出会い型調査では、研究者と調査対象者とが、一方的な関係には終始しないと想定される。研究者は、ひたすら情報を集め、分析し、調査対象者は、情報の吐き出し係で、分析に関しては「俎板の鯉」というわけではない。双方向の影響が論じられなければならない。その点からすると、インフォームの語源が、ラテン語の「形作る」であることは、この場の議論には、きわめて、ふさわしいことに思われる。

  二、問題の背景

 なぜ、出会い型調査について議論するのか。大きく二つの理由を掲げておきたい。一つは現代という時代がもっている構造への考慮である。今日のような社会システムのもとで、実態調査を行なうとき、研究者は、自らがどのような相互関係のもとに置かれる可能性があるかを認識する必要性が、増大していると考えられる。現代は、研究者とインフォーマントとの相互関係は、以前よりはるかに複雑な様相を見せるようになっている。たとえ意図としては、純粋に学問的な問題への関わりとして完結させようとしていても、実際には、それが非常に困難になりつつある。そのことを、調査における倫理的な側面や、調査内容に及ぼす影響において、考慮する必要が出てきている。

 もう一つは、現代において宗教が社会的にセットされている位置への考慮である。現代社会において、宗教はますます多義的な機能を担うようになっている。現存の社会制度を維持する輔翼的な教団もあれば、社会の矛盾や歪みを体現している運動もある。個人化傾向を促進するような運動もある。また、宗教は私的な領域の問題へと移動しつつある、という指摘もある。[3] 現代日本では、宗教への関わりは自由で、かつ多様化する傾向を指摘できるが、それだけに宗教問題を扱う目もまた柔軟にならなければならない。そこで、宗教に関わる問題を調査する場合、何を問うのか、問うたことがどんな余波を生むのか、という問題意識を、一層鮮明に自覚化する必要性が増してきているということである。 最初の点から少し補足しておこう。現代社会においては、調査後における、研究者とインフォーマントとの相互影響というものが、以前よりも生じやすくなっているのは、間違いない。それは、現代社会の条件によっていると考えられる。主に、日本の状況を念頭におくなら、次の四つの条件がとくに重要であろう。すなわち、情報メディアの発達、交通手段の発達、文化圏・生活圏の相互接触の増大、教育・知識レベルの平準化である。

 まず、情報メディアの発達であるが、これが相互影響を増大させることは容易に想像できようが、分かりやすい例を一、二あげよう。印刷物の増加、映像メディアの発達、そうしたことによって、研究者が調査結果を刊行したり発表したりした場合、インフォーマントがそれに接する機会が増えた。研究成果について、インフォーマントが関知できないという状況は、減少に向かっている。研究者の側も、調査したことが、インフォーマントあるいは、インフォーマントの属する組織や社会に、どのような影響を与えたかを知る機会が増えてきた。映像メディアの発達は、調査以後の、調査地や調査宗教の変化を知る機会を増やした。さらに、研究者が、調査結果を映像メディアで紹介すれば、影響の大きさは、印刷物の比ではない。

 第二に、交通手段の発達がある。これは、研究者とインフォーマントが、調査の後も常に交流を深める機会を多くした。国内の交通網の整備はもちろんのこと、航空機の発達は、地球の距離を縮めた。この便利さを享有できるのは、まだ限られた国の人々である。とはいえ、全体として、地理的な絶対距離に依存しない新しい距離マップができ、実感的な距離が縮まったことは疑いのないことである。そのことが研究者とインフォーマントの関係をより持続的なものにする可能性を高めている。

 第三に、文化圏、生活圏の相互接触の増大である。国内的には、地域共同体の弱化、人口移動の激化などに代表される。国際的にも、接触増大は加速化している。経済活動の国際化、グローバル化、あるいは労働力の国際化に代表されるように、人間の移動は、生活と文化の接触機会を増やした。研究者とインフォーマントの生活圏もしくは文化圏が、交錯する可能性が増えれば、両者が、調査した者と調査された者という関係にとどまらない可能性もまた大きくなる。

 第四に、教育・知識レベルの平準化である。これは、大衆社会と言われるものの特質の一つである。研究者とインフォーマントの間に、知識や教育レベルにおける差を想定することができないばかりか、インフォーマントの方がずっと優れた学識を示すことも稀ではない。となれば、「三人行なえば必ず我が師あり」という俚諺は、人生教訓の類にとどまらず、きわめて現実的な状況として展開することになる。

 一応四つに分けて述べたが、これらは相互に関連している。とくに最初の三つは、関わりが深い。これらの条件は、いずれも研究者とインフォーマントが、調査後も接触交流の機会を増大させるような効果をもたらしていることが明らかである。ここで、研究者とインフォーマントの間に、意図しようとしまいと、調査後も関わりが生じることを、本稿では便宜上「事後効果」と称することにする。先の四つの条件は、あらゆる社会において、ほとんど不可逆的と言えるほどに、進行を続けている。とすれば、事後効果は強まる傾向にあるということを、研究者は認識しなければならないことになる。

 次に、現代における宗教という観点についても、少し補足しておきたい。現代社会においては、宗教は多様な姿をとっている。西洋世界では一時期盛んであった宗教衰退論が影を潜め、[4] 宗教復興が言われることの方が多くなった。東欧の変革のなかでも、宗教の底力が、あらためて見直されている。民族紛争には宗教が絡むことが多い。国内では、実態はともかくとして、宗教ブームという言い方がしばしばなされる。宗教は、近代化、工業化、情報化と呼称されるような変化の中でも、変わらぬ力を発揮することが、あらためて認識されている。

 その一方で、宗教に対する社会的な評価は、むしろ旧態依然のことが多い。宗教活動の一部を取り上げて批判したり、興味本位で紹介するのは、相変わらずである。要するに、激動する社会との関係において、宗教が多様な展開をしていく一方で、それを見る社会の目の方は、なかなかその変化についていっていない。こうした状況であるとすれば、宗教研究者が、どのようなスタンスで、調査に臨むかということは、慎重に議論すべきことである。研究者の示した評価が、全体社会の宗教に対する評価に影響を及ぼしていくという事実は、研究者の側で強く意識する必要がある。

 さらに、研究者はインフォーマントと、価値観をさらけ出すことなしに会話を続けることが、いっそう難しくなってきているのも事実である。学術調査であるからといって、それだけでインフォーマントが、賛意や敬意を表してくれることを期待はできない。宗教調査ではむしろ警戒されることの方が多いようである。[5] となれば、文字資料やモノではなくて、人間を相手にして調査をするということが、一体どのような性格をもった情報収集作業になるのか、そこにどんな注意が必要かということは、きわめて重大な課題になっていると言わざるを得ない。

 こうした問題関心のもとに、以下では、現代宗教を対象として出会い型調査を行なっていくときに生じると思われる問題を、議論していきたい。まず、研究者に焦点をおいて議論し、次にインフォーマントを中心に議論する。そして、宗教調査であるがゆえの問題点を吟味する。出会い型調査を焦点としながら、宗教研究における調査の意味を検討していくことにする。

  三、優位性と媚び 研究者の選択

 宗教研究にとって、出会い型調査が増え、資料・データが集まることは、宗教現象を解明していく上で有意義なことに違いあるまい。内省により得られた洞察も重要であるが、やはり数多くの人間の意見や見解が蓄積されていくことは、議論を説得的なものにしていくと期待できる。だが、ここで大きく問題となってくることがある。そのように調査されていく相手にとって、このような調査の対象になることは、どんな意味をもつのかを、調査する側は考えなくていいのか。また、そのことを深く考えず調査を進めた場合、研究上にどんな歪みがもたらされるのであろうか。

 事後効果の小さかった時代においては、インフォーマントをもっぱら、情報を搾取する対象としてのみ割り切ることが容易であったかもしれない。しかし、研究者が、インフォーマントを情報の搾取対象にとどめられる時代は、もはや終焉を迎えているのである。搾取という言葉を使うと、刺戟的かもしれないが、相手から情報を集めるだけ集め、自分の研究成果をあげることにのみ関心を寄せ、調査が相手に与える影響をほとんど考慮しないとなれば、この態度は、情報と利益(経済上、業績上の双方を含む)の搾取と呼ぶのがふさわしい。もっとも、そのような研究者は、今日においてすら、稀とは言い難い。資料を集める段階では、相手の迷惑も考えずたびたび調査におしかけながら、必要な資料・データが得られたとなると、インフォーマントには一顧だにしない、という研究者もいる。この種のことは、基本的には、礼儀作法ないし倫理の範疇にはいる問題であろう。だが、同時に、研究者が実態調査をどのように捉えているかを、端的に表現する事柄でもある。

 研究者とインフォーマントの間に横たわるパーソナルな問題に、まず人類学者が非常に繊細な感覚を示したというのは、当然のなりゆきである。長期にわたるインフォーマントとのつきあいが、情報の搾取だけに終わるとしたら、それこそ大きな問題である。調査は相手への侵犯ではないかと悩んだり、相互関係の本質を考えようとしたりするのは、とくにポストモダン民族誌と称される研究を行なう人類学者などに多いようである。[6] 人類学者が、自分の調査について、一般に自省的になっていく背景には、先に述べたような条件が、痛切に感じられるようになっている事実を想定できる。研究者の住む国とイ

ンフォーマントの住む国との間の往来が、しだいに頻繁、かつ自由になる傾向は明らかである。もはや未開社会などというものは、ほとんど姿を消しつつある。インフォーマントの属する社会の文化状況も変化している。[7] たとえ国が違っても、研究者が書いた調査に関する著書、論文の類を、インフォーマントが読む機会は、どんどん増えつつある。研究成果を相手が読まないであろうと前提することは、ますます難しくなる。

 あっさりと言ってしまえば、無文字文化の未開社会から集めたデータを、研究者が自分だけの判断で、理論の肉付けに使っても、インフォーマントは文句を言わない、あるいは言えない、という状況は、しだいに消えつつあるということである。研究者は、インフォーマントからの逆襲も考慮しなくてはいけなくなる。その点で、人類学の調査も、社会学的調査と重なる面が広がってきたと言える。

 宗教学においても、国外での宗教調査であれば、人類学の調査と似たような局面に置かれることがある。しかし、現代宗教を調査するようなときは、少し異なる局面も生じる。人類学の調査では、通常、相手の文化や思考法を理解したか、というような点に重点が置かれる。現代日本社会を対象にする場合は、文化間のギャップはそれほど問題にしなくていい反面、別種の問題が、より切実になる。この点で最初に取り上げたいのは、研究者が、インフォーマントに対してもつ優位性の問題と、そこから派生する調査される側の「媚び」という問題である。研究者がインフォーマントに対し、一種の優位性を帯びるとは、どういう意味であるか。研究者が研究者であること自体に社会的地位があると思い込み、そうした態度で相手に接すれば、そこに主観的には優位性(もしくはある種の権威)が出現することになろうが、こうした戯画的な側面を問題にしているわけではない。要するに、調査結果が公表されるという前提があった場合に生じる、心理的な力学を指している。

 調査時に生じた情報内容が、文字化される可能性があるとすれば、インフォーマントは、本来的に弱みを抱えることになる。もし、公表されることを積極的に望んでいるとするなら、自分もしくは自分たちを「売り込む」必要がある。たとえば、自分のライフヒストリーを肯定的に評価して欲しいとか、教団のことをよく書いて欲しいとか、[8] 地域社会のよさやイベントの楽しさをアピールして欲しいというような意図をもつ。[9] こうした場合には、調査時の対応において、インフォーマントの側に一種の媚びが介在する可能性がある。媚びという表現は、あまり適切ではないかもしれないが、弱みを補う行為をこうした言い方で強調しておこう。媚びにも、過度の接待といった単純な媚びや、華やかに見える儀礼に招待したり、自分(たち)が真摯に宗教に取り組んでいる姿を強調するといった、やや洗練されたものなどが考えられる。

 他方、できる限り書いて欲しくないという防衛的立場があったとすると、自分もしくは自分たちを、研究者に対し必要以上に晒すことがないように、絶えず注意を払わなければならない。触れたくない話題は避けられ、合わせたくない人物は紹介しないという方針がとられたりする。「ペンは剣より強し」は、権力に立ち向かうジャーナリストの勇ましい標語であるが、こうした場合は、インフォーマントにとっては、「ペンは剣より怖し」なのである。 いずれの場合であろうと、研究者は、結果を支配しているという意味において、優位に立つ。それはしかしながら、同時に情報内容に歪みをもたらす可能性を伴っている。優位性が顕著であればあるほど、つまりインフォーマントの側に、媚びや防御の意識が強ければ強いほど、その歪みは大きなものになると想定される。優位な立場に立つこと自体は、構造的に避け難いとすれば、あとはそのことを研究者の側が十分認識しておくということが必要になる。

 相手が書いて欲しい側面のみを強調して記述すれば、これはいわゆる御用学者の類となる。相手の弱みにのみ、故意に焦点を当てれば、ブラックジャーナリストの類となる。あえて、御用学者的立場、あるいは逆にブラックジャーナリスト的立場をとる研究者の、いわば確信犯的行為には、ここでの議論をつきつけても仕方がない。むしろ、着実な研究をしているつもりでも、つい陥りがちな偏りという意味においてこそ、この優位性の問題がもっとも意識化される必要がある。

 ところが、これと矛盾するようではあるが、研究者は、インフォーマントに対し、劣位に立ってもいる。やはり一種の弱みを抱えているのである。皮肉なようだが、誠実な調査を心がければ心がけるほど、その弱みは大きなものとなる。一般に調査は、インフォーマントから各種の情報や資料を引き出すことを、大きな目的とすると考えていいだろう。インフォーマントが、未公開の資料を提供してくれれば、それだけ調査の価値は増すことになろう。また、インフォーマントが、自分の特異な宗教体験について細々と語るといった類の「特別サービス」をしてくれれば、これも研究者にとっては、嬉しいことである。

 特殊な事例研究であれば、インフォーマントが、どれほど研究者の要望に応じてくれるかで、研究成果は一層左右されることになる。となれば、「特別サービス」を引き出すために、研究者の中には特別の工夫をする人がでてくる。相手の話に感激したような素振り、立派な本にしたいというような懇願。そこまでいかなくても、無意識のうちに、研究者は、相手の共感を誘うような言動をとるのが普通である。そうした行為が習慣化されれば、たとえば、どのような話にも、大仰に感動してみせる研究者というのも出現しよう。

 しかし、この劣位性をどう乗り越えるかは、出会い型調査においては、大変大きな問題である。もっとも単純な例で考えてみよう。インフォーマントに必要資料を提供することを拒否されたとする。研究者によっては、そのまま引き下がる人もいる。しつこく交渉する人もいる。一応引き下がりながら、他の手段で、同等の情報を得ようとする人がいる。中には、相手の目を盗んで、密かに資料をコピーして持ち帰るというような、悪辣な(もしくは極度に研究熱心な?)手段を用いる研究者もいる。これは想定ではなく、実際にこのような研究者は存在する。

 インフォーマントが自分の要求に応じてくれないことに対し、それを克服する手は、一つではない。ただし、少なくとも相手を欺くような調査は、研究者とインフォーマントのみならず、研究者集団に対する不信感をもたらすわけであるから、避けられなければならない。もっとも、これも確信犯には、あまり意味のない議論である。とにかくデータ、資料を集めることが研究遂行上は重要である、と考えている研究者に対し、再考を促すテーマなのである。

 この劣位性も、優位性と同じく構造的なものであるから、乗り越えるときは長期的になされるべきであろう。出会い型調査の特徴はそこにある。調査自体が出会いの場であると考えられるから、人間関係の深まりが、調査内容にも関係していく。最初の調査で拒否されても、次の調査では受け入れられるということがありうる。何が拒否の理由なのか、それを明らかにしていくことも、プロセスの一つとして考えられよう。ある情報のみが、提示を拒否されたとすると、その情報内容が他とは異なる性格をもっている、と理解されるわけだから、その事自身、調査対象たりうる。研究者とインフォーマントとの関係を再考する手がかりにもなる。そのようにして劣位性を補ったり、どのような形において劣位に立っているかを明らかにしていくことが、この調査の特質である。

   四、マレビト効果及び結果のコントロール インフォーマントの選択

 今述べた状況をインフォーマントの側に立って捉え直すと、どういうことになるであろうか。インフォーマントにとっては、調査は必ずしも歓迎すべきものではない。とくに宗教調査は、触れられたくないような内容を含む可能性が強い。調査されたいにしても、されたくないにしても、どの程度自分をさらけ出すかに関しては、一様ではない。その攻防ラインは、インフォーマントが、研究者とどのようなパーソナルな関係をもつかによって、大きく規定される。

 調査を自らや、自らの属する教団などの一種の宣伝に使おうとする場合であってさえも、あらゆることを包み隠さず話すということには、抵抗を感じる部分があるに違いない。研究者がインフォーマントの生活圏や文化圏に近いほど、一般にその抵抗は強くなると想定される。生活圏・文化圏の近さと事後効果との間には、正の相関が考えられるからである。調査結果が、以後の自分の生活に影響を及ぼす可能性が高くなるならば、インフォーマントは、発言が慎重になると考えるのが自然であろう。教団関係者であれば、教団が社会からどう見られるかということは、その人にとって、広い意味での生活圏の問題として理解できる。インフォーマントにとっては、研究者との生活圏ないし文化圏の距離は、なるべく隔たっていた方が、心理的に楽であろうと推測される。 この観点からすると、通常は、事後効果がもっとも小さくなると想定される外国人研究

者は、あまり公にはできない裏話などを含めて、面談に応じやすい相手ということになる。外国人による新宗教の研究が、初期よりかなり教団の事情や歴史に立ち入ったものであったことは、この点を議論する際の材料となろう。新宗教を淫祠邪教的にみる見方が強かった戦前においても、ヘプナー、グリーン、ロ−エルなどが、それぞれ、黒住教、天理教、神習教について、それぞれの宗教性を評価するような研究を発表している。また、戦後でみると、新宗教をまともな研究対象とする日本人研究者が、依然少なかった一九五〇年代に、マックファーランドが、新宗教の内情に踏み込んだ調査を行なっている。[10]これは、第一には研究者側の姿勢による違いなのだが、外国人による研究であることに対する、インフォーマント側の警戒の弱さという要素を無視しない方がいいだろう。[11]

 インフォーマントの文化圏、生活圏にとって、よそ者、一時的に歓待しても構わない人間、こうした研究者であるがゆえに、話がしやすくなるという傾向に対し、これを「マレビト効果」と称しておきたい。ところが、現代日本では、マレビト効果は、しだいに期待できなくなりつつある。研究者がマレビト的になること自体が少なくなってきているからである。それは地域調査においても、教団調査においても言えることである。ことに、教団調査の場合は、研究者が、教団関係者と関わりのない生活圏にいることは、ほとんどないと考えるべきである[12]。また、外国人が調査にあらわれ、その結果を母国語で発表した場合でも、以前なら、それがインフォーマントの目に触れることは少なかったが、最近では、もし英語での文献であると、一部の教団関係者は、そうしたものにも注意を払うようになっている。

 こうした一般的条件に加え、出会い型調査は、マレビト効果を薄める作用をもっていることを確認したい。マレビトは、一時的で稀なお客として訪れ、去っていかねばならない。一時的なつきあいであるからこそ、常以上の接待をしたり、身近な人には話しにくい話をしたりする。もし研究者が、一時的にその人の生活圏に到来し、二度とふたたび姿をあらわすことなく、噂を聞くこともないなら、インフォーマントはかなり打ち明けた話をする気になるかもしれない。しかし、出会い型調査は、調査後もさまざまな相互影響の機会がある。打ち明けた話が、いつ自分の生活圏に返されてくるか分からない。インフォーマントの用心は、だんだんと強まっていくことにならざるを得ない。

 そうした状況にあるとすれば、インフォーマントが、調査結果の波及効果を見越して、調査に対応するという事態も十分考慮しなければならない。つまり、インフォーマントも、自分(たち)になされた調査が、どのように自分(たち)に返ってくるかを予測して発言したり、資料を提供したりするということである。最近は、研究者の調査といっても、インフォーマントには、ジャーナリストによる取材と、ほとんど同じ感覚で捉えられるようになってきている。研究者とジャーナリストの境界線が、明確でなくなってきたことも一因である。[13]

 したがって、調査された場合は、それが公表される場面を想定する。テレビインタビューのように、発言がそのまま放映される、という現実に囲まれていると、研究者の調査に対しても、次第にそうした連想が働くことになろう。どう表現されるかが、研究者に委ねられているのではなく、自分がどのように表現したかに依存すると考えるようになる。すると、研究者の側では、インフォーマントによる結果のコントロールという要素を、考慮しなければならなくなる。美化された話、ドラマチックな話が登場しやすくなる。都合の悪い話は削除されていくだろう。虚偽というに近いほど粉飾された話も登場するかもしれない。自己防御はより洗練された形で出てくると想定される。これは、インフォーマントの立場にたてば、当然考えられる行為なのである。[14]

 自己防御という言葉が、やや消極的なニュアンスをもつとすれば、自己演出という言い方をしてもかまわない。インフォーマントの自己防御ないし自己演出は、現代に特有のものではないが、情報がリアルタイムで交換される時代には、より強まると考えるべきであろう。こうして生じていく歪みは、また研究者に対し、それにどう対処していくべきか、という課題を投げかけるのである。おそらく、この歪みは、多種多様なもので、研究者の対応もまた、多種多様ということにならざるを得ない。インフォーマントは、原則的にそのような歪みを伴った情報を提供するという、実態調査がもつ構造を認識することは、出発点であるにしても、これをどう修正していくかについて、基本方針を具体的に記述するのは困難である。両者の相互影響の質に依存するという、きわめて一般的な言い方しかできない。それに、ここでの歪みの修正は、曲がった釘をまっすぐにするというような単純な作業ではない。意図的もしくは無意識の情報の歪みの本質を、研究者が認識した時点で、それをどの方向に向けていくかという、いわば正解のない作業である。 

  五、信仰への質問

 宗教に関する調査では、しばしばかなり立ち入ったことが質問される。ある教団の信者に対して、宗教的回心があったのはいつで、どんな状態であったのかとか、何がきっかけで入信したのか、というようなことを、研究者は基本的質問事項として問いかけることが多い。だがこうした事は、大変プライベートな話題である。見知らぬ人に気軽に話せるようなきっかけで入信した人ばかりとは限らない。家庭内の長年の確執が根にあることもあろう。人には打ち明けられない悩みが伏線になっていることもあろう。そんな話を、突然調査にあらわれた人間にそのまま話す気にはならないであろうし、またそうする義務はさらさらない。

 いつ入信したかというようなことは、それでもまだ事実に即して答えられる。ところが、宗教に関わる調査では、どう答えていいか迷うような質問が投げかけられるのが常である。なぜ、この宗教がいいと思ったのか、入信してから、生活がどのように変わったか、自分の信仰生活に両親の影響がどれくらいあると思うか、なぜ宗教的なことに関心をもつようになったのか、等々。聞く側は簡単であるが、答える側は容易ではない。それは、質問自体の曖昧さもあるが、どの程度まで答えるべきか、相手によって大きく異なりうる事柄でもあるからだ。

 相手によって、回答が異なるということは、いわゆる超常体験に関する問では、一層顕著になると考えられる。超常体験とは、神憑り、神秘体験、霊体験などと呼ばれている類の体験である。そこでは、いわば常識の外にある体験や事柄が調査内容となるわけで、質問のし方自体もかなり難しくなる。研究者が、それを否定しているか、肯定しているかで、インフォーマントの回答も相当に異なると考えねばならない。インフォーマントも、相手が自分の体験に共感的であれば、かなりきめ細かな叙述をする期待も生まれよう。逆に、超常体験には否定的な態度で臨めば、むきになるかもしれないし、適当にあしらおうという態度になるかもしれない。[15]

 こうなると、研究者がどのような宗教観、あるいは世界観(人間観、社会観などをこの言葉で代表させておく)をもって調査に臨むかが、出会い型調査において、かなり重要な問題になる。インフォーマントの宗教的な体験を問うていくと、そこで宗教的な問いが繰り広げられるということが生じる。一例をあげよう。なぜ、その宗教に入信したのかという問は、その宗教の評価につながっていく。仮に、なぜという意味が、「私は入信していない、もしくは入信する意志はないが、なぜあなたはこの宗教に入信したのか」というニュアンスであったなら、インフォーマントにとっては、問そのものが一種の挑戦になりうる。また、どんな事情で入信することになったのかという、入信経緯の具体的内容に力点が置かれたニュアンスであっても、その宗教が選ばれた理由を問うという要素は、消失してはいない。

 この場合の「なぜ」という問いかけが、インフォーマントが、その宗教を選んだ理由を多少なりとも問題にしているとするなら、その宗教である理由についての議論が、一つの焦点になる。研究者が、ひたすらインフォーマントの言い分にうなづいているばかりという調査でない限り、この問答は必然的に、その宗教の評価に多少なりともはいり込んでいく。となれば、インフォーマントのもっている信仰に対し、研究者がどの程度の理解を示すかで、インフォーマントが吐き出す心情も、説き明かす教えの内容も、相当に異なったものになるということは、十分に考えられる。

 この点をもっと、突き詰めていくと、両者には、宗教観、世界観の対決が待ち受けていることが分かる。宗教研究における客観性とか、間主観性とかいった問題は、こうした局面においてこそ、もっともはっきりした形で荒波にさらされる。文献研究などであると、研究者が宗教現象を客観的に、実証的に、そして特定の価値観に左右されないで(没価値的に)記述するのが、可能なような錯覚を与えやすいが、出会い型調査のような研究においては、その限界は直ちに明らかである。現実の調査の場では、どの程度の主観性、どのレベルの実証性に拠点を構えるか、あるいは自分の価値観をどの程度表面に出すかという、きわめて実際的な選択を迫られることになる。終始、特定の価値観を前面に出して議論するというのも、普通の研究者のやり方ではないし、[16]純粋に客観的、没価値的な立場もあり得ないとすれば、具体的にどのような立場をとればいいか、むしろそこで発案していかなければならない。したがって、インフォーマントが異なれば、下された判断も異なるということも当然ありうる。

 頻繁に起こる事例ではないが、議論を明確にするため、一つの場面を想定しよう。もし、インフォーマントが、みずからの宗教を受け入れることを、調査継続の条件にした場合は、研究者はどういう道を採りうるか。宗教観、世界観の共有を求めてきた場合である。調査継続を最優先させるなら、対象とした宗教に入信してしまう、という道もありうる。この場合、あくまで研究をよりスムースに行なうために便宜的に入信するという場合と、実際に何らかの共鳴を感じているので入信するという場合の、大きく二通りがある。さらに後者は、一定の関心を抱いた段階での入信と、それなりに得心しての入信とに分けることができる。ともあれ体験してみようということで入信した場合は、一定の関心を抱いた段階に含めることができる。もっとも、以上の三つも、具体的な場面に即して考えると、それほど境界線は明確ではないことを付け加えておかなければならない。便宜的に入信したが、深い共鳴を抱くようになるという場合もあろうし、逆に得心して入信したつもりが、しばらくたって幻滅を感じたが、便宜的にとどまったということもあろう。

 便宜的な入信の場合は、研究者とインフォーマントとの、ある種の妥協の産物とみなせる。研究者側は、それによって相手の宗教への敬意を表し、インフォーマント側は、形式的であれ、その敬意に対し、一定の門戸を開くというものである。これによって調査している間の両者の関係は、少しは摩擦が少なくなるであろう。[17]これはいわば一時的な問題回避であって、出会い型調査が抱える問題に正面から応じているものではない。ただ、誰もがインフォーマントの要請に対し、真剣に応じなければならないというわけでもない、という意味において、この立場も選択肢の中にはいってくるのである。

 一定の関心を抱いての入信や、得心しての研究となると、無意識のうちに、護教的な研究に近づく危険性が生じる。また、インフォーマントやインフォーマントの信じる宗教の、良い面だけを見ようとする傾向が生じることに注意しなくてはならない。インフォーマントと宗教観を共有しようという努力が、必ずしも出会い型調査の成果を豊かにするとは想定できない。「出会い型」という言葉から、協調的な関係だけを連想してはならないのであって、闘争や葛藤など、しのぎを削る関係もまた生じ得る。後者の方が奥行の深い調査になることもあると考えなければならない。

 しかしながら、たとえ、入信しないのなら調査に応じないと宣言されても、研究者が入信してしまうというのは、一般的な状況ではない。その場合は、調査を断念するというのが、多くの研究者の採る道となろう。入信を迫られるというような、かなり極端な例を出したのは、調査という行為が、まさに宗教観、世界観のせめぎあいの土俵に足を踏み入れることだ、という点を強調したかったからである。

 実際には、調査条件に入信を迫るというような、極端だが単純な状況は、ほとんどない。もっと穏やかだが複雑な条件になるのが普通である。おおまかな調査には応じるが、核心部分に関することは、共感を示した人にのみ応じるというパターンもある。調査するなら、これとこれを学んで欲しいと、実質的に信者と同レベルの行為を要求される場合がある。原則的に調査に応じるが、部外者として接した場合と、入信した場合では、微妙な対応の違いがあることを匂わせることもある。

 このように、より複雑な状況になっても、煎じ詰めれば、研究者が、インフォーマントの宗教観、世界観にどのような態度を示すかが、調査の進行に関わりをもつというのが、問題の本質であることには変わりはない。通常は、研究者は最後まで距離を置くから、どこまで相手の要求に近寄るか、あるいはそれをどのようなジェスチャーで示すかが、具体的な選択肢の内容になる。この問題の解決法は、職人芸といわれる範疇のものかもしれない。だかといって個人のセンスに任せておいていいとも思えない。したがって、どのようなインフォーマントとの格闘があったかを、具体的に記述していく研究というものが、いくつか提起されることが望ましいであろう。そうして示されたものは、そのままで選択肢の内容にはならないだろうが、選択肢のモデルにはなる。

  六、必要な認識

 以上述べてきたように、宗教学における出会い型調査が語っていることは、こうした調査は、最後は自分の宗教観ないし世界観の再構成へと、道が通じているということである。研究者がインフォーマントに出会って、「無傷」で帰還する、つまり自らの宗教観、世界観に何らの変化も生じなかったとなると、むしろその調査は、失敗の部類にはいるのではないかとさえ言いうる。むろん、変化が生じるとは、インフォーマントの宗教観、世界観に近づくことのみを指してはいない。かえって否定的な見解を抱くようになるということも含んでいる。それはそれで、自らの内に秘めていた宗教観、世界観が、より明確にされたということを物語っている。

 この点が、宗教学における出会い型調査の特質であるので、最後に総括めいたことを指摘しておきたい。出会い型調査であっても、そこで交わされる情報内容が、研究者とインフォーマントとの間で、基本的に了解が容易なものがある。社会学や社会心理学の調査では、そうしたものが多い。自由回答法の面接調査であっても、回答結果を統計的に処理することを前提にしているような調査は、必然的にそうなる。統計処理をするには、回答が一定のカテゴリーに区分できなければならないからである。ここには、研究者とインフォーマントとの間には、調査内容に関しては、原則として相互が了解可能な概念、言語が存在するという前提がある。

 他方、主に文化的な障壁ゆえに、研究者とインフォーマントとの間には、無条件に共有できるものはないという前提をもち、共有できる部分、あるいは了解できる部分を見つけることに、大きなエネルギーを割く調査もある。人類学の調査は、多くがこのような性格をもつ。[18]人類学でなくても、言語圏、文化圏が異なるときの調査には、研究者とインフォーマントの間に存在する、情報伝達上のギャップやズレを克服しようという営みが、大きな課題となる。

 宗教学の調査は、このいずれでもない局面を含むことがある。そして、そこにこそ、宗教学の調査の特質があらわれている。すなわち、宗教がテーマになったときの困難さは、回答内容になりうる観念、語彙、ストーリーなどについての、社会的了解の不確さにある。教育歴や職業歴、親族関係などを質問したときと、信仰体験を質問したときの違いはここである。教育や職業の種類については相互の了解は困難ではない。その種類、あるいは内容についての社会的了解が一定程度存在するからである。だが、信仰がテーマとなると、両者の了解はときとして大層困難となる。相互に苛立ちを感じる場合もある。何か拠って立つ所が、まったく異なるという感覚が生じるからである。

 この場合の了解の難しさは、たとえば恋愛体験や感激した体験を、他人に了解させるときの難しさに一脈通じているかもしれない。こうした体験は各人に固有のものであるという観点に立てばそう言えよう。それでも、宗教がテーマとなった場合の了解の難しさは、群を抜いている。それは一つには、宗教的世界観はそれ独自の領域を形成しているので、その社会が一つの宗教的世界観を共有しているというのでない限り、社会的了解が築かれることは、まずあり得ないということがある。これに加え、インフォーマント自体による、自らの宗教体験の認識の曖昧さということもある。体験を十分に語りうる枠組が、揺れ動くというのが、宗教現象の特徴である。すでに存在する概念や言語で、体験がすっかり語り尽くせるものなら、話しは楽であるが、そうでないところに、インフォーマントとしても困難を抱えていると考えられる。

 こうして比較してみると、宗教の調査が世界観、宗教観の再構成であるという意味も、よりはっきりしてくるであろう。研究者は回答群が未確定となっている調査に足を踏み入れているわけである。この未確定性は異文化理解、異民族理解の場合の不確かさとは、若干性格を異にする。異文化理解では、相手の文化のコードが了解できれば、相手の行動や考え方もぐっと分かりやすくなると考えられている。つまり、ある程度体系化されたコードの存在を前提としている。だが、宗教現象はそもそも何らかのコードがあるのかさえも定かではないという性格をもっている。

 もちろん、宗教学における出会い型調査でも、大半は資料・データの収集が、実際上の目的である。より正確で重要な情報を適切に収集する上での注意という面では、他の分野の調査と変わるところはない。それゆえ、ここでの議論は、宗教学の調査の特徴面に焦点を絞ってある。つまり、資料、データ、情報などがあらかじめあって、それを探し当てたり、聞き出したりするという行為以上のものが、常に可能性として存在しているという特徴である。情報そのものが、研究者とインフォーマントとの関係性の中に、可能態として揺らいでいるということである。

 このように意識化すると、インフォーマントは、研究者の宗教観、世界観の再構成に加わる臨時の、ときには持続的なパートナー、と表現できることになる。同時に、研究者もまた、インフォーマントの宗教観、世界観に動揺を与えに来た人物である。出会い型調査において、宗教観、世界観の対決という緊張を孕むということの意味を検討する上では、それに対する対応策を、いわば一つの作品として作りあげ、それを通じて議論に深みをもたしていくという方法が、今もっとも必要とされていると考える。

[1] 圭室文雄・平野栄次・宮家準・宮田登編『民間信仰調査整理ハンドブック』下・実際編(雄山閣、一九八七年)では、「民間信仰調査上の心構えと手順」、「民間信仰調査の方法」という章があり、そこで調査上の心構えや基礎的注意事項が記されている。初心者向けの注意ではあるが、インフォーマントに礼を失することがないための留意点も解説してある。

[2] 民間の霊能者などへの聞き書きが長期にわたった場合、研究者の側がインフォーマントから受ける影響も大きいと考えられる。池上良正『津軽のカミサマ』(どうぶつ社、一九八七年)や、川村邦光『巫女の民俗学』(青弓社、一九九一年)などを読むと、インフォーマントとの長期のつき合いが、研究者にも深い影響を与えることが分かる。両者とも、インフォーマントがもつ世界を語り得たのか、という点に、かなり強いこだわりを見せているのが興味深い。

[3] これは、宗教社会学で、私化(privatization )と呼ばれている現象、あるいは、P.バーガーの用語に従えば、「聖なる天蓋(sacred canopy )」が失われていく現象などを念頭においている。

[4] たとえば、一九七八年に、CISR東京会議が開かれた時点では、世俗化がテーマの一つになり、宗教は衰退しているか、そうでないかという議論が激しく戦わされた。B.ウィルソンは、宗教衰退論を主張していた。この点については、『CISR東京会議紀要』(CISR東京会議組織委員会、一九七八年)、及び拙論「CISR(国際宗教社会学会議)東京会議報告」(『宗教研究』二三九、一九七九年)を参照。

[5] 井上順孝・孝本貢・対馬路人・中牧弘允・西山茂編『新宗教事典』(弘文堂、一九九〇年)の、とくに資料篇作成のために、多くの教団を調査した際の経験から言えば、新宗教教団は、調査ということに強い警戒心を抱く方が普通である。既成宗教においては、そうでもないから、ここには新宗教特有の問題があるのは確かである。もし、それが不当であると研究者側が言うためには、研究者側は少なくとも調査のガイドラインくらいは設定する必要があろう。そこには、調査のマナーのような倫理的問題、学問上の要請と宗教上の要請とが対立した場合の解決の仕方といった、方法論上の問題、両者の利害関係についての最低の了解などが含まれねばならない。

[6] ポストモダン民族誌については、V.クレパンザーノ著、大塚和夫・渡部重行訳『精霊と結婚した男』、紀伊国屋書店、一九九一年(原題TUHAMI: Portrait of a Morocan, The University of Chicago, 1980)にある訳者による解説を参照。大塚は、ポストモダン民族誌の典型例として、クレパンザーノのこの書の他、P.ラビノーのReflections on fieldwork in Morroco, University of California Press, 1977 (拙訳『異文化の理解』、岩波書店、一九八〇年)が挙げられることを紹介している。ラビノーは、同書において、調査が「侵犯」という性格をもつこと、インフォーマントと何かを形作るものであることなどを述べている。かなり内省的な書である。

[7] 最近は、さらに変化が加速化して、調査結果を発表する頃は、調査地の状況がすっかり変わってしまい、民族誌としての記述の妥当性が、あやうくなるという事態も生じている。つまり社会文化的状況の変化があまりに激しく、研究者はもはやそれに十分対応できないという事態である。これは、宗教学にも関わりをもつ事柄であり、出会い型調査という視点にとっても、重要な問題には違いないが、それ自身独立させて扱うべきテーマのように思われるので、こうした側面についての議論は、本稿においては割愛した。

[8] この問題は、とくに新宗教において頻繁に生じる。これは新宗教が運動を発展させることに大きな関心を寄せていることや、新宗教関係者が、自分たちは社会的認知を受けていないと感じていることなどが関係していると考えられる。

[9] 地域調査などでは、調査された側が、調査されることが地域の振興に役立つのではないか、という期待をもつことが稀ではない。祭やイベントの実態を調査した経験がある人なら、この点は容易に理解できるのではなかろうか。

[10]Carles W. Hepner, The Kurozumi Sect of Shinto, Meiji Japan Society, 1935. 、Daniel C. Greene, Tenrikyo: Or the Teaching of the Heavenly Reason", Transaction of the Asiatic Society of Japan 22, 1895.、Percival Lowell, Occult Japan: Or the Way of the Gods, Houghton Mifflin Comapany, 1894. 、H. Neill McFarland, The Rush Hour of Gods, 1967.(内藤豊他訳『神々のラッシュアワー』、社会思想社、一九六九年)参照。

 また、海外の日系人に対する宗教調査のような場合であると、日本人たる研究者と、インフォーマントたる日系人の関係は、外国人に近くなる。筆者自身も関わったハワイ及びカリフォルニアにおける日系人と日系宗教の実態調査では、聴き取り調査は、国内における調査よりやりやすく感じられた。これは、当地の人々の歓待精神のあらわれであることは疑いないにしても、この外国人的であるというわれわれの存在が、そういう効果をもたらしたという要素も考慮しなければならない。

[11]最近でも、H.ハーダカによる霊友会や黒住教の調査(Helen Hardacre, Lay Buddhism in Contemporary Japan: Reiyukai Kyodan, Princeton University Press, 1984, and Kurozumikyo and the New Religions of Japan, P. U. P., 1986.)、W.ディヴィスによる世界真光文明教団・崇教真光の調査(Winston Davis, Dojo: Magic and Exorcism in Modern Japan, Stanford University Press, 1980. )、B.エアハートによる解脱会の調査(Byron Earhart, Gedatsu-kai and Religion in Contemporary Japan: Returning to the Center, Indiana University Press, 1989. )など、外国人による新宗教調査は多いが、その結果を見ると、教団はかなりオープンに接したことが推測できる。

[12]たとえば、金光教では、月刊の機関誌「金光教報」に、「一般新聞、図書等に掲載の金光教関係記事」というコーナーがあり、金光教に関する記事が掲載された記事名、論文名、書名などがリストアップされている。金光教が一般社会から、どのように見られているかに、強い関心をもっていることが分かる。

[13]とくに新宗教研究の分野では、それが言える。新宗教研究者の一部に、もっぱらジャーナリスト的な感覚で発言したり、記述したりする人が、少なからず見られる。これは新宗教研究の初期から今日を通じて言えることである。同時代的に展開する新宗教という素材が、そのような行為を誘う特質をもっていると考えられる。

[14]井上順孝・孝本貢・塩谷政憲・島薗進・西山茂・対馬路人・吉原和男・渡辺雅子『新宗教研究調査ハンドブック』(雄山閣、一九八一年)の「調査方法」の章には、初心者を想定した新宗教の調査方法について記してあるが、新宗教を調査対象とする場合の注意として、次のような指摘がある。「教団によってはこれまで多くのマスコミの取材や研究者の調査に応じたが、結果的に教団の意に反したかたちで報道または結果の公表がなされたという体験に不満(ときには怒り)と警戒心をもっているところもある」(一六五頁)。実際、新宗教の調査においては、マスコミの取材に「荒らされた」ことによって、取材そのものに警戒心をもつインフォーマントの心を解きほぐすことから、調査が始まることも珍しくない。ただ、この場合でも、頑な態度の理由が、自分たちの誠意を踏みにじるような行為への怒りの名残なのか、取材者が教団側の筋書通りに記述しなかったことへの不満のくすぶりなのか、といったような見極めは、なされなければならない。

[15]なお、超常体験がテーマになった場合には、研究者は、方法論上これにどう対処すべきかという難問がある。これについては、別稿で触れたのでここでは詳しくは述べない。拙論「超常体験と宗教研究」(『講座現代宗教学T 体験への接近』、東京大学出版会、一九九二年、所収)参照。

[16]ただし、唯物史観に基づいて宗教現象を分析するというような、きわめて体系立った思想を伴う方法論によって、インフォーマントに接する場合は、ここで論じる問題は、あるいは回避が可能かもしれない。それでも、出会い型調査では、そうした体系立った世界観までも、相手の世界観とのつきあわせに差し出すという所まで、道が通じていると考えるべきである。

[17]具体的に研究者の名前を挙げることは差し控えたいが、研究のため入信の形式をとるという例は、新宗教研究においては、ときおり耳にすることである。この場合、事後の功利性があまりに顕著に観察されると、後続の研究者に影響を与えるということが考慮されねばならない。

[18]人類学では、エチック(etic)、エミック(emic) をめぐる議論がある。研究者が用意した概念、カテゴリーなどを優先させるか、あるいは対象とした文化のそれらを重視するかの議論である。認識人類学は、一貫してエミックな立場に立つという(松井健『認識人類学論攷』、昭和堂、一九九一年、参照)。松井は、認識人類学は、「その文化を秩序づけている認識の体系を探そうとする試みである」と述べているが(同書一三頁)、体系が見つかるという前提があるのは、明らかである。

 なお、人類学におけるエチック、エミックの議論を、宗教研究を事例として検討したものに、大塚和夫「社会人類学的宗教理論の諸前提」(松原正毅編『人類学とは何か』、日本放送出版協会、一九八九年、所収)がある。

【刊行物一覧に戻る