〈新新宗教〉概念の学術的有効性について 

論文要旨

 新新宗教という用語は広く用いられるようになったが、学術的概念としては、問題点も少なくない。とくに1970年代以降に「台頭した」新宗教をすべて新新宗教に含める議論が、とくに問題である。新新宗教論は、新宗教の変化を社会変化との対応においてみる視点から出てきた議論であり、その重要性は十分理解できるが、それだけに緻密な理論構成が求められる。新新宗教という概念は、かなり幅広い意味で用いられているのが現状であるので、まずこの概念が提起された経緯、及び主な使用法について整理を試みる。そして、この概念にどの程度必然性があったかを考察する。最後に、新新宗教といった概念を提起するならば、その前提としてどのような研究が蓄積されていなければならないかについて私見を述べる。とくに、1970年代以降の社会変化とは何か、運動の個性、発展段階という問題、外来の新宗教と日本の新宗教についての比較の視点の必要性について触れる。

1.〈新新宗教〉概念の登場

 新新宗教という用語は、かなり広く使用されるようになった(「新・新宗教」という表記もあるが、本稿では「新新宗教」に統一する)。とはいえ、それは多くの場合、漠然と新しい新宗教というような意味で使われているのが現状で、学術的な定義を認識した上で、明確な内容をもつ概念として用いられることは少ない。その使用法は研究者の間ですら混乱している。このような概念が提起され、広く使われるようになったということは、それなりの理由があると考えられるが、現在の「新新宗教」という概念の用いられ方は、新宗教の研究にとって、かなり問題を孕むものである。そこで、この概念が提起された経緯を整理した上で、それがもつ学術的有効性を吟味し、こうした概念を提起するのならば、それ以前に深められねばならない基本的研究があることを指摘することにしたい。

 新新宗教という概念が浮上してくるのは、1970年代後半である。そのきっかけは、この頃日本の宗教、ことに新宗教の中に新しい波が生じつつある、と感じた研究者が複数いたことに起因する。新新宗教という概念の名付け親のように言及されることの多い西山茂は、1979年に刊行された『歴史公論』に「新宗教の現況」という論文を発表している[西山 1979]。西山はここで新新宗教について「大教団化した新宗教が社会的適応をとげるさいに、重荷に感じて棄て去った遺物をあえてひろいあげることによって、小規模ながら最近急速に教勢を伸長させている新宗教」と定義している。そして、そこに2つのタイプを想定した。すなわち、「終末論的根本主義を掲げるセクト的なもの」と、「呪術色の濃い神秘主義を標榜するカルト的なもの」である。前者には妙信講、ものみの塔、統一教会が含まれ、後者にはGLA、神霊教、真光文明教団が含まれるとした。

 しかし、すでにその前年の1978年に、『国際宗教ニューズ』が「新しい新宗教運動」という特集を行っている[国際宗教研究所 1978]。当時、この雑誌編集に実質的な関与をしていたのは柳川啓一であり、現代宗教に深い関心を示していた柳川においても、新宗教に新しい流れが生じたのではないかという見方が芽生えていたことを物語る。「新しい新宗教運動」としては、具体的にはGLA、世界真光文明教団、山岸会、エホバの証人が取り上げられている。GLA、真光教団、エホバの証人(ものみの塔)が注目されている点は、西山論文、『国際宗教ニューズ』の双方に共通している。

 また、最近ではさほど見受けなくなったが、1980年代には、第3次宗教ブームという用語もかなり使われていた。これは宗教評論家の清水雅人などが主に使用し始めた概念で、1973年のオイルショック前後に出てきて、以来急成長した教団が含められている。[1]具体的にはやはり真光系の教団、阿含宗、GLA系の教団などが、第3次宗教ブームの主役と考えられている。命名は異なるが、第3次宗教ブーム説も、1970年代半ば頃の新宗教における変化を見ようとした点においては、新新宗教論と視点がだいぶ重なり合っている。もっとも、第3次宗教ブームというとらえ方については、「第3次」と「ブーム」のそれぞれについて、のちに批判的見解が示されることとなった。[2]

 2.どのような意味で用いられてきたか

 新宗教研究の分野は、学術的研究とジャーナリスティックな言及とが必ずしも判然と区別されていない。研究者の中にも評論的なレベルで新宗教研究を行う者が少なくないし、他方で学術的な色彩の強いレポートを書くジャーナリストも見られる。したがって、学界での議論とジャーナリズムにおける話題とが、通常より密接に相関するという傾向が続いてきた。そうした新宗教研究特有の状況の中で、この用語が研究者とマスコミの双方に急速に広まり、学術的な概念の色彩を帯びたからには、それなりの学術的検討が必要となる。まず、この語が実際にどういう意味で用いられるようになったかであるが、これについては、おおよそ次のように整理される。

  Aタイプ:1970年代以降に急速に台頭してきた新しいタイプの新宗教という意味。

  Bタイプ:1970年代以降伸びた新宗教という意味。

  Cタイプ:新興宗教とほぼ同意義で、基本的に否定的ニュアンスを含む。

  Dタイプ:単に新しい、もしくは最近話題になっている新宗教という以上の深い意味をもたない。

 これらは明確に定義されたものと、定義されてはいないが、実際の記述から判断される内容とを総合した区分である。それゆえこれらの部分的変形のような使用法も当然存在する。このうち、AタイプとBタイプは主に研究者に見られ、CタイプとDタイプはジャーナリストに多く見られる。それぞれについて、簡単に説明を加えておきたい。

 Aタイプは西山茂説に代表される。1970年代以降という時期の特定と、新しいタイプという内容の特定とが条件になっている。新新宗教という用語が広く用いられるようになって以来、西山が繰り返し注意を喚起してきたように、新新宗教と呼ばれる運動は1970年代に形成されたかどうかで判断されるのではない。この時期に「台頭してきた」ことが重要なのである。しかもこの時期に台頭してきたというだけではなく、この時代の特徴を体現するような運動・教団であることがもう1つの条件となる。これについては、西山は前述のように、当初は2つのタイプを提起したのである[3] 。

 Bタイプは島薗進説に代表される。島薗は『新新宗教と宗教ブーム』[島薗:1992]の中で、新宗教を次の4期に分けて考察している。

 第1期:19世紀初期から1870年代ころまでに創始された教団

 第2期:1880年代から1910年代までに創始された教団

 第3期:1920年代から50年代前半ころまでに創始された教団

 第4期:1970・80年代に著しく発展した運動や教団

 この区分において、第1期から3期までを「旧新宗教」と総称し、これに対し、第4期のものを「新新宗教」と呼んでもいいとしている。第1期から3期までは「創始された」という条件で、第4期だけ「著しく発展した」という条件になっているのは、定義として不整合であり、この点からして問題がある。つまり1970・80年代に創始されたが、著しく発展していない運動は、どうなるのかという問題や、第3期の運動でもあるが、第4期の条件にもあてはまるのは、どうするのかという問題が起こる。

 それはおいても、この定義はAタイプの条件をぐっとゆるやかにしたもので、1970年代以降という時代的条件に、より多くの比重をかけて新宗教の変化を議論したものと言えよう。西山の定義に比べると、だいぶ大まかで、その分、種々の問題を孕むものになったと言わざるをえないが、この用法に従う研究者もいる。[4] この時期の社会状況の変化が新宗教のあり方に総じて変化をもたらしたという前提であろう。しかしながら、より概括的なBタイプからより限定的なAタイプが生まれたのではなく、その逆であることが、問題を入り組ませてしまった。

 Cタイプは、主にジャーナリストが用いるもので、新新宗教という用語を、新が2つつくという文字構成から直接的に得られる連想によって判断し、ごく最近に出現した宗教と理解したものである。これに加え、従来から新興宗教という言葉にこめられてきた社会一般に根強く存在する否定的イメージが、継承もしくは増幅されて、この語に付与されている。また、1980年後半以降は新新宗教の1つにオウム真理教が数えられることが多くなったが、同教がさまざまな社会的トラブルを引き起こし、ついに地下鉄サリン事件が起こるに及んで、この用法における新新宗教のイメージは、より否定的なものとなった。新新宗教をカルト、とくにいわゆる「破壊的カルト」と、ほとんど同意語とみなす論調さえ浮上してきた。

 Dタイプもマスコミの多くに見られるが、実は研究者の間でもこの意味で使われている場合が少なくない。新新宗教という用語をもっとも気軽に使用している例と言える。したがって、Cタイプと基本的に大きな差はないが、とくにマイナスのイメージが込められていない場合の、新興宗教という用語と言える。また新宗教を最近は新新宗教と呼ぶようになったと考えていたり、両者を混同していたりするケースもここに加えておく。[5]こうした具体的例を一々挙げていく必要もなかろうが、量的に見れば、Dタイプに属するケースがもっとも多いと思われる。それだけ、この概念が気軽に使われてきたということである。しかし、どんな内容をもった概念なのか、ほとんど気にせず使うというのは、そもそも新宗教という概念についても言えることある。後述するように、それこそが本質的な問題として把握されなければならないのである。

 このように、定義はまちまちであるが、具体的にはどのような運動・教団が、新新宗教というグループに含められてきたのであろうか。研究者やジャーナリストの間で当初注目されたのは、真如苑、真光系教団、阿含宗、GLAなどであった。また外来の新宗教である統一教会(世界基督教統一神霊協会)やエホバの証人(ものみの塔)を含める場合もあった。

 真如苑や阿含宗は、1970年代から80年代にかけて教勢の伸びが注目され、またそれまで仏教系新宗教では、日蓮系・法華系が主流であったのに対し、これらが密教系の教団であった点も、人々の新宗教に対する期待、要求の変化の兆しとして注目された。また真光系教団は世界救世教の影響がいろいろな面に観察され、事実教祖岡田光玉は一時期世界救世教の有力信者であったとされている。しかし、世界救世教に比べて街頭や大学のキャンパスなど人目につきやすい場所での布教があったことや、終末論に近い教えが含まれたことなどによって、数ある手かざし系教団の中でも、新しい動きと捉えられたようである。

 統一教会は1954年にソウルで設立され、日本への布教が開始されたのは1958年である。すでに1960年代に、正体を明らかにしたがらない布教法や、反共を目的とした政治的活動が社会的批判を浴びたことがある。一方、エホバの証人はアメリカで1870年代に運動が始まり、今世紀初めから国際的な活動が盛んになった運動である。日本には戦前にも布教が行われ、灯台社の名で知られたが弾圧を受け、壊滅状態となった。[6] このように両教団は設立及びその後の展開だけをみても、相当異なるのであるが、1970年代から80年代にかけては、日本において教勢が伸びた時期にあたるので、「台頭」という意味において、新新宗教に含められたと考えられる。なお、外来の新宗教を日本産の新宗教と同列に議論していいのかという疑問が存在するが、これについては後に検討する。

 ところが、1980年代後半以降になると、これらの教団よりも、むしろ幸福の科学、オウム真理教、ワールドメイトなどが新新宗教の代表のように言及されることが多くなった。真如苑などを新新宗教に含めなくなる傾向も出てきたが、新新宗教という呼称を踏襲しようとすると、島薗や西山のように、第2期の新新宗教という用語を提起せざるをえなくなってくる。[7]

 この他、ジャーナリストにおける用法があるが、これらは先に述べたように、必ずしも体系だったものではない。研究者が新新宗教として規定した教団に加え、目新しい教団・運動をすべて新新宗教とする例が多い。ここで目新しいというのは、最近設立された、あるいは運動が始まったというだけでなく、今までマスコミに注目されなかった、あるいは著者が知らなかった教団・運動という意味まで含めている。[8]したがって、こうした場合における新新宗教というのは、「最近注目されたり、取り上げられたりした新宗教及びその周辺の運動や集団」と総括するのが実態に近い。

 3.新新宗教概念は必要か?

 新新宗教に対する定義、さらにそこにおいてどのような教団・運動が新新宗教として言及されてきたかということを確認すると、この概念の問題点が見えてくる。ジャーナリストにおけるほとんど無原則に近い使用法は別にして、研究者により1970年代以降の現象として注目されて命名されたこの概念が、果たして新宗教研究にどのような意味をもつかは、きちんと検討する段階に来ているだろう。[9]最初に挙げた中では、とくにBタイプの定義が混乱を招いたと思われるので、それを中心に問題点を洗い出してみたい。

 まず、新新宗教という概念は、どの程度の必然性があったのだろうか。最近の新宗教という言葉の代用として用いるのなら、省略用語としての意味がある。その意味で使っていくというのなら、さほど問題はない。正面切って議論したり、批判したりする必要もなかろう。だが、とくに島薗の使用法は、「旧新宗教」に対する「新新宗教」として、特定の教団を指す実体概念であるのみならず、新宗教を大きく二つに区分する指標のニュアンスが強くなっている[島薗 1992b]。西山説も実態概念であるが、かなり限定的であった。これに比べ、島薗説は、一挙に拡大されて用いられており、結果として分類上の混乱がもたらされたように見える。

 筆者も1970年代以降は、宗教の活動や教え、ことに布教方法や組織のあり方などに、それ以前の時期に比べて、いくつかの運動や教団において、新しい特徴が観察されるようになったと認識している。日本の戦後社会をこの前後で二分したり、あるいは複数に分ける場合に、この時期を1つの節目にすることに対しては、まったく異論がない。つまり、この時期に新宗教においても、大きな変化が生じ始めたのではないか、という発想そのものにはまったく同感である。社会の変化は、宗教界では新宗教にもっとも大きくかつ直接的に反映する、という筆者の基本的見解からしても、[井上 1992]社会全体に変動が兆したとされる1970年代に注目するのは当然のことになる。

 しかしながら、社会の変化はただちにこの時期の新宗教すべてに同じ度合いで影響するわけではない。教団・運動の中心的教え、規模や組織の形態、創始者が生存中かどうか、どの地域を中心として展開した運動かなど、いくつかの条件によって、影響の度合いはかなり異なってくると考えられる。たとえば、新宗教の展開過程と運動形態の関係については、すでに先行研究があり、どのような組織化の過程にあるかが、社会変化に対する組織の対応の度合いに違いをもたらすことが指摘されている。新新宗教を巡る議論には、そうしたことがどれほど考慮されているのであろうか。

 またこの70年代の前と後における変化が、おおよそ1世紀半にわたる新宗教の歴史において、どのように評価されるべきかについても、十分な議論がなされていないように見受けられる。新宗教の時代的展開に関しては、第3次宗教ブームとか第4次宗教ブームといった観点から議論するものや、『新宗教事典』の中で西山が試みたように、近代日本における社会変化を6つの時期にわけて、それとの対応で新宗教の展開を議論する例などがある[井上他 1990,p23]。これらは、社会の大きな変化に注目し、新宗教がそうした全体社会の変化にどう対応しているかをみようとした、いわば見取り図である[10] 。実際には、それらの社会変化は新宗教の活動に決定的な影響を与えたものと、さほどでない場合がある。法的な要因、経済的な要因、あるいは文化的要因のどれが、あるいはどれとどれの組み合わせが、新宗教の変化にとって、もっとも影響が大きいかといった議論は、実はまだ厳密に検討されていない。

 今の研究段階では、社会変化と新宗教の変化の関係は、あくまで可能性の一つとして提起されているにとどまる。とするなら、まさにこうした社会のさまざまな変化と新宗教がどこでどのようにかかわっていくかを、マクロレベル、ミクロレベルの双方で実証的に検討していくことが、今の段階における新宗教研究の重要な課題の一つである。マクロレベルとは、新宗教という大量の運動・教団群の成立・形成を促した社会的条件は何か、またそれらの組織、活動、教えなどに〈全体として〉変容を促すような社会的要因があったとしたらそれは何か、といったテーマである。またミクロレベルとは、個々の運動・教団が形成され展開していくプロセスにおいて、どのような社会的要因が係わっているかを抽出することである。[11]

 以上新新宗教論の問題点を指摘してきたが、本稿はこの説のそれぞれに内在する論理的矛盾の指摘が主たる目的ではない。多少の矛盾や不整合にとどまることなら、定義内容を是正することで解決できる。根本的な問題は、新宗教研究が、「旧新宗教」と「新新宗教」といったような形に全体を分類し、新宗教と社会との関係や、新宗教における全体的シフトの問題を議論できるほど、基本的な議論をクリアしているのか、また材料が集まっているのか、という疑念である。そこで、こうした議論をするのなら、当然下に示すようなテーマについて、ある程度の研究の蓄積が必要ではないかということになってくる。

4.前提となる研究

@1970年代以降の社会変化とは何か。

 新新宗教と呼ばれる教団・運動群が1970年代に台頭してきたという見解の背景には、この時期に大きな社会変化があるとする前提があるわけだが、問題はその社会変化の内容は何であるかということと、それが、近代日本が経てきた社会変化の中でどう位置づけられるかである。ほぼ1世紀半にわたる新宗教の歴史を1970年代以前と以後とで分けていこうというときには、この時期の社会変化の内容もそれに見合ったほど大きいものであるという想定がなされている筈である。

 幕末維新期以来、近代化と呼ばれるプロセスの中で、都市化、産業化、大衆化、情報化といった絶えずその度合いをましてきた社会変化がある。また、明治維新や4度繰り返された対外戦争といった、それぞれが固有の意味をもった国家的「事件」がある。第2次大戦後の法的環境の変化も大きな変化である。これまで、新宗教の成立時期に関しては、幕末維新期という現在の通説の他に、20世紀初頭説や戦後説があった。これらは、最近の研究では、妥当性が乏しいとされるわけだが、新宗教の時期区分という観点からは、依然重要な区切り目である。新宗教の草創期とみなす説がある位であるから、それぞれの時期以後、新しいタイプの新宗教が出現したとみなす立場は、容易に成り立ちうるからである。

 20世紀初頭は、日本は政治的にも経済的にも大きな問題に直面する。西欧列強と肩を並べようとする緊張が社会全体にあったと思われるこの時期には、新宗教にもさまざまな動きがあり、とくに今日の神道系新宗教に大きな影響を与えた大本が教勢を伸ばしていく時期である[12]。戦前戦後という分け方も、法的な環境の変化や社会全体の価値観の変化を重視すれば、当然重要である。戦前戦後の新宗教の連続性を重視する立場が浮上したことで、この時期を大きな節目にしない傾向が強まっているが、少なくとも1970年代以前と以後という区分に匹敵する、もしくはそれ以上の大変化であることを否定できないだろう。そこで、1970年代を区切りとする場合にも、これらとの比較を踏まえるべきことは当然の作業となろう。

 1970年代以降の変化に関して、島薗は豊さの実現、人と人の絆の弱化、個人主義の広がりという要因が主たるものであるとみなしている。[島薗 1992]つまり経済的な変化と人間関係の変化に着目している。豊かさは高度成長期の結果もたらされたわけであるから、実は高度成長のもたらしたものを重視していることになる。一般にこの時期の社会変化の内容については、高度成長の結果の豊かさの実現、さしあたっての目標を失っての社会的結集力の弱まりなどが指摘される。したがって、入信理由も「貧病争」と表現された現実生活上の問題に代わって、精神的な悩みが多くなっているとされる。[13]

 この時期にこうした変化が起こったという点、そしてこれらが新宗教にも何らかの影響を与えているという点には、おそらく異論はあるまい。とすれば、これらが近代化のプロセス生じた他の社会変化に比べて、新宗教にもっとも根本的な影響を与えたと言えるかどうかである。いくつかの時代区分を設定するだけでなく、命名にまでそれを関係づけようとする場合、そこまで論じなければならないであろう。[14] だが、研究がそこまでに至っているとは言えまい。

A運動の個性、及び発展段階の考慮

 大きな社会変化があったとしても、その影響が一様にすべての教団・運動に及ぶわけではない。1970年代は明らかに日本の社会構造に変化が生じたが、この時期に「台頭した」理由が、すべて社会変化に対応したためであると、最初から決めてかかることはできない。言いかえれば、ある新宗教が教勢の面で伸びるということを、社会変化に対応しているという観点からだけでは議論できないということである。

 新しく起こった新宗教がどのような条件で規模を拡大するか、あるいはそもそもどのような条件があれば新しい運動として芽生えることができるのか、という一般的条件について、新宗教研究はまだ何らかの仮説を提起したわけではない。だからある時期に「台頭した」[15]教団をそれだけでひとくくりにするといった議論は避けるべきではないかと思われる。この種の議論において注意しなければいけないのは、社会の変化の影響と教団の個性との混同である。また、運動の発展段階によって生じる特徴との混同である。「新新宗教」に対する「旧新宗教」の特徴を列挙するときに、既成化によってもたらされる特徴との混同がなされていないか、といったようなことである。一世紀半以上にわたる新宗教教団の個々の特質を比較しようとするとき、考慮に入れておくべき一般的な事柄として、少なくとも次の4つは考慮せざるを得まい。

 a. 形成され展開した時代・社会の影響が避けられない(時代の影響)

 b.それぞれの教団は教えや活動内容などに独自性をもつ(個性)

 c.設立以来、時間が経過し、組織が拡大すると、制度化、既成化が程度の差はあれ、どの教団にも生じる(運動の展開段階、規模)

 d.特定もしくは不特定の先行する新宗教教団に影響を受ける(系統、模倣)

 最初の点が、新新宗教論の立脚点である。新宗教は、当然その運動が形成され展開した時代・社会の影響を大なり小なり受ける。創始者においても、初期の信者群においてもである。当事者が意図しないところにも、時代の特徴があらわれ、それが広範な影響を与えているなら、時代による新宗教の変化を想定するのが説得的である。その意味で、それぞれの時代において、社会的に注目される教団は、時代・社会の変化を直接的に反映しているという仮説は検討の価値があろう。マスコミがどの教団・運動に注目するかが、研究者にとっても一定の意味をもってくるのは、主にこの視点においてである。

 1970年代以降の時代・社会の変化のもっとも重要な点を指摘し、その変化をもっとも大きく反映している新宗教群を新新宗教としてくくるというのなら、一定の整合性をもつ。前述のAタイプの概念は、一応そのようなものであったと言える。また、島薗が指摘したような、新新宗教における個人化傾向の強まりは、この視点につなげることで説得性が増す。80年代には、大衆という言葉に対し、分衆とか小衆とかいう表現が用いられた。人々の結集原理に変化が兆した可能性は大きいのである。それが新宗教にどう反映しているかは、きわめて興味あるテーマである。

 しかし、新新宗教論はb〜dの視点について配慮しているかどうかは疑問がある。まず、bについてであるが、新宗教と一口に言っても、それぞれは独立した一つの教団であるから、異なった教え、実践活動、組織形態などをもつという当然のことの再確認である。これまでの教祖研究の成果から判断しても、教団や運動の個性は、一般に創始者の個性に大きく依存すると考えられる。その運動が内閉的あるいは排他的であるとか、ゆるやかな組織であるとかいった特質は、まずはこの個性の問題として考えるべきである。内閉的な運動も個人参加のゆるやかな組織も、別に最近の運動にだけ限られているわけではない。したがって、社会的な影響を議論するとすれば、内閉化あるいは個人化する運動の量的変化、質的な変化の面においてであろう。

 cの運動の展開段階・規模の問題も、新新宗教の議論では、あまり省みられていない。これにかかわる問題は、新宗教の制度化過程の問題として議論されてきた。運動の形成期の組織が整い、社会的に安定した状態の教団とでは、教え、組織形態、実践内容などに違いが生じることが指摘されてきた。とくに森岡清美は欧米の社会学の理論をふまえながら日本の例を考察した[森岡 1989]。新新宗教論において、こうした視点はあるのだろうか。つまり、1970年代以降に台頭した運動・教団が、当時の兆しつつあった社会の変化を反映しているとしても、それが草創期の運動にしばしば見られる特徴ではないかという点の検討である。

 他方、1970年代は旧新宗教が停滞したと言うが、停滞とかいうのはすべての教団にいずれ起こりうることであり、阿含宗などのように、新新宗教として言及された一部の教団でも、最近ではすでに停滞期にはいったと思われるものもある。一方に停滞したり衰微したりする教団・運動があり、他方に台頭するものがあるというのは、新宗教の歴史においてはたえず繰り返されてきたことであり、別に1970年代に特有ではない。「台頭」の形態に新しさがあれば別であるが、そこまで議論がいっているとは思えない。

 bとcの要因を総合すれば、島薗が指摘したような「新新宗教には若者が多い」という特徴づけは[島薗 1992a]、やや粗雑な議論と言わざるをえない。新宗教はタイプによって若者が多いものと中高年が多いものがあるし、また、運動の草創期と制度化が進行した時期を比べれば、一般に前者の方が、若者の比率は高い。新新宗教には若者が多いと特徴づけるならば、この点を考慮した上でなければならない。[16]

 最後のdであるが、多くの新宗教は先行する新宗教教団に顕著な影響を受けている。たとえば、真光系教団は世界救世教の存在抜きに考えられないし、神慈秀明会などは世界救世教の直接的分派教団である。また真光系教団は、教義面ではむしろ大本の影響も色濃く、世界救世教よりもかえって大本への「先祖帰り」が見られる。先行教団からの影響関係は、単純ではなく、時系列に追うだけでは十分ではない。一般的に言うなら、分派教団は母教団と多くの点を共有するが、また異なった面ももつということになろう。したがって、系統別の特徴は顕著である。たとえば、霊友会系と世界救世教系とでは、教え、実践活動などでは、それぞれ識別可能な特徴がある。そこで、教団の系統が別であることによりもたらされる差よりも、時代の差がもたらしたものの方が重要な意味をもつかどうか、この検討も大きい問題である[17]。

 そうすると、母教団を旧新宗教に区分し、分派教団を新新宗教に区分するというようなときに、その連続と非連続の検討は、通常の場合よりも慎重を要する。また、分派した教団が「台頭した」と言えるのは、分派時には少数のメンバーであったが、その後、新しいメンバーが増えて、組織が大きくなった場合であろう。支部ごと新しい教団となったような場合は台頭とは言い難い。たとえば島薗が神慈秀明会を新新宗教に含めるときに、この点は検討されているのであろうか。ほんみちとほんぶしん、また霊友会と霊法会の関係についても同様である。

B外来の新宗教と日本の新宗教は同じように議論できるか

 新新宗教の中には、早くから統一教会やエホバの証人が含められ、最近ではラジニーシ運動なども含められている。ただしモルモン教が含められることは少ない。これら外来の新宗教を日本の新宗教と同じように議論しているが、これでいいのであろうか。ここには2つの問題がある。いくら台頭の時期に注目するといっても、エホバの証人のように19世紀起源の運動を新新宗教と呼べるのかということ。もう1つはたとえ信者レベルでは等価性があっても、異なった文化、社会背景で形成された新しい教団・運動を、日本の新宗教と最初から同じ土俵で論じていいのかという点である。

 第1の疑問点は、外国でいつ起こったものであっても、日本では新しく台頭した運動・教団になるなら、新新宗教として考えるのかと、いう形で一般化できる。単純に信者が増えているという数量的面でのみ議論するというのなら別だが、新新宗教論が1970年代以降における社会変化を前提にしているのは明らかだから、エホバの証人を例にとれば、次のような疑問が直ちに起こる。すなわち、エホバの証人が発展した19世紀末から20世紀初頭のアメリカの社会と、1970年代以降の日本の社会背景に何か共通点があると考えているのか。そうでないとすれば、エホバの証人はもともと1970年代の日本社会の問題を先取りするような面を孕んだ運動とみなしているのか。あるいは、日本のエホバの証人は、1970年代以降に、その社会変化に対応するような、何か新しい布教法を展開したとみているのか。

 第2の疑問は、否定的な問ではない。むしろこれから本格的な議論が必要であることの指摘である。現在日本で布教している外来の新宗教には、アメリカ系、インド系、及び韓国系のものが多い。前世紀から今世紀にかけては、世界的に新宗教運動の興隆がみられ、日本の新宗教もその流れの中で議論すべき研究段階にきている。[18]これまで、外来の新宗教を日本の新宗教とほぼ同列に議論していたとき、それは、信者にとっての機能という観点を重視していたと考えられる。日本の新宗教か、外来の新宗教かの別が、一般にあまり大きな意味をもたないと仮定していたのであろう。だが、宗教史的背景は明らかに異なるのである。ラジニーシの運動がインドではじまり、アメリカに受け入れられた経緯と、たとえば、真光が外国で受け入れられていく経緯が、同じようなプロセスかどうか、興味深いテーマである。

 しかし、ここにすぐさま新新宗教という区分を介在させると、議論は複雑になる。「旧新宗教」は1970年代には停滞期というが、創価学会はアメリカで1960年代から70年代にかけて信者を増やした[井上 1985]。生長の家や世界救世教はブラジルなどにおいて、1970年代に伸びた[中牧 1986]。他方、真光や「新新宗教」が伸びている国もある。島薗も指摘しているように、海外布教を促進する要素には、少なくとも、「受容する社会の状況」という条件と、「異文化進出に成功する宗教の特徴」という条件とが想定される[島薗 1992a]。「新新宗教」が受け入れられた国は、日本の1970年代以降と共通する社会状況があるのだろうか。確かに、新宗教の国際比較は今後もっとも重要になってくるテーマの1つであるが、基本的な問題が整理されていないのに、外来の新宗教を新新宗教論に絡ませるのは問題が多い。

5.むすび

 以上、新新宗教概念の問題点を指摘し、こうした概念が議論される以前に必要な基礎作業についての私見を論じた。新宗教研究はマクロな視点とミクロな視点と、さらにそれを結ぶ視点とによって充実させるべきだが、新新宗教論はミクロとマクロをつなぐ位置に属する研究ともいえる。とすれば、現在、新宗教が抱えている課題を踏まえたものが好ましいことは言うまでもない。

 ミクロなレベルでは、現在の研究は教団ごとの極端なまでの偏りが否めない。その状態のままでの新新宗教論は、きわめて不十分なものである。また、マクロな議論には、何が新宗教か、時代の対応をどこにみるか、海外の新しい宗教運動との関係をどうするか、などといった大きなテーマをが関係してくる。何が新宗教かという問は、新宗教研究においては絶えず問い返される必要のあるものである。何が新宗教の研究対象で、それを区分するときには、どのような指標が適切かという問を、研究の蓄積に対応させて深めていくべきであろう。また新宗教と時代との対応は明らかであるが、より緻密な分析が必要な段階でとなっている。さらに、海外の宗教運動が日本でも数多く活動をしている今日、新しい運動を分析する視点は、よりグローバルなものが求められている。新新宗教という概念が、研究上有効なものになるかどうかは、ミクロ、マクロのレベルのこうした課題と有機的に結びつけることができるかどうかにかかっている。

[1] たとえば[清水雅人 1986:p186-87]を参照。

[2]この概念はまず、第3次という区分が批判された。つまり、明治維新前後、敗戦前後、1970年代以降という区分に対し、明治後半から大正にかけての宗教ブームを見逃しているといった批判である。またブームというとらえ方についても、そもそも近代の宗教史をいくつかのブームで記述するのは困難ではないか、という視点からの批判も出された。このような議論が展開された1例として、[国学院大学日本文化研究所編 1990]を参照。

[3] しかし、西山は「気枯れ社会の実感宗教」[西山 1996]の中では、1973年の第一次石油危機の直後からユリゲラーのスプーン曲げをきっかけとして不思議なこと、神秘的なこと、オカルト的なことが大変なブームとなりその追い風を受け伸びた新宗教が新新宗教であるとしており、時代の影響という要素をより重視するようになっている。なお、西山は〈霊=術〉系新宗教という概念も提起しているが、これは時代変化を特定の教団に対応させた考えであるので、細部の解釈についての疑問はあっても、概念自体への異議はない。西山において、〈霊=術〉系新宗教と新新宗教論とは微妙に交錯しているのであるが、本稿では混乱を避けるため、〈霊=術〉系新宗教の問題には言及しない。

[4]たとえば沼田健哉は『宗教と科学のネオパラダイム』の中で、新新宗教の規定をしているが、これはほぼ全面的に島薗進説に依拠している[沼田 1995]。

[5]たとえば、ひろたみを『にっぽん新・新宗教事情』[ひろたみを 1988]では、太陽を信じるピラミッドの会とか、阿含宗、世界真光文明教団といった団体と並べて、一燈園、松緑神道大和山も記述している。このように、ジャーナリストの場合、実際に「台頭してきた」と言える運動・教団と著者が最近知ったというに過ぎない運動・教団との混同が珍しくない。これは定義の問題とは半分ずれるが、こうしたことが新新宗教の概念の混乱に拍車をかけているのも事実であるから、一応留意しておく必要があろう。

[6]灯台社は明石順三により指導された運動で、1930年代にはかなりの影響力をもった。当時機関誌「黄金時代」が毎月10万部ほど売れたというから、当時において「台頭した」運動である。こういう経緯は、エホバの証人を新新宗教に含める論者においてはどう評価されるのであろうか。なお、灯台社の運動については、[稲垣 1972]を参照。戦後、明石はアメリカの本部の方針に失望し、アメリカのものみの塔とは関係を断った。現在の日本のエホバの証人は、1949年から布教が開始された系譜に属する。

[7]西山は「新宗教の特徴と類型」[西山 1995]の中で、新新宗教を第1次と第2次に分け、1990年前後から台頭したものを第二次新新宗教とする。第1次には真光系、阿含宗、GLAを、また第2次にはオウム真理教、幸福の科学を含めている。前者は神秘、呪術により特徴づけ、後者はこれに加え、終末の到来、メシアによる世界救済という要素を加えている。また、島薗もほぼ同様の区分をし、オウム真理教は第二波の新新宗教とする。[島薗 1995]こうした用法をすると、たとえば島薗の議論に基づけば、当然新新宗教の第1期と第2期のものとの差は、旧新宗教(あるいは第3期の新宗教)と新新宗教との差より小さいことが前提とされていよう。また、もし今後、もう少し新しいタイプのものが出現したら、これを新新宗教の第3期とするのか、第5期のものとするのか、という問題が生ずることになろう。この分類法は袋小路に陥る危険性がないか。

 また、筆者は、オウム真理教を含めた「第2次新新宗教」もしくは「新新宗教」と「旧新宗教」との差より、オウム真理教と他の新宗教との差の方がずっと多いと考えている。これはオウム真理教についての解釈になるので、これ以上ここでは論じないが、新しいものが出現するたびに、同時期の運動を1つのグループにいれて同じような性格のもとして区分するのは、問題を孕むと主張しておきたい。

[8]たとえば[室生忠 1984]では、新宗教の定義を大島宏之「現代日本の新・新宗教」に依存するとして、末法史観を極端なまでに強調する予言の宗教、異次元の世界を提示して好奇心を刺激するオカルト風宗教、精神的肉体的陶酔を看板にする瞑想やヨーガ、宗教的ユートピアを求める模擬的共同体生活など、不安で不確実な時代の要素を色濃く反映する教団という特徴づけをしている。具体的には南無の会(酒井、日蓮宗)、エホバの証人、世界基督教統一神霊協会、阿含宗、親鸞会、ラジニーシ、ヨイド福音教会、白光真宏会が挙げられている。

[9]新新宗教という用語は急速に広まったが、筆者はそのような安易な用法を一般化すれば、将来、新新新宗教、新新新新宗教といった表現をせざるを得なくなるので、慎重にすべきという趣旨の議論を当初から提起していた。[井上他 1981、p11-12]

[10]西山はこの分類にあたって、それぞれの時期における政治的変動と経済的変動も着目しているが、政治的変動に関しては、それまでに比べ、第6期は「とりたてて起伏のない平穏な時期であった」としている。そしてこの第6期こそ、新新宗教の台頭する社会的背景とされているのである。

[11]この点に関しては、新宗教の個別の教団研究はかなり偏っている。新宗教研究は、これまで教団の教学研究とジャーナリストによる紹介に大きく依存してきたことを、あらためて自覚すべきである。新宗教と社会的変化のようなテーマに関しては、数多くある新宗教のうち、社会的影響があったと思われる教団に関しては、研究者がきちんとした資料・データに基づいた議論を積み重ねることが先決である。社会変化に対応させたような新宗教の類型化は、その研究が一定レベルに達したとき、本格的な議論ができるであろう。

[12]大本の展開をこうした社会背景と関係づけようとする研究は多い。代表的なものに[大本七十年史編纂会 1964、1967]がある。なお、新宗教の発生時期とされたことはないが、1930年代も新宗教と時代変化のかかわりを考えるときには注目していい時期である。霊友会や創価学会という大教団が出現する時期である。

[13]九州大学宗教学研究室が行った調査結果でも、そうした傾向が指摘されている。[坂井他 1995]

[14]島薗は第4期新宗教と呼ぶのと新新宗教と呼ぶのとではたいした差ではないと考えているようだが、そうであろうか。第4期というのは、次に第5期、第6期が想定されるもので、社会の変化と新宗教の変化が対応していく部分を、時代ごとに追っていくやり方である。新新宗教となると、それ以前とそれ以後とに明らかに質的な相違を前提していると考えられる。ちなみに島薗が『新新宗教と宗教ブーム』の中であげている「旧新宗教」の例は次のとおりである。天理教、金光教、大本、霊友会、PL、念法真教、生長の家、創価学会、世界救世教、立正佼成会、天照皇大神宮教、善隣教。また「新新宗教」の例は次のとおりである。エホバの証人、真如苑、大山■命神示教会、霊法会、山岸会、阿含宗、霊波光之教会、浄土真宗親鸞会、世界基督教統一神霊協会、世界真光文明教団、崇教真光、自然の泉、ほんぶしん、GLA、神慈秀明会、いじゅん、ラジニーシ、日本聖道教団、ESP科学研究所、法の華三法行、ス光光波世界神団、ラエリアン・ムーブメント、大和之宮、オウム真理教、ワールドメイト、幸福の科学。

[15]さらに言うなら、「台頭」の内容にも注意深くあるべきである。一般には「台頭」は教勢、つまり信者数、支部数の増加といった主に量的な側面で判断される。時代の影響を考える場合、新しい教えの要素といった質的なことを無視するわけにはいかないが、少なくとも、新宗教が大衆宗教的な要素をもっていたということから、その影響が量的にまず押さえられてきたということは疑いのないことであり、それは今後も踏襲されるであろう。この場合、とくに情報化時代となると、情報によるイメージが無視できなくなる。つまり、マスメディアに登場すると「台頭」したかのように捉えられがちな側面である。むろん、マスコミに注目されるということも、台頭の意義に含めることが不適切とは思わないが、その場合でも恣意的な報道が多いことを考えると、実際の教勢の伸びと、たまたま注目を浴びた例とを最初から混同しないような注意は払うべきであろう。

[16]「旧新宗教」とされる教団の中にも、以前は若者の多さが指摘されていたものがある。たとえば『新興宗教解説』[勧学寮編 1952]では、霊友会について、信徒の職業は雑多で40歳以下30歳前後の人が最も多数であるとしている。渡辺楳雄は『現代日本の宗教』[渡辺 1950]の中で、天照皇大神宮教について、信者の年齢層は老若男女あらゆる層にわたっているが、とくにわかいインテリ層が多いとしている。また入信動機としては、思想のゆきづまりがもっとも多く、その他では病気、家庭問題などとしている。これがなにがしかの根拠をもつ議論なら、「旧新宗教」が貧病争を中心とするという特徴づけさえも、検討を要することになる。あるいは、西山により新新宗教の代表とされた崇教真光についても、谷の調査によれば、若者が「絶対的に多いということはできない」とされている[谷 1993、p163]。最近の研究では、石井研士が読売新聞の一連の世論調査(1979-1994)を比較しながら、「お守りやお札を身につける」「易、占いをする」若者の比率はむしろ下がりぎみであることを分析している[石井 1995]。これは新新宗教論としばしば連動させられてきた、若者の間の呪術・神秘ブームなどと呼ばれるものも、80年代以降は、ピークが過ぎていることを示している。

[17]新宗教をマクロに類型化しようとするとき、もっとも研究が進んでいるのは、言うまでもなく、運動の系譜ごとのグループ化である。これは村上重良の研究[村上 1958]に大きく依存している。初期から着実な積み重ねがある分野は、それなりに体系的な議論ができるようになっている。

[18]この点については、[井上 1997a,1997b]においても、いくらか議論した。世界的に見て、19世紀から今世紀にかけ、多くの地で新しい宗教運動が発生し、それぞれの地における宗教構造に変化をもたらしたのは、事実であるから、今後、日本の新宗教研究をそこに積極的につなげていくのは、当然であると思われる。それでも、概念上の整理をするための準備作業をしておかなくてはならない。

参考文献

石井研士 1995 「若者と宗教」『国学院雑誌』96-8・9

稲垣真美 1972 『兵役を拒否した日本人』岩波書店。

井上順孝 1985 『海を渡った日本宗教』弘文堂。

――― 1996 『新宗教の解読』筑摩書房。

――― 1997a 「グローバル化のプロセスからみた新宗教」脇本平也・田丸徳善編『アジアの宗教と精神文化』新曜社。

――― 1997a 「宗教は民族に挑戦する」『大航海』No.15。

井上順孝・孝本貢・塩谷政憲・島薗進・対馬路人・西山茂・吉原和男・渡辺雅子 1981 『新宗教研究調査ハンドブック』雄山閣。

井上順孝・孝本貢・対馬路人・中牧弘允・西山茂編 1990 『新宗教事典』弘文堂。

――― 1996 『新宗教教団・人物事典』弘文堂。

大本七十年史編纂会 1964,1967 『大本七十年史 上・下』大本。

勧学寮編 1952 『新興宗教解説』。

国学院大学日本文化研究所編 1990 『近代化と宗教ブーム』同朋舎。

国際宗教研究所 1978 『国際宗教ニューズ』16-3・4。

坂井信生・竹沢尚一郎編 1995 『西日本の新宗教運動の比較研究2』九州大学文学部比較宗教学研究室。

島薗進 1992a 『現代救済宗教論』青弓社。

――― 1992b 『新新宗教と宗教ブーム』岩波書店。

――― 1995 『オウム真理教の軌跡』岩波書店。

清水雅人 1986 『新しい宗教とは何か』稜北出版。

清水雅人編 1995 『新宗教時代』3、大蔵出版。

谷富夫 1993 「新宗教青年層における呪術性と共同性」クネヒト・ペトロ、畑中幸子編『伝統をくむ新宗教―真光』

中牧弘允 1986 『新世界の日本宗教』平凡社。

西山茂 1979 「新宗教の現況」『歴史公論』5(7)。

――― 1988 「現代の宗教運動」大村英昭他編『現代人の宗教』有斐閣。

――― 1995 「新宗教の特徴と類型」『日本社会論の再検討』未来社。

――― 1996 「気枯れ社会の実感宗教」『東洋学術研究』35-1。

沼田健哉 1995 『宗教と科学のネオパラダイム―新新宗教を中心として』創元社。

ひろたみを 1988 『にっぽん新・新宗教事情』日本文芸社。

村上重良 1958 『近代民衆宗教史の研究』法蔵館。

室生忠 1984 『若者はなぜ新・新宗教に走るのか』時の経済社。

森岡清美 1989 『新宗教運動の展開過程』創文社。

米山義男他編 1996 『新宗教時代』5、大蔵出版。

渡辺楳雄 1950 『現代日本の宗教』大東出版社。

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