石井研士『戦後の社会変動と神社神道』(神道文化叢書二三)
大明堂、一九九八年、二七〇頁、非売品

本書が目指すところは、簡単にして明瞭である。タイトルからも推測されるであろうが、戦後の社会変動の中で神社神道がどのような変化を受けたかを、各種の統計データを提示し、さらに独自に調査・収集したデータをもつきわせて、「実証的に」議論しようとしたものである。戦後日本の激しい社会変化―工業化、都市化、核家族化など―によって、神社神道を含む伝統宗教はその活動や運営に大きく変容を迫られた。戦後の神社神道が、どのような要因によって、変容したのかについては、従来もいくつかの見解が示されてきた。著者は、しかし、それらが必ずしも実証的なデータによってなされたものではないとして、より踏み込んだ議論を求めている。いわば印象論的な議論に満足することなく、神社神道の変容に確かに関わっている要因は何かを論ずるための、適切なデータの蓄積の必要性が訴えられている。本書の各所に見出される「実証的」というキイワードは、そうした著者の意気込みを示したものである。しかしながら、同時に一体本書が理論的に何を切り開いたのか、という疑問へのキイワードにもなっている。本書の構成は、第一部が「研究史編」で、第二部が「実証編」となっており、最後に結論がつけられている。第一部「研究史編」の第一章「戦後の神道研究をめぐる諸問題」では、戦後の神道研究の基本的動向が紹介され、第二章「近代化と神社神道」では、その個別のテーマに言及されている。戦後における代表的な研究を整理しつつ、その問題点が列挙されている。第二部「実証編」では、神社神道をめぐる具体的な研究テーマが提示されている。それぞれのテーマに関係したデータが紹介され、その解釈をめぐる議論が展開されている。第三章「『家』の宗教性の変容」では神棚祭祀が、第四章「通過儀礼と年中行事」では七五三、神前結婚式、初詣が、また第五章「地域社会と神社神道」では氏子意識や神社の形態の変化が、それぞれ主たるテーマになっている。いずれも現代の神社神道、神職にとってきわめて身近な問題を扱っている。以上の構成でも分かるように、神学的、思想的問題はほとんど関心の対象になっておらず、社会学的分析、統計的推計が主たる関心である。抽象的、理念的論議ではなく、実情に即した議論が本書の特徴といっていいであろう。その意味で研究者のみならず、神社神道に実践的に関わっている人々にとっても、興味深い内容であるに違いない。また収録された各種のデータは、視点によってはかなり面白い分析ができるので、宗教社会学的な関心からは、大変便利な本と言える。地域社会における村落共同体の崩壊と都市化こそが、神社神道の伝統的基盤を揺るがしているとする著者の見解は、ことさら新しいものではないが、データに基づいているということが、その見解に奥行きをもたらしている。ただ、随所に多くの資料・データが示されているにもかかわらず、著者の分析は全体としてきわめて慎重である。データの提示のスペースに見合った結論は用意されているとは限らず、今後の課題とされている部分が目につく。つまり、個々の現象に関する実証的研究が、まだまだ不足していることが、繰り返し指摘されているのである。著者の堅実さのあらわれであろうが、正直言って、もの足りなさが感じられるのも確かである。さて、内容を順次紹介してみよう。第一章「戦後の神道研究をめぐる諸問題」では、神道研究がきわめて自由になった戦後において、実証的研究が出始めたこと、そしてこのことは当時の新たな研究動向一般であったことが述べられている。一九四八(昭和二三)年に創設された神道宗教学会の機関誌の創刊号に注目し、そこに実証性と比較研究の重要性を述べた論文が含まれることを紹介している。社会変動と神道に関する調査は、昭和二〇年代に先駆的研究が見られ、三〇年代に本格的研究が出現したとされる。その具体的例を示すために、一九六二年に行われた神道宗教学会の学術大会の共同討議「近代化と神道」、および翌年の同学会の例会での共同討議「神社神道の現状と将来」の内容が分析されている。それらの議論の特徴については、次のように述べられている。

「変化する時代への高い関心と対応への努力の存在にも拘わらず、正確な意味での実状の把握と理論的分析は合致しないまま、時代への適応が模索される傾向が存在した」

「近代化と神道の問題は、両者を結ぶ実証性が看過されたまま、一方で抽象的な議論として成立するとともに、他方で神道教化という現実の問題へと、二極分化する可能性を持って以後も進むことになる」(一八頁)

第二章「近代化と神社神道」では、戦後の神道研究において、「社会変動と神道」のテーマがクローズアップされた時期が三回あったとして、そこでの議論の特徴を論じている。三回というのは、一九六二(昭和三七)年から翌年にかけての神道宗教学会でのシンポジウムと共同討議、一九六五年に開催された第一回神道研究国際会議、そして六六年に開催された第二回神道研究国際会議を指している。このうちの二回の神道研究国際会議での議論が主として検討されている。会議では近代化の概念規定が問題となり、さらに神社神道の基盤が変化したかどうかについても議論があった。変化の理由について考察した研究者のうち、岸本英夫と平井直房の議論がやや細かく紹介されている。岸本の神道研究については、「現状の分析をもとにした上での概念化というよりは、岸本の宗教観を反映しながら、西欧世界での文化の領域での変動をあてはめて考察したもの」(四一頁)という分析をほどこしている。つまり、岸本がもつ近代人のイメージから、神道を議論しているというのである。平井直房は、過疎化が神社神道に与えた影響を「民族宗教の内部伝道の崩壊」と表現しているが、これも実証的な研究とは位置づけられていない。「たとえ平井がさまざまな機会に見聞した多くの知識を背景にしているとしても、それはあくまで個人の経験や情報であって、客観化された事実とはいいにくい。平井の実証性は、国勢調査と労働力調査、そして氏子数、神職数、神社数に関する神社本庁の資料に依拠しており、そうした数値の組み合わせから、都市化・過疎化が神社神道に与えた影響を、近代化に沿って抽出したことになる」(四三頁)と述べられている。その他、森岡清美によって一九六五年に狛江と三鷹において行われ、都市における伝統宗教の衰退を結論づけた実証的な研究の例が紹介されている。森岡の研究については、この時点では妥当だが、事例が都市近郊に限られていることもあって、今日議論するには限界があるとしている。また、ベラーの近代化と神道に関する議論についても触れ、ベラーは昭和二〇年までの日本をもとにしており、昭和三〇年代以降、日本をたびたび訪れているにもかかわらず、実際に調査は行っていないことを指摘している。第二章の議論によって、著者のこれまでの研究に対する批判の視点は明確になる。近代化と神道については、一時期盛んに議論されたものの、「実証性の欠如」によって、説得的な議論になっていないということである。確かに、神道研究においては、とかく理念的議論、かくあるべしといった議論が少なからず見られる。個人的な体験の一般化も、まま見られる。ただし、「個人的な経験や情報」にかなり頼らざるを得ないというのは、現代宗教を研究する場合には、避けられないことである。歴史的宗教の研究は文字資料が基本であるから、ある意味で誰もが同じレベルの対象で議論できる。しかし、現代宗教の場合、さまざまな対象がある。文字資料以外にも、研究の対象となりうるものは数多くある。生きた人間の行動、ある問いに対して語られる言葉、刻々と変わる情景など。それらに対して「客観的」という表現を使える場合は、実はそう多くはない。問題は、議論したい事柄に応じて、どのような対象を選ぶかである。その点は、著者はどう考えているのであろうか。第二部における議論が、それへの回答の手がかりになっていると考えられる。第二部では、著者自身の研究の成果と方向性が示されている。まず、冒頭で議論の土俵があらためて提示される。問題となる近代化の定義については、社会学者富永健一の図式に基づき、産業化と都市化を近代化のサブシステムとみなした上で、ここでの主題は「社会変動」にあるとしている。ここからの議論の前提には、注意しておかなければならない。日本における近代化は政治領域での変動を契機にし、技術的経済的領域における上からの近代化が先行しており、政治的領域、社会的領域、文化的領域における近代化が進んだのは、第二次大戦後であるとする。そこで社会変動が神社神道に及ぼした影響を考察するなら、戦後の変動が分析対象とするのが適当であると主張される。

 こうした議論の場の設定は、著者の問題意識に基づいたものであるから、あえて異をはさむ必要はないのかもしれない。だが、明治期における、まさに「上からの近代化」によって、神社神道がどのような変容を受けたかという議論が、まったく視野に収められず、それゆえ、神社神道のどの部分が、長い伝統に乗っているのかが看過される結果になる。それが本書の議論の弱点にも関係してくると考えられる。

第三章から五章にかけてが、本書の中心的部分である。まず第三章「『家』の宗教性の変容」においては、神社神道における家の宗教性を象徴するものとして、神棚祭祀の変容が検討されている。多くのデータをつき合わせると、神棚のある家は減少傾向にあることが浮かび上がってくるので、その要因を探っている。職業、家族構造、学歴、住居形態との関係が検討され、産業構造の変化にともなう学歴社会の登場、地域社会の崩壊、ライフスタイルの変化、さらには家の法的変化が、減少に影響を与えたとしている。「ある時点までは都市化による人口の流動化、家族構造の変化、都市的生活様式の発生と浸透」(九三頁)が減少の理由とするが、現在の事態は、もっと複雑な事情が介在しており、文化変容、つまりライフスタイル、どんな生き方を選ぶかといったことが関係してくるとする。それゆえ、これらかの伝統宗教への関心への欠落は「複合的で可逆的」と表現されている。要するに、伝統宗教への関心が、人によっては今後強まることもありうるということであろう。なお、評者の所属する「宗教と社会」学会・宗教意識調査プロジェクトでは、一九九五年より毎年四〇程度の大学・専門学校の学生四〜六千人前後を対象に、宗教意識調査のアンケート調査を行っている。毎回その結果は小冊子にして公刊しているが、九七年と九八年の調査では、学生の実家における神棚と仏壇の保有率を調べた。それによると、神棚は九七年が四三・七%、九八年が四四・四%であった。学生が所属する学校が宗教系であっても、非宗教系であっても、数値はほとんど変わりがなかった。ランダム調査ではないが、これもまた、最近の日本人の神棚所有率を推定するには参考になる数値と考える。第四章「通過儀礼と年中行事」では、第一節で七五三、第二節で神前結婚式、第三節で初詣の変化について検討される。七五三については、その起源等についての簡単な説明がなされたのち、最近の二つの変化に焦点が当てられている。一つは、十一月十五日であった七五三の日にちが、その前後に拡散する傾向であり、これは昭和五〇年代から顕著になったという。その理由としては、高度経済成長によるライフスタイルの変化、家族構造の変化や子どもの数が減少したことの影響などが想定されている。細かな数値をあげて、日にちの変化が詳細なデータによって示されている。

 もう一つは氏神社以外の著名な神社への参拝の傾向である。これについては氏子意識の希薄化を背景にした現象であることが述べられているが、今はそれ以上の原因は説明できないとして、明確な結論は避けられている。

次に神前結婚式について、その由来についての諸説が紹介されてから、戦後の挙式の傾向が分析されている。神前結婚式は昭和三〇、四〇年代に盛んで、五〇年代からは減少し、キリスト教会式が増加しているというデータが示されている。その理由を説明するための資料は不十分としながらも、イエ意識が薄れて、結婚式が個人と個人のつながりという側面を強くもつようになったことが影響していると示唆している。しかし、イエ意識の薄れと神前結婚式の減少とを結びつけるのは、著者も言うように「推測」に過ぎないであろう。そもそも神前結婚式が村落共同体がより強固で、イエ意識が強かった時代に根をもつものではなく、むしろ近代の産物、大正時代に盛んになったものであるとするなら、神前結婚式の衰退をイエ意識との関係で議論すること自体が、おかしな話に思われる。戦後の変化に話しを限るとしても、それは戦後世代がもつ「家」へのイメージとの関係とでもする方が、適切ではなかろうか。また、日本の結婚式は披露宴を含めて考えるべきであろう。挙式が神道式であろうと、キリスト教式であろうと、披露宴の主体は依然として、「○○家」となっているのが大半であることは、日常的に知られることである。神道式とかキリスト教式とかは、別の要因の方が大きいのではなかろうか。最後に初詣について、警察庁の発表データ、神社本庁の公表するデータなどが分析されている。個々の神社によって、初詣者数が変化する理由や、初詣が一社集中する傾向について検討されている。そして、神社外的要因として、地理的立地的要因と、社会的要因の二つが、また神社内的要因として、神社の空間構成・規模的要因と人的要因のやはり二つが設定されている。それぞれについて短い分析がある。

 第五章「地域社会と神社神道」では、第一節で「人口の流動化と神社神道」の問題、第二節で「戦後の東京都の神社の変容」の、そして第三節で「境内建物の高層化」の問題が議論されている。

まず、第一節「人口の流動化と神社神道」では、居住年数の問題について言及されている。これまでの研究成果や各種データを検討して、氏子意識・行動と居住年数との間には明確な関係があると指摘している。さらに現在は居住年数が長期化しても、それが自動的に氏子意識の高まりにはつながらないことが述べられている。第二節「戦後の東京都の神社の変容」では、戦後の東京都の神社の変容を著者が行ったアンケート調査の結果にもとづいて議論している。このアンケートは三六一社に送付され、二六九社の回答(七四・五%)があったという。アンケート内容は現在の神社の日常的活動状況を知るには興味深いものであり、日ごろ体験的に実感されていることが、確認されるような結果が示されている。

 アンケート結果を総括して、「戦後、神社を支えてきた支持基盤、活動内容、神社を取り巻く環境に関して大きな変化を経験」(二〇〇頁)と述べられている。都市化の中で氏子の紐帯は失われ、新たに浮上してきたのが企業であることも指摘されている。また、総じて初詣以外の大半の活動は低下しており、神社ごとの格差も増大しているという。

 第三節「境内建物の高層化」では、神社の経済的な理由により避けられなくなってきた高層化について、数件の事例報告とその検討がなされている。社殿の高層化は昭和三〇年代から始まったことであり、昭和五〇年代に本格的な神社建築のビル化時代を迎えたと指摘される。そして、具体的に芝大神宮、御嶽神社、八官神社、朝日稲荷神社の事例が取り上げられる。

東京都における社殿の高層化を検討して、その理由が六点あげられているが、その理由のいずれもが、程度の差こそあれ、戦後の東京の都市化と関係するとされている。つまり、都市化したから高層化したという、ある意味で当然の結論になっている。

 最後の結論「社会変動と神社神道の解明に向けて」では、戦後の欧米の宗教社会学で大きなテーマとなった世俗化理論とその日本における扱われ方が紹介されている。次いで、本書のテーマであった、社会変動と神道、近代化と神道の問題について、これまでの研究でほぼ共通して指摘されてきた点、すなわち、地域社会の崩壊と神社神道の衰退で、地域共同体を基盤としてきた神社神道は都市化や過疎化によって、大きくその基盤を失うことになったという点を追認しつつ、著者が「実証的」に論じた、神社ごとの「格差が増大した」という点を再度述べている。

 豊富な資料・データを提示しての、戦後の神社神道の変化の様子は、よく分かり、類書の少ない研究でもある。その意義を充分承知した上で、二点ほど疑問を投げかけておきたい。一つは著者が繰り返し強調する「実証的」な研究の中身である。確かにこの分野の宗教社会学的な蓄積は乏しく、学問的な関心に基づいた調査が必要なことは言うまでもない。ただ、戦後における神社神道の変化の諸現象と、それに影響を与えている社会変動のおおよそが把握されているからには、問題は、より限定された視点に基づく実証的研究であろう。とすれば、それぞれのテーマについて、どのような形での「実証的」研究が必要なのかについての、もう少し具体的示唆が求められる。

 おそらくそこでは、何のためにどのような資料・データが必要か、という視点が必要である。たとえば初詣や七五三の問題にしても、それが神社神道にとって、経営上の意味以外にどのような意味をもつのか、といった議論も当然必要となってこよう。参拝者が増えたとか減ったとかいうことにしても、神社経営上の問題にするのと、それとも神社への崇敬の度合いから問題にするのとでは、収集すべき資料・データの質が異なってこざるを得ない。

 仮に神社への崇敬とか信仰の内実を問題にするなら、著者が除外している思想的、神学的課題を導入しなければ、充分な議論にならないはずである。神社本庁が求める崇敬、個々の神社が求める崇敬、神道神学者が定義する崇敬、多くの日本人にとっての神社崇敬、そして研究が定義する崇敬の内容は、必ずしも同じではない。

また、意識調査で神道を信じているという人の割合がせいぜい三、四%という数値と、本書で示された数値との間に横たわる問題こそ、より深い考察が求められているように感じるのであるが。

 もう一点は、近代化と神社神道をテーマとしながら、戦後にのみ焦点を置いたことの問題である。むろん、主たる議論の対象の時期をこのように設定することに問題はない。しかし、近代化の中における神社神道の変化とは、戦後の移り変わりだけでは議論できないことが多い。神前結婚式も七五三も、一般に広まったのは大正時代以降とすれば、神社神道にとっては、さほど伝統的儀礼とは言えない。近代化における神社神道の変化をこうしたテーマで議論するには、戦前における変化の目配りが必要ではないか。近世からの伝統的儀礼と、明治以降、あるいは戦前に盛んになった儀礼とを同列に議論していいかどうか、その点の理論的準備が述べて欲しかった。

 なお、蛇足だが、結論部分で示されていて、今後の神社神道のあり方を示唆しているのだろうと思われる次の文章は、評者には何を言いたいのか、よく分からなかった。奥歯にもののはさまったような言い方に読み取れるのは、評者の穿ちすぎであろうか。

 「地域の氏神神社との関係を希薄化させてきた氏子が特定の神社へと集中していく背景には、「市民宗教」に近い、文化的伝統と民族のアイデンティティに関わる国民の宗教的自己理解の場としての神社神道の在り方が見えてくる」(二六二頁)

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