'自画自賛史観への批判(97/1/28)
■1月28日(火)
侵略戦争の歴史事実をねじまげる「自由主義史観」=自画自賛史観を批判する 18時30分、東京都・文京シビックセンター(後楽園駅)。七〇〇円(会員・学生五〇〇円)。講師・山田朗。国連・憲法問題研究会
はい、いつもの文京シビックセンターですが(文京区民センターと共に集会でよく行く)3Fの会議室は狭かった。何名参加したのかはアナウンスされてませんが40名以上は来たでしょうか?立ち見まで出てた。明治大学文学部の山田朗氏が講師として講演していただき「自由主義史観」=自画自賛史観への批判と会場での質疑応答が行なわれました。藤岡信勝氏の教育現場への影響力とネタ元になった司馬史観の解釈間違いが内容としては大きかったです。
藤岡信勝氏の回りに右翼的な論客が集まり、藤岡信勝氏の当初の理論が変容してゆく話(回りに影響されたか、回りの御機嫌を取った?)が、思想に染まって行く状況が見えるように説明していただきました。近頃、過激に動いている理由はそうゆう事なんでしょう。
又、司馬遼太郎の昭和とその戦争への反省の部分を逆に見せないで、自説に対して都合の良い部分のみ取り上げて論じる、論者としてはあまり公平でない態度である事も指摘されていた。会場には70歳位の当時を経験してきた方の話もありまして、非常に力強く発言されていた。又、めずらしく慰安婦の証言の信憑性を、疑問視する発言の人もいましたが、山田朗講師のお答えでまあ無難で納得できる回答を貰えてました。もっとも質問者が納得したかどうかは不明ですが。
その内容と言うと「慰安婦が逃げ出した罰?で仲間の慰安婦の首を切りそれを煮て汁を飲まされた」とかの話が、現実性が無いとの御批判。それへの反論としてその証言が絶対的に信用出来ないからと言ってただ一つの不明な部分だけで、全体を判断するのは妥当では無い。とまあ意訳ですがそうゆう話です。私からすればその荒唐無稽さが信じられないとしてしまう、その感性が不思議なわけで、戦争時の絶対権力を持つ軍隊とその軍人の一部(一部ですから)
がある意味で倫理的なタガを外してしまう行為を、何故に簡単に否定してしまうのかが謎。歴史を見れば了解できるように人間の残酷さと異様さは近代だろうが現代だろうが変化は無いわけで社会通念としての倫理観がどれほど脆いものか、どれほど危ういものなのかを知っているならば容易に残酷で異常な行為が働かれたとしても不思議ではありません。現実に毎年何十人も殺人事件は起こりますし、刃物で傷つけた、殴り殺した、激情で絞め殺したなんて事がある現実を、どうゆう風に見てるのでしょうか?。その質問者の顔を見る機会はありませんでしたが、論理の為の論理、理屈の為の理屈で、現実を観察する力が狭められている可能性があるならば、一種の宗教的な偏向で無いと言い切れるのだろうとしか思えない?。私はト本(トンデモ本)も好きで読んだりしますが、藤岡信勝氏は実はそのような部類に入る、異様で現実を見ない人達の世界に入ってしまったのかもしれない。
ちなみに私は、環境問題の方を専門にしたいですからこっちの方は教養程度でしか動けないですが、一般人の感覚で判断出来るものは変えようがありませんから、少なくても小林よしのりや藤岡信勝のように、ディペートで遊んでる人達の理屈では感化しようがありません。もっともアレに感化する人がいるから本も売れるし支持もされるんでしょうが。そんな事言ったら「脳内革命」だって「神々の指紋」も売れてるからなぁ(笑)。売れるのとそれが常識になるのはこれも違うけど。