シンポジウム「死刑 にし・ひがし」 (98/07/04)
死刑問題の話も実はへたに書くとこれもまた、一部の死刑存続派の人が喜ぶの
でまずいかもしれませんが(^_^;いわゆる死刑制度の現状的な話を聞いてきまし
た。土曜日に、千代田区にある東京弁護士会館で、シンポジウム「死刑 にし
・ひがし−日本およびアメリカにおける死刑制度の実状と将来−」と題して、
米国の国際法教授の講演と、パネラーを招いての討論会。
お話を聞いていて死刑制度そのものの問題よりも米国の陪審制度と人種偏見の
方に注意が向きがちだった。陪審の選定方法により犯人が死刑になりやすか、
なりにくいのか、これも運に左右されがち。特に人種が違う場合は、何倍もの
格差で「死刑」を言い渡されやすい。
死刑の残虐性の話の中で(元は死刑の方法論として薬物などを使うと苦痛も少
ないが、絞首刑と比べると瞬間的に死ぬ方がより残虐では?と会場から質問が
出たものに答えた話)薬物も調合の失敗で非常に苦痛を長い時間受けて死ぬ場
合や、血管に注射をするときに腕も太股も首にも(血管が細く?)入らずに、
結局は胸を切開して心臓に注射をした話もされていた、どうも薬物だからと言
ってすぐ死ぬというわけでもない。苦痛を伴う場合もある。
で、色々難しい話は置いといて、加害者を罰するのではなく、被害者の救済に
お金をかけるべき、との方向性があるようです。
つまり死刑をするにしても何十万円、何百万円も必要ならば、そのお金をもっ
と有効に使えないか?
この話もかなり新鮮です。
また、死刑囚がなにかしらの仕事をしてその賃金なり働いた報酬を被害者の遺
族が貰う。または、裁判をするのではなく当事者間で、調停をする。刑罰に処
するのではなく、被害者を救済することを目標にする。
という方法も私には目新しい話でした。
死刑存続派の中には、「死刑が犯罪を抑止する」と主張する人達もいますが、
将来はもしかしたら、「死刑になるような犯罪」を犯した場合は、莫大な被害
者救済金を支払い続けなければいけない。なんて法律もできるかもしれません。
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