「鯨捕りの海」(98/11/29)
御茶ノ水駅の近くにあるアテネ・フランセ文化センターで、「鯨捕りの海」と
いうドキュメンタリー映画を観てきましたが、主に日本の沿岸小型捕鯨船の現
場を撮影してます。
内容的に云々というよりも捕鯨で生きている人達を、淡々と撮影しているだけ
ですからNHKのよくあるドキュメンタリーと構成は同じ。
内容的にいきなり見て面白いか?と問われれば、面白くは無いです。(^_^;
問題意識を持って見るから、興味を持って見られるわけで、なんとなく日本の
食文化が大事だなと思う人達には共感を得られるようには作ってあります。メ
ッセージとしては、それほどインパクトを持ってませんから、これを見ると鯨
が食べたくなるとは思わない。
というか、都会の人からすれば、鯨が血を流して死んで解体されて(実はここ
の部分がそれほど撮影されていない、鯨に包丁を入れる部分と、そのあとに肉
塊として売りに出される部分があるだけで、いわゆる臓物ぞろぞろつう描写を
省いている)生肉となったものがなんか関連付けられると、ちょっと食欲は感
じません。
「肉」というのが実は、動物の「死んだ肉」なんだという部分を見せられて、
それでも食べたいと思う人もいるのでしょうが、私はちょっと無理です。(^_^;
捕鯨を愛している人からすれば、鯨の肉を売って生活の糧にすることの執着す
るのは理解もできるけど、それも単に食材の1種類でしかない。
鯨の肉は、日本の食文化というほど食べられてもいないし、なじみが薄い。鯨
捕りの現地の人からすれば、「なじみのある食材」だろうけど、それは日本人
全体には、あてはめられない。
もっと大多数の人達からすれば、鯨を食べたいという欲求があるのか?と問わ
れれば、そうでもない筈。この映画が、鯨の肉を食べたくさせるための映画な
らば、失敗していると思える。
じゃあ、捕鯨を愛している人達への応援の映画なのだろうか?
多分、応援の映画だと思える。捕鯨を愛して、鯨を食べたい人達にはある意味
で勇気づけできるはず。
捕鯨を残したいという人達が、居ることは否定はできないけど、まず一般にそ
の食材が本当に日本人に必要なのか?という部分に答えられないと、ただ捕鯨
をして生活の糧を得たい、だけではあまりアピールできないと思える。
問題は、日本人がそこまでして鯨を食べるべきなのだろうか?ちょっとくらい
鯨が増加して見えても、それは削って食べなくてはいけないほど必要不可欠な
食材なのだろうか?と、ずーっと疑問に感じてしまう。
もっとも色々な意見もありますから、パンフに載っている映画評の中で、映画
監督の橋口亮輔さんは、「あんなに美味しい鯨を本当に食べてはいけないのだ
ろうか?」と疑問に感じる人もいるように、食材として美味しいから食べたい
と感じる人だっている。(私は肉として、本当に美味しいのか?という部分に
疑問もあるけど。)
美味い、不味いの問題とも違うような?(^_^;
前に、ウミガメの密猟の映画も見たこともありますが、ウミガメというのは甲
羅もきれいな装飾品に使えるし、肉としても食べている。鯨と同じに、無駄な
部分はない、だから禁止されていても換金動物として重宝されている。
現地の人からすれば、対象の動物が死に絶えても、まずは自分の人生の方が大
事でしょう、理解できる。
だから、その視点でウミガメを捕獲することを賛美するような、映像も作れる
筈。では私達がそれを見て共感できるのだろうか?なんか違う感じもする。「
鯨捕りの海」は、日本人の捕鯨をする人達を中心にして撮影してます、日本人
が捕っている場面だから、共感できるのだろうか?
私には出来ない。
もし日本人が捕鯨をしている部分のみに目を向けて、共感を得るならば奇妙な
話とも思える。
私の感覚からすれば、日本人と捕鯨の関係は非常に希薄にしか感じていない。
これにこだわる理由が、映画を見てもよく判らない。
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