上野の不忍池に行ってきましたが、不忍池の由来を調べるためには、現地の資料
を貰った方が、早いと思ったもんで弁才天でパンプを見つけてくる。
えーっと「東叡山寛永寺 不忍池弁天堂略記」(パンフの方では弁の字は古い字
を使ってます)の中で「二.不忍池」から
「(略)不忍池という名は、上野台地が忍が岡といったのに対して約500年程前
からこう呼ばれていました。池の広さも次第に埋め立てられて現在では昔の約
三分の二ほどになりましたが、この池は 池水も深く、いつも涸れることもなく
水が湧いていました。(略)」
と、人工的に埋めたてられたいたような、話も出てます。もちろん埋めたての事
実もあるようですし、なによりも終戦後に、池全体を埋めたてて野球場にしよう
という話まである。
少なくても1400年代から、不忍池はあったようです。
で、結局は本屋で探したんですが、「上野のお山を読む 上野の杜事典」谷根千
工房発行を、見つけた。
ここでは、不忍池は海が退いたことで、沼沢が出来て、江戸の築城中には今の3倍
はあったとも伝えてます。
不忍池を池として造成したのは弁天島を造成したと、同時のようですね。それま
では、沼として存在していたようですが、大雨が降るとあふれていた。
ただその沼なりを不忍池と呼んでいたのは、500年ほど前からで、人工的な池とし
て完成させたのは、弁天島を作ったのと同時のようです。
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