ざっきちょう 雑記帳 a notebook. (最終更新日が上になっています)


J-Pop 05.01.29

 雑記帳の更新、半年も滞っていました。この半年間、いろいろと旅行をしたりして非常に充実した日々でした。さて、この雑記帳では一度も音楽の話をしたことがありませんでしたね。
 私は高校時代からヘヴィ・メタル、大人になってからはパンク&ニューウェーブ、その後アフリカン・ポピュラーミュージックと、日本のメジャー音楽シーンとは無縁の音楽趣味でやってきました。邦楽はほとんど聴きませんが、唯一、出されたアルバムを全部持っているのが突然変異を起こした日本のパンクバンド「あぶらだこ」です。
 80年代にデビューし、他の誰にも作り出すことが不可能な異常な音楽を作り出してきたこのバンドは、フルレンス・アルバムとしては3枚目のいわゆる「亀盤」(あぶらだこのアルバムはすべてタイトルが「あぶらだこ」なので、カバーの絵で区別する)を出していったん活動を休止しますが、90年代になって、「釣盤」を出して一時的に復活。その後、またしばらく活動を休止して、最近、にわかにメロディック・コアがブームになった日本に再び復活、つづけて2枚のアルバム(「月盤」と「穴盤」)を出しました(「穴盤」は背表紙の字もついていないので、背中から見てもタイトルが分からない)。「穴盤」は、力みまくっていた「月盤」に比べて、いい形で力が抜けていて聞き易いよいアルバムです。
 以前より格段にサウンドの質は豊富化した最近のJ-pop、しかし、毎週見ている「カウントダウンTV」なんかでも、どうにも、しっくり来る音がないなー、情けないサウンドが多いなー、と思っていましたが、ふと銭湯かなにかのテレビでみた「東京事変」の「群青日和」のライブには驚きました。くだらないメロディック・コアの堕落しきった自称パンクばかりの日本のシーンの中で、この曲は例外的に、パンクとしての吹っ切れ度がかなりのものだし、何よりも歌詞が考えさせます。この人はなんでこんな歌詞を書いたのだろう。ということで、アルバムを某所から入手しましたが、最後の曲の歌詞にも驚かされました。

殺めないでと
憎しみで一杯の光景を睨み返して
その塊を果敢に解(ほど)くのさ

なかなか書けないフレーズだと思います。憎しみで一杯の光景を睨み返し、その塊を果敢に解く。この作詞者がなにをイメージしてこれを記述したのか、図りかねますが、期せずして、私がやりたいこと、やらなければならないことを端的に明示した表現を歌に聴いてとても驚きました。これがメジャーから出ているのですから、日本のJ-Popも捨てたものではないのかも知れません。ただ、この人も突然変異なのかも知れませんが。


驚異的な戦争映画 04.07.18

 前の更新から3ヶ月も経ってしまいましたが、今回も韓国映画のお話です。
 「シルミド(実尾島)」を見ました。前の更新で書いた「殺人の追憶」は、(こちらも実話ではあります
が)映画自体の出来が出色だったのですが、今回の「シルミド」は、どちらかというと、映画自体の出来がどうのというよりも、こんな驚異的な、なおかつ無慈悲な国家暴力の行使が本当にあったのか、という、「実話」であるということに比重を置いた映画です。
 この映画で一番衝撃的だったのは、やはり、かの「赤旗の歌」が一番最初に歌われるシーンです。金日成殺害作戦が不発に終わり、カタルシスを無期限に延期された兵隊たちのうち二人が逃亡して近隣の村で強姦に及ぶ。一人は追いかけてきた部隊によって殺害され、もう一人は捕獲されて四肢をつるされた状態で、部隊全員が訓練兵によって彼の代わりに拷問を受けるのを見届けさせられる。「俺は本当に女を姦ったんだ、おまえらとは違うんだ」などと叫んでいたこの兵士が、沈黙して苦痛に耐える他の部隊員を前にして、最後に、「民衆の旗、赤旗は」、とうなり出すのです。
 もちろんこの兵士が行った強姦という行為は、この兵士がおかれた状況の如何に関わらず、許されることではないでしょう。映画はこのシーンの前後から、展開されるあらゆる暴力を、ただそのまま無機的に映し出しま
す。このシーンはまさに力業で、一瞬、えっ?なんと、ここで「赤旗の歌」が出てくるのか?と当惑しますが、この映画においてきわめて象徴的な役割を果たすこの歌が出現すべき箇所は、ここをおいて他にない、ということは、すぐに了解されるでしょう。まさに、この場面のためにこの映画がある、というところです。暴力というもの、また、暴力に直面する精神の造形の極端さ、強烈さゆえに、とめどなく涙せずにいられません。ちなみにこの「赤旗の歌」の日本語訳歌詞(大正時代の翻訳)は以下のとおり。インターネットは便利ですね。

民衆の旗赤旗は 戦士の屍を包む
死屍固く冷えぬ間に 血潮は旗を染めぬ
高くたて赤旗を その蔭に誓死せん
卑怯者去らば去れ 我等は赤旗(せっき)を守る


驚異的な刑事ドラマ 2004.04.29

 ここ2年ほど、あまりきちんと映画を見ていません。今年になってから見た映画は、「花とアリス」「エレファント」「ドラムライン」の3本で、いずれも好印象でしたが、今日見た「殺人の追憶」(ポン・ジュノ監督、韓国)は上記3本を圧倒的に凌駕する素晴らしい作品でした。
 あらすじを予告編で見ていて、犯人が捕まらない刑事ドラマというものが成立するのかなーと半信半疑だったのですが、冒頭のシーンから引き込まれます。田舎の村の警察のずさんな捜査や取り調べ、拷問のシーンに驚かされますが、それだけでもありません。ソウルから来たエリート刑事と田舎の刑事の関係も、「事件は会議室で……」といった薄っぺらなものではありません。政治を正面から描いている映画ではありませんが、80年代中盤〜後半の全斗煥・盧泰愚軍事政権下の韓国の社会や政治文化というものが、地方の刑事事件と警察というスコープを通して、逆にありありと迫ってきます。驚異的な刑事ドラマ……作る人の思想の深さでここまで違うものが作れるのか、と、見終わってしばし呆然としました。
 今後も韓国映画には注目していきたいと思っています。

東京入管とお台場 2004.03.07

 本ホームページでも扱っているシェイダさんの裁判の関係で、新しく建てられた東京入国管理局(→地図もご覧下さい)に行ってきました。
 東京入管は、もともと千代田区に本庁舎(オーテマチ)、板橋区に第2庁舎(ジュージョー)があり、オーテマチの方は手続きの申請所、ジュージョーの方は収容所、として位置づけられていました。どちらも非常に古い建物で、オーテマチの方はコンクリート打ちっ放しの建物が煤けて真っ黒く変色し、きれいなオフィスビルの多いあの地域の中で異彩をはなって恐ろしげな雰囲気を漂わせていました。ジュージョーの方はといえば、昔検察庁だった建物を使い回していて、収容所は定員オーバー、消防法に違反した状態がずっと続いていると言われていました。これではもう持たないということで、天王洲アイル駅から徒歩15分、品川駅からバス10分の海岸沿いの埋め立て地に、新しいビルが建ったわけです。
 本土とふたつの大きな橋でつながれた埋め立て地の島「品川埠頭」、たくさんの倉庫の並びに、東京入管の真新しいビルが巨大な姿を浮かび上がらせています。
 中に入ると、中国・韓国など東アジア系の人たちから、中東系、東ヨーロッパ系、アフリカの人たちにいたるまで、多くの外国人たちが、談笑しながら、また、自分の手続きを待ちながら、たむろしています。コンビニや真新しいレストランなども入り、前のオーテマチやジュージョーのような、暗く、ピリピリした、なおかつ打ち捨てられた雰囲気はあまり感じられません。一見、開放的な雰囲気……。
 しかし、このビルを使っての外国人「管理」は、オーテマチ・ジュージョーと比べて格段に強化されています。それは建物の構造をみれば一目瞭然。オーテマチ・ジュージョーは、普通の役所の建物、ただの四角い箱でした。ところが、新しい東京入管は、4つのビルが一つの軸を中心として十字に交わる、昔から刑務所などの建築によく使われてきたいわゆる「パノプティコン」(一望監視)構造。ミシェル・フーコーがかつて「監獄の誕生」で、こうした構造の建築が登場する社会的な力学を克明に分析した、あの構造です。
 東京入管の高層階から外を見ると、レインボー・ブリッジと東京湾、行き交う艀がとても美しく見えます。向こう岸はお台場、フジテレビ本社の楽しげな建物が大きく見えます。そしてこっちと向こうの間にあるのは、江戸幕府が鎖国を守るために埋め立てて作った本当の「お台場」島々、ペリーの黒船を江戸から遠ざけるために作った第3砲台と第6砲台です。(砲台跡がどう埋め立てられ、現在に至ったかについての詳細なホームページがあります>>。これを見ると、なんと東京入管は第5砲台の真上に作られていることがわかります) 江戸幕府の当時の技術の粋を集めて作った、これら人工の島々と、現在の日本政府が外国人を収容し送り返すために、現在の技術の粋を集めて作ったインテリジェント・ビル。結局、お台場は一発の大砲も発射せずに武装解除。2010年の「人口減少時代」を目前にして、もともと砲台があったところに、このインテリジェント・ビルを建ててしまった法務省は、砲台が送るメッセージ、「いつまでも鎖国は出来ないよ」というメッセージに耳を傾けることができるでしょうか。


星と鎌と鉄槌 2004.02.21

 80年代レーガン政権と冷戦の終了、社会主義の崩壊という世界情勢を背景に、ニューヨークにおけるゲイとHIV/AIDSの問題を正面からとりあげた演劇が「エンジェルス・イン・アメリカ:国家的課題に関わるゲイ・ファンタジア」(Angels in America: a Gay Fantasia on National Themes トニー・クシュナー作、アラン・アッカーマン演出)です。日本では94年に初演されましたが、10年後の今年、東京・江東区の劇場「ベニサン・ピット」でこの作品の上演が行われたので、初めて見に行きました。
 第1部「ミレニアム」、第2部「ペレストロイカ」を両方みると合計7時間。しかし、全体に張りつめる緊迫感と激しい場面展開により、退屈な時間など全くありません。見終わって、圧巻、の一言でした……。
 私がとくに驚いたのは、時間の流れとともに構造化され大きくなっていくこの演劇のテーマです。この演劇の第1部の最大のテーマは、HIV/AIDS時代におけるゲイとカミングアウトです。第2部では、もう一つの柱として、社会主義の崩壊の時代における社会変革のあり方が大きくクローズアップされてきます。HIV/AIDSとゲイ、という、この作品を貫く柱に、共和党の実力者にして弁護士のロイ・コーンと、彼によって処刑されたエセル・ローゼンバーグという対角線の軸が重なり合ってくるのです。この辺は、実のところ前にこのコーナーで触れたグギ・ワ・ジオンゴの「血の花弁」とも共通するところです。
 これを一瞬度肝を抜く形で示していたのが、第2部開幕前に掲げられていた星と鎌と鉄槌の、日本では過去のものとなった感のある旧ソ連邦・共産主義のマークを伴った巨大な赤い幕。第2部開幕前に少し早く入った私は、既視感にとらわれながらこの星と鎌と鉄槌をずーっと眺めていたのですが、このマーク、非常にバランスが取れていて迫力があるのです……。ムンバイの世界社会フォーラム会場に、南アジアの多くの共産主義者がこのマークを林立させていたことを彷彿とさせました。90年代クリントン政権下で今一歩リアリティのなかった前回の上演に比して、10年後の現在=ブッシュ政権とグローバル・エイズ問題に直面する現在、この演劇はその迫真性をこれ見よがしと言っていいほどに見せつけたのです。

9年ぶりのタイ 2004.02.15

 2月の頭の1週間、研修の引率でタイに行ってきました。日本のとあるNGOがやっているHIV/AIDSプロジェクトを訪問し、「途上国のHIV/AIDSプロジェクトの『次のステップ』」を学ぶ、という研修で、プロジェクトの水準もとても高かったし、参加者の皆さんも変わった人ぞろいでそれなりに面白い旅でした。
 タイは1995年に会議でチェンマイに行って以来なので9年ぶりです。バンコクの発展ぶりは、ムンバイに行く途中に飛行機で上から見たので何となくわかってはいたのですが、町の雰囲気も本当に先進国、東京とほとんど変わらない印象です。プロジェクト・サイトは東北タイ南部、ラオス・カンボジア国境に近いウボン・ラーチャターニーでしたが、ここも本当にイメージは日本の地方都市。東南アジアという雰囲気はあまり感じられません。
 日本人にはタイ好きが多いとよく言われます。たしかに、居心地のいい、はまりやすい国かも。金があってボーっとしてる分には、何の苦労もいらない。タイ人も英語が話せないから、こっちも英語ができなくても劣等感を持たなくていい。白人とかインド人とかアフリカ人とかと違って、少しのつきあいなら、プレッシャーを感じることもない。「気楽な」国に見えます。ふっと思いましたが、この国は実は、すごい国なのだろうと思います。その辺の「外人」にとっての気楽さを逆手にとって、投資を呼び込んで、自分の国を栄えさせるのにうまく使っているのですから。


インド車 2004.01.24

 世界社会フォーラムに参加するために、インドのムンバイに行ってきました。ムンバイの1月は、日本の少し涼しい夏、という感じですが、乾期なのでとても乾燥して埃っぽかったです。
 IT関連での高度成長がもてはやされる昨今のインド。ムンバイも南部はとってもきれいな街ですが、電車で北上するに連れて状況は変わってきます。線路沿いには延々とスラム街がつらなってとぎれることがありません。オートリキシャを頼んでうろつけば、巨大な牛が何頭か、スラムから吐き出されたゴミ捨て場でとりあえず喰えるものを探しています。周りには死にそうな犬が何匹か、吼えもせずにうろうろ。朝には、この道を大人たちがたくさん歩いています。長い距離を歩いて職場に向かっているようです。
 貧しさはナイロビ郊外のスラムと同じようにも見えますが、一つ違う点は、走っている車です。ケニアで走っている車は、ほとんどトヨタ車など輸入車です。ところがインドで走っている車は、かなりの部分、インド車です。ロンドンの二階建てバスと似ていながら、醸し出す雰囲気は全く異なるアショック・レイランド社(Ashok Leyland)の強烈にキッチュな二階建てバスから、日本車みたいにけっこう格好いいタタ社(Tata)の車まで、インドで走っている車の9割くらいは、民族資本もしくは合弁企業による国産車です。この点、他の途上国とは全然違う。車だけではなくて、いろんなものがインド企業の産品です。ちなみに、ナイロビでも市営バスはアショック社の一階建てバスが、ジャガランダの紫色の花とマッチした、きれいな淡青色に塗られて走り回っています(ムンバイのバスは真っ赤。さすがにアフリカ人は色のセンスがいいです。)
 インドは50年代以降、「輸入代替工業化」戦略を推し進め、近代文明にあるもののほとんどは国産で作れるという体制を作りました。実のところ、近代経済学的評価の中では、この戦略は「輸出競争力のない国営企業」の跋扈をもたらしたとか、経済的な停滞を招いたということで、悪い経済政策のように言われています。たしかに、経済指標の面では、「経済自由化に転じた結果、90年代中頃から高度経済成長を実現した」という評価はできますが、これは少し違うと思います。近代文明に対応する人材や生産基盤がないところが「自由化」をしたらどうなるか、これはIMF・世銀の80年代の構造調整政策によって国家機構そのものが領土の中に溶解していったいくつかのアフリカ諸国に端的に表されています。インドが同じことを50年代に迫られていたら、同じことになったかも知れません。
 道々にあふれ返るインド車を見て、私は、「輸入代替工業化」戦略により、まがりなりにも近代文明に自ら対応できる能力と生産基盤、人材を大量に創出し、また、国家として国際経済の荒波に対応するアイデンティティと能力を培った結果として、「経済自由化」に対応しこれに乗り切ることができるようになったのではないか、と思いました。ものすごい排気ガスを出すインド車は、明らかに人体にとっては有害なのですが……。

加波山 2004.01.11

 明けましておめでとうございます。
 正月は、茨城県の中央部、筑波山の北側にある信仰の山、加波山に一泊で初詣に行って来ました。
 加波山の東麓は古い城下町、真壁町。ここを通っていた筑波鉄道が20年以上前に廃止され、鉄道の跡は土浦と岩瀬を結ぶ自転車道になっています。町を巡ってみると、昔ながらの町家や、大正〜昭和初期にたてられた洋風近代建築が大きく幅を利かせており、タイムスリップしたような感じを与えます。あるいは、ある時期から時が流れを止め、眠ってしまった、といったような……。
 私は5年ほど前、ある事件の取材でこの町に来たことがありました。地元紙の新聞記者の方に、いろいろとその事件を巡る話を聞きました。膨大な蔵書を抱えた古い家でした。町議会議員の方もいらして、町のようすをいろいろと伺いました。いつ、誰が、どこで、何をしたのか……みんなが聞き耳を立てている、みんなが知っている、知っていながら知らないふりをする、うわさ話をする、先行きがない閉塞感と、前向きの力というのではない緊張感の高さを感じたことがありました。
 加波山から少し南に下がった足尾山の麓にある温泉旅館に泊まりましたが、以前は芥川龍之介も泊まったというこの旅館も、風情というよりは、以前あった風情が朽ちてしまったという感じ。
 加波山は信仰の山で、山麓、山腹、頂上にそれぞれ神社が作られており、また、8月には禅宗の人たちが禅定という修行を行うのでにぎわうと聞きました。今では、加波山は、中腹が御影石の採石場としてかなり掘削が進んでおり、山肌は大きく傷んでいます。真壁町は石の町で、加波山の石を利用して石工場がたくさんあります。自然破壊とは言っても、この町はもう、この「石」で勝負するしか生き残りの道はないのだろうと思います。
 もう一つ、加波山が有名なのは、明治初期、時の福島県・群馬県令であった三島通庸の弾圧によって追いつめられた自由民権運動家たちがこの山に立てこもり、「爆裂弾」を抱えて「圧制政府転覆」の旗を立て、出撃を試みた、という「加波山事件」があったからです。今年の初詣をこの山にしたのは、自由民権運動の象徴とされるこの山を見たい、歩きたいとずっと思っていたからでした。加波山は、かなり楽に登れる山です。真壁町から東に急坂を登り、峠に出ると、あとは少し険しいやせ尾根を頂上に向けて一直線に登るだけ。西側は、見渡す限りの田園風景と地平線です。少し下りると、「圧制政府転覆」の旗立石というのがあります。なかなか感慨深いものがあります。さらに下ると、立派な舗装道路に出ます。足尾山の南側から、舗装道路がずっと尾根沿いを通っているのです。これぞ、将来に何の収入見込みもない投資、「公共事業のための公共事業」の典型だなーと思いながら麓へ。「地方」の歴史と構造をかいま見る面白い旅でした……。


グナワ・ディフュージョン Gnawa Diffusion 2003.12.23

 中学・高校時代はへヴィ・メタルしか聴かず、その後は知人などの影響でパンク、ブリティッシュ・ニューウェーブを経てグランジやヘヴィ・ロックしか=つまり白人の音楽しか聴いていなかったのですが、数年前、どうにも煮詰まってしまい、その手の音楽はもういい、となったときに手が出たのがアフリカン・ポップミュージックでした。最初に買ったのは、コンゴのリンガラ第4世代の最大のホープといわれたカルチェ・ラタン・アカデミアのファーストアルバム「サンクション」と、このアルジェリア出身でフランスで活動しているグナワ・ディフュージョンのセカンド「バーブ=エル=ウェド・キングストン」(バーブ=エル=ウェド街はアルジェの一画にある庶民の街)でした。この2枚が、あまりにすごかったのでその後、アフリカ音楽しか聴かなくなりました。ここ数ヶ月はアフリカ音楽はあまり聴いてないのですが……。
 そのグナワ・ディフュージョンがフランスのワーナーと契約してメジャーデビューし、サードアルバム「スーク・システム」(Souk System)を出しました。私はグナワのセカンドもファースト(ずばり「アルジェリア」というタイトル)も素晴らしいと思いますが、このサード・アルバムも以前のに劣らぬ出来映えです。マグレブ圏の伝統音楽であるグナワの風味を生かしながら、ヒップホップやレゲエを取り入れた軽妙なミクスチャー・ロックとでも言えばいいのでしょうか。とくに今回のアルバムは、非常に洗練されたサウンドになっています。また、バンドとしてのアティチュードもすばらしい。ボーカリストは、日本でも翻訳が出ているアルジェリアの小説家、カテブ・ヤシーヌの息子さんで、アルジェリアへの望郷の念、軍政の暴力、軍政と結託した「イスラーム原理主義者」の暴力、そして石油だけはたっぷりと確保しつつアルジェリアの混乱を放置したフランスや国際社会への痛烈な風刺をその歌詞に託しています。歌詞がアラビア語とフランス語のミクスチャーなのでよくわからないのが残念なのですが…今回のジャケットは、このバンドのその辺のセンスを一目瞭然で示しています。
 文化と文化がせめぎ合い、ぶつかり合う中から生まれた強烈なミクスチャー・ミュージック。ぜひ一度おためし下さい。


アフリカから生まれた驚天動地の小説:「血の花弁」(Petals of Blood) 2003.12.22

 10月にケニアに行き、書店で現代ケニア最大の小説家グギ・ワ・ジオンゴ Ngugi wa Thiong'o の「Petals of Blood」(血の花弁)を買い、その後2ヶ月間かけて、英文を読み続けました。
 読めば読むほどに驚異的な、壮絶な小説です。舞台はケニアの辺境地帯にある架空の町、イルモローグ Ilmorog。周縁部の一寒村から、酒造業の形成により新興工業都市として急速な「発展」を遂げたこの町で、3人の民族資本家が焼殺されます。警察は、この焼殺に関わって4名の人物を連行します。この印象的なイントロダクションから、グギはこの連行された4名と、イルモローグという辺境の町がたどってきた歩みを、絶妙の構成をもって描き出します。そこに見えてくるのは、アフリカの伝統社会、植民地支配の経験、独立への血みどろの闘争と「マウマウ」=ケニア土地自由軍の思想、独立と新たな支配階級の形成、民衆が勝ち取ったはずの独立の成果の簒奪とその腐朽、そして、「食うか食われるか」の論理の中で人々が自らの足で歩む苦難の行程です。
 ペーパーバックで345ページの長編、フォークナーばりの複雑な構成で、決して読みやすい小説ではありません。しかし、そのストーリーは波瀾万丈で、決して飽きさせない。これは作家の才能だと思います。彼はこの小説で、ポストコロニアルなケニアという、極端に複雑な創造物を、端的な形で見事に抽出し結晶させています。ポストコロニアル小説としてここまで見事な小説を私は読んだことがありません。
 この小説は、決してペシミズムでは終わっていません。1977年に書かれたこの作品に、世界社会フォーラムのスローガン「オルタナティブな世界は可能だ」という言葉を見いだし、私は驚きました。訳します。

 そして突然、彼が目の前に見いだしたのは、彼女ではなかった……共和国の、あらゆる場所で彼が見いだした数限りない人々の顔という顔だった。食う、さもなくば食われる。他人を餌にして太る、さもなくば他人が肥える餌になる。なぜ?いったいなぜ?彼の中にある何ものかが弾けた……心の内奥で、彼は、彼女の立場、そして彼女が語った酷薄な論理を受け入れられなかった。あれか?、これか?あれか、これか。喰う者と喰われる者で作られるこの獣の世界では、お前は喰う者となるか、さもなければ犠牲者にとどまるか、どちらかだ。しかし、喰う側になるための犬歯と鉤爪を得ることができるのは、ほんのわずかな者たちだけだ。ならば、彼女が発した残酷な真実へのオルタナティブは、どこにあるのか?
 「違う」彼は言葉をつぶやく自分の姿を見いだした。「別の道がある。他の道があるべきだ」それは、そのときだった……今まで彼が訪れた全ての場所の光景をその視覚の中に見いだした、その瞬間だった……探し求めていた力を、かれは今はっきりと見いだした:事物を変革し、新しい秩序の基礎を作り上げるための力を。
 「この世界に?」彼女は、半分軽蔑したように、聞いた。
 「私たちはこの世界で生きていかなければならないのか?これが、唯一の世界なのか?だとしたら、私たちはもう一つの世界を、新しい大地を、作らなければ。」彼は一気に言った……キリンディニから、中央、そして西部地方で彼が場を共にし、共に働いた、数限りない人間の顔、顔、顔を思い浮かべながら。

 かれのこの言葉は、場を共にしていた2人の別の主人公に、大きな波紋を投げかけ、物語はこの言葉を巡って大きく展開していくことになります。
 グギ・ワ・ジオンゴの小説は、「一粒の麦」(門土社)などいくつかの小説と評論が日本でも翻訳・出版されていますが、彼の最高傑作であるこの「血の花弁」はまだ訳されていません。彼はこの作品の後、英語で書くことをやめ、ギクユ語での作品執筆という全く新しい世界に入っていくことになります。
 
アフリカにおけるポストコロニアル文学の最高峰とも言えるこの小説が訳されていないのは残念なことで、これは是非とも日本語に訳されるべきでしょう。この小説に労力を割いてくれる優れた翻訳家の登場を待ちたいと思います。
 「Petals of Blood」は、East African Educational Publishers Ltd. 版がナイロビでは容易に入手可能な他、ペンギン版をAmazon.co.jpで購入することもできます。ケニアに関心のある方、ポストコロニアル文学に関心のある方、現代の世界と思想に関心のある方、多くの方々に読まれるべき小説だと思いますのでここに紹介しておきます。


日本人が書いたアフリカの小説 2003.12.6

 この雑記帳というページでは、生活上気づいたことと、日頃ふれあう小説、映画や音楽など、文化的なことを、なるべく短く書こうと思っています。そこで今日は、私の仕事がら、アフリカについて。いつもはアフリカのHIV/AIDSについて書いてますが、今日はそこから離れて、日本人の書いたアフリカの小説について書いてみます。
 日本にとってアフリカはかなり距離があり、直行便もないので行くのには苦労します。しかし、たとえばケニアやエチオピアの場合、直線距離でいえばニューヨークと同じくらいですから、それほど遠い訳ではありません。そのせいもあって、東アフリカ、例えばナイロビには数多くの日本人が住んでいますし、驚くほど多くの日本人が、アフリカに関わっています。
 日本文学におけるアフリカ、というのは、他の分野にくらべてずいぶんと薄いように思えます。アクションものや冒険小説が大半を占めます。その中で最近、私が読んだのは船戸与一「猛き箱舟」(上・下、集英社)。現在もモロッコに国土の大半を不法占拠されているサハラ・アラブ民主共和国におけるポリサリオ戦線(PoLiSaRio: Frente Populaire Liberacion de la Saguia el Hamra y Rio de Oro)の武装闘争と、日本政府・日系企業の謀略の狭間に巻き込まれた青年の話です。船戸与一は、いつも最初は目を眩ませるようなすばらしい舞台設定をしておきながら、結局、陳腐な敵討ちに話を堕落させてしまう、最悪の作家ですが(その最も極端な例が「蝦夷地別件」です)、この「猛き箱舟」は、その中ではかなりましな方です。マグレブという風土が彼に、最後まで緊張感を保つことを強いたのではないかと思います。ちなみに私は彼の最も優れた著作は豊浦史朗名義で書いた評論「叛アメリカ史」(ちくま文庫)および「国家と犯罪」(小学館文庫)だと思います。これらを読むと、彼は本当に優れたルポライター&ストーリーテラーであることがわかります。

 もう一つ、アフリカを舞台とした冒険小説として「ゲラダヒヒの紋章」(福音館書店)を挙げておきましょう。これを書いたのは有名なサル学者である河合雅雄氏です。この作者からは想像も付かないほど、この小説は面白い。エチオピア高原という風土の中で、日本人の少年が謎の王国の崩壊と噴出する暴力を見届け、成長を遂げていく物語です。
 最近、日本人が書いたアフリカを舞台とした小説の中で出色なのは、古川日出男の「13」(角川文庫)でしょう。常人にはない色彩感覚を持つ日本人の少年が、モブツ政権下のザイール共和国(現:コンゴ民主共和国)の地方に出現した千年王国運動と民族対立の中に放り込まれる。この小説で書かれる狩猟民族と農耕民族の対立は、この小説の舞台となったザイールが90年代末から現在に至るまで経験し続けている「アフリカ大戦」の終局において、コンゴ民主共和国北東部で勃発したヘマとレンドゥの人々の争闘戦を彷彿とさせるものです。スケールの大きなこの小説を書いたのち、古川氏は「沈黙」と「アビシニアン」という、地球をダイナミックに動くのではなく、東京の狭い場所を舞台に、人の心の内奥のダイナミックな動きを追う作品群を書いています。
 アフリカを舞台とした日本の小説、ご存じのものがあったら是非教えて下さい。


大阪と大きな荷物 2003.11.30

 数日間、エイズ関係のイベントがあって神戸&大阪で仕事をしてきました。シンポジウムを主催したので、沢山の資料と重たいノートパソコンを抱えて移動。疲れます。とくに混んでる電車では、ガンガン人にぶつかって、それでも、大きな荷物を持って大変なのはこっちだ、と意地をはって、あくまでリュックサックを前に抱えず後ろに付けたまま我を通したり。ちょっと冷静になって逆の立場に立って考えると、ああ、よくないなーとは思うんですが、その場では、こっちが悪いのに相手をにらみつけたり、威嚇したり……あとで自分の品性や余裕のなさを反省させられるのですが。
 大阪と東京、どう違うんだろう。大阪に来たなーと一番最初に感じるのは、たいてい、エスカレーターに乗ったときです。うっかり左に立っていると、後ろから来た人の邪魔になって、エスカレーターを歩いて登る羽目になる。この違いは不思議ですね〜。
 あと、JRに新快速があるのが違いますね。座席がロングシートでなくてボックスシート。たいてい満員ですが、座れるときはボックスシートの方が落ち着きます。あと、新快速は速い!東京から横浜や千葉、大宮に行くとなると、あー遠い、行きたくない〜〜となりますが、大阪から神戸とかなら、同じくらいの距離なのにそんなに消極的な気分にはなりません。
 あとは、やっぱりことばですね。東京弁は非常にオフィシャルな感じで、器用さや柔軟さに欠けるような気がします。大阪弁は使い方次第でかわいくもこわくもできる、なんとなく自由度の高いことばのように聞こえます。実際のところはどうなんでしょう。
 でも、そんな違いはだんだんなくなってきているのかも。コンビニやシアトルコーヒー系喫茶店の店員さんはたいてい、今風の東京弁だし。大都市の風土は似通って来ていて、札幌と福岡とか、ちょっと行っただけでは町並みの違いとかわからない、という感じ。今では、ふだんとは全然違う「非日常に来た」という旅は、地方や島に行くか、長居しないとむずかしいかもしれません。


夜行バス 2003.11.16

 この週末、講演会のため、東京から大阪に夜行バスで行って戻ってきました。新幹線が高いこと、昼の時間がもったいないこと、アフリカなどへ行くことが多いので、「長い時間」の旅に慣れておきたいというのもあって、最近はなるべく夜行バスを使うようにしています。
 夜行バスの魅力は、そのダイナミックさと、場末のうらぶれ感が同居していることですね〜。金曜日は夜10時40分と、ちょっと早めのJRバスでしたが、バス発着所は茨城とか埼玉とか近郊向け中距離バスに乗る人たちで大混雑。それにしても、バス発着場というのは、なんであんなに端の方に追いやられていて、しかも安っぽい雰囲気なんでしょう。これだけとっても新幹線とは正反対。ところが、そこから乗るバスの方は、ピカピカで、違和感を覚えるほどの巨大さをこれでもかと見せつける、その偉容が身上。このバスに乗って高速道路を疾走し、朝には大阪だと思うとなかなか万感迫るものがあります。
 長距離バスを利用する人の中に、若い女性とお年寄りが多いこと、逆に若い男性やサラリーマンは少ないことも少し不思議な感じです。新幹線の値段が高すぎることや、ある程度自由な時間がある?旅が好き?とか、いろんな理由があるんだろうと思います。JRはそれを分析してか、「レディーズ・ドリーム号」という女性専用夜間長距離バスを導入しました。
 夜に休憩所を埋めつくすたくさんの長距離バスや巨大トレーラーの壮観、それにひきかえ、異様にうらぶれたチープな販売所やレストランの対比も、長距離バスの魅力の一つ。高速道路が民営化されたら、こうした休憩所にも全国展開のファミレスチェーンやスターバックスが入ってくるんでしょうね。私としては、高速道路が無料化されてバス料金がもっと下がることを期待しています。(JRバスは8500円だから、まだちょっと高い……)


銅山とファニーな鉄道 2003.11.09
 
先週、紅葉を見に足尾に行きました。紅葉以外のいろんなものも見ることができました……。
 足尾といえば、閉山した銅山。精錬所から出る亜硫酸ガスの煙が、周辺の山々を丸裸にしてしまい、今でも、精錬所に面した山の斜面には、ほとんど植物が生えていません。閉山後のこの町を支えているのは、崩壊した山々の緑化事業と砂防ダム事業。近代日本を支えた銅山の巨大な残骸が、町のあちこちに壮絶な姿をさらしています……。少し足を止めて、日本の歩みを振り返るとき、この町はたぶん、大きなヒントを与えてくれます。もっと多くの人が訪れるべき所でしょう。
 さて、少し面白かったのが、桐生とこの町をつなぐわたらせ渓谷鉄道。紅葉の時期は観光のお客さんたちで満員です。運転手さんが、これでもかとお客さんへのエンターテイメントに努めます。ダム湖の上で、駅でもないのに何で止まるんだろうと思ったら、運転手さんが運転室から出てきて、手ぬぐいを頭に巻いて突然、八木節を披露。お客さんは思わぬサービスに万雷の拍手……と思いきや、次の駅につくのが遅れてしまうとばかりに、その後のトンネルを時速80キロの猛スピードで駆け抜け、次の駅には結局5分も早く到着。「そろそろ発車です……ああ、まだいいか。」その後も、運転しながら全車両に聞こえるように放送設備を使って次から次へと民謡を披露。喜ぶお客さん、苦笑するお客さん、何となく心配げなお客さん……と客の表情もさまざま。都会ではこんなことしたら問題になるのでしょうが、何となくのんびりした鉄道の旅でした……。 

ホームページ更新 2003.11.02

 久々にホームページを更新しました。ところで、11月末に神戸でHIV/AIDSのイベントをします。これに関するウェブサイトが実はあります。以下参照。

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