ざっきちょう 雑記帳 a notebook. (最終更新日が上になっています)
J-Pop 05.01.29 雑記帳の更新、半年も滞っていました。この半年間、いろいろと旅行をしたりして非常に充実した日々でした。さて、この雑記帳では一度も音楽の話をしたことがありませんでしたね。 殺めないでと
憎しみで一杯の光景を睨み返して その塊を果敢に解(ほど)くのさ なかなか書けないフレーズだと思います。憎しみで一杯の光景を睨み返し、その塊を果敢に解く。この作詞者がなにをイメージしてこれを記述したのか、図りかねますが、期せずして、私がやりたいこと、やらなければならないことを端的に明示した表現を歌に聴いてとても驚きました。これがメジャーから出ているのですから、日本のJ-Popも捨てたものではないのかも知れません。ただ、この人も突然変異なのかも知れませんが。 |
驚異的な戦争映画 04.07.18 前の更新から3ヶ月も経ってしまいましたが、今回も韓国映画のお話です。 民衆の旗赤旗は 戦士の屍を包む |
驚異的な刑事ドラマ 2004.04.29 ここ2年ほど、あまりきちんと映画を見ていません。今年になってから見た映画は、「花とアリス」「エレファント」「ドラムライン」の3本で、いずれも好印象でしたが、今日見た「殺人の追憶」(ポン・ジュノ監督、韓国)は上記3本を圧倒的に凌駕する素晴らしい作品でした。 あらすじを予告編で見ていて、犯人が捕まらない刑事ドラマというものが成立するのかなーと半信半疑だったのですが、冒頭のシーンから引き込まれます。田舎の村の警察のずさんな捜査や取り調べ、拷問のシーンに驚かされますが、それだけでもありません。ソウルから来たエリート刑事と田舎の刑事の関係も、「事件は会議室で……」といった薄っぺらなものではありません。政治を正面から描いている映画ではありませんが、80年代中盤〜後半の全斗煥・盧泰愚軍事政権下の韓国の社会や政治文化というものが、地方の刑事事件と警察というスコープを通して、逆にありありと迫ってきます。驚異的な刑事ドラマ……作る人の思想の深さでここまで違うものが作れるのか、と、見終わってしばし呆然としました。 今後も韓国映画には注目していきたいと思っています。 |
東京入管とお台場 2004.03.07 |
星と鎌と鉄槌 2004.02.21 80年代レーガン政権と冷戦の終了、社会主義の崩壊という世界情勢を背景に、ニューヨークにおけるゲイとHIV/AIDSの問題を正面からとりあげた演劇が「エンジェルス・イン・アメリカ:国家的課題に関わるゲイ・ファンタジア」(Angels in America: a Gay Fantasia on National Themes トニー・クシュナー作、アラン・アッカーマン演出)です。日本では94年に初演されましたが、10年後の今年、東京・江東区の劇場「ベニサン・ピット」でこの作品の上演が行われたので、初めて見に行きました。 第1部「ミレニアム」、第2部「ペレストロイカ」を両方みると合計7時間。しかし、全体に張りつめる緊迫感と激しい場面展開により、退屈な時間など全くありません。見終わって、圧巻、の一言でした……。 私がとくに驚いたのは、時間の流れとともに構造化され大きくなっていくこの演劇のテーマです。この演劇の第1部の最大のテーマは、HIV/AIDS時代におけるゲイとカミングアウトです。第2部では、もう一つの柱として、社会主義の崩壊の時代における社会変革のあり方が大きくクローズアップされてきます。HIV/AIDSとゲイ、という、この作品を貫く柱に、共和党の実力者にして弁護士のロイ・コーンと、彼によって処刑されたエセル・ローゼンバーグという対角線の軸が重なり合ってくるのです。この辺は、実のところ前にこのコーナーで触れたグギ・ワ・ジオンゴの「血の花弁」とも共通するところです。 これを一瞬度肝を抜く形で示していたのが、第2部開幕前に掲げられていた星と鎌と鉄槌の、日本では過去のものとなった感のある旧ソ連邦・共産主義のマークを伴った巨大な赤い幕。第2部開幕前に少し早く入った私は、既視感にとらわれながらこの星と鎌と鉄槌をずーっと眺めていたのですが、このマーク、非常にバランスが取れていて迫力があるのです……。ムンバイの世界社会フォーラム会場に、南アジアの多くの共産主義者がこのマークを林立させていたことを彷彿とさせました。90年代クリントン政権下で今一歩リアリティのなかった前回の上演に比して、10年後の現在=ブッシュ政権とグローバル・エイズ問題に直面する現在、この演劇はその迫真性をこれ見よがしと言っていいほどに見せつけたのです。 |
9年ぶりのタイ 2004.02.15 |
インド車 2004.01.24 世界社会フォーラムに参加するために、インドのムンバイに行ってきました。ムンバイの1月は、日本の少し涼しい夏、という感じですが、乾期なのでとても乾燥して埃っぽかったです。 IT関連での高度成長がもてはやされる昨今のインド。ムンバイも南部はとってもきれいな街ですが、電車で北上するに連れて状況は変わってきます。線路沿いには延々とスラム街がつらなってとぎれることがありません。オートリキシャを頼んでうろつけば、巨大な牛が何頭か、スラムから吐き出されたゴミ捨て場でとりあえず喰えるものを探しています。周りには死にそうな犬が何匹か、吼えもせずにうろうろ。朝には、この道を大人たちがたくさん歩いています。長い距離を歩いて職場に向かっているようです。 貧しさはナイロビ郊外のスラムと同じようにも見えますが、一つ違う点は、走っている車です。ケニアで走っている車は、ほとんどトヨタ車など輸入車です。ところがインドで走っている車は、かなりの部分、インド車です。ロンドンの二階建てバスと似ていながら、醸し出す雰囲気は全く異なるアショック・レイランド社(Ashok Leyland)の強烈にキッチュな二階建てバスから、日本車みたいにけっこう格好いいタタ社(Tata)の車まで、インドで走っている車の9割くらいは、民族資本もしくは合弁企業による国産車です。この点、他の途上国とは全然違う。車だけではなくて、いろんなものがインド企業の産品です。ちなみに、ナイロビでも市営バスはアショック社の一階建てバスが、ジャガランダの紫色の花とマッチした、きれいな淡青色に塗られて走り回っています(ムンバイのバスは真っ赤。さすがにアフリカ人は色のセンスがいいです。) インドは50年代以降、「輸入代替工業化」戦略を推し進め、近代文明にあるもののほとんどは国産で作れるという体制を作りました。実のところ、近代経済学的評価の中では、この戦略は「輸出競争力のない国営企業」の跋扈をもたらしたとか、経済的な停滞を招いたということで、悪い経済政策のように言われています。たしかに、経済指標の面では、「経済自由化に転じた結果、90年代中頃から高度経済成長を実現した」という評価はできますが、これは少し違うと思います。近代文明に対応する人材や生産基盤がないところが「自由化」をしたらどうなるか、これはIMF・世銀の80年代の構造調整政策によって国家機構そのものが領土の中に溶解していったいくつかのアフリカ諸国に端的に表されています。インドが同じことを50年代に迫られていたら、同じことになったかも知れません。 道々にあふれ返るインド車を見て、私は、「輸入代替工業化」戦略により、まがりなりにも近代文明に自ら対応できる能力と生産基盤、人材を大量に創出し、また、国家として国際経済の荒波に対応するアイデンティティと能力を培った結果として、「経済自由化」に対応しこれに乗り切ることができるようになったのではないか、と思いました。ものすごい排気ガスを出すインド車は、明らかに人体にとっては有害なのですが……。 |
加波山 2004.01.11 明けましておめでとうございます。 |
グナワ・ディフュージョン Gnawa Diffusion 2003.12.23 中学・高校時代はへヴィ・メタルしか聴かず、その後は知人などの影響でパンク、ブリティッシュ・ニューウェーブを経てグランジやヘヴィ・ロックしか=つまり白人の音楽しか聴いていなかったのですが、数年前、どうにも煮詰まってしまい、その手の音楽はもういい、となったときに手が出たのがアフリカン・ポップミュージックでした。最初に買ったのは、コンゴのリンガラ第4世代の最大のホープといわれたカルチェ・ラタン・アカデミアのファーストアルバム「サンクション」と、このアルジェリア出身でフランスで活動しているグナワ・ディフュージョンのセカンド「バーブ=エル=ウェド・キングストン」(バーブ=エル=ウェド街はアルジェの一画にある庶民の街)でした。この2枚が、あまりにすごかったのでその後、アフリカ音楽しか聴かなくなりました。ここ数ヶ月はアフリカ音楽はあまり聴いてないのですが……。 |
アフリカから生まれた驚天動地の小説:「血の花弁」(Petals of Blood) 2003.12.22 10月にケニアに行き、書店で現代ケニア最大の小説家グギ・ワ・ジオンゴ
Ngugi wa Thiong'o の「Petals of Blood」(血の花弁)を買い、その後2ヶ月間かけて、英文を読み続けました。 かれのこの言葉は、場を共にしていた2人の別の主人公に、大きな波紋を投げかけ、物語はこの言葉を巡って大きく展開していくことになります。 |
日本人が書いたアフリカの小説 2003.12.6 この雑記帳というページでは、生活上気づいたことと、日頃ふれあう小説、映画や音楽など、文化的なことを、なるべく短く書こうと思っています。そこで今日は、私の仕事がら、アフリカについて。いつもはアフリカのHIV/AIDSについて書いてますが、今日はそこから離れて、日本人の書いたアフリカの小説について書いてみます。 |
大阪と大きな荷物 2003.11.30 数日間、エイズ関係のイベントがあって神戸&大阪で仕事をしてきました。シンポジウムを主催したので、沢山の資料と重たいノートパソコンを抱えて移動。疲れます。とくに混んでる電車では、ガンガン人にぶつかって、それでも、大きな荷物を持って大変なのはこっちだ、と意地をはって、あくまでリュックサックを前に抱えず後ろに付けたまま我を通したり。ちょっと冷静になって逆の立場に立って考えると、ああ、よくないなーとは思うんですが、その場では、こっちが悪いのに相手をにらみつけたり、威嚇したり……あとで自分の品性や余裕のなさを反省させられるのですが。 |
夜行バス 2003.11.16 |
銅山とファニーな鉄道 2003.11.09 先週、紅葉を見に足尾に行きました。紅葉以外のいろんなものも見ることができました……。 足尾といえば、閉山した銅山。精錬所から出る亜硫酸ガスの煙が、周辺の山々を丸裸にしてしまい、今でも、精錬所に面した山の斜面には、ほとんど植物が生えていません。閉山後のこの町を支えているのは、崩壊した山々の緑化事業と砂防ダム事業。近代日本を支えた銅山の巨大な残骸が、町のあちこちに壮絶な姿をさらしています……。少し足を止めて、日本の歩みを振り返るとき、この町はたぶん、大きなヒントを与えてくれます。もっと多くの人が訪れるべき所でしょう。 さて、少し面白かったのが、桐生とこの町をつなぐわたらせ渓谷鉄道。紅葉の時期は観光のお客さんたちで満員です。運転手さんが、これでもかとお客さんへのエンターテイメントに努めます。ダム湖の上で、駅でもないのに何で止まるんだろうと思ったら、運転手さんが運転室から出てきて、手ぬぐいを頭に巻いて突然、八木節を披露。お客さんは思わぬサービスに万雷の拍手……と思いきや、次の駅につくのが遅れてしまうとばかりに、その後のトンネルを時速80キロの猛スピードで駆け抜け、次の駅には結局5分も早く到着。「そろそろ発車です……ああ、まだいいか。」その後も、運転しながら全車両に聞こえるように放送設備を使って次から次へと民謡を披露。喜ぶお客さん、苦笑するお客さん、何となく心配げなお客さん……と客の表情もさまざま。都会ではこんなことしたら問題になるのでしょうが、何となくのんびりした鉄道の旅でした……。 |
ホームページ更新 2003.11.02 久々にホームページを更新しました。ところで、11月末に神戸でHIV/AIDSのイベントをします。これに関するウェブサイトが実はあります。以下参照。 ・リーフのダウンロードは >> ・ウェブサイトは >> |