カトリック大阪大司教区国際協力委員会
 

2001年10月15日開催(於:衆議院第二議員会館第三会議室)
「今こそ、アフガニスタン難民に難民認定を!市民集会」決議

 

 本日われわれは、固く閉ざされているアフガニスタン人難民認定の扉を押し開けるとともに、庇護を求めるアフガン難民を拘束した法務省に抗議するためにこの集会に参加した。 

1994年に誕生して以来、タリバンはその制圧の過程で、ハザラ人を中心として多くの少数民族、シーア派の人々を虐殺、拷問、略奪してきた。個々の処刑や殺害を別として、1998年8月マザリシャリフで6000人が虐殺されて以降、毎年のように大量虐殺が行われ、今年1月にはヤカオランで300名のハザラ人が虐殺されている。ハザラ人の虐殺は、その規模の大きさと残虐性、網羅性により、この10年間に起こった世界の大量虐殺の中でも最も突出した事態であり、その事実は数々の文献によって裏付けられている。しかも今年になってパキスタンはアフガニスタン難民の強制送還政策を打ち出し、特にモンゴル系の容貌からすぐそれと分かるハザラ人は、パキスタン当局の「摘発」の格好の的となり、国境でタリバンに引渡されるといった事態が進行してきた。 

 にもかかわらず、日本の法務省は、ハザラ人や、ケゼルバッシュ人その他シーア派に属する人々をほとんど難民として認定していない。1999年は、1998年のマザリシャリフの虐殺とタリバンによるアフガニスタンの実効支配の完成という歴史性を背景に申請が急増したが軒並み不認定処分とされた。2000年には若干名が難民として認定されたが、この現状はなんら変わっていない。それどころか、日本政府は今年初めからアフガニスタン人にビザや渡航証明書の発行を拒否しはじめ、在パキスタン日本大使館担当者は、「アフガニスタン人は入国後難民申請をするからにはビザを出さない」と門戸閉鎖の理由を公然と語っている。 

 10月3日、9名のアフガニスタン人が入管法違反で摘発され、入管施設に収容された。この事件は、アフガニスタン、パキスタンの切迫した状態にもかかわらず庇護を求める人々に門戸を閉ざし続けている現実抜きに理解することはできない。それどころか、9月11日からは、「テロ対策」としていっそう警戒を強め、米国への貢献を示すためのコストを、庇護を求める人々に負わせている。 

 私たちは、多くの証拠によってタリバンによる迫害が明らかであり、すでに大量の難民が発生しているパキスタンの状況にもかかわらず国境を閉ざす日本政府に対し、迫害から逃れ、生き延びるために越境する権利を対置したい。 

 「同時多発テロ」と評される9月11日の世界貿易ビルへの旅客機の激突は、6000人もの犠牲者を出し、今なお多くの市民が行方不明であるという。このマンハッタンの犠牲者と1998年のマザリシャリフの虐殺の犠牲者との間に軽重があるだろうか。彼らは等しく人々によって記憶され、後に残された家族はその悲しみに対して最大限の敬意を払われるべきである。同様に、この迫害を逃れてここ日本で庇護を求める人々に向き合い、迫害の真実を明らかにすべきである。 

 ここに参加した私たちは、アフガニスタン、パキスタンにおける迫害を逃れてきた人々が庇護を求める権利を有していることを改めて確認し、日本政府が適切な庇護を速やかに提供することを決議する。 

2001年10月15日 集会参加者一同
 



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