カトリック大阪大司教区国際協力委員会
  

新たにアフガン難民3名が一斉難民認定申請
 
日本政府は庇護を求めるアフガニスタン難民申請者を収容せず、
アフガニスタン及びパキスタン・イラン・アラブ首長国連邦における
ハザラ民族の状況を徹底調査した上で、難民審査にあたれ
(2001年11月7日)


 
  
 明日、2001年11月7日、新たにアフガニスタン人難民3名が一斉に難民申請を大阪入国管理局に対して行う。申請者は ムハマド・アレフ(1973年6月生)、ムハマド・バキル(1974年1月生)、アブドゥル・アジズ(1972年3月生)の3氏。3氏は全員ハザラ人で、現在アフガニスタンを実効支配するタリバンによる迫害から逃れるために日本に入国した。
 アレフ氏は、1998年に首都カブールでタリバンに拘束された直後にパキスタンに逃れ、その後つてをたどってドバイに渡り、知人の許で就労していたが、知人の会社の経営が苦しくなり、そのままではドバイでのビザを取り消される恐れがあった。その場合、ドバイからパキスタンを経由してアフガニスタンに送還される恐れがあったため、韓国大使館からビザの発給を受けた後、韓国に逃れ、仲介者の援助により、日本に船で入国した。
 バキル氏も1997年5月タリバンがマザリシャリフを攻撃したのを機にパキスタンに逃れ、日本で事業を営むアフガニスタン人を頼って来日して以来、日本とパキスタンとの間を行き来していたが、2000年8月頃から日本政府が渡航証明を発行しなくなり2001年からはムシャラフ政権がアフガニスタン人難民のアフガニスタンへの強制送還政策を取ったため、6ヶ月間ホテルから一歩も出られない生活を送った後、知人を頼って韓国に逃れ、アレフ氏とともに日本に入国した。
 アジズ氏は仕事でアフガニスタン・パキスタン・UAE・日本を行き来していたが、2001年に家族に会うためカブルに戻ったところ、パルワンで父親がタリバンによって投獄されたことを知る。父親がタリバンに捕まった理由は、アジズ氏がイスラム統一党のメンバーであることをタリバンに知られアジズ氏の行方を自白させるためだったと聞かされる。カブルの親戚の強い勧めでアフガニスタンにとどまることを断念、日本への渡航を決意した。しかし日本政府からはビザを発行してもらえず知人を頼って韓国を経由して船で日本に入国した。
 一般にパキスタンはアフガニスタン難民の受入れ国とされるが、少なくとも2001年以降は、アフガニスタン難民の強制送還を文字通り強制的に実施しており、モンゴル系でアフガニスタン難民と識別されやすいハザラ人は、特に拘束され、送還される危険が高い。バキル氏も一見するとパキスタンと日本を安全に往復しているかのような印象を与えるが、パキスタン滞在中は、ペシャワールのあるホテルにほとんど蟄居して暮らし、日本で就労して得たお金で生計を維持する不安定な状態を3年間にわたって続けてきたというのが実態である。
 タリバンが首都カブールを落とし、アフガニスタンの制圧が目前に迫った1997年以降、ハザラ人は周辺国に逃れ、点と点を行き来しながら迫害を逃れて生き延びてきた。日本もそうした点の1つであった。
 今回難民認定申請する3名は、まぎれもなく庇護を求めて祖国を逃れてきたハザラ民族の人々である。しかし東京ではハザラ人の難民申請者が身柄を拘束されたまま釈放の目処が立たない状態であるなど、彼らが安心して日本政府へ難民の申請することも許されない状況である。
 我々は難民認定を希望する人が決して収容されることがないように入管に求めるとともに、難民審査にあたっては、パキスタン・イラン・アラブ首長国連邦におけるハザラ人の状況を徹底して調べてほしいと要望する。

以上
 

 



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