教育という営みは、「人」と「人」との関係の中において生じる。したがって、「人」は「人」と「人の社会」での営みの中においてのみ、「人」として成長することが出来る。
教育が「人」と「人」との関係の中での営みである以上、教育を行うにあたっては、人の特性を知り、その上での適切な働きかけが重要になる。
教育心理学は教育という、広く、長い「人」と「人」との関係の営みの中で、特に被教育者の心理的側面を研究し、教育を効果的に行うための知識と技術を教育現場に提供することを目的としている。したがって、教育心理学は、教育実践と切り離して考えることは出来ない。
教育は、教育者が「人の特性」すなわち、人として発達、成長の過程にある被教育者、児童生徒の心身の状態を知り、その発達を助長するように働きかけることが重要になる。
人の発達のどの段階で、何を、どのように教えるかという教育実践の場において、教育者は、被教育者である児童生徒の心身の発達状況を正確に把握し、発達理論に基づいて子ども達を理解して、働きかけを行わなければ、効果的な教育成果は得られない。それ故に教育を行う者は、発達段階を理解することが要求されるのである。
1.教育と発達の相互関係 「性」
性的成熟とそれに伴う心理的変化と教育との関わり合いについて「性役割意識」を中心に考えていくことにする。
自らの「性」への意識は、乳・幼児期に表れ、性役割についてもこの時期に基礎形成が成される。すなわち、2・3歳のころに自分の性別が識別できる(性別知覚・自認)に始まり、3・4歳ころには衣服、玩具などについて性別による分類や選択を行うようになる(性役割選択)、同時に自分の性に合った言葉遣いや遊びなどが出来るようになる(性役割採用・行動)、6歳ころには物理的、外観的特徴をとらえた原始的形態ではあるが、意識や行動において性役割の基礎が形成される。
児童期においては、さらに拡大・発展が見られる。すなわち、外観特性や遊び、玩具などへの興味や好みに加え、活動面、能力面、行動面、性格面での男女の分化が著しくなる。
具体的な行動上の役割特性の学習は一通り完成し、自分自身の性役割への見方や評価(性役割観・性役割同一性)も形成されてくる。性役割意識は大人のそれに近づき、社会的な行動規範としての意味が大きくなる。これらの性役割意識は、乳幼児期から周囲の合目的な働きかけにより形成されるものである。すなわち、どこの文化圏であろうとも、その社会の期待する性役割が存在し、社会が志向する望ましい発達の方向へと周囲が働きかけることとなる。また、子どもは前述の社会的期待が内包されている養育者を観察し、養育者の行動で価値があると思われるものを積極的に取り入れていく。男子は父親を同一視し、父親のようにふるまい、女子は母親を同一視し、母親を真似る。これにより、幼児期後半までには、それぞれの性役割に合ったふるまいをするようになるのである。
前述のように児童期までに一通り学習された性役割は、青年期を迎えることにより再構成されることとなる。すなわち、児童期までに学習された性役割は、「性」に基づいているとはいえ生殖機能を伴ったものではなく、社会システムから仮定された「性」に従って学習してきたものであった。しかし、青年期において、女子はエストロゲン、プロゲステロンなどの女性ホルモンの、男子はテストステロンといった男性ホルモンの活発な分泌とはたらきにより、第二次性徴の発現を迎えることで、実体のある生物学的「性」に基づいてそれまで身につけていた性役割について再考し、自己の中に位置付ける作業が必要となる。
青年期は、児童から成人への発達の過渡期に位置し、前述のように第二次性徴の発現に伴う身体の急激な変化、ホルモンの働きの不安定さからの心身の動揺、2節の主題でもある、知的発達を背景とした自我の覚醒から確立への模索とそれに伴う攻撃的反抗など危機的で不安定な葛藤の時期でもある。その中で、自分なりの概念や価値観(性役割意観・性役割同一性)を確立しつつ、実際の行動と一致させることと同時に自分の中にある別の様々な価値観や概念と性役割概念を統合させることが青年期の重要な課題となる。
以上のような発達の過程を理解し、性差による役割やそれに対する周囲や社会の反応を子ども達がどう受けとめ、自己を評価し、どう行動するのかを見守り、助言し、過渡期の不安定さから生じる様々なフラストレーションに対する知的克服と処理の指導が教育上の課題であるとされている。
2.教育と発達の相互関係 「自我」
自我意識の発達の過程は、同時に社会性の発達の過程であると言える。新生児においては自己と社会は未分化であるが、幼児、児童、青年と年齢が進むにつれ、自己を意識するとともに、母親や養育者への強い結びつきを基礎として、家族に対して、家族以外の人に対して、さらには家庭生活から学校生活、社会生活へと環境は拡大され、分化し、同時に社会性も発達することとなる。
生活空間の分化・拡大に伴い周囲から与えられる社会規範と自己主張による自己の存在拡大とをどのように統合・統制していくのかが自我の発達においても問題となるからである。
自己意識の形成と発達は、まず自己の身体に気づくことから始まる。乳児は3〜4ヶ月頃自分の手をじっと見つめていることがある(持続的な手の注視=ハンド・リガード)や自分の足を引き寄せてなめたり、噛んだりするなどの一連の動作は、自他の境界が未分化な状態にあることを表している。その後自分の身体感覚(空腹・渇き・心的緊張など)の経験を通じて身体的自己を意識するようになる。またハーターは鏡映像の研究に基づいて子どもが行為者としての自分に気づき、次第に自分の特徴に気づいていく自己意識の発達過程に5段階を仮定している。
@乳児は鏡に反応するが、自他の意識はない(生後5か月〜8か月)
A行為者としての自分に気づき、自分の身体的運動と鏡映像の運動の呼応に気づく
(9ヶ月〜12ヶ月)
B自己と他者を区別する(12ヶ月〜15ヶ月)
C自分の身体的な特徴に気づき、自己のイメージが成立し、鏡映像を自分と比較対照する(15ヶ月〜18ヶ月)
D自分の鏡映像を自分であると指摘する(18ヶ月〜24ヶ月)
以上のようにハーターによれば、生後1年半すぎから、子どもは鏡映像を自分であると理解できるようになるとしている。
身体的自己を意識した子どもは、1歳〜1歳半頃から欲求や欲求充足が果たせない状況を知ることによって自他の分離を感じ、自分の名前を呼ばれることによって、自己の存在を明確に知るようになる。
また、この頃から(1歳すぎから)基本的生活習慣の形成のための「しつけ」が始まる。しつけは乳児期に母親または養育者との間に形成された深い信頼関係が基礎となる。この信頼関係をボウルビィはアタッチメントと呼び、泣き、発声、微笑をシグナル行動、後追い、抱きつき、接近を接近行動として、愛着行動と名付けた。
「愛着」の概念はエリクソンの「基本的信頼関係」とともに後の人格形成、対人行動の基礎となるとされている。乳児期に形成された、母親または養育者とのアタッチメントを背景に、子どもは自己保存をはかり、同時に対人関係の絆を作り、これを基に自己の存在を確かめながら、自我に目覚めていく。
基本的生活習慣(食事・睡眠・排泄・清潔・着脱衣など)の形成のため、ひいては社会で生きていくための習慣、規範などを取り入れるための社会化への働きかけがしつけであるが、2〜3歳くらいになると他律的に行動していた子どもが行動する主体としての自己を主張し自我が芽ばえてくる。自我の発達により、母親や養育者の援助を拒否したり、「イヤ」という否定の言葉をよく使うようになる。これが、第一反抗期(C.ビューラー)である。しかし、幼児期の反抗は、自我の確立という精神発達上の大切な過程であるとの認識が養育者の側には必要となる。 その後子ども達は家庭生活という隔離された環境から、幼稚園や小学校という、より開かれた環境の中で無理なく社会化して行くための環境を与えられる。この環境の中で8〜11歳頃まで「徒党時代」Gang ageと呼ばれる過程を経る。ここではグループの規律を守り、協力行動をとるという社会的行動の素地が養われていく。
そして青年期はさらなる自我の確立と成人するための社会性の発達のための過渡期である。青年期の前半に起こる身体的、生理的な急激な変化は、同時に心理的にも影響を与え、アンバランスで不安定な状態となる。この不安定さは自己の存在すなわち「自分とは何者なのか」という自己への問いかけであり、自我意識の萌芽であるといえる。
青年期は「第二の誕生」といわれるように、心の構造が急激に変わる時期である。青年期に入るまでは、親を中心とした周囲の大人の保護、指導のもと様々な知識や行動様式を身につけている。しかし、それまで外部に向かっていた意識が、自己への問いかけにより自我を目覚めさせ、周囲の大人達の保護や干渉、指導を退け、自己主張を行うようになる。この時期を「第二反抗期」(C.ビューラー)と呼んでいる。この反抗の時期をエリクソンは自我確立のための作業であるととらえている。エリクソンは「青年期とは、自分がない、本当の自分がわからないという同一性の危機に直面しながら、本当の自分を模索し見つけていく過程であり、そのために社会が与えた猶予期間であるモラトリアムにおいて成されることは、役割実験、社会的遊びである。
青年は社会的責任や義務を免除され、それまで拘束されてきた「育ち」からも自由になって、理想的と思われる人物やイデオロギーに試みに同一化し、様々な可能性を演じ、自分に合う生き方を模索する。そしてこれこそ自分だと納得できる自分を選び取ったとき、自我同一性は達成される」としている。
以上のように青年期はその入り口で「自分がわからない」という、危機的状態を迎えながら、自分は他者とは異なる独自な存在であるという確信とそれが他者や社会から認められ、自分のあり方と他者からの期待や要請が一致することにより青年期特有のモラトリアムのトンネルの出口が見出せるのである。また、このトンネルをくぐることなく、通過してしまうと、自我同一性の拡散を生じ、精神的に親に依存し、大人になりきれない、自立できない状態を生じることとなる。
自我を確立することが、精神的成熟と社会的成熟を促し、児童期から、青年期の過渡期を通り、成人期への発達へと導くのである。
以上のように、幼児期と青年期前期の2回の反抗期は、パーソナリティーの形成上非常に大切な時期であるといえる。大切な時期であるが故に、親や養育者、指導者の働きかけが重要な意味を持つ。すなわち、幼児期の子どもの個性化はどこまで意をつくすべきか、社会化はどのように実現すべきか、青年期においては、要求阻止耐性の教育や自我同一性や性役割同一性などへのアプローチなどが親や養育者、指導者にとっての重要な課題とされている。
3.教育と発達の相互関係 「価値」
価値とは有斐閣の「教育心理学小事典」(三宅和夫、北尾倫彦、小嶋秀夫編)によると「われわれが大切にしたり、重要と考えたりするものごとのもつ性質を「価値」と呼ぶ。中略、また、価値を生み出す、われわれのなかにある条件を「価値観」という。価値観は価値を生むための主体的条件であり、価値観は社会化の過程を通じて、われわれの中に形成されるものである。それ故、家庭環境や友人関係、文化的、社会的環境などにより影響を受ける」とある。2節ですでに説明してきたように、自我意識の発達の過程は、同時に社会性の発達の過程である。特に青年期は、自我の確立と同時に、価値観の確立、さらには人生観が確立される時期である。すなわち、子ども達各自が、社会において、どのような価値を実現する人生を歩むのかを選択する大切な時期を迎えるのである。
青年期における価値観の確立には、幼児、児童期の経験が大切な役目を果たすことは想像できる。エリクソンは「乳児期において世界に対する基本的信頼感が形成されることが子どもの正常な発達にとって重要な課題である」と指摘している。すなわち、親もしくは養育者との相互作用の経験が基礎となるということである。子どもは、親もしくは養育者の生き方を見つめ、自らの方向性を探るのである。
子どもが児童期に入り、小学校に入学するようになると、友人の意見や仲間うちで通用する価値観の影響を受ける機会が多くなり、言葉遣いや身の回りの物などの好みについても親や養育者の影響は次第に小さくなる傾向を示すが、自分の将来の方向付けや人生に対する基礎的な価値観、人生観などは、身近な親や養育者の影響を受ける。その際に先にエリクソンが指摘しているような、親と子どもの信頼関係が重要になる。またさらに、子ども達のモデルとなる親や養育者などが、どのような価値観を持ち、それを社会の中でどのように実現しようとしているのか、子どもを育てる者の人生観が問われるとともに、子どもが育つ社会の文化、環境も子どもの価値観形成に影響を与える。
1節 教育と発達の相互関係「性」においては、性的成熟と教育との関わり合いを特に「性役割意識」を中心に説明してきた。2節 教育と発達の相互関係「自我」においては、自我の確立と社会性の発達、特にエリクソンの「自我同一性」に焦点をあてた。3節教育と発達の相互関係「価値」においては、青年期の価値観の確立について考えてきた。
以上を踏まえると、子どもの発達は、親や養育者、教師の与える次世代の市民の形成を目的とした合目的な教育的な働きかけと密接に結び付いて経過することがわかる。そして人間として社会に適応するための養育者による社会化の教育には、当然にその社会のシステムや構造、文化に密接に関係することが理解できる。
すなわち、1節においては、「性役割意識」について扱ったが、性差や性役割についても性別による望ましい性役割概念が社会に存在し、それに沿った周囲の働きかけが子ども達の意識に影響を与えることがわかる。また、発達理論においても、性差や性役割意識について社会の志向する理論が内包されている。例えば、フロイトの理論は、男女の異質性を前提にして、男女別の発達課題や規制を設定し(男子のエディプス・コンプレックスと女子のエレクトラ・コンプレックスの問題)、エリクソンは、男女の異質性を無視し、もっぱら男性に代表させている(エリクソンの生涯発達論においての青年期の発達課題である自我同一性の確立は一般論であるが、男子には発達順序や同一性の領域がよく適合するが女子にはあてはまらない部分があるといわれている)。
性役割の発達に関係する周囲の働きかけを含めた「性教育」とは、性差を越えた人間性を尊重する教育であると思う。互いの性差を認め互いに尊重することが重要なのではないだろうか。
2節の「自我」の問題については、乳児の自己認知の発達の段階や幼児期のいわゆる「第一反抗期」と青年期の「第二反抗期」とエリクソンの自我同一性の確立について説明した。その中で、乳幼児期はやはり、昔から「三つ子の魂百までも」といわれるように、パーソナリティの確立上大切な時期であり、その時期の親や養育者の適切な働きかけが子ども達の発達に重要な役割を果たす。すなわち、母親や養育者とのアタッチメントを主軸として自己保存をはかりながら、他者との人間関係を構築し、次第に自我に目覚めてゆくのであり、幼児の基本的生活習慣の形成においても母親や養育者との信頼関係が重要になる。
青年期においては、外に向かっていた意識が自己の内面に向かうことにより、再び自我意識の目覚めがおこり、周囲に対して激しい自己主張をはじめる。しかし、この「第二反抗期」と呼ばれる現象は、エリクソンの理論である自我同一性確立のために必要なプロセスであるとの認識が指導する者には必要であった。同時に3節の「価値」で説明したように、青年期において価値観が確立するにあたり、親や養育者、教師などの周囲の大人の社会性についての考え方や生き方が子ども達の価値観の形成に影響を与えることが理解できた。
以上のように、親や養育者、教師など教育に携わる者は、子ども達の心身の発達状態を正確に理解し、発達の諸理論に基づき子ども達の状態を理解し、子ども達のレディネスに配慮した教育を行わなければ、充分にその成果をあげることができない。人の発達のどの段階で、何をどのように教えていくのかという教育実践の場において、過去の研究に基づいて集積された発達理論が重要な指針となるのである。
また、教育実践の場においては既存の理論を実践し修正を加えながら、新たな方法論が生まれることとなる。発達理論と教育実践とは相互に関係するのである。
以上
1 教育心理学 門司 三省 法政大学通信教育部
2 学習心理学 行動と認知 山内 光哉 春木 豊編著 サイエンス社
3 発達心理学上 周産・新生児・乳児・幼児・児童期
山内 光哉編 ナカニシヤ出版
4 発達心理学入門U 青年・成人・老人
武藤 隆 高橋 恵子 田島信元編 東京大学出版会
5 発達と教育の心理学 高嶋正士 藤田主一編 福村出版
6 教育心理学小辞典 三宅和夫 北尾倫彦 小嶋秀夫 編 有斐閣