背後の自然、権力、喩

清水鱗造


 吉岡実が亡くなって、日本に移入された表現法としてのシュルレアリスムの身の丈というようなことを考えた。『サフラン摘み』(七六年)を読んだとき、初め新鮮でその表現法を学ぼうと思った。ところがこの詩集の面白さは結局吉岡の生理に遡れる“軽み”にあるのではないかと繰り返し読むうちに思った。日本に外国語を介して移入された思想は、教養主義に堕ちがちだったと思う。日本の思想とスムーズにつながらないとき孤立してしまうところがある。もちろんエンターテインメントになっていくことは悪いことではないと思うしサブカルチャーに見える芸術の方が高度になってきたという言い方もある。そういう部分で『サフラン摘み』が詩集としてはよく売れたとしてもいいことだったと思う。
 吉岡の詩の魅力はその庶民的な生活感覚に収斂していく。この意味で吉岡実論を書くとしたら、あまり力瘤はいらない。そしてその“軽み”に注目したい。これは吉岡が師と仰いだ西脇順三郎について書くとしても変わらないと思う。では戦後詩史の文脈のなかで吉岡らはどのような意味合いの位置を占めているのだろうか。『昭和文学全集第三五巻昭和詩歌集』(小学館、以下『昭和詩歌集』と略)の大岡信が編集したアンソロジーや、百冊に達した“現代詩文庫”を見ても、プラスマイナスゼロの空間、時間を反映しているところが戦後的であるからなのだ。敗戦の“断絶”を倫理的にまともに受け取るのではなく、全く庶民の一個人として対応した。希望でも空しさでもない何か、吉岡の場合“軽み”を包含しているところに戦後詩史的な意味がある。数十年かかってそういうプラスマイナスゼロの境地の意味も解体しつつあると思う。これは修辞的な意味でも思想的な意味でもいえると思う。解体したマルクス主義にも、変容した天皇制の背後にある自然への志向にも、距離を置かざるをえないという必然的な契機を吉岡らがもっていたわけではなかった。これは普通のサラリーマンと同じように現実的に対応することで距離をとったのであって、それ以上でもそれ以下の意味でもない。優れた詩は、その優れていることのなかに必然的に反権力的なものを含まざるをえないと言ったのは二月号でとりあげたライナー・クンツェであるが、そういう切羽詰まった表現を吉岡実は志向したのではない。さらにいえば『昭和詩歌集』を眺めてみても、このアンソロジー以降の流れを見てみても、シュルレアリスムという概念に依る手法的特徴は分散していろいろな場所に包含されてしまったことがわかる。別の言い方をすれば、エンターテインメントやサブカルチャーの中にもごく自然に含まれている。初めからそういう過程を無意識に含んでいたところが、西脇などの“軽い”ところだと思う。そしていまやもっと軽くないともたない部分がある。ある人が、“歳時記”とか『国歌大観』『続国歌大観』は日本の偉大な文化遺産だと言った。そういうことをいえば、各国の自然誌や詩の集成は全部各国の偉大な文化遺産で、それは当り前のことだ。これらのデータはさらに集積していって、ばらばらに分解したり分類したり広告コピーに使われていったりしていけばいいと思う。また自分の歳時記を作るのはとても楽しい遊びである。データの集積能力はさらに加速度的に大きくなっていく。今後厖大な“詩歌大観”がつくられていくと思う。読者は自由にこれらから一人の人間に遡れる表現に突き当たったとき、受け取りたいものがあるとき、享受して吟味すればいい。要するにまったく個人の問題である。吉岡論の中心になる問題は、やはり手法としてのシュルレアリスムの光芒を吉岡が受けていることではなくて遡行できる庶民的な感覚であると思う。
『昭和詩歌集』は昭和という区切りの詩史を一冊で概観できる手ごろな本であると同時に、戦後詩に偏りがちな視点を実作者に広げさせる効用もあるかもしれない。いちばん問題となるのは、鮎川信夫の表現にはっきり表われる思想的課題の吉本隆明らを経由する現在への通路であり、「荒地」、「櫂」、「凶区」などの詩人たちが無意識に成している自然や自分の感性との対し方の変化であると思われる。少なくとも大岡信が感応する各詩人の代表作がここに収められている。ここから“流れ”と“断絶”を通読して感じることは可能である。またこれらから現在が断絶していく部分があるのも確かだと僕は感じる。また戦争直後の凝縮された時間のとらえ方を、小説における第一次戦後派の一部の作品と並行して「荒地」の一部の作品は成している。
 この二つの指標は、詩史を“流れ”“断絶”でとらえるときあまりにも大きく、重要な詩人を同じようなページ数で並べるときのっぺりとした印象をもたらしてしまう。しかしアンソロジーというものは読んでいく端緒を読者にあたえればそれでいいし、感応する度合も一人一人違うということからすればこれでいいのかもしれない。
 では現在問題となる人事の前面、“権力”はどのようにとらえればいいのだろうか。ここではフーコーの権力論を少し引用してみる。

 権力の関係は他の形の関係(経済的プロセス、知識の関係、性的関係)に対して外在的な位置にあるものではなく、それらに内在するものだということ。

 権力のある所には抵抗があること、そしてそれにもかかわらず、というかむしろその故に、抵抗は権力に対して外側に位するものでは決してないということ。(略)権力に対して、偉大な《拒絶》の場が一つ――反抗の魂、すべての叛乱の中心、革命家の純粋な掟といったもの――があるわけではない。そうではなくて、複数の抵抗があって、それらがすべて特殊事件なのである。
          (ミシェル・フーコー『性の歴史T』七六年より、渡辺守章訳)


 こういう権力分析が、戦前のシュルレアリスムの思想の骨抜きにされたかたちでの紹介と違って、はるかに共時性をもってわかる理由は、もちろん日本の大衆が米英仏独などと共時的な体験ができるようになったからであり、たとえば個人のレベルで電話回線とパソコンを使ってアメリカで日本語を使った仕事が共時的にできることなどと深くつながっている。小さなコンピュータで全世界の言語を操ることが実現するのはそう遠いことではないらしい。『性の歴史T』は八六年に訳書が刊行され、昨年から今年にかけての共産・社会主義の敗北のはっきりした国家体制の変動の前にフーコーは亡くなっている。つけ加えれば、吉本隆明の権力論はその明澄さにおいて注視していくべきだろう。
 新川和江の詩集『はね橋』(花神社)を読んで、ボルテージが落ちない、むしろ上がってきていると思った。『昭和詩歌集』にも十四篇収録されているが、それらの代表作に匹敵する詩がこの詩集にはいくつかある。言葉の残り方について深く考えていることが、そのまま新鮮に表われている。

 花を摘んでいる間に
 千年 二千年が過ぎ去ることは
 よくあることなのだろう


 振り返ると
 ひょいと跳びこえてきた小さな流れは
 吃驚するほど川幅を増していて


 向う岸でぶらぶらしている
 あのひとの姿は 見えるには見えるけれど
 名前を呼んでも素知らぬふりだ


 ――じいっと じいっと 目をつぶって
   ほら マシュマロみたいなあの雲だって
   さっきから少しも動かないよ
   あのように しばらく僕の腕の中で
   おとなしくじっとしていて


 そういったのは あそこに見えるあのひとの
 はるかなはるかなはるかな祖先だったのかも知れない
 あのひとが心変り――なんかしたんじゃなく


 時間の濁流が
 片ほうの岸だけを浸食してつっ奔ることは
 珍しい現象ではないのだろう たぶん


 あのひとの釦孔にかざってあげようとして摘んだ
 キンポウゲは(ああ もしかしたら千年前のキンポウゲは)
 わたしの手の中でこんなに今も いきいきしているが…
          (〈花を摘んでいる間に〉全行)


“キンポウゲ”という言葉の音とイメージが異界あるいは彼岸と接触している。この詩と夢の中の映像を使った表題作〈はね橋〉は凄いと思った。
 斎藤庸一の詩も『昭和詩歌集』に入っているが、『卯の花かざし』(地球社)では落ち着いた境地にいてボルテージが落ちていると感じる。身近な詩人の名前がでてきたり追悼詩が並べられていたりすると鼻白む場合がよくある。斎藤の詩もそれほどではないがそういう趣きがある。

 私のささくれた視野のどこにも
 私だけの白い馬はあらわれない
 まして繊細なピアノの旋律は聞えない
 だがいつの頃からか私についてくる
 一頭の馬がいることは知っていた
          (〈ついてくる馬〉部分)


“白い馬”というのは東山魁夷の絵のイメージを下敷きにしていて、“註”もついている。もっと手ぶらなイメージのほうが爽やかな感じがする。
 滝口雅子『雨のプラタナス』(書肆山田)では短い詩が集められていて、呼吸のようなものが伝わってくる。

 きれいな手をしているね
 そのひと言で
 そのひとを覚えている
 何十年も昔のこと
          (〈手〉全行)


 枯れているなかに微かに女性らしい華やぎを辿る気持ちがはたらいている。前に比べるとボルテージは落ちているが、手ぶらのイメージで勝負している。
 壁淑子『砂の降る町で』(詩学社)は視覚的なイメージが鋭い。言葉と感覚との関係は相互的であり、まず初めに感覚体験があってそれを表わそうとする場合と、言葉を繰り出した後その言葉に触発されて感覚体験が呼び出される場合があると思う。どちらにしてもその強度を自然に表わしてしまう。その意味でいつも真剣勝負なのだ。

 砂防林を這いでて
 屑篭を漁る人影がある
 砂の男か
 腕に揺れるオブジェの束を
 捨て紙にくるむと
 暮色に紛れた

 ほたるぶくろ
 
 鐘形の
 べにむらさきの
 花のさかりを
 汐風絡まる松の根もとに
 群生している
          (〈叙景〉部分)


    どんなナンセンスソングでも観念的な作品でも、感覚体験の強度はでてきてしまう。もちろんこれはまったく平等に持ち合わせているわけなのだが、言葉を書き付ける醍醐味はここにあると思う。
 北交充征『タコウリ』(紫陽社)では、まだ独自のものは見えないが前に向かっていくイメージの繰り出し方をしている。

 膝のパン屑をはらいおとすと
 女は プイッと飛びたった
 セミの飛行はむこうみず
 樹も電柱も たいしてカワリはないはずだが
 風に舞いたいか
 はがれたヌードポスターのように
          (〈セミの飛行〉部分)


 七月号でとりあげた吉沢巴の詩に比べればまだ倫理感にとらわれている。こういう書き方をするのならば、もっとラジカルにできると思う。もっと壊してそれでも独自のものが出るところまでいけるのではないか。
 中森美方『荒ぶれ鎮まれわが熊野』(雀社)の散文詩を読んで感じたのは、ポップな方向に解体できない素直なライフスタイルがあるということだった。まだこういう書き方ができるのかという驚きと同時に、一種の困惑がある。

 その昔、有馬村木樵り以助なる男、熊野山中の杉の巨木の根元にて、母子あるい
 は父子のものなりや、大小二つのしゃれこうべを見つけ、村に持ち帰り酒にて洗
 い潔め、首塚としてまつる。
           (〈――首塚〉冒頭)


 村岡正子『鏡』(石風社)のなかにいくつか印象に残る作品がある。〈しっぽ〉という作品では墓参りに行くバスの中でハンドバッグに付いている毛皮を尻尾とイメージして、墓場に行くことの意味と微妙に融合させている。
 あと、三冊詩集名を記しておこう。坂本稔『土佐抒情歌』(南方手帖社)、神窪豊『幻影』(たんぽぽ社)、天野さくら『白い木』(花神社)。
 藤田晴央のエッセイ集『ぼくらは笑ってグラスを合わせる』(北の街社)の散文は底が割れているといえば割れているが、気分のおもむくままに書いているいい加減さがかえっていい雰囲気を出している。

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「現代詩手帖」詩書月評(一九九〇年)目次
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