集中、弛緩、喩

清水鱗造


 緊張と弛緩について示唆を受けたのは、村瀬学の論考だった。言葉を書きつけるときの集中力とはどんな類のものだろうか。概念を言葉にするというのは、概念が構成する矛盾や偏差をすべて“関係”に置き換えてしまうということである。言葉は通時的には記号から逃れるベクトルを常にもっていて、それでいて記号という意味に収束してしまうことに苛立っている。概念が言葉(記号)に変換できること自体忌まわしく、それでいて遮二無二言葉の可能性に賭けている。そしてプログラムの機械語をロードしたとき現われるものがあるように、読むことによってこちらの頭のなかにあらわれるものがある。そしてまた書きつける、その往復運動がある。しかし現象としての言葉を不可知論のなかに閉じこめてしまうこともまた間違っている。また書かれることによって明確になっていくものがある。書かれたものと書く人との相互作用が始まるのだ。こういう議論に、詩を書くときの“集中”と“弛緩”という観点から接近していきたいのだ。
神経症は緊張の暴走ともいえるかもしれない。集中の機構を制御できなくなる、これが神経症かもしれない。神経症にかかっている人のための本、クレア・ウイークス『不安のメカニズム』(一九六九年、原題SELF HELP FOR YOUR NERVES)は長い間愛読書になっているが、この本に神経症とのつきあい方の次のような一貫した対処の仕方が呈示されている。まずウイークスは交感神経(Sympathetic nerves)をアドレナリン分泌神経と呼びかえる。情緒やストレスにかかわりをもつホルモンは何種類もあるが、中心的なアドレナリンをとりあげるのはその英語のイメージと説明を煩雑にしないためである。《軽いものであれ、重いものであれ、神経症の根本原因は恐怖にほかならない。なるほど不和、悩みごと、悲しみ、罪悪感あるいは不面目といったことが、神経症をスタートさせることがある。だが、それも恐怖という主役が取って替わるまでの短い期間にすぎない。》(高木信久訳、以下同)アドレナリン分泌神経の“暴走”(ウイークスは暴走という言葉を使っていない)が恐怖感を引き起こし、そこから神経症が始まるといっている。
 こういうベースになる説明をしたうえで、治療の根本原則を四項目にまとめる。すなわち、

 直面すること。(Facing)
 受け入れること。(Accepting)
 浮かんで通ること。(Floating)
 時の経つのにまかせること。(Letting time pass)


 この四原則は抑うつ症、強迫神経症、不安神経症などここに書かれる全神経症の分野で貫かれることになる。森田療法と似たところもあるが、治療の場所をこれといって限定しないところとか、仕事とのつきあい方などのニュアンスが違う。またトランキライザーの使用を完全に避けているわけでもない。ある友人がいろんな症状に微細に対応できる薬物がたくさんあるのだから、現代人はものすごく忙しいのだし、医師のところにすぐ行って薬をもらうのがいい、といった。確かに向精神薬の発達はすごいしそういうことがいえるかもしれない。具体的には医師のところで相談するのがもちろん一番といえるとは思う。しかし医師はもちろん健康な精神状態に患者をもっていくために全力を尽くすのであって、そのアドバイスはウイークスなどの治癒のための言葉という色合いからけっしてはずれない。
 詩を書くとき、集中力を極限までもっていきたいとだれでも思うだろう。しかし集中力の使い方も時代によって変わってきた。サラリーマンの一割がなんらかの神経症を抱えているということが知られている時代である(神経症という呼び名が数を増やしているともいえるかもしれないが。酒のんで寝ちゃえば治っちゃうよとか、そういう部分で解決できるうちはまだいいのだ。たとえば初期の鬱症患者がその進行を止められず、世捨て人になっていった時代もあっただろう)。ウイークスの原則は、集中力の使い方にも示唆を与えていると思われる。日常を貫く精神管理、平衡感覚が重要ということがはっきりすることは、つまり集中力を客観的にみる思想が大衆的な規模で意識されはじめたということを意味している。そして臨床的なこの本のような言葉が届かせようとしている射程は“現時点における微細な対応”というところである。状況への視線の深度よりもこういうところが先になってくる、ということ。なおかつ避けて通れない問題に集中していかねばならないこと、ここに垣間見えるものがある。弛緩しないことは、人間の生活全体からみれば異常なことである。だが詩が集中した状態で凝縮した中心を目指すのは自明なことだ。むしろ状況はその凝縮の水位を外側から規定する。表現への集中の方法と同時に、弛緩のほうへ還る通路を掴んでおくこと、これがいつも重要なのだ。
 喩はまったく固有の領域に入り込むことを望むかぎり、他人に簡単に伝わらないというところに辿り着くことはとても自然なことであると思う。だが書かれたものを読んでいくうちに必ずその喩の張り付いている機構はわかってくる。その張り付き方がいつも問題になるのであって、体験をそのまま伝えるなど不可能だということもまた自明なことだ。だから読者はしばしば自分にとって“無意味”な言葉に遭遇する。集中力の果ての“無意味”にみえる言葉なのか、たんなる“無意味”なのかはすぐにわかるといっていいだろう。『市島三千雄詩集』(越後屋書房)には、一九二五年から一九二七年までに発表された詩篇が収められている。

 うわさの中に私はいました
 だまってまた自分をうわさしながら私もいました
 どっとうわさが笑いました
 みんな好奇な眼で人気を一層あげました
 色々の口が同んなじうわさをしました
 黄色い石の三角のピラミッドが
 赤く埃をまく口のように並んだ瓦の屋根――
 無数の口とこの夕焼
          (〈屋根と夕焼〉全行)


 この詩集の二十一篇の作品に弛緩したところはまったくない。アンソロジーなどに収められた一九二五年頃のほかの詩人の作品をみていくとつまらない詩人も数多くいるが、市島の作品は中也や朔太郎の作品の隣に置いても見劣りがしない。思わぬ贈り物だった。
 藤井貞和『ピューリファイ、ピューリファイ!』(書肆山田)の構成意思はその言葉の用法の自由さと裏腹に、ある概念の軌跡を表わしているように思える。そこに安定感がある。

 あなたわすれものですああそう、
 わすれものれす、ああそう、
 捨てただけ、捨てられただけ、
 捨てられたらけらってば、捨てられれ、
 すてられれ、すてられれああそう。
 (中略)
 どじらかな最期を、あほらかな最期を、
 祈る、呪う、とびとびに、
 と「び」と「び」で、
 なみだびだぶつの涙でああそう。
          (〈日々への注釈〉部分)


 ナンセンスな言葉遣いが面白いな、と思っているうちにけっこう安定した生活が浮かび上がる仕掛けだ。錐のような鋭さ(集中力)はその安定した生活感に解消されているのだ。難しいな、と思う。鈴木志郎康が“プアプア詩”を書いていた頃は頭がおかしかった、という感じの言い方をしているのを読んだことがある。いろいろ見方があると思うが、鈴木の表現の中で屹立しているのはやはり“プアプア詩”だと思う。安定で幸せであるのはとても結構なことで、そのことによって詩なんか書けなくなったっていいじゃないか、という考え方もあるし分かる。しかし裏面からみればアイデンティティを支える精神的経済のうちに詩が多くを占めなくなったとき、その集中力は落ちるし、詩を書くことが火急の課題である人間もいるはずだ。前線での戦いはいつの時代でも集中力なのだ。では、詩は生涯のある運命的な期間を突っ走る短距離走なのだとまとめてしまっていいのだろうか。これにも疑問が残る。
 それにしても藤井のこの詩集は、言葉の歯切れがいい。その意味では脂がのっている詩が集められている。過剰なこだわりや集中力はうまく統御されていて、悪意や無頼とはほど遠く距離をおいているところが、詩を書いていく生活者にその生き方の示唆を与えるかもしれない。だから逆に“人格”などという批評基準にからめとられない、一見パラノイアックともみえる感覚に対する受入態勢をこういう詩人に求めたい(べつに、藤井に人格という批評基準で書いた文章があるのではない)。
 関口将夫の詩画集『耳のない犬』(MIHO WORK GROUP)には、さまざまな表現の要素が混じっている。詩画集の作り方はとても難しいと思うが、関口のこの本の場合衒いがなく無理に洗練させようとしていないところが気持ちがいい。

 退屈な日には
 君に“血まみれマリー”を奨めよう
 皿にはまずレモンの海を
 つぎに夢みる魚たちの骨をみちびきいれ
          (〈血まみれマリー〉部分)


 樋口覚の評論集『昭和詩の発生』(思潮社)では、この本の半分以上を占める第一章の書き下ろし部分で安西冬衛と北川冬彦を中心とした丹念な表現史の検証を行っている。いまどうして安西なのか北川なのかということよりも、時代の細かい事象やさまざまな作家などの文章を引例して時代そのものを浮かび上がらせるという意図がつよくはたらいている。安西や北川の詩に耽溺する経験があったようには感じない。しかし「亞」の時代の考証としてはとてもよくできていて、勉強になる。第三章の鮎川信夫について書かれた部分にも異和感を感じなかった。そして、樋口自身の体臭を発散させてもいいのではないかと思った。
 渡辺洋『エゴイストとナルシシスト』(れんが書房新社)の詩集名の付け方はどうだろうか、と思ってしまった。ただ喩法にきりきり舞いしている詩人の小集団とはちょっとだけ距離をおいているところがあって、それが気持ちよい。消極的ながらボディブローのように重みのある表現に達することを期待している。

 いちばん素敵なきみと
 いちばん嫌いな奴に
 いれかわり出会う 秋
  
 ポストに投げこまれた
 春を売るちいさなチラシたち
 娼婦の見分けもつかない曖昧な夜に
 誰に思い出されてもいいように 僕は
 ちいさな間違いをテーブルで数えあげ
 ちいさな敵をひとりずつ理解していく
          (〈rain〉冒頭)


 古賀大助『ポプラが倒れた夜』(紫陽社)の“あとがき”に《エントロピーの増大の法則からは、詩といえども逃げ出せない。ぼくはぼくの詩でさえ、うまく手なずけられないということ。》という文章がある。

 電信柱の下をみろ!
 ちろちろ赤い舌を出す奴がいる
 おもちゃ容器のなれのはて
 ありあわせのごみ入れ兼焼却炉
 ラベルはとっくに焦げ落ち
 胴腹は赤銅色だ
 もえているんだ
 腐ったバナナやみかんが燃えている
 流行遅れのおもちゃたちが燃えている
          (〈炎のブリキ缶が風を喰う〉部分)


《うまく手なずけられない》という意識は大切だろう。過剰な欲望や観念に翻弄されているのが普通だし、客観化できるのは後であるから。もう一篇、〈片金ポッキーの冒険〉という作品のところに僕は付箋をはさんだ。
 秦愛子『タマゴアタマ』(思潮社)を読んでこの人は素直な人だなと思う。〈気がかりの白鉛筆〉という作品の白鉛筆の暗喩が印象に残る。村上章夫『栞・転々』(ミッドナイト・プレス)は結婚して子供が生まれてという生活過程のなかの、落ち着いた感慨をまとめている。岡田幸文、松下育男、佐々木安美などと同じような路線だ。《尻の穴をいじくった手で/水道の蛇口をひねる/水が流れる/仕方なく洗うこの手はきたない》(〈蛇口〉部分)加藤温子『オシャマンベのイカメシ』(思潮社)でも安定した中年婦人の姿が垣間みえる。《六十年代/街頭にひびきわたるシュプレヒコールから/あなたがおそろしいはやさで取り残され/沈黙を強いられていたという あの頃/わたしは母や兄弟の柩に釘をうっていました/でも 辻さんわかった/思うに詩とは しみついた神の洟なんだって……》(〈ぼくの話はこれでおしまい〉部分)
 若井信栄『皆既日食』(パーマネントプレス社)については、この人を僕は知りすぎているのでちょっと引用するだけにとどめる。《もうさようなら/開かない門の前の/石壁に草の汁をなすりつけている おまえの熱いひたいに/五月の木洩れ日をうけて/かすかな風がおこる/えごのきはいっせいにその白い花をふるわせる/苦いはずかしい思いのまま/焼いて灰にした文書が空高くまいあがり/風にのって はいりこんでいった/狂気や死にふれた もう一つの/裏側の夏》(〈夏の風〉部分)
 島田陽子『続大阪ことばあそびうた』(編集工房ノア)、冬山純『ひらかなまんだら』(表現派詩社)、松川紀代『やわらかい一日』(ミッドナイト・プレス)などもおもしろかった。

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「現代詩手帖」詩書月評(一九九〇年)目次
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