義眼売り

 帰り道。ひとりの見慣れぬ老人が路上に何かを広げて売っている。今どき珍しい風景だ。僕はこういうのが割と好きなので、ちょっと足を止めて覗いてみることにした。
 老人の売っていたのは、色とりどりのガラス玉だった。赤いものや青いもの、透明なものや鏡のように磨かれたものがそれぞれの光を反射し合っていた。
「へえ、きれいなガラス玉だね」
 老人は物好きな客に気づいて、その顔を上げた。
「ふぉほほ、これはただのガラス玉ではないぞ」
 老人は開いているのか閉じているのかわからない眼をさらに細めて笑った。僕はしゃがみ込んでガラス玉をひとつつまみあげ、手の平でもてあそんでいた。
「じゃあ、これはいったい何なんだい?」
「それはな……」老人は僕の眼の前にそのくしゃくしゃの顔を近づけて、言った。
「義眼、じゃよ」
「えっ?」
 僕はびっくりして手に持った玉を落としそうになった。だがよく見れば、なるほどその玉はちょうど眼球と同じくらいの大きさをしていた。
「義眼を売ってるのかい?……道で?」
 僕はいぶかしげに尋ねた。路上義眼売りなんて聞いたことがない。
「モノは確かじゃよ。あんたもひとつどうかね?」
 僕は玉をもとのところに戻して立ち上がり、かぶりを振った。どうもあまり関わり合いにならない方がよさそうだ。
「あいにくだが間に合ってるよ。眼は両方ともちゃんと見えるやつがあるんでね」
 そう言って帰ろうとすると、老人は突然大声で笑った。
「……何かおかしなことを言ったかい?」
「くっくっくっ……いや、何でもないよ。まあ、せっかくだから間に合ってるなんて言わずにちょっと試してみなさい」
「試すって言ったって……あ!」
 突然、老人はその枝のように細い腕で僕の頭をつかんだ。こんな老いぼれの、しかも片手だというのになぜか僕は抵抗することができなかった。そしてもう一方の手は、あろうことか僕の眼へと伸びていったのだった。
「ちょっと! おい! 何するんだ! こら、やめろ……」
 老人は必死で手を払いのけようとする僕を無視して、人差し指を右眼に突っ込んだ。僕はあまりの激痛に悲鳴を……上げるはずなのだが、不思議なことに痛みはまったくない。老人の指がずぶずぶと僕の眼窩に入ってゆき、僕の眼球はそれこそビー玉のようにころりと取りはずされてしまった。
 老人は、馴れた様子で僕が手に持っていた義眼をかわりにはめ込んだ。そして左眼にも同じものをすばやく装着した。
「どうじゃね、つけごこちは?」
 僕は今自分がされたことを把握するのに必死だった。眼球というのはあんなに簡単に取り外せるものだったのだろうか。学校で習ったのは、もっとこう神経が伸びてて筋肉がついてて……
「ぶつぶつ言っとらんで、周りを見てごらん」
 僕はこれ以上考えると気が変になりそうなので、老人の言われるとおりにした。
「……あれ?」
 驚いたことに、その義眼で僕は周りの風景を見ることができたのだ。
「どうじゃ? ただのガラス玉ではないということが解ったかね?」
「ああ、驚いたよ……」僕は感心しながらも、老人に率直な意見を述べた。「でも、こいつは使えないね」
「なぜじゃな?」
「だって、これは景色がひどく歪んでるよ。まるで魚の眼みたいだ。こんなんじゃ道を歩くことだってできやしない」
 確かに義眼はものを見る機能をちゃんと果していた。しかしその像はひどく湾曲していて、しばらくすると頭がくらくらしてくるほどだった。
「歪んでる、じゃと?」老人は、なぜかまた大きな声で笑い出した。
「くっくっく、そうかそうか、歪んでおるか……」
 老人は、今度は薄青色の義眼をつまみあげて見せた。
「ではこれはどうじゃな? お勧め品じゃよ」
「もういいよ。それより僕の眼を返してくれよ」
「好奇心に欠ける人間は損をするぞ。そら、顔をこっちに向けなさい」
 老人はまたしても僕の頭を無理やり固定し、義眼を入れ替えた。抵抗する間もない手際のよさだった。まあ、この時には僕自身少し面白くなってきていたのだが。
「どうかね?」
 僕はまたあたりを見回して、言った。
「ああ……こっちは歪んでないけど……こりゃもっとひどいよ!」
 今度の義眼には、歪みはまったくなかった。ただ、そのかわり景色についている“色”がでたらめなのだ。緑色の空、真っ赤な電信柱、オレンジのアスファルト……。
「色がぐちゃぐちゃだ! 気が変になりそうだよ」
 そう言うと、老人はまたしても笑い出すのだった。
「またそうやって笑ってごまかすのかい? こんなインチキなものばかり並べててよく商売ができるよ!」
「ふふん。インチキなのはその義眼か、それともこっちか……」
 老人は手の平の上で僕の本来の眼球を転がしながら言った。
「……何だって?」
「色、じゃよ。あんたは小さい時から空は青、雲は白、血は赤、そう教えられてきたんじゃろ?……じゃが、そうやって信じ込んでいる色が他人にとっても同じに見えるとどうしてわかる? 今義眼で見ている色の方が実はほんとうの色でないとどうして言えるね?」
 僕は少し考えて、気味が悪くなったのでやめた。
「ふふふ、少し不安になったじゃろう。ではさっきのも、こう考えてみてはどうかね? 歪んでいるのは義眼ではなくて……」
「やめてくれ!」
 僕は思わず大声で叫んだ。なぜだかよくわからないが、とても不快だった。
「生まれた時からそれを正しいと思っているから、眼で見えていることが真実かを疑おうともしない」
「もういいって言ってるだろ!」
「そして、それを確かめることもかなわぬ。あんたの見る空の色がわしのと違っていても、ふたりともそれを“青”だと教えられておるのじゃからな」
「やめろ……やめてくれ! 僕の眼を、僕のほんとうの眼を返してくれよ!」
 僕はほとんどつかみかかるようにして言った。はやくこの義眼をはずしたかった。自分の眼で、自分が正しいと信じている眼でものを見たかった。そうだ、それでいいじゃないか。自分が正しいと思っていて、たとえそれが違っていても確かめようがないのなら、どこに支障がある?
 僕はたまらなくなって、自分で義眼をはずそうと指を立てた。すると不思議なことに、まるで生身の眼をえぐろうとしたかのような激痛が走った。
「わかった。わかったよ。今元に戻してやるから、顔をこっちに向けなさい」
 老人はそう言うとまたその腕で僕の頭をつかんだ。僕は老人が義眼をはずしてくれるのをおとなしく待った。
「……ほれ、これでいいじゃろ」
 すべてが終って老人が肩をポンと叩くと、僕はおそるおそるまぶたを開いた。
「あ……ああ……」
 これだ。この風景が僕のものだ。僕にとっての、これが真実だ。電信柱は地面から垂直に立ち、そしてその色はまぎれもないコンクリートの灰色だった。空は夕暮れの朱色から夜の黒へとグラデーションを作っている。これこそが僕の真実だ。これこそが……。
「どうじゃね? 気に入ったかね?」
「気に入るもなにも、これが僕の眼じゃないか! これが、僕の世界だ!」
 僕は小踊りするような勢いで言った。何か、安心感のようなものが僕を包みこんでいた。
「じゃあ、僕はもう帰るよ! ひまつぶしにはなったけど、こんなヘンテコなものばかりじゃいつまでたっても売れやしないね!」
 僕は捨て台詞を残して去ることにした。明日からは帰りの道筋を変えよう。こんな気味の悪い爺いにはもう二度と会いたくはない。
「じゃあな、お若いの。ふぉほほほほ……」
 老人は、例の笑い声で僕を見送った。僕は小走りでその場を去った。


「ふん、一番の安物に満足して帰って行きおったわい。あの様子じゃ、こっちの方も大したモノじゃなさそうじゃの」
 老人はポケットから生身の眼球を取り出して、それを手の平に乗せた。今日の「収穫」である。老人は傍らに置いてある金属の筒のようなものを手にした。眼球の形を指で少し整えて筒の中に満たされている液に浸すと、眼球はあっという間にガラスのように固まった。
「まあ、きれいなガラス玉!」
 クラブ帰りの少女が、眼を輝かせながら老人の元へ寄ってきた。老人はその眼を見て、にやりと笑った。
「どうじゃね? きれいじゃろう。これはただのガラス玉ではないぞ」
「え? じゃあ何? 魔よけか何かかしら?」
「義眼じゃよ」
「義眼?……やだ、気持ち悪い」
「まあ、そう言わずにひとつ試してみんかね」
「試してみるって……や、ちょっと、いやよ、きゃあ!」
 老人は、少女の頭にすばやく手をかけて眼球を抜き取った。そして、今固めたばかりの義眼をかわりにはめ込んだ。
「さあ……どうじゃね?」
「……み、見える……見える、けど……」少女は驚きを隠し切れずにあたりを見回しながらも、不満気に言った。
「駄目よこれ、歪んでるじゃない!」




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