Radio Boy, _The Mechanics Of Destruction Tour_ Liquidroom, 新宿, 2001/11/30, 22:00〜 - Radio Boy (Matthew Herbert), etc. 今年の2月に、Dani Siciliano と Phil Parnell を連れて来日してパフォーマンスを 見せてくれた Matthew Herbert が、今度は Radio Boy 名義でソロで来日した。 Herbert のライヴは、ステージの上にマイクを並べ、その前で音を出し、その音を ライヴでサンプリングし、曲を組み立てていく、というもので、音だけでなく、 パフォーマンスとして観ても楽しめるものだ。Siciliano らをフィーチャーした ステージは多分に音楽的だったと思うけれど。Radio Boy としてのソロステージは、 ちょっとコンセプチャル。反グローバリゼーションの示威行為をネタに、ユーモアも 交えて演奏にした、とでもいうものだった。 ステージの上にはことなるエフェクトをかけたマイクが三本と、左手にサンプラーや デジタルループなどの機材が並んだテープル。スクリーンに壊そうという対象を 大きく投影し、一言何を壊すか宣言した後、その前のマイクで物を壊しながら、 壊す音から曲を組み上げていく。ステージの上で壊したのは、遺伝子操作食品の スナック菓子、新聞、McDonald's のハンバーガーやフライドポテト、音楽CD、 Coca-Cola、映画のビデオのカセット、テレビ、Starbucks Coffee の飲み物、 そして、GAP の服といったもの。 しかし、そのパフォーマンスは、シリアスにノイズを振りまいたりメッセージを声高に 伝えようとするものではない。動作に、少々、マイムや道化の要素を入れていて、 想定以上に大きな音が出てしまったりすると、ちょっとおどけた仕草すらしてしまう。 マイクが破壊音だけでなくそれに続く観客のわーっという歓声まで拾うと、それに おどけた振舞で反応し、そのまま曲に組み上げて行く。会場からの帰途上、「なんか 大道芸みたいだった」とか言っているのを耳にしたし、実際、ユーモアやライヴ性 など、良い意味で大道芸的なパフォーマンスだったと思う。 それに、実際に仕上がって出てくる音の、変な音色やオフビートな感じのギクシャク したリズムも、小難しいというより、むしろひょうきんさすら感じるものだと思う。 確かに、壊す対象の選択など単純だし、実際の政治的な抗議行動の対象だとしたら、 物によっては不合理なものだと思うものもある。しかし、パフォーマンスと音の ユーモアが、そういったことから表現を救っている。そういった事柄を声高に否定 するのではなく、ユーモアを持ってグローバリズムの否定的な面を風刺しよう、 とでもいうような余裕もあるパフォーマンスで、観ていて楽しかったように思う。 ミッドセンチュリー・モダンに対する Jacques Tati の映画における風刺も、 ひょうきんな音と道化的な動きが重要な要素を占めていたわけだけど。それを、 物語映画ではなく electronica な音楽パフォーマンスとして、1990年代という 今の状況に合わせて組み上げていくとこうなるのだろうか、と、ふと思った。 ちなみに、体調上の問題もあって、残念ながら、他の出演者のステージやDJは ちゃんとチェックしていない。 Radio Boy _The Mechanics Of Destruction_ (Accidental, AC03, 2001, CD) - 1)McDonalds 2)Hollywood 3)Rupert Murdoch 4)Commercial Television 5)Manufactured Music 6)Henry Kissinger 7)Oil 8)Gap And Nike 9)Rwanda 10)The GM Food Chain 11)Coca Cola 12)The Whisper Of Friction - All tracks Written and Produced by Matthew "..." Herbert on 2001/9-10. このライヴでは、来場者全員に音楽CDが配布されたのだが、それは、ほぼ今回の ライヴと同様の内容のもの。音だけ聴くと、Herbert 名義での micro house 的な 音作りと異なり、以前の Wishmountain 名義での音 (_Wishmountain Is Dead_ (Antiphon, ANTICD01, 1998, CD) など) に近い。Wishmountain も、身近の物音 から曲を組み上げていくというもので、その音を立てた物事を曲のタイトルに 付けているのだが。今から見ると、この頃は物音の選択も無邪気と思う所もある。 ライナーノーツの冒頭の、「遅ばせながら、音楽は常に政治的なものであるという ことを痛烈に認識したからこと、組織化されたノイズを集めたこの作品が誕生した のである。」とあるのだが、音楽的にユーモアを失い単調でつまらなくなることなく Radio Boy のような方向に展開した Herbert もさすがだ、と思う。その一方、 こういう変化が切実になる時代に変化してきているのかなぁ、と考えさせられる ところもあった。 2001/12/2 嶋田 Trout Fishing in Japan 丈裕