The Matthew Herbert Big Band _Goodbye Swingtime_ (Accidental, AC05, 2003, CD) - 1)Fuming Pages 2)Everything's Changed 3)Fiction 4)The Three W's 5)Chromoshop 6)The Battle 7)Misprints 8)The Many And The Few 9)Simple Mind 10)Stationary - Stuart Brooks (trumpet), Graham Russell (trumpet), Adam Linsley (trumpet), Andrew Cook (trumpet), Howard McGill (alto saxophone,flute,clarinet), Martin Williams (tenor saxophone,clarinet), Dave O'Higgins (tenor saxophone,soprano saxophone), Simon Niblock (alto saxophone,clarinet), Nigel Hitchcock (tenor saxophone), Bob McKay (baritone saxophone,clarinet), Gordon Campbell (trombone), Andy Wood (trombone), Chris Cole (trombone), John Higginbotham (trombone,tuba), Dave Green (bass), Pete Cater (drums), Phil Parnell (piano), Pete Wraight (musical director/arranger,flugelhorn,etc), Matthew Herbert (composer,etc); Jamie Lidell (additional processing,vocals) on 1,2,8; Arto Lindsay (vocals) on 3; Mara Carlyle (vocals) on 4; Shingai Shoniwa (vocals) on 5,7; Dani Siciliano (vocals) on 9,10 Jan St. Werner, Andi Thoma (additonal processing/production) on 8; Paild (additonal processing/production) on 10. 昨シーズンにフェスティヴァルを回った (来日もした) The Matthew Herbert Big Band のアルバムがリリースされた。Herbert は、techno / electronica 的な出自ながら、パフォーマンス性社会性を強めつつあるミュージシャンだ。 確かに、期待違わず興味深く聴かれる佳作だ。しかし、CDで音だけ聴いていても、 物足りない気分になってしまう、そんな作品だった。ちなみに、去年の来日公演 のレヴューは http://www.kt.rim.or.jp/~tfj/CdD/02081801 。 来日公演のライヴを観ているのだけに、ライヴでは判り辛かった音作りの詳細を 聴き取れて、とても興味深く聴けたのは、確かだ。モダン・ジャズのそれとは かなり異なる、というのが第一印象。モダン・ジャズのビッグ・バンドでは必ずの ようにあるソロがほとんど全く無いことに象徴的なのだが。音だけ聴いていると、 各々のミュージシャンとしての表現性が抑え気味に聴こえるのだ。Herbert は、 自らが発した音のみをサンプル音源に用いるという倫理的なドグマ PCCOM を 唱えている。そのPCCOM の下では、レコード音源は利用できない。その代わりに ビッグ・バンドの演奏を素材として利用しているように、聴こえるときがある。 Herbert のビッグ・バンドの演奏は、breakbeats jazz におけるレコードなどの 予め録音された音源と同じ役割しか与えられていないのか。レコードやCDで聴く 限り大差無い、と言っていいだろう。しかし、一年近く前に観たライヴでは、 かなり異なっていた。_The Mechanics Of Distruction_ のライヴで用いていた ステージの上で様々な物を壊す音と同様、Herbert のコントロールが効かない 部分が大きいものなのだ。そして、そういったことが、アート的な即興性とか 表現性というのとは違う形のライヴ感覚 (大道芸などのエンタテインメントに 見られるハプニング性に近い) を、ライヴで生み出していたのだなぁ、とCDを 聴いていて改めて気付かされた。そして、それが、Herbert のライヴの醍醐味だ。 元のライヴのハプニング性を何らかの形で生かすような音作りは出来なかった ものだろうか、と、このCDを聴いていて思ってしまう。僕がこのCDを聴いていて 物足りなく感じてしまうのは、この点だ。 しかし、かつての名作、Herbert with Dani Siciliano, _Around The House_ (Phonography, GRAPHCD01, 1998, CD) では、その音の制作方法を知らずとも、 ソフトな音空間とキャッチのある歌で楽しめる作品になっていた。ライヴでは もりあがった "Cafe De Flore" や "Foreign Body"、"Leave Me Now" のような キャッチのある曲を1曲くらい入れてもよかったのではないか、とも思う。 そういう点で最も耳を引いたのは、Arto Lindsay の歌をフィーチャーした "Fiction"。ちょっとぎくしゃくしたビートも彼の歌と合っているように思う。 Jamie Lidell や Dani Siciliano の歌声の存在感がいまいちなのは、惜しい。 音作りは、カサコソガタゴトいう物音も使った、相変わらず質感にもこだわった Herbert らしいものだ。CDが終るとき、物音を立てるような音が収録されて いるのも可笑しい。ビート感は抑え目でダンスフロア指向ではない。買ってすぐ 街中で携帯CDプレーヤで聴いたとき、細かい音が全く聴きとれず、ノッペリした 全然別物の作品に聴こえたくらいだ。 _The Wire_ 誌 Issue 231 (May 2003) の記事によると、Herbert の次のアイデア は政治的ミュージカルだという。とても面白そうだ。そのアイデアが作品化 されるのを期待したい。しかし、レコードやCDでは再現し辛い表現に進んで いってしまうのだろうか、と、複雑な気分でもある。 2003/05/11 嶋田 Trout Fishing in Japan 丈裕