The Raincoats "Moving" (Rough Trade, R3062, '94, CD) The Raincoatsは80年前後のLondonのパンク以降のシーンで、Gina Birch, Vicky Aspinol, Ana Da Silvaの3人の女性を中心に活動していたロックバンド。 The Raincoatsの3rdアルバムにしてラスト・アルバムである"Moving"が、前の2作に 続いて、この3月にCDで再発された。原盤から数曲削られているものの、アルバム 未収だった彼女等の代表的なシングル曲"No One's Little Girl"が収録されている。 それに、長らく中古盤屋でも見かけることがなかった幻のアルバムが容易に入手 できるようになったのは、嬉しいことだとも思う。 しかし、この再発CDはジャケットの色がオリジナルと違う。オリジナルが赤地に 緑だったのに対して、このCDでは青地に金になっている。しかし、色だけでなく、 図柄も違うのだ。オリジナルでは女性3人男性1人が踊るシルエットが描かれていた のだが、再発CDでは女性3人のシルエットしかない。この3rdアルバムでは、Richard Dadanskiという男性が正式のメンバーとして迎えられていたのに。 さらに、Richard Dadanskiの書いた作品が2曲とも削られている、まるで当時の The RaincoatsからRichard Dadanskiを抹殺するかのように。少なくともこの再発 CDでのRichard Dadanskiは、単なるゲストミュージシャンという扱いだ。 女性だけのバンドとしてでなく女性3人男性1人というバンド構成で、"No One's Little Girl"(「私は誰の可愛い女の子でもない/私はあなたの家系に組み込まれたく ない」)のような歌を歌ったからこそ、この頃のThe Raincoatsは素晴らしかった、 と僕は思っていた。特に再発では削られている"Avisodo"のようなRichard Dadanskiが 歌う曲は、女性の声の中にはっと聴こえる男性の声、というだけでも効果的だった。 それだけではない。女性と男性の声が共に聴こえるというのは、日常生活を扱って いることを意味していたと思う。 80年前後にAu PairsやDelta 5などのパンク以降の男女混成バンドが出てきたあとでは、 男性だけからなるバンドや女性だけからなるバンドは、(以前の工学部のキャンパスの ように)まるで片方の性の人しか住んでいない街のように不自然でジェンダーに関して 恣意的だと、思えるだけのものがあったと僕は思う。(性別で分ける紅白歌合戦が いかにジェンダーに関して恣意的なことか!)もしくは、多くのロックバンドの中の 「紅一点」が、どういうジェンダーとしての機能を持っているか考えてみよう。 このアルバム"Moving"の、女性3人男性1人が男性がサポートということでなく4人とも 対等な形で曲を作り歌を歌うという構成が、そして、そのジャケットの一緒に手を 繋いで踊る4人のシルエットが、僕は好きだった。だが、いま、このThe Raincoats "Moving"のCDには、その男性1人の姿はない。女性3人が踊るだけだ。The Raincoatsは 単なる「女の子バンド」に過ぎなかったのだろうか…。 94/3/5 嶋田 "Trout Fishing in Japan" 丈裕