87年頃、英インディチャートにこんなシングルが登場した。 Chaba Fadela "N'sel Fik" (Factory, FAC197, '87, 12"EP) Olan, Algeriaで生れたダンス音楽ライ(rai)の代表的な女性歌手Chaba Fadelaの シングルだった。当時、僕はライという音楽もChaba Fadelaの名前も知らない わけではなかった。というのは、フランスのアラブ系移民のロックバンドCarte De Sejourが、84年のヒット曲"Rhorhomanie"の中で(これは日本盤も出ている)、 C'est la Rhorhomanie, dance d'aujourd'hui (これがアラブマニア、現代の ダンス曲) / Ou kaine teni Rai (ライだってある) /Maa Fadela ou Bellemou (FaledaとBellemouと一緒に) と歌っていたからだ。Carte De Sejourは86年のアルバム"2 1/2" (Barclay, 831 259-2, '86, CD))でも"This Is A Rai Song"という曲を演っており、きっと Carte De Sejourの原点ような音楽なんだろうな、と思っていた。 このFactoryの12"シングルは、RecRec Musicと関係あるHumburg, BRDの独立系 レーベルIndepenDanceからのアルバムからのものだった。(UnknownmiXの12" シングルなどは、RecRec MusicとIndapenDanceの共同リリースだ。) Fadela "Fadela" (IndepenDance, EFA8555, '87, LP) - A1)N'sel Fik 2)Nebki Ouahdi 3)Ateni Bniti (Part 1) B1)Ateni Bniti (Part 2) 2)Ha-Liya-Ouana Alach 4)Dja Yadhak このアルバムの曲は、シンセサイザーやギターを多用したダンス曲だったが、 Algeriaで制作されており、Carte De Sejourに比べると遥かに泥臭い音だった。 "N'sel Fik"の英インディチャートでのヒットに伴い、Chaba FadelaはMango / Islandと契約。このアルバムはジャケットと題を変えChaba Fadela "You Are Mine" (Island, ILPS9915)として欧米でリリースされ、日本盤もリリースされた。 この少し前から、"ミュージック・マガジン"誌でライの特集記事が組まれる ようになり、ワールド・ミュージックの主要なジャンルとされた。その一方、 シーンの全容や社会的背景が見えてくるようになった。そして、ライの王様、 とまで言われるCheb Khaledが89年に来日した。 Cheb Khaled / Safy Boutella "Kutche" (Capitol / Intuition, CDP 7 90934 2, '89, CD) - 1)La Camel 2)Kutche 3)El Lela 4)Baroud 5)Chebba 6)Hana-Hana 7)Chab Rassi 8)Minuit - Produced by Martin Messonnier and Safy Boutella Island時代のKing Sunny Adeを手懸けていらい、「ワールド・ミュージックの 仕掛人」的な存在だったMartin MessonnierとAlgeria出身のジャズ・ミュージ シャンの制作によるこの作品は、ドラムとベースを強調したシンプルな 打ち込みの背景にKhaledのこぶしの回った歌声がうなる、という具合だった。 この来日時のインタビュー("ミュージック・マガジン"誌1989年6月号掲載)が 興味深い。ライは基本的にラブ・ソングなのだが、それについてKhaledはこう 言っている。 「そう、ぼくのやっているライという音楽はメッセージにポイントがあるんだ。 ぼくは自分の歌うライの中で、常にストレートな言葉を使い、ストレートに 物事を表現しようと努めている。戒律に厳しいイスラム教の世界では、それは 大変なことなんだ。ちょっと前までは女性に愛を伝える時にハトを飛ばして いたんだからね。ぼくの音楽はすごく新しいと受けとめられたと思う。例えば ぼくのカセットを若い人が聞いていて、そこに両親が入ってきたら、その カセットを隠すってことも充分に考えられるぐらいにね。でも、若い人たち にはそんなストレートな表現が必要とされていたんじゃないだろうか。だから ライは受け入れられたんだと思う。」 当時のアルジェリアの社会的な状況は、こんな感じだった。 一九八八年一○月上旬から中旬にかけて、アルジェリアの首都アルジェを中心と した一○を越す都市で、大規模な暴動が発生した。暴動の主体は若年層で、投石や 放火による破壊の対象となったのは、主として官庁の建物、国営百貨店、国営航空 会社、唯一の合法政党であった民族解放戦線(FLN)の党事務所など、いずれも 政府と関係の深い施設であった。(中略)しかしながら、七○年代の資源ブームが 去り、次のブームの到来も一向に定かでなく、同国の強気な開発戦略下で育った 若者たちは、何よりもまず口にすべきクスクス(アルジェリア人の主食で小麦粉を 粟粒状にしたもの)と職を求めて、八八年一〇月、街へ繰り出したのである。 --- 勝俣 誠 「現代アフリカ入門」 クスクス暴動 同じインタビューで、このクスクス暴動に触れられているのだが。「しかし、 一方で昨年10月のアルジェリア暴動の時は、その政府に反対する若者たちが あなたの最新のカセットの曲"El Harba Wine" ("Escape, But Where To")を自分 たちのテーマ・ソングのように歌っていたと聞きますよ。」というインタビュアに 対しては「ああ、あれは10月の暴動の前に録音した曲なんだ。たまたま若い人 たちのテーマに合ってしまったみたいだね」と応え「うーん、政治的なことは よくわからないから、あまり話したくないんだよ。」と言っている。 しかし、ライを取り巻くアルジェリア社会の状況は一転した。イスラム原理 運動の台頭だった。これを期に、ライは衰退をみせ、リリースも減っている。 他方、この選挙に先立つ一九九○年前半において、一定程度の成功を収めた イスラーム原理運動を牽制しようとするいくつかのデモは、アルジェリア社会が イスラームによる宗教的政治を望んでいないことを示した。同年三月には、 六〇〇〇人近い女性が、アルジェリアではいまだイスラーム法に委ねている ために存在していない男女の平等を明示した家庭法の制定を要求して、アルジェ 市内でデモを行った。同じ年の五月にも、民主化の徹底と信条・宗教の寛容さを 訴えた大規模なデモが、イスラーム救国戦線以外の野党によって二回にわたり 実施された。 --- 勝俣 誠 「現代アフリカ入門」 心はイスラーム、情報はパラボラアンテナ そんな後、3年の間を置いてリリースされたメジャー盤が、これだった。 Khaled "Khaled" (Barclay, 511 815-2, '92, CD) - 1)Didi 2)El Arbi 3)Wahrane 4)Ragda 5)El Ghatli 6)Liah Liah 7)Mauvais Sang 8)Braya 9)Ne M'En Voulez Pas 10)Sbabi 11)Harai Harai - Produced by Don Was / Michael Brook Was (Not Was)のDon Wasと4ADレーベルのMichael Brookが制作したこの作品は、 Chebの名前を落してKhaled名義になった。前作"Kutche"と違い、アラブっぽい 6/8拍子の曲が影を潜め、グラウンド・ビートっぽい曲もあれば、繊細なギター 曲もある、という作品だった。ライらしさには欠けるかもしれないが、厚めの バックとKhaledの歌声がスリリングな作品だと思う。 Bomb The Bassのリミックスも素晴らしいシングル"Didi"が世界的にヒットした 一方で、Khaledはイスラム原理運動に狙われてアルジェリアに帰ることができず、 パリで亡命当然の生活をしている、という話が伝わったのもこの頃だ。 この作品の制作者Don WasはKhaledが選んだということだが、その理由はKhaledが 好きなBob Dylanをプロデュースしたことがあったからだったという。「ブロード ウェイで、ぼくはきみに首ったけ、などという歌を作っている人たちを非難する つもりはないさ。でも世界には恋やセックス以外にも重要なものがあるんだ。」 というのは、デビュー直後のBob Dylanの言葉だが、KhaledがそんなBob Dylanが 好きだというのが興味深い。 確信犯的にイスラム教の世界で恋愛についてストレートに歌い、その過激さ故に、 イスラム原理運動に追われて半ば亡命生活を強いられているKhaled。Bob Dylanが 好きだということといい、「政治的なことはよくわからないから、あまり話し たくないんだよ。」という3年前の発言は、カモフラージュのようにも思える。 Khaled "N'ssi N'ssi" (Barclay, 519 898-2, '93, CD) - 1)Serbi Serbi 2)Hebou 3)Adieu 4)Chebba 5)Les Ailes 6)Alech Taadi 7)Bakhta 8)N'ssi N'ssi 9)Zine A Zine 10)Abdel Kader 11)El Marsem - Produced by Don Was 翌年にはDon Wasの制作による新作をリリース。ストリングを大幅に導入した 分厚い背景が印象的だ。4曲はBertrand Blierの映画"Un Deux Trois Soleil"の サウンドトラックからの曲だ。 また、これに前後して、 Hector Zazou "Sahara Blue" (Crammed Discs / Made To Measure MTM32, '92, CD) に参加し、Malka Spigel (ex- Minimal Compact)と"Amdyaz"でデュエットを している。フリーキーなクラリネットの音にクレツマー的なものも感じるこの 曲で、イスラエル出身のMinimal CompactのメンバーだったMalkaとデュエットを するKhaledの歌声を聴いていると、現在のイスラエルを取り巻く状況を思わず にはいられない。たとえ、この歌が、そのことを歌ったものでないとしてもだ。 イスラエルとPLOやヨルダンとの和平と、その一方でのイスラム原理主義組織 ハマスのテロ。 9月29日、シェブ・ハスニがオランの自宅で暗殺された。銃弾2発を頭に撃ち 込まれて即死。(中略) ハレドを初めとするライの大物歌手の多くがFIS (イスラム救国戦線)の台頭のために国外に逃れて活動している中、オランに 残っている数少ないライ歌手のひとりだった。(中略) 暗殺の脅迫を何度も 受けているハレドは、同じ町で育ったハスニの死を「衝撃」と受けとめ、 6か月前にパリで一緒に歌った時にパリに残るように進言したのに、俺は オランが好きだからと言って断わったハスニを惜しんだ。(以下略) -- "ミュージック・マガジン"誌1994年11月号 「欧州西風東風」 ライはラブソングであり、決してこういった社会的状況を直接扱っているわけ ではない。求められているのはダンス曲だとしても、例えば、確信犯的な Khaledの歌声はこういった社会的事件の重みを支え得るだけの緊張感があると 僕は思うし、それが二次的なものだとは僕は思わない。 94/10/31 嶋田 "Trout Fishing in Japan" 丈裕