彼ら(前衛パンク)はリズムの規則 (ディスコ、ファンク、レゲエ) に興味を持ったが、 それはリズムが主観主義的・現実主義的に最も記述しにくい音楽要素だからだ。 ドラマーはギタリストや歌手のように自分を表現しているとは聴かれていない。 ポップのビートの社会的意味は普通、機能的で、音楽を踊りやすくするだけなのだ。 -- Simon Frith, 1983 [1] そして、これだけは覚えておいて欲しいのだが、ハーモロディック・ミュージック では、メロディ(旋律)は主導しないのだ。リード・メロディ(主旋律)は曲の主導者 ではない。そこがハーモロディックの出発点なのだ。しかしメロディを聴いた人は メロディを追ってしまう。メロディはアイデアを支配するものではないのにだ。 メロディは主導者ではない。だから私はいつもメロディを突き抜けた音楽全体で 何かをしよう、と考え、試みているのだ。 -- Ornette Coleman, 1996 [2] The Decoding Societyよりも、やはりOrnette Colemanの所から出てきたJames Blood Ulmerの音に影響を受けた。僕たちがBiting Tonguesの頃にやっていたテープを聴き 返したのだけど、僕たちはその類の音楽をしたいと思っていたけれど、それは完全に 違うものになってしまった。いい直すと、誰か他の文化を見習い真似ようとして、 偶然に完全に新しい領域に踏み込んでしまった、ということだ。 -- Graham Massey (808 State), 1996 [3] これは白人レゲエじゃない。これはパンク&レゲエだ。ちがうんだよ。盗んでくる のと自分の文化の一部を別の文化にもちこむこととはちがうんだ。 -- Joe Strummer (The Clash), 1984 [4] ジャズが今日のダンス・ミュージックに及ぼした影響を考えるとき、モダンジャズ 風のフォービートやホーンのフレーズといったものでなくてもいい、その音楽的な 様式についてどれだけ検討する余地があるだろうか。ジャズの十月革命から30年 以上経つ。フリー以降のジャズにおいては、もはやジャズは様式ではないのだ。 むしろ、サウンドの階層構造の解体、リズムキープから解放されたリズム隊による 複数の時間、時間発展構造の解体、歌詞やパフォーマンスにおける外世界、と いった、構造的な変化こそが、ジャズと今日のダンス・ミュージックの関係として 検討されるべき点だ。 それでは、題名の中に"Jazz"という言葉のあるこの作品には何があるのだろうか? Alec Empire "Hypermodern Jazz 2000.5" (Mille Plateaux, MP-23, '96, CD) - Produced by Alec Empire 「ジャズ」に分類される音楽を多く−今や聴く音楽の過半−を聴いている者としては、 題名の中の"Jazz"という文字列だけでも気になる。ましてや、レーベルは、テクノに してはダンス志向の弱い作品をリリースし続けているFrankfurtのMille Plateauxだ。 それもAtari Teenage RiotのAlec Empire。どういう作品になっているのだろう、と いう、ちょっとした興味で聴いてみた。 確かに、ブレークビーツ (サンプリング) に「ジャズ」らしいフレーズも聞えるし、 その使われ方も悪くない。が、普段から既に「ジャズ」から逸脱したジャズを聴いて いる身としては、ちょっと閉塞的な気がするのだ。「ジャズ」の使いかたがせこい というか中途半端で、際まで行っていないのだ。まあ、File Under: Easy Listening & Space Jazzということでそういうコンセプトの作品では無いのかもしれないが。 Derek Baileyですら、ジャングルDJと作品を作る時代だ。もっと際物っぽさを出しても 良かったんじゃないか。 この作品を出しているレーベルの名前Mille Plateauxは、明らかにGilles Deleuze & Felix Guattari "Mille Plateaux: Capitalism and Schizophrenia" ('87) [5](翻訳は 「千のプラトー」(河出書房新社))から取られているわけだか、for Gilles Deleuze とジャケットに書かれた、自殺したDeleuzeの追悼盤ともいえるCDが、Sub Rosaから 出ている。 Various Artists "Folds And Rhizomes" (Sub Rosa, SR99, '96, CD) - 1)Subnubus (Mouse On Mars) 2)Occlusion (Main) 3)SD II Audio Template (Oval) 4)Control: Phantom Signals With Active Band Width (Scanner) 5)Rhizome: No Beginning No End / Souvenirs D'Un Surfer Au Bord Du Desert (Hazan + Shea) Mille PlateauxからリリースのあるOvalをはじめ、Mouse On MarsやScannerのような ダンスミュージックとしてというより電子実験音楽としてのテクノとでもいうべき 音が収められている。最後のDavid Sheaの作品ではDeleuzeの声のサンプリングもある。 しかし、聴いていて受ける印象はといえば、書店や図書館で枕になりそうなほど 分厚い「千のプラトー」と手に取って目を通している時に感じる印象に近い。 こんな本を読みながらこんなCDを読むくらいなら、John Corbett "Extended Play" [6]をてがかりに、Lee PerryやKing Tubbyのダブ、Ornette Colemanや Cecil TaylorのジャズやP-Funkでも聴きながら、ポピュラー音楽において自然と されたサウンドの階層とそれが支えていた「主観的な現実主義」や「一つの時間」 といった近代的な概念がどのように解体されていったのか、そしてポストパンクが こういった音楽にどう「霊感を受けた」のか、自分の耳を澄ましてみるほうが、 遥かによいだろう。 参考文献: [1] Simon Frith: Sound Effects -- Youth, Leisure, and the Politics of Rock'n'Roll, Constable, 1983 (サイモン・フリス「サウンドの力」 (細川 周平+竹田 賢一 訳, 昌文社, 1991)). [2] 湯浅 学: オーネット・コールマン大いに語る, ミュージック・マガジン, 1996年7月号, 1996. [3] Dave Haslam: Invisible Jukebox -- Graham Massey (808 State), Wire, Issue 148, June 1996. [4] Greil Marcus: Real Life Rock, 1984 (グリール・マーカス「ロックの 「新しい波」」(三井 徹 訳, 昌文社, 1984)). [5] Gilles Deleuze & Felix Guattari: Mille Plateaux -- Capitalism and Schizophrenia, 1987 (ドゥルーズ & ガタリ「千のプラトー」(河出書房新社)) [6] John Corbett: Extended Play -- Sounding Off From John Cage To Dr. Funkenstein, Duke University Press, 1994. 嶋田 "Trout Fishing in Japan" 丈裕