Stereolab "Emperor Tomato Ketchup" (Duophonic UHF Disks, D-UHF-CD11, '96, CD) いまや、out rock / post rockの代表的なバンドとなった、ともいえるStereolab。 loungeやmondo特にbachelor pad musicのような曲、特徴ともいえるMoogによる ドローン、など、日本の音楽雑誌でも広く紹介されてきたと思う。その意味で、 この寺山修司から題を取ったこの新作も僕がわざわざ紹介することもないだろう、 と思っていた。 しかし、Stereolabの曲を書いているTim GaneとLaetitia Sadierが以前にやって いたバンドMcCarthyが、かなり直裁的に左翼的な歌詞を特徴としていたことを 考えると、それに比べてかなり曖昧な歌詞になったとはいえ、もっと歌詞に 注目されていいように僕は思う。 確かに、シングル・カットされた"Cybele's Reverie"のような、メロディアスな 曲も魅力的だが、僕は、五拍子の"Percolator"や、三拍子の上に複雑なリズムの 乗る "Tomorrow Is Always Here" − 「これはもともと今の社会を保つために 作られた」とその上で詠唱される − ものいいのだが、「社会は何の上に築かれて いるのか?」と七拍子のリズムに乗りながら問いかけ続ける"Motoroller Scalatron"が このアルバムの一番の曲だろう。 こうして詠唱される歌詞は、例えば"The Wire"誌ではこう紹介されている。 Stereolabのパッケージ全体は、フランス生まれのSadierのほとんど超現実的な 歌詞で包まれている。それはシチアシオニストもしくはマルクス主義者のパンフ レットのように読める。しかし、実際は誰かがフォーチュン・クッキーの警句を 大声で読み上げているように聞える。(もちろん、ネイティブではない英語嫌いに ほとんど英語の歌詞を書かせること自体が矛盾なのだが。) 「僕たちの音楽と歌詞は一緒に機能すべきではないのかもしれない。」とGaneは 言う。「けど、機能している。というのは、その歌詞と音楽が共に探求だからだ。 そうあるべきではない方法である要素を一緒にすることに興味を持つことによって、 自分自身や自分を取り巻く物事について、事を見出そうという意味において。」 「もしくは、人工的に分けられていることを一緒にすることが、基本的に探求 なの。」とSadierは加える。「それが説教を垂れているわけでない、ということ の理由ね。説教を垂れる人は、自分が話していることについて完全に認知して いるか、少なくともそう思っている。けど、私はそうじゃない。」 彼らの新しい録音による最近のリリース − 去年のアメリカの彫刻家のCharles Longとの共作 _Music For The Amorphous Body Study Centre_ と今年の _Emperor Tomato Ketchup_ − では、このバンドの以前の音楽の多くを特徴付けていた硬直 した政治的原理主義のなかなか消えない暗示は、メロディクであざけるように 無邪気でイージーリスニング的な「バババ」というコーラスで拭い去られている。 このHal David風発声の純粋に商業的な職人気質と全くもってスローガン的な マルクス主義の出会いは、同時代的な音楽の辺境において過去を寄せ集めつつ 根本的に組み替えてしまう方法の、極めて並み外れた実証例だ。 (訳: 嶋田 Trout Fishing in Japan 丈裕) ---- Peter Shapiro (1996) [1] 歌詞の中の左翼的 − 政治的な面を強調するのは、"The Wire"誌の癖かもしれない、 とも思っていたのだが、最近みかけたWWWのWebTexan (Texasの学生出版) にあった Stereolabのインタヴュー[2]でも、その半分が歌詞についてふれられており、 こうかかれていた。 Stereolabの厚く重ねられた演奏の上で、Mary Hansenの無邪気な"ラララ"と 併置され、Sadierの催眠的なフランス訛りで歪められると、その社会的な言及も、 ヴィーナスのはえとり草のように、ごまかされて快く感じてしまう。実際、 音楽の持つメッセージは遠慮がちに伝わってくる。我々は、我々の政治屋たちが この戦略をとってこなかったことに感謝すべきだろう。 ---- Texas Student Press (1996) [2] もちろん、聴き手が英語をどれだけ聴き取り理解できるか、という問題もあるし、 日本で歌詞抜きで受容されるのも、やむをえないかもしれない。 しかし、たとえ歌詞を聴き取れたとして − 実際は歌詞はジャケットに印刷され ているので、聴き取られなくてもいい −、そこから例えばシチュアシオニズム 的な面やマルクス主義的な面を見出す聴き手はどれほどいるだろうか。いや、 全ての聴き手がそれを直接見出せなくてもいい、それを紹介する人がどれだけ そのポインタ − シチュアシオニズムであれば、パンクとの関係からしても Greil Marcus "Lipstick Traces" (Harvard Univ. Press)だろう − を示せて いるのだろうか…。 [1] Peter Shapiro: Laboratory Secrets - Stereolab, The Wire, Issue 149, pp.26-30, July, 1996. [2] http://www.maths.monash.edu.au/~rjh/stereolab/interview/texas.html 96/12/30 嶋田 "Trout Fishing in Japan" 丈裕