というわけで、某MM誌の取材で見ることになったこのライヴ。プレスの受付を していたら、脇を Linton Kwesi Johnson がすり抜けていったので驚いて しまった。声をかける余裕などなかったが。 Linton Kwesi Johnson & the Dennis Bovell Dub Band 渋谷 Club Quattro 97/2/24, 19:30-22:00 "Forces Of Vicktry" のリズムに乗って水色のスーツにグレーのソフト帽と いう姿の Linton Kwesi Johnson が現れ詩を読みだしたとき、僕の不安は 解消した。 91年の "Tings An' Times" と来日公演から後の Linton Kwesi Johnson の 界隈の活動は、John Kpiaye や Steve Gregory のソロにしても、それほど 面白いものではなかった。去年の "A Cappella Live" にしても、新しい詩は 2つのみで、それも The Dub Band のバックはなし。 "The Wire"誌 June '96 号で Mad Professor がこう言っている。「Bovell が してきたことは、まさに時代の先端であり、実際すばらしかった。そして、 それはもっと先に推し進めうるものだったと、僕は思うんだ。彼へのプレッ シャーは凄かったのかもしれない。単に飽きたのかもしれない。もしくは、 自分のしていたことの可能性を自覚していなかったのかもしれない。結局、 Jah Shaka、Adrian Sharwood、そして僕のような人たちが、それを発展させ、 80年代、90年代の音としてきたんだ。」 Linton Kwesi Johnson の詩集 "Tings An Times - Selected Poems" を手に 握り締め僕は会場に入った。特にこれといった新作も無いのに意外に客は 入っていた。前の方は密集だ。 前座の Little Tempo の後しばらく間を置いて The Dub Band が登場。 例によって Dennis Bovell の雄叫びで演奏が始まった。CDでは面白くないと 思っていた Kpiaye や Gregory の曲がなかなか良かったので、やはり生で 大きな音で聴くと違うのかな、と思っていたところで Linton Kwesi Johnson が登場。彼の声で、演奏がぐんと引き締まった。後は、簡単な詩の説明と 演奏/朗読のくりかえし。凝った仕掛けはなし。"Fite Dem Back" から "Di Black Petty Booshwah" にかけてのアップテンポの曲が続いたところが、 このライヴの最高の時だったろうか。最後は "Di Anfinished Revalueshan"。 アンコールは無かった。 彼の声や Dub Band の演奏は、決して聴衆を熱狂に導くようなものではなかった。 むしろ、一言一言頭に突き立てられるかのような彼の詩の朗読は、覚醒と思考を 誘い出すものだろう。まさに、踊りながら考えるための音楽だった。こんな 感覚にさせてくれるライヴをしてくれる数少ないミュージシャンかもしれない。 思えば曲は "Tings An Times" までのものばかりで新曲はなし、演奏者の 顔ぶれも "Tings An Times" からそのままなのだ。何か新しいことをやって やろう、何か見たことない物を見てしまったと思わせよう、ということとは もはや全く違う所に立っているのだなあ、という事を痛感したライヴだった。 そういえば、会場にいたのも、流行とは無縁そうな人が多かったかもしれない。 6年前の On Air でのライヴでは、どうしてイギリスに西インド諸島系の移民が いるのか考えたこともなさそうなカップルが目についたものだが。それは、 会場出口で、野宿労働者 (浮浪者) 支援団体がビラを配っていた、ということが 印象に残ったからかもしれない。 97/3/1 嶋田 "Trout Fishing in Japan" 丈裕