「フリー・ジャズ・ムーヴメントの人々には多くの借りがある。パンクの精神、 ドゥ・イット・ユアセルフの精神も重要だと思う。しかし、俺が今最も敬意を 感じているのは、ライのミュージシャンたちだ。なぜなら彼らにとって音楽は、 原理主義的な価値観から、より自由な表現への突破口を意味しているからだ。 ライ・ミュージックは酒、セックス、彼らの町から消えてしまった美しい時代の ことを歌う。しかも彼らはそれを命賭けで歌うんだ。イスラム原理主義者によって 何人ものライ・ミュージシャン、プロデューサーが殺されている。これは重要な ことだ。つい先日もシェブ・ハレドとフランスのフェスティヴァルで一緒だった んだが、彼を支持するアルジェリアの若者たちのハレドに寄せる熱い思い、 そして彼の音楽が体現していることは、MC5 がかつて体現していたことと思い 起こさせるものなんだ。もちろんパンクも好きだし、おもしろい音楽も色々と 出てきているとは思う。でも、ライ・ミュージックの前ではそれらも霞んで しまうね。」 --- Wayne Kramer (ex- MC5) (1995) [1] Khaled "Sahra" (Barclay, 533 405-2, '96, CD) - Produced by Philippe Eidel, Erick Benzi, Clive Hunt, Don Was, Akhenation & Imhotep Oran, Algeria 出身で亡命同然の状態で France で活動する Khaled の新作 (Barclayからの3作目。) は rai という必要をあまり感じないほど rai の色が 薄い作品だ。もちろん、コブシはまわっているし、Arab 風の節回しではある。 が、リズムに6拍子のものがないということもあるのか、Arabic funk という感だ。 Jean-Jacques Goldman の歌を2曲歌っているが、これなどちょっと異国風な French pops だし、Clive Hunt 制作の曲など Arabic reggae だ。("Ouelli El Darek" では I Three が歌っている!!) Caribean な曲が目立つか。が、中で もっとも格好いいのが、IAM が rap で参加した "Oran Marseille"。 と、ほんとうにいろんな曲がつまっているのだが、Khaled の歌声が個性的なのが 散漫になるのを防いでいる。ただ、以前よりぐっとポップになった分だけ 緊張感に欠けるような気がする。 欧州議会まで巻き込んで移民法で大揺れの France を思い浮かべながら聴こう。 Khaled といえば、一緒にこれも紹介しよう。 Cheb Khaled "Le Sultan Du Swing Rai" (Blue Silver, 50471-2, '95, 2 CD's) さて、Khaled がまだ Cheb Khaled、rai の帝王と言われていた Algeria 時代の 録音を集めた CD 2枚組。 "Serbi Serbi" (Khaled "N'ssi N'ssi" (Barclay, 519 868-2, '93, CD) 所収) や "Wahrane" (Khaled "Khaled" (Barclay, 511 815-2, '92, CD) 所収) といった、 Barclay からのアルバムにも収録された曲を聴き比べると − 聴きくらべるまでも なく明らかだが。− はるかに泥臭い制作だ。シンセサイザーの音はぺらぺらだし、 コブシもずっと回っている。そして、それが punk 的な緊張感を生んでいる。 もちろん、Algeria 時代の代表曲 "El Harba Wine" 収録。88年10月のクスクス暴動 の際、若者たちはこの「逃げろ! けどどこへ? "Flight!, But Where?"」という題の 歌を歌いならが街に出たという。そういった光景を思い浮かべながら聴こう。 「若さはどこへ行った? / 勇気ある人々はどこへ行った? / 金持ちは肥え貧乏人が 汗を流す / イスラムのインチキ野郎は真の顔をさらしだしている / で、解決は何? / いつも嘆くことはできる / もしくは不平をもらしたり / もしくは逃げ出したり / けどどこへ?」 [1] 湯浅 学: 激情のデトロイト・ロック・シティ!, ミュージック・マガジン, 1995年5月号, pp.28-35. 97/3/2 嶋田 "Trout Fishing in Japan" 丈裕