コンサート & レクチャー『Tony Conrad - American Experimental Spirit』 世田谷美術館講堂, http://www.setagayaartmuseum.or.jp 98/6/13, 15:00- - Tony Conrad (vln), Alexandria Gelencser (cello); 柿沼 敏江 (レクチャー聞き手) 予定ではレクチャーの後にコンサートだったのだが、変更となり、コンサートの方が 先に開催された。 ステージ前に白いカーテンが張られ、背後にある首振り扇風機がそれを揺らしている。 アンプを通してリハーサルっぽい音が響いた後、照明が落ち、その後にステージ上の ライトが点灯。演奏者たちを背後から照らす様子が、薄いカーテンから透けて見える。 もちろん、カーテンにも影がゆらめく。そのままカーテンの向こうで演奏を始めた。 Conrad はステージから降りたあたりに立って踊るように演奏。一方の Gelencser は ステージの上の椅子にじっと演奏。見える影の様子では、弦を押さえていない。 その2人の対比が、ゆらめく影によって増幅されているような感じもあって、面白い。 アンプで増幅されディストーションをかけられた音が、ギーギーゴーゴーと講堂内に 響き渡った。一つ一つの音を長くゆっくり弾くので、旋律らしきものはほとんど感じ られない。cello の音などは、ほとんどドローン (持続低音) 的な効果を持っている。 (あとで確認したのだが、cello は3本弦、共鳴胴はなく、自作っぽいものであった。) 一方の violin は Conrad の動きのようにゆったりとうねるという感じで明確な 旋律や拍は無い。一定の高さの音がある程度持続するのだけど、たまに微妙に音程が 変化する (微分音も使っていたよう)。というわけで、ディストーションのかかった 弦音のテクスチャといったところ。 violin の音が大きくなったり小さくなったりするが、展開らしきものはほとんど 感じられないので、催眠的な感もある。ただ、音がかなり大きく、演奏が終わった 頃には耳が遠くなっていたが。そういう、幻覚的ともいえる演奏が1時間ほど続いた。 カーテンに映る影が、静かに揺らめく Gelencser の影と、踊るようにぐにゃぐにゃと 伸縮する Conrad の影が、対称的だったのが印象的。音だけで攻めてくると思った ので、このカーテンと照明を使った演出や、踊るような Conrad の動きなど、かなり 観せることを意図した演出は意外だったし、それがとても面白かった。音だけ だったら、若干辛かったかもしれない。 演奏後、しばらくの休憩の後にレクチャーとなった。 まず、演奏した曲 ("Early Minimalism: June 1965" (Tony Conrad, _Early Minimalism Volume 1_ (Table Of The Elements, arsenic 33, '97, 4CD) 所収。) についての話になった。やはり、最初に、カーテンを使った演出の話になったのだが、 これは、自分はヴィジュアル・アーティストとしても活動しており、音だけでなく、 映像でも、アイデアを表現しようとしているのだ、と言っていた。こういう、 スクリーンを使った演出 (スクリーンの裏に現実と、投影された影も現実) にしても、 "Early Minimalism" というタイトルにしても (こういう言い回しは、後になって 歴史的に見てしかできない。音楽は音ととして/社会的表現として理解される。)、 "double reality" ということをコンセプトに持っているようであった。 アンプで音を増幅することは、60sからコンタクト・マイクを使ってやっていた とのこと。rock / folk / jazz の電化とのタイミングにも合っているようにも 思うけれど、アイデアとしては、耳を近づけていると遠くでは聞こえない音が 聞こえるので、それをクロースアップするというものではあるらしい。 John Cage に関する話になったときに、「John Cage らは、どんどん新しい作曲 方法を導入し、進化という考え方が入ってきた。」と言っていた。New York School のことを意識していたのかな、という感もあるんだが、モダニストとして John Cage を捉えているんだなぁ、と、ちょっと興味深かった。 30年余りたって、どうして活動を再開したのか? という問いの答は、その間の映画 での活動があるようなのだが。60sと90sで聴衆はどう違うか? という問いには、 Fluxus の頃は聞き手にショックを与えることに力をいれていたが、今では昔の ように権威主義な存在がなく、そんなことは困難、と。しかし、こういう多様性が 受け入れられる状況をハッピーとも言っていた。ううむ。しかし、聴衆はむしろ The Velvet Underground や Faust との関係に興味があったようで、客席からは その質問が出た。回答はちょっとした裏話に過ぎなかったと思うけれど、Conrad が 楽しそうに話するのは面白かった。無名時代の Lou Reed との共演もあったよう。 それよりも、Dream Syndicate などで Conrad と John Cale の共演していた昔の 音源を再発する計画もあるような雰囲気のことも言っていた。 と、レクチャーは、現在の音楽の状況について鋭い話が飛び交うという感じではなく、 むしろ、なごやかな昔話という感じだった。 98/6/13 嶋田 Trout Fishing in Japan _ _ _ 13日に続いてその翌日に行われた映画/ビデオ上映会、時間の都合で第一部のみ観た。 抽象的な実験映画ばかり。 映画/ヴィデオ上映会『Tony Conrad - American Experimental Spirit』 世田谷美術館講堂, http://www.setagayaartmuseum.or.jp 98/6/14, 15:00- - 第一部) "The Flicker" ('66), "Straight And Narrow" ('70), "Boiled Shadow" ('74), "4-X Attack" ('74); 第二部) "Redsessing Down" ('80), "Lookers" ('84), "In Line" ('85), Long Shot / Run / Dead ('86-91) - Tony Conrad (director, 解説) Tony Conrad が映画をかける前に少しコメントをする、という形で進行した。 語り口はかなりリラックスした感じ。 まずは、白画面と黒画面がまさにちらちらする画面が30分続く "Flicker"。 映画上映前に警告が出たり。Conrad も「ピカチュウ事件」に言及していたが。 実際のところは、基本的に白画面で、ある頻度で黒画面が挿入されているようで、 ストロボ光と違い、その光の中で手を動かしてみても、コマ送りのような感じ にはならなかった。黒画面の挿入頻度が微妙に変化しており、それによって画面の 見え方が変化していく。基本的に画面が脈動しているように見えるのだけれど。 Conrad も、白黒画面のフリッカーで、この色や動きというヴィジョンとでもいえる ような効果が得られることに注目していたよう。音はノイズ様のもの。展開が無い ので、観ているうちに時間感覚を失うような感じもある作品だ。James Turrel の _Gas Works_ の映画版という感じもあった。 続く "Straight And Narrow" は、"The Flicker" に縦縞、横縞というパターンを 加えたもの。音楽は John Cale, Terry Reily と演奏したもので、ミニマルな インストゥルメンタル・ロックという感じのもの。"The Flicker" のミニマルな 感じは失われているが、良い意味でのノリがあった。 続いてかけられた2本の映画は、Conrad の話した制作の過程が面白いものだった。 まず、"4-X Attack"。これは、フィルムをハンマーで砕いた上で、一瞬露光、し、 現像した上で、3週間かけて復元した、というもの。ハンマーで叩いた衝撃、圧力を 記録した映画とのことだったが、実際に観ると、映画を観ているときに気になる ことがあるフィルムの傷や塵だけで画面を作ったような仕上がり。"The Flicker" の ようなミニマルな作品を観ていると、特にフィルムの傷や塵が映るのが目立って、 それも独特の感じがあるのだけど、その感覚をメインに持ってきたような感じも あって、それが興味深い映画だった。Conrad 曰く唯一抽象表現主義的な映画とのこと。 最後の "Boild Shadow" は、カルバーという、感度が低くて日光で露光し、熱で現像 するという、特殊なフィルムを使った映画。フィルムを捻じって蜂の巣のようにした 上で、その「蜂の巣」をコートで隠して屋外へ出て日光で露光したもの。さらに、 現像のためにフィルムを茹でたという。細かい水滴様のものがずっと映っていたのは、 茹でたためだろうか。これは、いまいちだったかな。 まあ、やったもん勝ちかなという感もあったけれど、意外と楽しめた上映会だった。 98/6/14 嶋田 Trout Fishing in Japan 丈裕