Nicolas Frize, _Le Chant de la Chair_ Bunkamura シアターコクーン, 渋谷 98/8/4, 19:00-20:30 - Nicolas Frize (composition,conduction), Regis Alexandre (percussions), Francois Marillier (percussions), Agnes Boury (electronics), 世田谷美術館ワークショップの参加者 (percussions,voice) 一般から募集された100人余りの body percussions の演奏を中心とする音楽の コンサート。その演奏者の募集に応じて、参加してきた。一般から募集された 演奏者は、老若男女楽器演奏経験不問。5日間の世田谷美術館でのワークショップで 演奏練習をした後、コンサートに臨んだ。 演奏曲 _Le Chant de la Chair_ は二部構成となっていた。第一部では、Frize の 指揮の下、「プロ」の2人のパーカッション奏者と1人の音響担当、そして「アマ」 の約100人の演奏者による演奏を、観客に聴かせた。そして、第二部では、100人の 演奏者は観客席側に回り、舞台に据えられた巨大な楽譜を見ながら、一般の観客と 一緒に Frize の指示の下で曲の練習をし、一般の観客がむしろ中心となって第二部を 演奏をした。 body percussion (もしくは mouth percussion) のアンサンブルということで、 この音楽パフォーマンスには、楽器を使わずに人が出せる音の可能性の追求、と いう面はあるかもしれない。実際、第一部では、クラフィック・スコアとはいえ かなりちゃんと規定された演奏を求められ、ワークショップでは音の出し方に それなりに細かい指示が出た。(演奏者が Frize の要求に応えられたかは、また 別の問題だが。) しかし、もし「人が出せる音の可能性の追求」をパフォーマンスの 主題とするのであれば、楽器演奏経験不問の100人で演奏させるのではなく、 ソロを取っていたような「プロ」の演奏者を集めて演奏させていただろう。 音そのものの追求というより、Frize がコンサート当日に会場で言っていたように、 Frizeと一般に応募した約100人の演奏者と一般の観客が時と場を共有することに コンセプトがあったパフォーマンスだったのかもしれない。そして、その時と場の 共有のあり方は、大道芸のそれに似ていたように僕は思う。それは、単に演奏が うまくいったときに Frize が演奏者や観客に「カンペーキ」と言うそのタイミングや 口調が、ヨーロッパ系の大道芸人のそれとそっくりだった、ということもあるかも しれないが。 _Le Chant de la Chair_ において、body percussion を楽器として選んでいるのは、 他の道具の準備や操作の習熟なしに、自分の身体さえあればそこそこの音を出す ことができること、もあるように思う。そして、それは、結果として、大道芸に おいて、芸人が観客に要求する手拍子や足踏み音、喚声や笑い声に似ている。 一般に観客は参加する準備をして大道芸に臨むわけではないという点でも。 といっても、それでも、大道芸のアシスタントと違い、ある程度の人が集まって body percussion で楽しめるような音を出すには、ある程度の練習と下準備が 必要だろう。それが、ワークショップとなっているのだと思う。そういう意味で _Le Chant de la Chair_ は1週間がかりの大道芸ともいえるかもしれない。 そして、一般の応募で集めた100人の演奏者は、通常の音楽コンサートにおける 演奏者というよりも、大道芸において芸人によって観客から選ばれ引き出される アシスタントに近い役割を持っている。Frize によって、到底演奏できないような 指揮に振り回されたり、演奏という名のもとで他の人の笑いを誘うような仕草を させられたり、と道化 (社会秩序から追放された者) のような振舞をさせられる =「生贄」にされる、ということもある。そして、熟練した芸や計算された振舞いを 客に披露するというよりも (もちろんそういう面を全く否定はしないが)、むしろ、 さらに一般の観客をも「生贄」として取り込むサクラとでもいう役割を、演奏者は 担っている。第一部の演奏は、一般の観客を引き込み第二部で観客の参加を促す ようなところがあるし、もちろん、第二部では演奏者は観客席に交じり込む ことによって、一般の観客をリードする役割もあるわけだが。そして、第二部の 最後に観客も巻き込んで演奏するときには、一般の観客も「生贄」―口だけとはいえ、 普段なら滅多に出さないような、ときに笑いも誘うような音を、Frize の指揮の 下で出しているのだから―となっているのだ。 僕は演奏者として参加したわけだが、(募集においてある程度予想していたことだが) 大道芸的という意味では、むしろ観客―芸人に選ばれてアシスタントをしている ような観客―のような立場にいたと思っている。第二部に関して言えば、下準備が 必要な所以外は、何をやるかということも知らされなかった。ワークショップの 内容は、作品のコンセプトに触れるような話すらほとんど無く、具体的な演奏に 関する指示とその練習がほとんどであった。しかし、それは、大道芸において アシスタントに出される指示が具体的な動作についてであって演目に対する説明 ではない、ということと同じことだろう。 そして、このようにして舞台を消し去って参加者全員を包み込むような見せ物と でもいう場になっていたところに、この _Le Chant de la Chair_ の一番の魅力が あったと、僕は思っている。 ワークショップに参加しただけでは Nicolas Frize のバックグラウンドはよく 判らなかったし、_Le Chant de le Chair_ の作風からも想像されるよう、ほとんど 録音された作品を残していないようなのだが。世田谷美術館の資料によれば、 Frize は'50年生まれ、France 出身の現代音楽の作家。musique concrete の祖 Pierre Schaeffer に師事。その後、John Cage の助手を務めたという。 参考文献 [1]スーザン・ソンタグ: 「ハプニング ― ラディカルな併置の芸術」 『反解釈』(竹内書房新社, '68/'71)所収 98/8/10 嶋田 Trout Fishing in Japan 丈裕