『I love ペッカー』_Pecker_ - USA, 1998, color, 87min. - Written & Directed by John Waters. - Edward Furlong (Pecker), Christina Ricci (Sherry), etc. 町の平凡な (正確には、比較的貧しい階層の白人で、ちょっと変わった) 青年の 写真作品が一躍アートシーンで認められる、という話から、芸術の正統性 (天才性、創造性、etc) が生成 (というより捏造) されていくプロセスを、 いささかのいかがわしさを伴わせながら浮かび上がらせていく映画、といえば、 そのジャンルが写真ではなく詩であるという違いはあるが、2ヶ月ほど前に観た 『ヘンリー・フール』(Hal Hartley (dir.), _Henry Fool_, 1997) を連想 させられた。そして、この手の映画のつまらなさはいったい何なのだろうか、 と思わされてしまった。 デティールでは笑わせてもらうところもあったし、それなりに楽しめたのだが、 趣味の悪い映画ではなく、趣味の悪さに関する映画、とでもいうメタな感じが、 逆に、どうでもよく感じさせられてしまったようにも思う。重要なのは趣味の 良し悪しの問題ではなく、その背景にある社会的や階級などの問題だろうに、 と思うところもある。 ジョン・ウォーターズ『ロウ・ディフィニッション』 John Waters, _Low Definition_ パルコギャラリー, 渋谷パルコパート1 8F, tel.03-3477-5873. 19998/12/10-2000/1/10, 10:00-20:30 映画『I love ペッカー』の上映に併せて、写真展も開催されている。 写真集 _Director's Cut_ (1997) に収録されたような作品を展示したものだが。 自分自身だけでなく、様々な映画のシーンを撮影した写真を繋げ、従来の文脈では 看過されがちな映画の一面を浮かび上がらせていくような作品。 1980年代っぽい、というか、画面の粗さにしても Richard Prince に近い作風だ。 Sherrie Levine、Barbara Bloom、Louise Lawler とかの、グラビア写真や ポスターを改めて写真に撮った作品。で、こういった作品と何が違うかというと、 特に Levine や Lawler といった女性作家の作品が、グラビア写真やポスターに 隠されたジェンダーにかんするイデオロギー的項目を暴くといった方向性を 強く持っていたのに対して、John Waters の作品の場合、暴いているイデオロギー的 項目が、映画とかアートにおける趣味の良し悪しに関するものを指向している ように思われる。(そして、それは、映画『I love ペッカー』にも共通していると 思われるわけだが。) そして、それが僕には、いささか反動的に感じられる。ジェンダーや社会階層に 帰着すべき話を、単なる趣味の良し悪しの問題にすりかえられてしまったような 感覚というか、そんな割り切れなさを、観ていて感じてしまった。これが、 John Waters のこの映画と写真展に僕の感じたつまらなさの原因だと思う。 2000/01/10 嶋田 Trout Fishing in Japan 丈裕