『予兆: アジアの映像芸術展』_Serendipity: Photography, Video, Experimental Film and Multimedia Installation from Asia_ 国際交流フォーラム, 赤坂2-17-22赤坂ツインタワー1F (赤坂, 溜池). 2000/1/15-2000/2/19 (日休), 11:00-19:00. - Curator: 港 千尋 (Chihiro Minato) - 呉 小軍 (Wu XiaoJun), 張 大力 (Zhang DaLi), 趙 少若 (Zhao ShaoRuo) (China); Mark Chan, Rita Hui (Honkong); Ashim Ghosh, Ram Rahman (India); Yudhi Soerjoatmodjo, ワヤン博物館 (Indonesia); 畠山 直哉 (Hatakeyama Naoya), 伊藤 高志 (Ito Takashi), 鈴木 理策 (Suzuki Risaku) (Japan); 金 海敏 (Kim Hae Min), 金 潤泰 (Kim Yun Tae), 朴 和英 (Park Hwa Young) (Korea); Alex Baluyut, Ting-Ting Calzo, Auraeus Solito (Philippin); Atipat Kamonpech, Pimpaka Towira (Thai); Nguyen Bao Nguyen (Vietnam). 入口すぐにあったキュレータの 港 千尋 のコンピュータを使った作品、_Shadow Box_ でいきなりげんなりした展覧会だった。ディスプレイの上の写真の上を適当にマウスで ポイントしていると、言葉が浮かび上がる、というものなのだが。その言葉において、 「メディア」の比喩として降霊術を使っている。 この展覧会で用いられている、写真、ビデオ、コンピュータを用いたマルチメディア といったものは科学技術的な原理とそれを実現する工学的・社会的システムによって 築き上げられた、極めて近代的なシステムである。こういう人工物システムを、 降霊術と同一視するのは、その背景に目をつぶり、ブラックボックス化する行為だ。 盲目的な科学技術崇拝とその裏返しのオカルト趣味以外の何物でもないと思うし、 「メディア」のような人工物システムによって変化させた社会に対しての、主体と しての責任から逃れるための (「メディアが社会を変えた」と言うように)、 逃げ口上のようにさえ僕には思える。そして、そういう人工物システムを覆い隠し 非近代的な雰囲気を醸し出させるためのアジア趣味だとしたら、これほど悪趣味 なものはない。 入口でこんなものを観てしまったせいか、作品を観た後も、ありがちなメディア アート展の印象を拭いさることはできなかった。ブースを作ってのビデオ作品の 上映など、上映会 (一応、2日間行われたよう) で観るものだろうし…。 そんな中で一番面白かったのは、朴 和英 (Park Hwa Young) (Korea) の "Facial Diary"。いわゆる、毎日、顔の化粧をティッシュペーパーで「顔拓」したものを ずらっと並べて展示したものなのだが。化粧という制度について考えさせられる、 というよりちょっとしたユーモアが感じられるところが気にいった。しかし、それは この展覧会の企画の方向と全く関係ないと思うのだが…。 『サウンド・アート ― 音というメディア』 _Sound Art - Sound as Media_ NTT ICC, 新宿区西新宿3-20-2東京オペラシティタワー4階 (初台,西新宿), tel.0120-144199, http://www.ntticc.or.jp/. 2000/1/28-3/12 (月休; 2/13休); 10:00-18:00 (金10:00-21:00). - Max Eastley & David Toop, Carl Michael von Hausswolff & Peter Hagdahl, Christophe Charles, Carsten Nicolai, Marc Behrens, 池田 亮司, m/s (佐藤 実), 角田 俊也, 志水 児大, Jane Dowe, Brandon LaBelle. 続けて同じ日に観たこの展覧会は、上記のような分かり易いオカルト趣味は無い ものの、例えばパンフレットにある Carl Michael von Hausswolff & Peter Hagdahl, _Parasites, Influences and Transformations 2 / Parasitic Electronic Seance IV)_ の説明「ハウスウォルフは、音の霊性を、電気配線やインターネットを通じて、 ギャラリー内に降霊させようとしています。どこか秘儀的なインスタレーション 作品です。」のようなものを読むと、その基調となるものはたいして変わらない ことが判る。 そんな中で最も楽しめた作品は、角田 俊也『固体振動のためのモニター・ユニット』。 ICCの建物のあちこちにピックアップ設置してあり、それが拾った音を増幅したものを イヤホンで聴くことができる、という単純なインスタレーション。ピックアップの 近くの壁やガラスを叩いて聴くといろいろ音が変わって聞こえて面白い。一緒に観に 行った人と、一緒に、もしくは、後退で、いろいろ叩いて聴いて遊んでいたら、 注意されはしないものの、係員に、作品のコンセプトが書かれた紙を渡された。 しかし、受動的に音を聴いて「音の降霊」とか言っているのではなく、能動的に システムを「プロブ」して機構を見つけ出しそれで遊ぶことの方が ― ハックと いうには素朴だと思うが ― 、僕にとってはずっと楽しいことだと思うのだが…。 Jane Dowe / Christophe Charles / Terre Thaemlitz NTT ICC ギャラリーD 2000/2/19, 19:00-21:00 『サウンド・アート ― 音というメディア』展の関連企画のシンポジウム/ コンサート『ポスト・ミュージック ― 脱音楽の位相』の中の19日のコンサートを 聴いてきたのだが。その中で一番面白かったのは Christophe Charles のものだった。 演奏の最中、彼は音を出している Macintosh のディスプレィをプロジェクタや スクリーンで上映していたのだが。その波形と音量のグラフを見ていると、そこに 流れている音は、「音の降霊」でも何でもないということがよく判る。むしろ、 そういったものをユーモアと共に脱神話化するくらいのパフォーマンスだったと、 僕は思う。 一方、Jane Dowe の光量を落とした空間での演奏は眠気を誘うようなものだった。 Terre Thaemlitz は予想通り女装して現われ、ヘテロ/ホモ の間から零れ落ちた セクシャリティに関するポリティクスに関して一席打った後、演奏した。その ポリティクスと演奏の間を繋ぐだけの説得力があったと思わないが。しかし、 前二者の演奏と続けて聴くと、サウンド・アートの文脈より、ずっとDJ的な音出し だったのが、興味深かった。演奏が終わって機材を見たら、機材もDJ的だった、 というのも、面白かったけれど。 2000/2/20 嶋田 Trout Fishing in Japan 丈裕