野村 仁 『生命の起源: 宇宙・太陽・DNA』 Nomura Hitoshi, _Genesis Of Life: The Universe, the Sun, DNA_ 水戸芸術館現代美術ギャラリー, 水戸市五軒町1-6-8, 029-227-8120, http://www.arttowermito.or.jp/ . 2000/8/5-10/15 (月休,10/10開,10/11休), 9:30-18:30 天体写真を作品にする作家、野村 仁 の個展。この天体写真を作品にする、という 印象は、この作家を最初に意識したのが、_Photography and Beyond in Japan_ (原美術館, 1995) で観た作品だった、という面が大きいのだけれども。 今回の個展でも、アナレンマをはじめ、太陽の軌跡を捉えた一連の作品が、 視覚的に最も面白かったように思う。 それから、以前、ドライアイスを蒸発させる作品を観たことがあるのだが、今回は、 液体酸素。青い液体が透明な魔法瓶に入れられ、並べられていた。今でも、 職場でボンベを見ることはあるけれども、青い液体として観るのは、大学教養時代 以来だろうか。爆発する可能性のある取扱注意の危険物なのに、さりげなく置かれて いるというのが、凄い。一応近くに近寄れないように展示されていたが。作品と いうより、そういう点でわくわくしてしまった。 ところで、以前観たときは気にならなかったのだが、「赤道上の太陽」の作品で 写真を繋いでできるカーブというのは、計算で算出したカーブの上に写真を 並べたものなのか、作者が感じた「なめらかさ」に基づく接続の結果なのか、 今回は気になったのだが。作品を観ると前者のような気がするのだが。 こんな作者の恣意性が気になったのは、最後の展示室の、五線譜を写した写真の上に、 月や鳥を撮影し、それを譜面として読む、という作品があったからかもしれない。 写真の方は、ちょっとしたシャレという感もあるし、同じような画面がずらりと 並ぶ反復感も面白いとは思ったけれど、それを実際に弦楽四重奏やピアノ曲などと して演奏した作品を聞くと、かなり興ざめだ。ハ長調 (ピアノの白鍵) にしか音を 割り当てていないのでそれほど強烈な不協和音は無いし、そんなにテンポの変化が 無いので、ランダムな感はほとんどな。音楽的といえばそうなのだが。植物の 電位をMIDIを通して音とする 銅金 裕司 と比べると作家の恣意性は入りづらい ようには思うが、どういうふうに音を割り当てるのかという恣意性にナイーヴに 過ぎるような気がしてしまったからだ。というか、五線譜という記法を選び、 クラシカルなアンサンブル向けに編曲する、という選択をしたことに対する、 説得力に欠けるのだ。単に、音楽といったらクラッシックだろう、とでもいうような。 天体現象の一つ「アナレンマ」を捉えた写真にしても、科学技術写真の一種といえば それまでかもしれないが、長期間の観測を経て、もしくは、プラネタリウムでの シミュレーションを経て、可視化されると面白いと思うのだけれども。たとえば、 DNAを分子模型で組んだものをベースにした作品に、このようか可視化の妙があるか というと、僕はそうは思わない。むしろ、コンセプトに負いすぎてしまっていて、 物自体が観て面白いものではないように思うのだ。 それは、ソーラーカーによるアメリカ横断のプロジェクト『HAASプロジェクト』に 関する展示にも痛感する。別にソーラー発電に可能性を見出したり、そのパワー のみによるアメリカ横断にロマンを感じるのが、悪いというわけでも、そのときの 様々な風景の美しさや人との交流に感動するのが、間違っているとは思わない。 そうではなく、そういったものを人に伝えるのに、このような美術館での展示が 適しているのかどうか、という問題だ。web site での広報も行っているわけで、 他にも報告しているのかもしれないので、プロジェクト全体の問題というより、 ここでの展示での問題なのだが。例えば、科学技術ドキュメンタリーの本やTV番組、 科学博物館での伝統的なプレゼンテーションの手法を使った方が、伝えられるものが 多いようにも思うし、それに代わる何かがこの展示にあるとは、とうてい思えない のだ。他のプレゼンテーションでは伝えられないような何かを表現者が感じており、 それを解決するためにこの展示を取った、とでもいうような説得力が欠けるのだ。 単に、自分が美術の文脈に属しているから、そこでやっているだけ、とでもいう ようにすら見える展示だ。 これは、いわゆる、社会プロジェクト的なコンセプチャルな現代美術作品の展示を 観るたびに思うのだけれど。科学技術だろうと社会だろうと、それ対する感動や 問題意識は、美術とは関係ないレベルの話だ。美術だから特権的に何か感じ語る ことができる、というものではない。むしろ、そういう事についてのプレゼン テーションはどうあるべきなのか、現状のプレゼンテーションには何の問題が あるのか、といったことの方が取り組まれてしかるべきよう、僕には思われるのだが。 そういう問題意識に欠けるブロジェクトが多いように、僕には思われてならないのだ。 _ _ _ クリテリオム43 ― 木村 崇人 水戸芸術館現代美術ギャラリー第9室, 水戸市五軒町1-6-8, tel.029-227-8120, http://www.arttowermito.or.jp/ . 2000/8/5-9/10 (月休), 9:30-18:30 若い日本の作家を取り上げるシリーズ、クリテリオムで取り上げられていたのは、 『取手リサイクリング 1999』で河川敷の公園に展示をしていた、木村 崇人。 自転車のホイールを使って、ジャイロ効果を体感させる作品だが、利根川の河川敷 なら、空間に解放感があったし、公園の遊具のような感じもあったのだけれど。 エントランスホールの人工芝の上に置かれていると、触ってはいけないオブジェ のような感じになってしまって、どうもいまいち。ギャラリー空間での展示も、 ジャイロ効果をビデオで観せても、と思うところも。やはり、体感してなんぼ、 なのだと思う。作品管理の問題もあるだろうし、ワークショップもあるようだけれど、 やはり、噴水の前の広場のような開放的な空間に、遊具のように置いていて欲し かったようにも思う。 2000/8/22 嶋田 Trout Fishing in Japan 丈裕