Patricia Piccinini, _The Breathing Room_ (『呼吸する部屋』) 東京都写真美術館映像展示室, 東京都目黒区三田1-13-3 (恵比寿), tel.03-3280-0099, http://www.tokyo-photo-museum.or.jp/ 2001/7/6-2001/9/9 (月休), 10:00-18:00 (木金10:00-20:00). 展示されていた作品の作風は大きく2種類に分けられる。タイトルの "The Breathing Room" のコンピュータ合成で作った、呼吸で波打つ人肌の クロースアップのような映像や、"Swell" のような金属やプラスチックな 無機質なものがうごめくような映像から「艶かしさ」を演出しようするもの。 もう一つは、生命体っぽい謎の物体 "SO2" が自然に街中に居るような様子を コンピュータ合成写真で作った "SO2" や、スーパーモデルを生命工学によって 背中に人の耳の型をした軟骨を生成させられたネズミと対比させた コンピュータ合成写真 "Protain Lattice" のようなもの。前者のような作品は、 抽象的で大きな音や画面が、感覚的に楽しめるところもあるけれども、 合成写真のようなメディアは、結局記号的で説明的過ぎて、面白くない ように思う。 というか、自然の生命と人工物の境目について興味がある、というということは 判るのだけれども、どうも自分の認識とズレテしまっているのが、楽しめない 原因かもしれないのだが。実は、1998年9月に Command N で Piccinini の アーティストトークを聞いたことがあり、そのときの否定的な印象もある のかもしれないが。 というのは、どうも、自然的なものと人工的なものをかなり固定的に捉えて いるように感じられるのだ。少なくとも、僕は、この二者は二分法的で イデオロギー的なもので、時代時代の技術要件などによって社会的にその境目は、 今までも変わってきたしこれからも変わっていくと思っている。計算機科学や 遺伝子工学はその境界線を動かすかもしれないが、曖昧にするものでは ないと思う。特に、後者の傾向を持つコンピュータ合成写真の作品など、 この境界線の変化に伴って、あっというまに「レトロ」な作品になってしまう ように感じる。あの当時は社会的にここらに「自然/人工」の境を感じて いたんだねえ、 と、後になって振り返るにはいい記録になるかもしれないし、 それも美術作品の一つの役割だと思うので、否定はしないけれども。 2001/8/28 (2001/8/26) 嶋田 Trout Fishing in Japan 丈裕