Fabrice Hybert, _C'Hybert Tokyo Rally_ ワタリウム美術館, 渋谷区神宮前3-7-6, tel.03-3402-3001, http://www.watarium.co.jp/ . 2001/9/7-11/25 (月休), 11:00-19:00 (水11:00-21:00). 1999年の La Biennale di Venezia などで話題を集めた France の現代美術作家の プロジェクト的な展覧会。 2階の観客が遊べる一連の作品 _Pof_ は、百以上もあれば、小技なユーモアが効いた 作品もそれなりにあるかな、と思った一方、4階の絵画というかスケッチは、ほとんど 印象に残らなかった。 けれども、いろんな意味で考えさせられたのは、3階の _Water In Head_ (2000-2001)。 世界中の飲料水 (というかペットボトル入りで売られている水) を、集めて並べた アーカイヴだ。といっても、この作品のコンセプトの「大地から採取された これらの水は、何万年にもわたる大地の記憶を含んでいる。地球環境を考えた この作品は、今回の日本の展示で、日本の飲料水100余種を加え展示され、その後も それぞれの地域の水を加えながら変化を続けていきます。」 (会場で配られる シラバスより) という所に感銘を受けたからでは全く無く、その展示の特別協力が、 ネスレ日本と日本コカコーラだったからだ。 この展覧会を観たちょうど一週間ほど前、NHKスペシャル 『ウォータービジネス 水を金に変える男』 ( http://www.nhk.or.jp/special/libraly/01/l0010/l1007.html ) を観た。その番組では、水の商品化が急速に進み、ボトルウォーターの市場が急速に 広がっていること、そしてそれが様々な問題を引き起こしていることを紹介していた。 そして、そのボトルウォータービジネスの最先鋒を行く企業として紹介されて いたのが、この『水の記憶』の特別協力であるコカコーラとペリエ (ネスレ) だった。 高い安全基準を満たす設備を整えるだけの資金力の無い現地インドの企業に対して、 安全基準を武器にインド市場に切り込むコカコーラ。しかし、水がボトルウォーター として商品化されたことで、公営の水道局がビジネスにのりだし、本来なら給水車や 上水道で配給されるはずだった無料・廉価な水が減ってしまっている。その結果、 ボトルウォーターなど買うことができない低所得者層の人たちは、飲料水を得る ことすら困難になっている。一方、先進国でもボトルウォーターの工場が引き起こす 環境破壊が問題になっており、環境破壊企業として、ペリエ (ネスレ) は、ボイコット 運動の対象にまでなっている ( http://www.saveamericaswater.com/boycott.html )。 というのが、番組の内容だった。 会場で配布されたシラバスのように、Hybert の作品において、「大地から採取された」 ということがポイントであるならば、そういうものとして、ボトルウォーターを 用いるということは、ボトルウォーターのビジネスの引き起こしている問題が無かった としても、いささか無邪気に過ぎるとは思う。しかし、そのような問題に自覚的では ないことを悪いとは思わない。(何事に対しても自覚的でいるのは困難だろう。) むしろ、このような作品に皮肉ではなくボトルウォーターが用いられているとしたら、 それは、「大地から採取された」水として僕たちに最も身近なものが商品化された ボトルウォーターに既になってしまっている、ということを自然に反映してしまった ということなのだと思う。そして、なによりも、その作品の特別協力に、ネスレと コカコーラという水の商品化の先頭を切っているような企業が名を連ねているのだ。 作家の Hybert の意図では無いかもしれないが、この作品は、見事なまでに、 水の商品化を体現した作品になっている。 コンセプトシートが主張するように、これらの水が大地の記憶を反映しているのだと したら、この作品は、結局のところ、そのような記憶すらも既にパッケージ商品と して流通するようなものになっている、ということを意味しているのだろうか、とも 思ったりもした。そして、こういった事が、展覧会で僕が最も印象に残ったこと だった。 2001/10/14 嶋田 Trout Fishing in Japan 丈裕