『スクリーン・メモリーズ』 水戸芸術館現代美術ギャラリー, 水戸市五軒町1-6-8, 029-227-8120, http://www.arttowermito.or.jp/ . 2002/04/13-2001/06/09 (月休;4/29,5/6開;4/30,5/7休), 9:30-18:30. - Doug Aitken, Kenneth Anger, Candice Breitz, Thomas Demmand, Dominique Gonzalez-Foerster, Ken Ikeda (池田 謙), Issac Julien, William Kentridge, Harmony Korine, Collier Schorr, Hiroshi Sugimoto (杉本 博司), Koki Tanaka (田中 功起), John Waters, Jane & Louise Wilson, Cerith Wyn Evans, Tadanori Yokoo (横尾 忠則). 社会的なテーマを持つ作品がある一方で、既にある映像表現の類型や制度を際出させる ことを意図した作品が多いかな、と思わせるビデオ作品・写真作品の展覧会だ。 去年の _La Viennale di Venezia_ に象徴的なようにビデオや写真による表現はかなり 流行している。そのテーマ "Platea dell'Umanita" には、第三世界や貧困への視線 という意味合いも感じられた。一方、映像表現の類型をネタにした展覧会としては、 Alfred Hitchcock をネタにした『汚名 ― アルフレッド・ヒッチコックと現代美術』 (_Notorious: Alfred Hitchcock and Contemporary Art_; 東京オペラシティアート ギャラリー, 2001) という展覧会なども思い出す。そういう意味では企画としての 目新しさは感じられなかった。しかし、個々の作品のレベルではそれなりに楽しめる 展覧会と思う。 映像表現の制度を際出させるような作品で、最もツボにハマったのは、Candice Breitz, _Soliloquy Trilogy_ (2000)。映画の中から主人公が科白を言っているシーンだけ抜粋 してまとめた作品だ。2時間ほどある映画が10分弱になっているのにもかかわらず、 元の映画が持っているであろう雰囲気や、だいたいのストーリーが読めてしまう、 というのが凄い。もちろん、元ネタが娯楽作品とされるような映画だということも 大きいように思うが。娯楽映画だけでなく、例えば、Jean-Luc Godard 監督 Anna Karina 主演とか、Francois Truffaut 監督 Jean-Pierre Leaud 主演とか、 そういう映画だとどのように違うのか、とかやって欲しかったようにも思う。 最初に三部作の第一編 _Dirty Harry_ の Clint Eastwood を観たときは笑ったが、 残りの二編 Sharon Stone と Jack Nicolson のものは、やり口が判ってしまった せいか、さほど面白く感じなかったのも確かだ。 コンセプト的には映像表現の制度的な面を狙った作品のようにも思えるのだが、 単純に映像の色形が面白かったのが、Issac Julien, _Vagabondia_ (2000)。 真中に縦に鏡を置いたかのようなほぼ鏡像を合わせた画面が、ちょっと古典的に ぎらぎらした建物や登場人物のと併せて、万華鏡のように見えたのが面白かった。 社会的な視線といえば、Harmony Korine, _Diary Of Anne Frank (Part II)_ (1997)。 poor white と呼ばれるようなUSの下層に視線を向けた作品だ。悪くはないのだが、 一歩間違えれば、被写体の救済とは芸術となることである、とでもいう作品に なりかねないような感傷も感じてしまった。もう少し自己言及というかユーモアと いうかそういう要素も欲しいように思ってしまった。 South Africa の作家によるシュールなアニメーション William Kentridge, _Felix In Exile: Geometry of Memory_ (1994) も、社会的な視線を意識した ものに感じたし、佳作だと思う。しかし、展覧会というより、短編アニメーション 映画祭かスポット的なTV放送向けかな、とも思った。 02/05/04 嶋田 Trout Fishing in Japan 丈裕