『トルブナヤの家』 _Dom Na Trubnoi_ a.k.a. _The House On Trubnaya_ - U.S.S.R, 1928, B+W, 64min. - Directed by Boris Barnet. Written by Nikolai Erdman, Anatoli Marienhof, Vadim Shershenevich, Viktor Shklovsky, Bella Zorich. - Vera Maretskaya (Paranya Pitunova), Vladimir Fogel (Mr. Golikov), etc. Boris Barnet は1920年代の Russian Avant-Garde の中から出てきたコメディを 得意とする映画監督だ。この作品は、代表作とも言える 『帽子箱を持った少女』 (_Devushka S Korobkoi_ aka _The Girl With The Hat Box_, 1927) の翌年に 制作されたもの。今まで日本未公開だったこともあり評価されていないけれども、 『帽子箱を持った少女』に負けない、憎めない登場人物たちによる、センスに 茶目っ気というか可愛らしさすら感じる、コメディ映画だった。 地方からでてきた未組織化労働者に対して労働組合加入を呼びかける教宣映画、 といった内容で、物語的に深みがあるわけでない。しかし、個々の描写の仕方 だけでも楽しめる映画だ。例えば、主人公の女性とライバルの女性が恋の鞘当を する設定があって、そのライバル意識を、女中仕事として中庭で干した毛布を 叩く様子で表現している。しかし、そこでは、単に叩く強さでそのライバル心の 強さを表現している、というだけでなく、毛布をパンパン叩くという動作自体の 面白さを表現している感じなのだ。実際、主人公の女性の叩く様子は物語を離れて 実に楽しそうに描かれている。それは、Barnet も単純にその様子・動作が面白 かったから映画に撮ったのではないか、と思うほどだ。コメディのセンスが 可愛らしく感じるのも、社会的な風刺というよりも、ちょっとした動きの妙を 面白がっているようなところがあるからだと思う。 物語る際の比喩的・文脈的な意味合いを離れて、形式的な画面や動きの楽しさ 面白さを撮ろうという雰囲気を強く感じさせるのは、1920s Avant-Garde 映画の 共通点でもあるわけだが。例えば、この映画での街中の自動車や路面電車の ダイナミックな動きを捉えた映像にしても、『カメラを持つ男』(Dziga Vertov (dir.), _Man With A Movie Camera_, 1929) にも出てきそうなものだ。 映像を止め逆回しし「あ、その話はまだしてませんでしたね。」とナレーション するところもあるのだが、このような技法に対するメタな視点も、Barnet に とってはギャグのネタだ。Vertov のように、そこから表現技法に対する内省に 向かわず、映像的駄シャレとして楽しんでしまうところが、コメディを得意 とした Barnet の資質だったんだなぁ、と思う。(僕は、Vertov も Barnet も 好きだけれど。) 『帽子箱を持った少女』より都会の街中のシーンが多く、そういう点では 20sモダンな雰囲気が楽しめる映画なのだが。主人公の女性が、田舎から出て きたばかりの少女、という設定ということもあり、登場人物の女性が全般的に モガっぽさが低かったのが少々残念だった。主人公を雇うブルジョア理容師役を Vladimir Fogel が演じているのだが。ちょっとダメな所があるところなど、 Fogel はハマリ役だなぁ、と楽しめた。 脚本に Viktor Shklovsky 、主要な男優に Vladimir Fogel といえば、 『掟において』(Lev Kuleshov (dir.), _Po Zaakonu_ a.k.a. _By The Law_, 1926) や『ベッドとソファ』 (Abram Room (dir.), _Tretya Meshchanskaya_ a.k.a. _Bed And Sofa_, 1927) といった名作もある。キャストやクルーからみても、 さすが、1920年代当時に勢いのあった Russian Avant-Garde 界隈から出てきた 映画だ、といえるだろう。 2002/10/02 嶋田 Trout Fishing in Japan 丈裕