『どこに?ここに? ― トルコ美術の現代』 _Neresi? Burasi? --- Turkish Art Today_ 埼玉県立近代美術館, http://www.saitama-j.or.jp/~momas/ さいたま市浦和区常盤9-30-1 (北浦和), tel.048-824-0111. 2003/06/20-08/31 (月休;7/21開;7/22休), 10:00-17:30 (金10:00-20:00). - Huseyin Alptekin, Yetkin Basarir, Cevdet Erek, Esra Ersen, Leyla Gediz, Gulsun Karamustafa, Omer Ali Kazma, Fusun Onur, Nasan Tur, Secil Yersel. トルコ (Turkey) の現代美術を紹介する展覧会は、その地域性をほとんど意識 させないものだった。「アジアの現代美術」として紹介される東〜東南アジアの アーティストによる現代美術の展覧会では、キッチュさを感じさせる作品が 多かったりするが、そういう雰囲気はあまり感じさせないように思う。 最もトルコを意識させられたのは、Gulsun Karamustafa の作品だろうか。 _Men Crying_ (2001) は、1960年代に活躍した映画監督や俳優を使って撮影 された映像作品だ。モノクロの3つの映像が並べて流されている。そこで写し 出される男が泣くシーンは、トルコ映画の類型の一つであるらしいのだが、 さすがにそこまでは判らなかった。俳優は確かにちょっと濃いけれども、 舞台が都会ということもありトルコ的な感じがしない。しかし、こういう形で 男が泣くシーンは見たことがないので、それが新鮮に感じて、面白かった。 _Burying The Sleep_ (2001) も、アラビア文字の数字を使っている所に、 非西洋的なものを連想させられるところがあったりした。 しかし、そういう要素は、むしろ例外的かもしれない。例えば、Omer Ali Kazma によるサッカーのクラブチーム Galatasaray のドキュメンタリー的な映像作品 にしても、広告に書かれているトルコ語の単語とかがなければ、ヨーロッパの 他のクラブチームとの差を見出すのは難しいかもしれない、と思ってしまった。 最も印象に残ったのは、Nasan Tur の _Somersaulting Man_。世界じゅうの あちこち街中で自身が前転で転がり抜けて行く様子を捉えたビデオ作品を作って いるのだが。日本国内で撮影した作品を上映していた。ちょっとした馬鹿馬鹿 しさが笑えるのだが。周囲の人が前転している人がいないかのようにほとんど 全く無視しているのも、妙な浮き上がり方をしていて面白かった。他の国なら 周囲の反応も違いそうだが。 Yetkin Basarir の写真作品は、特に車の下側を白黒写真に撮った _Through_ (2002) などは、タイポロジー的なスタイリッシュさがかっこよかった。第二ボスポラス 大橋を両側からビデオで撮った Cevdet Erek, _The Second Bridge_ (2003) に しても、そのシンプルに対称性を生かした画面構成が良かったように思う。 ちなみに、Harald Szeeman が _Blood And Honey: Future's In The Balkan_ (Essl Collection, 2003) で取り上げていた作家が4人 (Alptekin, Ersen, Karamustafa, Tur) 参加している。Szeeman が _Transition Online_ での インタヴューで言っていたキーワード "subversiveness" と "roots" の具体的な 理解の手がかりがあるかもしれない、と期待していたが、それについては、 よくわからなかった。 ちなみに、展覧会カタログは、展覧会から半ば独立した作りになっていて、 展覧会の出展作品以外の図版が多く収録されている。日本語での情報は非常に 少ない分野だけに、トルコの現代美術を知るいい手がかりになりそうだ。 2003/07/21 嶋田 Trout Fishing in Japan 丈裕, http://www.kt.rim.or.jp/~tfj/