『サイト・グラフィックス ― 風景写真の変貌』 川崎市民ミュージアム, http://home.catv.ne.jp/hh/kcm/ 川崎市中原区等々力1-2, tel.044-754-4500 2005/1/20-4/10 (月休;3/21開,3/22休), 9:30-17:00. - 片山 博文, 北島 敬三, 向後 兼一, 笹岡 啓子, 鈴木 良, 塚田 守, 津田 直, 土屋 紳一, 原田 晋, 細川 文昌; コレクション展: Bernt & Hilla Becher, Lewis Baltz, 柴田 敏雄, 畠山 直哉, 伊奈 英次, 田村 彰英, 杉本 博司. 風景や建築物の撮った写真作品の中でも、その場所の地誌のような固有性ではなく、 画面の幾何的な形や色の構成を強調したような作品を集めた展覧会だ。企画展の方で 2000年以降の作品を集めた一方、コレクション展の方で 1970年代〜1990年代の作品 を集めていた。この手の写真作品は大好きなこともあり、特にコレクション展に 展示された作品は一度は観たことのあるものが多かった。しかし、企画展と通して 観ると、撮影対象や手法の変遷が見えるようで、興味深い展覧会だった。 柴田 敏雄 の『日本典型』 (1988-1992) は日本の山奥にあるコンクリートの 擁壁や砂防ダムなどの治水工事の痕を捉えた作品だ。山奥の谷に自然に人の手が 入っていく風景という点で、(今回の展覧会には出ていないが) 大辻 清司 の 『梓川電源開発』 (1968) と似た作品なのだ。しかし、『梓川電源開発』が 工事中の現場なのに対し、『日本典型』は工事を終えた後 (というか痕) だ。 時代的な前後というより裏表になるが、東京近辺でのビル建設現場を捉えた 伊奈 英次 『In Tokyo』 (1985) の裏といえば、(やはり今回の展覧会には出て いないが) 歴史的建築物の解体現場を捉えた 宮本 隆司 『建築の黙示録』(1983-) がある。この2つを併せると、1980年代バブル期スクラップ&ビルドだ。 その先駆としては1960年代オリンピック期スクラップ&ビルドに対応する 大辻 清司『首都高速』 (1967) がある (やはり今回の展覧会には出ていない)。 1960年代の 大辻 清司 から1990年代の 宮本 隆司 等に至る主題の変化というのは、 近代化、都市化の進展に対応している所がある。対象が開発 (と自然の破壊) から 建築物・構造物自身の破壊・廃虚化に移行していくのだ。 企画展示の方の2000年代以降の写真は、自身の破壊・廃虚化という主題の後と 感じられる。構築から破壊・廃虚化に至るライフサイクルが一巡し、その過程が 全て既視なものになり、わざわざそこに意味を感じることもなくなった感覚かも しれない。開発〜破壊・廃虚化の場所が遍在化し画一化し匿名的になってしまった 感覚かもしれない。1990年代までの作品は建設現場であれ解体現場であれ、 その場所固有の地誌を意識させられる所があるのだが、2000年代の作品には、 そういったものが稀薄な、もしくは、意図的に稀薄にした作品が並んでいた。 北島 敬三 『Places』 (2003) などは、写った看板に書かれた地名を読み取りでも しない限り日本のどこか判らないような街中の光景を写真に撮っている。笹岡 啓子 『Park City』 (2004) も似たような写真なのだが、こちらは原爆記念公園という 「歴史」「地誌」を際立たせて撮ることができる被写体だけに、それをはぎ取ろう という意志も感じられる。 この文脈の写真には、人工的な構築物 (と自然の相互作用) が作りだす形状や 色の構成の面白さを写真に捉えるという面もあって、『海景』シリーズで知られる 杉本 博司 や、大辻 清司 を師とする畠山 直哉 などは、もともと地誌的な部分が 薄めの作品だったと思う。CG技術を使ってそれを極端につき進めたのが、ベクトル データとして描き直すことによって、本来の写真なら写る汚れなどを除去して ツルピカの建築構造物の画像に仕上げた 片山 博文 『Vectorscapes』 (2003) や、 被写体を斜交座標空間に射影することによって奇妙な平面感を出した 土屋 紳一 『angle』 (2004) などだろう。CGを使って被写体が写真上に作りだす形状や色の 面白さを強調しているのだが、それによって奥行感も稀薄になり、グラフィック・ デザイン的だ。この展覧会のタイトル『サイト・グラフィックス』のタイトルに 一番合致しているのはこれらの作品だろう。津田 直 『2/13/2003#3』 (2004) の ような作品は、似たような画面の写真を併置し微妙な差異を楽しむという点で 杉本 博司 と似ているが、津田 直 の写真の併置は歩いて移動するという程度の 時間と空間のズレを捉えており、ぐっと私的な差異になったように感じられた。 こういう文脈に位置付け辛いが面白かったのが、鈴木 良 『human atlas』 (2002)。 パリの街中で撮った写真とのことだが、背景を全て白消しして、写っている人物 のみをプリントしている。背景を白消ししていないが、Becher schule の Thomas Struth の "Museum" series を連想させられる。背景を白消ししているのに 背景が漠然と想像される所に、街のアーキテクチャに規制された人々の向き姿勢 というのを可視化しているかのような面白さがある作品だ。 2005/03/06 嶋田 丈裕, http://www.kt.rim.or.jp/~tfj/talk/index.html