『MOTアニュアル2005 ― 愛と孤独、そして笑い』 東京都現代美術館, http://www.mot-art-museum.jp/ 江東区三好4-1-11木場公園内 (清澄白河), tel.03-5245-4111 2005/1/15-3/31 (月休;3/21開), 10:00-18:00 - イケムラ レイコ, 出光 真子, イチハラ ヒロコ, 岡田 裕子, オノデラ ユキ, 鴻池 朋子, 澤田 知子, 嶋田 美子, 溝口 彰子 O.I.C., 綿引 展子. 東京都現代美術館が毎年年度末に開催している、日本の現代美術のショーケース的 展覧会 MOT アニュアル、今年は女性作家特集だった。1940年生の 出光 から 1977年生の 澤田 まで世代の幅は広く取られている。造形的な面白さよりも ジェンダーやセクシャリティ、近代家族制度などのテーマの方に重点が置かれた 作品が集められていたように思う。 1996年から1997年にかけて、『ジェンダー ― 記憶の淵から』 (東京都写真美術館, 1996)、『デ・ジェンダリズム ― 回帰する身体』 (世田谷美術館, 1997)、 『しなやかな共生』 (水戸芸術館, 1997)、『揺れる女 / 揺らぐイメージ ― フェミニズムの誕生から現代まで』 (栃木県立美術館, 1997) という感じで、 同じようなテーマの展覧会が相次いだことがあった。こういうテーマでの企画が すっかり減ってしまっていたように感じていたので、戻ってきたのは良いように も思うけれども、それから8年間の社会の変化が企画に感じられないのは、とても 奇妙に感じられた。 1996〜7年の一連の展覧会でも引っ張りだこだった 嶋田 美子 の『箪笥の中の骨』 (2004) は、英語の成句 "skelton in the cupboard" (食器棚の中の骸骨 = 家庭の秘密) をそのまま形にした作品だ。家庭のミクロポリティスクをマクロな ポリティクスに繋いでいくような所は相変わらずで、悪くはない。しかし、 この箪笥にしまわれていた「家庭の秘密」を読んでいて、ミクロポリティクスの 現実を突きつけられるというより、インターネット上の匿名の掲示板「発言小町」 (大手小町, YOMIURI ON-LINE) を読んでいるような気分になってしまった。 もはや「家庭の秘密」は「箪笥の中の骨」のようなものではなくなってしまって いるのかもしれない。 しかし、そういう時代の変化だけではない。この企画で最も奇妙に感じたのは、 まるで近年の不況など無いかのような経済の視点の不在だ。新自由主義的政策もあり、 市場やアーキテクチャによる規制が法や社会規範を卓越しつつある。例えば、 樋口美雄・太田清・家計経済研究所 (編) 『女性たちの平成不況 ― デフレで働き方 ・暮らしはどう変わったか』 (日本経済新聞社, ISBN4-532-35091-3, 2004) は、 女性の就業環境について、「均等法等の女性就業の制度改善効果よりも、平成不況に よる非正規社員の増加の効果の方が大きい」 (大竹 文雄 による書評, 日本経済新聞, 2004/6/6)と指摘している。そんな市場による規制が卓越する現状において、女性を 縛る法や社会規範を問い直すような従来のアートにおけるフェミニスティックな アプローチ (この展覧会もその域を出ていなかった) は、無力化されつつあるのでは ないかと感じる。少なくとも、経済の視点の不在は企画の力を大きく損なっている ように感じられる。もちろん、経済の視点を入れたくとも、そんな作品が無いという ことのようにも思うが。 企画や作品が現実の社会の後追になりつつあるのではないか、こんな展覧会よりも 『女性たちの平成不況』のような本でも読んでいた方がよいのではないか、と 思ってしまった。こういう研究書では抜け落ちてしまう個々のライフヒストリーの ようなものを巧く可視化した作品に出合えないものかと思ってはいるのだが。 2005/03/12 嶋田 丈裕, http://www.kt.rim.or.jp/~tfj/talk/index.html