Philippe Decoufle, _Solo_ 銀河劇場 2006/11/25, 18:30-20:00 - premier: 2003 - Direction, Choreography and Interpretation: Philippe Decoufle; Music: Joachim Latarjet; Video: Olivier Simola; Lighting: Patrice Besombes; Sound: Claire Thiebault; Video assistant & Stage: Laurent Radanovic. Cie D.C.A. を率い、影を活用し、映像も多用し、サーカス的な要素の強い舞台を 作り続けてきた Philippe Decoufle のソロの作品だ。『フィリップ・ドゥクフレ 研究ワークショップ習作公開』 (赤レンガ倉庫, 2002/10) で Decoufle 自身が ソロで踊って見せてくれた、ライヴ加工映像と競演するダンスを展開したような 舞台を堪能できた。 2002年のワークショップで観せたアイデアを直接的に反映させたのは、1930年代の アメリカのミュージカル映画の振付家 (名前を失念) へのオマージュと前説で 言っていたシーン。Decoufle のダンスを捉えた映像を、少々時間的にも空間的にも 少しずらして反復したものを投影してのパフォーマンスだ。ワークショップの際は 縮小して並行にズラす程度であったが、この舞台作品では90度もしくは120度回転 させてズラして、万華鏡のような映像を実現したり。ズラす角度を動的に動かして、 時間的なズレも併せて、揺れてしなるような映像も実現したりしていた。さすが、 このシーンが一番面白く感じた。ワークショップのアイデアをちゃんと作品化した 舞台を観たいと思っていたこともあり、それが観れたのが、とても嬉しかった。 このシーンをはじめ、影やライブに撮影した映像の投影を駆使して、ソロながら 多くの人が踊っているかのような舞台作りが、この作品の見どころだろう。 背後の正方形のスクリーンを、右下四半分と、残りの左の台形、上の台形に三分し、 そこに映像や影を投影するというアイデアも気に入った。映像とダンスの共演の 場合、映像に埋もれて舞台やダンサーの立体感が失われることもあるのだが、 スクリーンの三区分によって生じる奥行感が、それを補って、立体的な舞台を 構成し直しているような面白さがあった。その三分したスクリーンへの投影では、 単に並べて投影するのではなく、左右を反転させたり、色を補色にしたり、と 単純な加工ながら変化に富んだ映像を作り出していたのも良かった。そういう 技法を駆使しつつ、影絵的な遊びや、画面区分の継目を使った遊びなどに観せた 茶目っ気も気に入った。 しかし、映像を多用しているため、舞台の正面性の制約が非常に強くなって しまったように感じた。自分の席が舞台下手寄りだったこともあり、Decoufle の立ち位置と映像がうまく合っていないと感じてしまうことも少くなかった。 その点は少々残念だった。 しかし、40歳過ぎで、かつソロということもあって、派手なダンスを観せ続けた わけではなかった。座っての手遊びのような手や上半身を使ったパフォーマンスは 多分に、ブレイクも兼ねて構成したようにも感じた。今回の舞台はサーカス色は あまり無かったが、こういう所にサーカスっぽさを感じた。 音楽は、録音も使いつつ、Joachim Latarjet がライブで trombone と ukulele を 演奏して、ライブで音加工していくものだった。trombone のユーモラスな音の 響きは、茶目っ気を感じる Decoufle のパフォーマンスに合っていた。それに、 ライブの方が音とダンスの息が合って観ていて動きが生き生きするように感じる。 最後に、音楽も映像もなしに、真黒の背景でソロをひとしきり踊ったのだが、 まるで今までの幻影の種明かしを観せられているようでもあり、今までに観た 舞台のイメージの記憶から、実際には無い背景映像や音が彼の踊りから浮かび あがらせようとしているかのようであった。凄い踊りを観せたという程ではないが、 最後にこれが無かったら、映像演出ばかり印象に残り、彼の踊り自体の印象が 残らなかったかもしれない。そういう意味でも、最後にこれを持ってくるのは さすがだと思った。 sources: Philippe Decoufle & Cie D.C.A., http://www.cie-dca.com/ 銀河劇場, http://gingeki.jp/ 2006/11/26 嶋田 丈裕, http://www.kt.rim.or.jp/~tfj/talk/index.html