最も好きな映画男優を一人挙げろと言われたら、迷わずJean=Pierre Leaudと答える ことのできるTFJです。彼が出演しているGodardの映画の特質なのかもしれないが − というのは、F. Truffautの映画ではそれほどではないからだ。 − 彼が喋ると、 口説き文句だろうと、政治的スローガンだろうと、その内面性が見事に抜け落ちた、 不自然なものに感じられるのが良い。3時間40分という長編に少々尻込みしたが、 Leaudを観ていれば飽きないだろう、と観た映画がこれだ。 「ママと娼婦」 (ユーロスペース) "La Maman Et La Putain" - directed by Jean Eustache - Jean=Pierre Leaud, etc - 1973, 白黒, 220分 メロドラマティックにどろどろした「男性・女性 ("Masculin-Feminin" directed by Jean=Luc Godard, '68)」という印象を受けたのは、主演男優がJean=Pierre Leaud だったからだけではない、と思う。 働かずにぶらぶらナンパばかりしているダメ男アレキサンドロ (J.=P. Leaud) と、 彼を養っている年上三十女(=ママ)マリーと、彼がナンパした誰と寝る女(=娼婦) ヴェロニカの、奇妙な三角関係を描いた映画なのだが。 扱っている題材としては、"Masculin-Feminin"のような若者の生活・恋愛・性行動を 俎上に乗せるような面だけでなく、竰jと女のいる舗道 ("Vivre Sa Vie" dir. by J.=L. Godard)」で売春という行為を通して扱われる自由と責任の問題 − 売春の 善悪を問うているのではない。− を扱っているように思う。「政治的」な言及の 多さからも、題材的には60年代のGodardに似ている。しかし、手広く広げすぎか、 長時間になって、その分散漫になっているかもしれない。 カフェや部屋での登場人物によって語られるだけの挿話や独白 − 脈略が無かったり 相互に矛盾したりするのだが − の多用という手法も、60年代のGodardに似ている。 何も知らずに「これはGodardの映画だ」と言われたら、信じただろう。 男1人女2人のベッドシーンだって"Masculine-Feminin"にあったし、妊娠をからめた 唐突な終わり方もある意味で似ている。しかし、"Masculine-Feminin"では主人公の 男性は自殺らしき変死をし残された女性が病院でお腹の子をどうするか尋ねられて いるというなんとも居心地悪い終わり方をするが、この映画では自殺をほのめかす ものの最後に妊娠したヴェロニカに求婚して終わる。この終わりは「求婚」という ことから一般的に想像されるほどハッピーエンドではないが、この映画をメロドラマ ティックに感じさせる一因になっている。 その他にも、この作品をメロドラマティックにしている要因はいくつか思い当たる。 一つは、その編集技法の単調さだ。例えばGodardの速い画面の切り替えや多用される 字幕は、観客にぎくしゃくした印象を与え当然と思わせない力になっているが、 Eustacheの編集はそれに比べてはるかに「自然に」作られている。 どうしてもGodardの亜流という印象はぬぐえないが、それでもJean=Pierre Leaudは いいし、なんといっても、観た後にいろいろ考えさせられるということだけでも、 この映画は成功しているだろう。 映画を観終え、家に帰ってすぐ、The Pop Group "We Are All Prostitutes"を聴いた。 そういう気分にさせられた映画だった。 B.G.M.: The Pop Group (with Tristan Honsinger) "We Are All Prostitutes" 嶋田 "Trout Fishing in Japan" 丈裕