第二十回野毛大道芸 野毛商店街周辺, 横浜市中区野毛町 (桜木町,日の出町) 96/4/20,21 12:00-16:30 今年で二十回を数えるという野毛の大道芸大会。僕が初めて行ったのが、一昨年の 春の第十七回。去年から、会場をみなとみらい地区にまで広げ、年一回の開催に なったり、と、この数年の間だけ見てもどんどん変っていっているのだが。 一昨年の年明け早々に新宿西口地下街で雪竹太郎の大道芸「人間美術館」を偶然に 観たのが、大道芸をよく観るようになったきっかけだった。その雪竹太郎の「人間 美術館」を一年半ぶりに観た。初めて観たときは、帰宅する人が溢れる雑踏を異化 する静かな迫力に圧倒された。野毛大道芸で初めて観たときは、空間を異化する力 に欠くものの、よく構成された演技や新宿西口では観られなかった演目を楽しむ 余裕ができた。しかし、何回も見ると、さすがに先が読めるだけに面白くない。 演目が二年前と変わっていないのも、気になる。 野毛大道芸や大道芸ワールドカップin静岡に行ったり、新宿東口や渋谷道玄坂の 歩行者天国の大道芸をこまめにチェックして二年も経つと、たいていは一度は観た ことのある大道芸人だ。最初は面白いと思った人でも、次に観ると展開が読めて しまい、面白くなくなってしまうことが多いのは、仕方ないことかもしれない。 そんな中で、三〜四回観ているはずなのに面白いと思ったのが、ザット・アメイ ジング・ガイことデヴィット・クレイパッチ。難易度の高いジャグリングはもちろん としても、周囲の状況などに応じた即興性が高い話術が良いのかもしれない。 日本人大道芸人というとどうしてもちょっと「古風」な芸風を持つ人が多いが、 モン太郎というジャグラーが、グレアム・バーマンのような芸風を見せて頑張って いた。まだ技の完成度が低いのだけれども、次に観たときどうなっているか、 楽しみだ。 野毛大道芸のようなお祭りになってしまうと、どうしても演技者と観客の間に共犯 関係が生まれてしまい、歩行者天国での芸のような緊張感や空間異化作用は生まれ 辛い。大道芸ワールドカップin静岡のような規模で組織立ってやれば、そういった 点は犠牲になるが、ハプニング作品を鑑賞するような見方はしやすい。しかし、 野毛大道芸の規模やスタンスは、みなとみらい地区に会場を広げてから、どうも 中途半端になってしまってきているように思う。 しかし、普段ならペアやコンビを組んで芸をするなんてないジャグラー達が、 この野毛大道芸のために半ば即興的にコンビを組んで大道芸をしているのを観ると、 こういうことができるのも、野毛大道芸程度の規模ならではだろうな、とも思う。 もし、スーザン・ソンタグが言うように、ハプニングがラディカルな併置の芸術で あるならば、大道芸は−芸術というより芸能という点で伝統的ではあるが−最も ラディカルなものだ、と、時として自ら大道芸人の犠牲になりながら、馬鹿な ことに大笑いしながら、僕は大道芸を観るといつも思うのだ。 副読本: S. ソンタグ: ハプニング - ラディカルな併置の芸術, in 「反解釈」, 河出書房新社 J. バース: 尽きの文学, in 「金曜日の本」, 筑摩書房 嶋田 "Trout Fishing in Japan" 丈裕