東京ビックサイト 常設, 江東区有明3-21-1 (国際展示場駅, 国際展示場正門駅) - Cleas Oldenburg, etc 臨海副都心で新たに作られた建物の中には、パブリック・アートとして現代美術 作家の作品を使っている所がいくつかある。この新しい見本市会場である東京 ビックサイトもその一つだ。 暴力的と感じることもある強烈な臨海副都心の建築物群の中で作品がどのように 使われているのかという興味もあったが、もっと単純に話題に飛び付く野次馬的 興味が先にあった。その興味を満たせただけでも、充分に楽しめたが。 銘板もあるし、ファーレ立川に比べるとはるかに作品らしい扱いを受けている。 見る限りほとんどの人はそんなこと気にもかけていなかったが。それでも、 それが少々気掛かり。臨海副都心の制度に取り込まれてしまったようで。 初めて都立現代美術館に行ったときの、あの感覚に似ている。場に負けている、 というには、単純過ぎる気もするが。 特にどこに何があるかというパンフレットも無いようなので、今後観に行く人の ガイドになるように、見つけた作品すべて場所を挙げておこう。 Cleas Oldenburg & Coosje van Bruggen "Saw, Sawing" 1995 ビックサイトに近づくにつれて遠方からでもその赤い柄が見えてくる馬鹿馬鹿しさ。 建物と併せて観ると超現実的な強引さもある。正門にある巨大なのこぎりの モニュメント。何だかわからずこれを背景に記念のスナップ写真を撮る人が多い。 シンボルとしての機能は果たしているようだ。写真をとっていたおばあちゃん 4人組が「栓抜き」と言っていたので、つい「のこぎりですよ」と言ってしまった。 長沢 英俊 "七つの泉 (Seven Springs)" 1995 カフェテリアがある西展示棟の前の広場に噴水が七つあるのだが、それが作品。 白い大理石の柱に間欠的に水を浴びせている。けっこう水が飛び散っていて邪悪だ。 ペデストリアン・デッキから見るといいかも。「日時計になっているのかしら。」 と、通りかかった女の子。 Michael Craig-Martin "Floating World" 1994-95 会議棟に入って1Fレセプション・ホールのエントランスの壁画。青いポップな 壁画−それも題材が日常的だ−がモダンで落ち着いた感じのエントランスを異化 している。単に浮いているだけか。 斎藤 義重 (Saitoh, Ghiju) "マブキの時空 (Mabuki, Time, Space)" 1995 エレベータで会議棟上部に上がる。会議棟7Fロビーの壁面にとりつけられた、 木の立体作品。二ヶ所にわかれている。平凡。 1Fに降りる。カフェレストラン・ニュートーキョーの裏、西展示場前の巨大な建物の 狭間に、池や芝生のあるちょっとした小庭がある。そこにひっそりとあった2つの 作品が一番良かった。バブル経済の崩壊がなかったらますます強烈であろう狂騒的 な力に満ちた臨海副都心の中にある、力の真空地帯だ。 Lee Ufan "項 (Relatum)" 1995 池に沈んだ四角い鉄板とそれを囲む四つの赤い岩。少し場を離れて戻ったら、 軽鴨の雄がが一羽、作品の合間を泳いでいた。しばらくぼーっと眺めていたら、 飛び去ってしまった。 笠原 恵美子 "Untitled - Three Types #3" 1995 芝生の上に置かれた、大きな白い石が3つ。まるで白い布をかけられた棺桶のよう。 臨海副都心の犠牲になった者たちの墓地、という連想は安直か。なんともやるせ ない感情を引き起こさせる作品だ。 暫く笠原の作品の前に座り込んで黙祷した後、思い立ってお台場公園に向かった。 4年ほど前に行ったときは何も無かったのだが、今やシーリアお台場ができた。 同じようなサイドウォークカフェが並び、その店に入るために並んでいる客。 ほとんど都心の「トレンディ・スポット」のパロディとしか思えない。その隣に あるフジテレビ・ニッポン放送のビルは都庁並みの邪悪さだ。そんな中にですら、 パブリック・アートはある。 シーリアお台場 常設, 港区台場 (東京テレポート駅, お台場海浜公園駅) - 福田 繁雄, Daniel Buren 混雑したサイドウォークカフェの合間に、だまし絵彫刻で知られる福田繁雄の彫刻が 三つ"a-z","0-∞","あ-ん"が。しかし、観るべきはこれ。 Daniel Buren "25 Porticos - The Color And Its Reflections, Work In Situ" 1996 まだ制作中であったが、シマシマなアーチが25、並んでいる。カフェなどが並んだ 賑わった所からちょっと外れた所にあるのが良い。 嶋田 "Trout Fishing in Japan" 丈裕