というわけで、自転車を担いで那須岳に登ってきたTFJです。全体でも乗車率50%程度 という過酷なコースだった。特に前半は担ぎ度80%以上。激しすぎる。何が悲しくて 自転車担いで登山しているんだ。うー。クロスバイクは、登山道ダウンヒルでは道が がれていて苦しんだが、林道になってからは絶好調。軽自動車をかわしてしまった。 その夜は、天文友達と合流して、那須高原でPerseus Meteor Showerの観測。1分間に 1〜2回の素晴らしい頻度の上、他のmeteor showerの十字砲火付き。背景の星々、 特にくっきり見えるMilky WayにKignusの十字が重なって見えるのが良い。昼間の 疲れも忘れて26時頃まで観ていた。疲れてなければ、朝の天文薄明まで観ていたろう。 というわけで、夏は、花火見物もいいけど、Perseusの流星観測がお勧め。 で、翌朝一番に友達と別れ、独り那須山麓道路を駆け抜けて行ってきた。 ・ ・ ・ 常設展 ニキ美術館, 那須町湯元203 (一軒茶屋) - 常設, 9:30-17:00, 水休 - Niki de Saint Phalle ふっくらとした女性を象ったカラフルな一連のNanaの作品に惹かれることのなかった Niki de Saint Pholleに僕が興味を持ったのは、TVで紹介された60年代前半の一つの 作品でだった。「磔」と題されたその作品は、女性が子供の玩具で"磔"にされている のを象ったグロテスクな立体作品で、直裁的ながら痛烈だった。そして、それを観て 以来、彼女のこの頃の作品をもっと観てみたいと僕は思っていた。 それを期待してニキ美術館に向かったのだが、Nanaのような作品ばかりかもしれない とも思っていた。実際は、射撃作品を中心に60年代前半の「怒りの時代」−とこの 美術館の説明にあった−の作品に一部屋が使われていた。射撃作品は、銃で顔料を 撃って描くという作品−「磔」もおそらくその一つ−なのだが、作品それ自体よりも 資料として展示されていた銃を構える美しくも厳しいNikiの横顔の写真に、 僕は思わず見とれてしまった。 Nikiは意外にも"美しい"女性だった。彼女は若い頃にモデルをしており、彼女が表紙の 米"Life"誌も展示されていた。そして、18歳で結婚し、21歳に長女を出産したという。 展示の説明には明示的に書かれていなかったが、この後に精神的に苦しみ精神病院の 薦めで作品の制作を始めたようであった。それが事実でなくても、「磔」や 「聖セバスチャンの肖像」−実際の作品は無く、白黒写真とワイシャツを釘で男性 像の頭部に打ちつけそれをダーツの的にしたものと説明があった。−の痛烈さ、居心地 悪さは変わらないだろう。むしろ、その説明の中にあった「当時の女性は大変だった」 という感じの表現が僕は気になった。それはもう過去のことなのか? そして、後期の彼女の作品、特に「エジプト」連作の像の基に、まるで地蔵か何かの ように客が置いていったと思われる小銭があるのにも、僕は違和感を感じた。 もし、「磔」や「聖セバスチャンの肖像」があったら、それに小銭を添え置く客は いるだろうか。いや、こういう作品こそ、脇に賽銭箱ならぬ募金箱を置いておくと 面白いかもしれない。それも、例えば、零歳児保育施設、育児ノイローゼ相談などの 基金の目的のものを。 さて、その「エジプト」連作にしても"Nana"の作品にしても、展示室に作品として 展示されていた。彼女の後期の作品はパブリック・アートのように屋外に展示されて いた方が似合うと思うのだが。それについて美術館の人に尋ねたところ、那須は火山の 関係で雨中の硫酸濃度が高いうえ、冬期に凍結破損の可能性があるため、屋外展示は 実現していないということだった。計画はあるらしい。「養老天命反転地」ほど 大規模でなくていいから、那須にNiki de Saint Phalleの彫刻庭園が出現するのを 期待したい。 ミュージアム・ショップのNikiグッズには興味なかったが、カフェでヨーグルト プリンで一服しながら、ゆっくりしていた。 ・ ・ ・ 結局1時間半あまりいて、12時頃にニキ美術館を後にした。走り出そうとしたら雨が 降り出した。美術館で教えてもらった車の少ない高原の緑の中の抜け道を那須塩原駅に 向かって駆け下っていると、雨も気持ち良かったが。 96/8/12 嶋田 "Trout Fishing in Japan" 丈裕